第3話 お祖父様たちの練習会
「今度こそ、思い出したんだよ」
お祖父様がそうおっしゃって、小さな紙包みを卓に置いた。
中身は、粗い砂糖をまぶした焼き菓子だった。踊りの覚え書きかと思っていた私は、包みとお祖父様の顔を交互に見た。
「思い出されたものは、こちらですか」
「いや、これは休憩用だ。今日は長くなるかもしれないからね」
最初の昼の集まりから、十日ほどが過ぎていた。
あの日、お祖父様は違う踊りを覚え直したとおっしゃった。その踊りはどんなものかと私が尋ねると、ご友人たちの説明が少しずつ食い違った。
せっかくだから、今度はそちらも踊ってみよう。そう決まって、今日は家の小広間を空けてある。
椅子を運び終えたところへ、あの日と同じお二人もいらした。背の高い方は細長い箱を、丸い眼鏡の方は折った紙を持っている。
「君も菓子を持ってきたのか」
「いや、これは妻に頼まれたんだ。アネットさんたちへ、と」
「私のも、皆で食べるためのものだよ」
お祖父様は包みの口を広げた。
丸い眼鏡の方だけは、紙を丁寧に伸ばしている。ようやく踊りの手順が出てくるのかと思ったら、近くの店に注文するお茶の銘柄だった。
「帰りに寄るのを忘れないようにと渡されてね。先にしまっておこう」
お母様が笑いながら、菓子の皿をもう一枚持ってくるよう頼んだ。
始める前から、休憩の支度ばかり整っていく。
* * *
お母様が鍵盤楽器の前へ座り、お祖父様に曲を口ずさんでほしいと言った。
お祖父様は一度喉を鳴らし、低い声で歌い始めた。すぐに背の高いご友人も加わる。途中までは同じ旋律だったのに、最後のところで二つに分かれた。
「そこは、もう一度上がるんだ」
「下がったはずだよ。上がったら終わらないだろう」
「まだ終わらないんだよ」
お母様の指が鍵盤の上で止まった。
「まず、お父様お一人でお願いできますか」
お祖父様が初めから歌い直す。今度は最後までたどり着いたが、隣の方が口を開きかけるたびに、そちらを見ていた。
私は唇を結んで、二人の間に置いた椅子を片づけた。
「アネット、今の曲なら踊れるかい」
「曲だけでは、まだ分かりません。先に見せていただけますか」
「そうだね。では、向かい合って」
ご友人を相手に、お祖父様がお辞儀をした。
お母様が弾き始める。お二人は手を取り、三歩進んだところで、それぞれ違う方へ曲がった。
つないだ腕が真横に伸びて、二人とも止まる。
「こちらだろう」
「そちらへ行くと、帰ってきてしまうぞ」
「帰ってくるんだよ」
丸い眼鏡の方が、私の横で深くうなずいた。
「今のところまでは、前にも見たね」
お祖父様が振り返った。
「前とは、いつの話だ」
「君が初めて教えてくれたときだよ。あのときも、私を向こうへ引っ張った」
お母様が演奏をやめた。私もとうとう笑ってしまった。
お祖父様はつないでいた手を離し、少しだけ顎を上げた。
「あのときは、こちらが正しかったはずだ」
「私もそう思っていたよ。私の方がね」
お祖父様がいつもより大きな声で笑った。
私には見覚えのない笑い方だった。椅子の背を軽く叩き、相手の肩を小突く。ご友人も、少しも遠慮せずに叩き返した。
「そんなに昔から、同じところを間違えていらっしゃるんですか」
「間違いと決まったわけではないんだがね」
お祖父様が言い終わる前に、背の高い方が口を開いた。
「若い頃、私たちはこの踊りを知っていると言って、三人で教え役を引き受けたんだよ」
「お上手だったんですね」
「そう聞いてくれると、続きを話しにくいな」
私が首をかしげると、お祖父様が椅子を引いた。
「先にお茶にしよう。話すなら、座ってからの方がいい」
まだ一度も踊り終えていなかったけれど、誰も反対しなかった。
* * *
三人が教えようとした相手は、その年初めて収穫祝いに来た、近くの村の娘たちだったそうだ。
場所によって手順が違うとは知らず、三人とも自分の覚えた通りに教えた。練習では一組ずつだったから、うまくいったらしい。
「それで、皆さんで踊り始めたら?」
「真ん中で、私たち三人が鉢合わせした」
お祖父様は砂糖の粒が落ちた皿を見ながら言った。
「娘さんたちは?」
「向こうで待っていたよ。私たちが道を空けるのを」
「私は戻ろうとしたんだが、二人が譲らなくてね」
「君は私の上着をつかんでいたじゃないか」
「そうだったかな」
丸い眼鏡の方が、わざとらしく眼鏡を拭いた。
お母様がお茶を注ぎながら、先を促す。
「最後はどうなったんです?」
「向こうの皆さんに、こちらの踊りを覚えてくださいと言われた。それで、三人とも最初から習い直したんだ」
お祖父様は焼き菓子を一つ取った。
「大したものだったよ。私たちが何度間違えても、もう一度、と言ってくれるんだから」
「一番やり直したのは君だったな」
「一番長く教えてもらった、と言ってほしいね」
その返事で、お二人が同時に笑った。
私はお茶を飲むのをやめ、カップを受け皿へ戻した。お祖父様は涼しい顔で菓子を食べている。
子供の頃、踊りを教えてくれるお祖父様は、何でも知っていた。いつから知っているのかなど、考えたこともなかった。
けれど今、私の前には、娘さんに何度も手を取ってもらった頃のお祖父様がいる。ご友人の話では、お辞儀だけは誰よりも丁寧だったらしい。
「それなら、お辞儀はぜひ、見習いたいです」
「ほかのところも、見習えるようにしておくよ」
お祖父様は最後の一口を食べて、椅子から立った。
ご友人たちもカップを置いた。誰が言い出すでもなく、三人とも同じ方へ歩いていく。
お母様が、先ほどとは少し違う曲を弾いた。
窓の前まで行っていたお祖父様が、足を止める。
「そう、それだ。その先をもう一度」
「思い出しました。アネットが子供の頃、お父様がよく歌っていらした曲です。途中で、二つ待つところがありましたね」
お母様はゆっくりと弾き直した。
お祖父様が手を叩く。隣で、ご友人が指を二本立てた。三人が顔を見合わせ、それぞれ小さく足を動かした。
「ここで、相手が通るのを待つんだった」
「それを先に言ってくれればよかったのに」
「今、思い出したんだよ」
私はお祖父様の向かいに立った。
今度は三歩進んで止まる。数えている間にお祖父様が前を通り、それから私が進む。腕は無理なくほどけ、向かい合うところへ戻れた。
「できましたね」
「うん。もう一度、同じところを頼めるかな」
繰り返すうち、ご友人たちも後ろで動き始めた。途中でお相手を替わり、私が待つ方と進む方を交互に覚える。
お母様は同じところを何度も弾いたが、私たちが戻るたびに、次は少し速くしてもいいかと尋ねてくれた。
ようやく曲の終わりまで進めたとき、丸い眼鏡の方が、息をつきながら拍手した。
「これなら、次は皆で踊れそうだ」
お祖父様は大きくうなずき、私へお辞儀をした。
私はそれに応えて、裾を持ち上げる。顔を上げると、ご友人二人が、お祖父様のお辞儀をじっと見ていた。
「なるほど。そこだけは変わっていないな」
お祖父様は返事をせず、今度は二人へ、ひときわ丁寧にお辞儀をしてみせた。
笑い声で、お母様の弾いた最後の一音が聞こえなくなった。
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