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幼なじみの僕らに、名前をつけるなら。  作者: MUHIRO


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第8話 - 矛盾と恐怖

「高校でも一緒になるとは思ってなかったよ」


教室で夕日の名前を見つけた瞬間、どうすればいいのか分からなかった。

雛華が口を開くまで、しばらく川の流れる音だけが続いた。


「でもさ、今も灯さん、淡の家に来てるんだよね?」


「……来てるよ」


「高校に入ってからも?」


「変わらない」


「毎日?」


「ほぼ毎日」


雛華の眉が少し寄った。


「それなのに学校ではあれなの?」


「あれって?」


「お互い、存在してないみたいにしてるやつ」


「……そうだね」


普通の関係ではないことくらい、淡自身も分かっている。


高校に入っても、二人の生活は大きく変わらなかった。

学校が終わると、淡は撮影があればそのまま現場へ向かう。

アルバイトの日なら店へ行き、何もなければ学校に残るか図書館や公民館へ行く。


その間に、夕日は淡の家へ帰る。

正確には、帰るという表現もおかしい。

夕日の家は隣にある。


それでも、夕日が淡の家へ来る生活は続いていた。

淡が帰宅すると、玄関には夕日の靴がある。

リビングへ行けば夕日がいる。

参考書を読んでいることもあれば、テレビを見ていることもある。

キッチンに立っていることもある。


夕日は、淡が帰ってきたことに気づかないはずがない。

そこに夕日がいることは、淡にも分かっている。

それなのに、『ただいま』とは言わない。

夕日も、『おかえり』とは言わない。

目が合っても、何も言わない。


高校の教室と同じように、ここでも互いに何も言わない。

ただ、学校とは違って、同じ家で過ごしている。


夕日は今も淡の服を部屋着にしている。

帰らない日は淡のベッドで寝て、淡はリビングのソファで寝る。

同じ家にいる以上、互いの動きが重なることもある。

どちらかが何かを使っていれば、もう片方が待つ。


事件が起こるまでの十四年間、ずっと隣にいた。

だから、一言も交わさなくても生活そのものは成立してしまう。


例えば、洗面所を使う時間が重なれば、どちらかが何も言わずに少し離れる。

冷蔵庫を開けようとした時に相手が前にいれば、そのまま待つ。

夕日がキッチンに立っていれば、淡は邪魔にならない場所を通る。

昔なら、そんな時に『ちょっとどいて』『今使う?』くらいの言葉は普通にあった。

今は、それすらない。

それでも困ることはほとんどなかった。

何年も一緒にいたせいで、言葉にしなくても相手が次に何をするのか、なんとなく分かってしまう。


同じ家にいて、相手の存在だけはずっと感じている。

なのに、その相手に一言も声をかけないまま一日が終わる。

そんな日が積み重なっていた。


朝になれば、それぞれ学校へ行く準備をする。

同じ家から出て、同じ学校へ向かう日もある。

それでも、『行ってきます』も、『行ってらっしゃい』もない。


学校に着けば、今度は最初から知らない相手のように過ごす。

そこでも、一言も話さない。


そんな生活が、一年半以上続いていた。


*


高校入学時点で、淡は飲食店でアルバイトをしていた。

モデルの仕事や、母たちから任された仕事だけでも、高校生には十分すぎる収入があるため、金を稼ぐ必要はなかった。

それでもこの店を選んだ理由の一つが、仕事終わりに賄いが出ることだった。


「今日も賄い、食べて帰るか?」


「店長、ありがとうございます。今日何ですか?」


「残り物になるけど、生姜焼き」


「マジですか。店長の生姜焼き、うまいんですよね」


賄いを食べ終え、帰る頃には夕食の時間をとっくに過ぎている。

家へ帰れば、夕日が作った淡の分の夕食がキッチンに置いてある。

賄いを食べて帰るので、用意された夕食を食べないことが多くなった。


それでも、夕日は淡の家へ来れば必ず夕食を作る。

淡が食べなければ、そのまま残る。

食べなかった日の翌朝にはなくなっている。

淡は、夕日が片付けていることだけは知っているが、その料理がどうなっているかまでは知らない。

もちろん、聞いたこともない。


そして、夕食を残した翌日の夜には、別の夕食が用意されている。

前の日に淡が食べたかどうかで、それが変わることはなかった。


淡が、『今日は要らない』と言ったことはない。

夕日から、『食べる?』と聞かれたこともない。


何も確認しないまま、夕日は作り続ける。

淡も、それを止めない。

雛華は淡を見たまま、眉をわずかに寄せて首をかしげた。


「……食べないの?」


「バイトの時はね。それ以外でも、食べない日はあるね」


「捨てられてるのかな?もったいない」


「そうだね……」


淡は笑ったが、雛華は笑わなかった。


「灯さん、毎日作るんだ」


「毎日だね」


「淡が食べない日があっても?」


「うん」


「それでも?」


「うん」


次の言葉が出るまで、淡はペットボトルの蓋を回していた。


「僕にも、何で続けてるのか分からない」


本当に分からなかった。


夕日が淡を嫌っているのなら、どうして毎日来るのか。

なぜ食事を作るのか。

食べなかった次の日にも、なぜまた新しく作るのか。

どうして淡の服を着るのか。

どうして淡のベッドで眠るのか。


嫌っていないのなら、なぜ一言も話さないのか。

なぜ、あの日、あんな目で自分を見たのか。


答えがない。

だから淡は、考えないようにしていた。


*


「淡から話しかけたことは?」


淡は首を横に振る。


「一回も?」


「うん。『月城さん』って呼ばれた日以降は」


「一年半以上?」


雛華は信じられないような顔をする。


「同じ家に毎日いるのに?」


「いるから、余計に無理なのかも」


「どういうこと?」


言葉にすると、自分でも情けないと思う。

だから、すぐには言葉が出てこなかった。


「……怖いんだよ」


雛華は、少し意外そうな顔をした。


「何が?」


「夕日に話しかけるのが。……また拒絶されたらって思うと」


あの日、振り返った夕日の冷たい目と、『月城さん』という呼び方。

その時の光景は、一年半以上経った今でも鮮明に思い出せる。


「僕の中ではさ……。あの日、夕日は僕のことを嫌いになったんだよ」


「でも毎日家に来てる」


「分かってる」


「ご飯も作る」


「分かってるよ」


「淡の服も着てるんでしょ?」


「うん」


「ベッドも使ってる」


「うん」


「それで嫌われてるって思うの?」


おかしいことは、淡にも分かっている。

それでも、だからどうすればいいのかまでは分からなかった。


「変だよね」


「かなり」


「僕もそう思う」


理屈では分かっていても、淡の中では変わらなかった。


「夕日が何をしてても、僕の中では『月城さん』が一番強いんだと思う」


淡は、夕日にそう呼ばれるのが嫌いだった。

十四年間、当たり前のように『淡』と呼ばれていた。

それが、たった一言で、自分が夕日にとって遠い人間になったように感じた。

一年半以上経った今でも、『月城さん』を思い出すだけで、あの日に感じた距離まで一緒によみがえる。


「僕から話しかけてさ。もし、『話しかけないで』って言われたら。それをきっかけにうちに来なくなったら。今度こそ、ほんとに夕日がいなくなっちゃうから」


雛華から返事はなかった。


「今はまだ、家に来るんだよ」


会話はない。

目もほとんど合わない。

それでも、玄関には夕日の靴がある。

帰れば夕日がいる。

食卓には夕日の作った料理がある。

寝室には夕日がいる。

それだけは、まだ残っている。


「変な話だけど、今の関係を壊すのも怖い」


幸せではない。

元に戻りたい。

昔のように話したい。


でも、今より悪くなる可能性がある。

それなら何もしない方がいいのではないか。

何度もそう考えた。


「もう一回拒絶されたら」


そこから先が、すぐには続かなかった。


「多分、今度は話しかけられないとかじゃ済まない」


夕日の顔を見ることも、同じ家に帰ることもできなくなるかもしれない。


「今は、夕日がいることだけは分かるから」


それを失う方が、淡には怖かった。

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