第3話 - 誰かに話すこと
翌日の昼休み、雛華は女子数人と話していた。
淡がそこへ近づくと、周囲から自然と視線が集まった。
「雛華」
呼びかけに、雛華が振り返った。
ほんの一瞬、昨日決めたことを思い出すような間があった。
それから――
「なに、淡?」
近くにいた女子たちが黙った。
少し離れた席では、澄都がこちらを見ていた。
「ちょっといい?」
「うん」
雛華は立ち上がり、淡と二人で教室を出た。
廊下の角を曲がると、雛華が声を落とした。
「すごい見られてた」
「雪?」
「みんな」
「そうなるよね」
「淡は慣れてそうだけど」
「まぁ、目線が集まるとか、勝手に噂されるのはね」
「もう何か言われそう」
「別に放っておけばいいよ」
「……そうだね」
それから、二人は時々こうして皆の前から離れるようになった。
目的は定例報告で、雛華は澄都の反応を、淡は澄都に聞いたことを話す。
「昨日、澄都から連絡きたよ」
「何て?」
「『今日、月城と何話してたの?』って」
その報告に、淡は笑った。
「もう効いてるじゃん」
「普通に気になっただけかも」
「雛華、本気で言ってる?」
「うん」
「結構重症だね」
「失礼な」
雛華は軽くむっとした様子で、顔をそむけた。
*
その日の放課後、淡は澄都へ声をかけた。
「雪」
「……何?」
まだ二人は仲がいいわけではなく、澄都の返事もどこかよそよそしい。
「雛華って、可愛くてモテそうだけど、中学でもよく告白されてた?」
その問いに、澄都の表情が変わった。
「……まあ。あったと思う」
「多かった?」
「知らねえよ」
「幼なじみでも?」
「全部聞いてるわけじゃない」
「そっか」
「何でそんなこと聞くんだよ」
「ちょっと気になっただけ」
「……本人に聞けば」
「そうする」
淡はそれ以上踏み込まず、澄都も話を続けなかった。
今は、それくらいのやり取りでよかった。
*
五月も後半に入り、二人で教室を出ることも少しずつ日常になり始めていた。
「雛華」
「なに、淡?」
二人についての噂も増えた。
『付き合っている』
『いや、まだ付き合っていないらしい』
『月城の方から雛華を誘ったらしい』
『誰にも連絡先を教えない月城と、連絡先を交換したらしい』
――いろいろな話が勝手に広がっている。
本人たちは、噂を否定も肯定もしない。
澄都の耳にも噂は入っているようで、日を追うごとに面白くなさそうな顔をする。
それでも何もしない。
「澄都、全然動かないね」
「奥手なんじゃない?」
「そうなのかな」
「雛華が思ってるよりは」
淡は笑った。
定例報告を終えたところで、雛華がふと思い出したように口を開いた。
「そういえば淡って、本当に勉強できるよね」
「急にどうしたの」
「中間考査の結果」
淡は入試に続き、中間考査でも学年一位だった。
「やっぱり頭いいんだね」
「中二の途中までは普通だったよ」
「普通?」
「別に悪くはなかったけど、一位を狙うような勉強はしてなかった」
「じゃあいつから?」
「中二の十一月」
「十一月?」
その答えに、雛華の表情がわずかに変わった。
「何かあったの?」
「あった」
淡は簡単に答えた。
「その頃から、勉強とモデルの仕事ばっかりになった」
「どうして?」
「理由は二つかな」
「一つ目は?」
「余計なことを考えなくて済むから」
淡は特に感情を込めずに答えた。
「予定が空いてるのが嫌だったんだよね」
「……二つ目は?」
淡は少し考えた。
「昔、よく勉強を教えてた子がいたんだ」
「その子のため?」
「そういう大げさな感じじゃないよ」
「よく『これ教えて』って聞かれてたんだけど、たまに僕も分からない問題があるとさ。すごく嬉しそうにするんだよ」
「なんで?」
「『淡も分からないんだ』って」
その言葉に、雛華が笑った。
「負けず嫌い?」
「多分?そんな感じはしなかったんだけどね」
淡も笑った。
「だから、もしまた聞かれたときに、答えられないのは嫌だなと思って」
「それで勉強したの?」
「続けてたら一位になった」
「理由の割にやりすぎじゃない?」
「時間はたくさんあったからね」
少し間を置いて、雛華が口を開いた。
「それ、灯さん?」
淡は答えない。
雛華も、その場ではそれ以上聞かなかった。
*
その日の夜、淡のスマートフォンに雛華からメッセージが届いた。
『灯さんの話、いつなら聞ける?』
メッセージをしばらく見たあと、淡は返信した。
『学校の近くじゃないところがいい』
『知ってる人に聞かれたくない?』
『うん』
『じゃあ場所決めよう』
淡は地図を開き、学校から電車で数駅離れた場所を探した。
駅からさらに少し歩いた先の川沿いに、小さな公園を見つけた。
知り合いがわざわざ来る可能性も低そうだった。
『ここは?』
位置情報を送ると、少しして返事が来た。
『いいと思う』
『土曜日、二時はどうかな?その日ならバイトも撮影もないから』
『分かった。バイトもしてるんだ』
予定が決まったところで、淡はスマートフォンを置いた。
*
土曜日の午後二時、淡は指定した川沿いの公園へ向かった。
学校からはかなり離れていて、制服姿の生徒も、知っている顔もない。
休日だというのに、人もほとんどいなかった。
少し先のベンチに雛華が座っていて、淡に気づくと手を上げた。
「淡」
「待った?」
「今来たところ」
淡は隣に座り、前もってコンビニで買っておいたペットボトルのアイスティーを渡した。
前回のカフェでも、教室でも雛華が紅茶を飲んでいるのを見かけていたからだ。
しばらく二人とも口を開かず、川の音だけがよく聞こえた。
雛華は少しだけ表情を改めた。
「……じゃあ、聞かせて」
淡は川へ視線を向けた。
どこから話せばいいか。
中学二年の十一月――その話だけをしても、きっと意味は伝わらない。
そこに至るまでのことを説明しなければならない。
淡はゆっくり口を開いた。
「僕と夕日は……同じ日に生まれたんだ」
「同じ日?」
「九月十九日」
雛華が少し驚く。
「じゃあ、私たちと同じで幼なじみなんだね」
「うん。0歳の頃から」
「すごいね、それ」
「同じ病院で生まれたんだ」
「え、本当に生まれた日から?」
「そうだよ」
「それはさすがにびっくりした」
「だよね。しかも親父同士が中学からの同級生でさ。大学も就職先も別だったのに、家を建てたら偶然隣同士だったんだよ」
「そんなことあるんだ」
「僕もそう思う。びっくりだよね」
淡は、一呼吸置いた。
「それで、うちの親は僕が小四のときに海外に行って、一人暮らしになったんだ」
「え、小四から?一人暮らし?」
「うん。普通はあり得ないよね。でも、夕日の両親がいろいろ面倒見てくれてたから、そこまで大変なことはなかったけど」
「ちょっと待って……。いろいろびっくりだけど。何から聞こう。えっと、親御さん、何してるの?」
「IT系の会社をやってる。ちなみに夕日の親も同じ業種で、会社を経営してるよ」
「競合じゃん。それでも仲良くやれるもんなの?」
「競合だけど、得意分野が違って、結構助け合ってるよ。母親たちもバリキャリだし」
雛華が少し戸惑ったように瞬きをしたが、淡はそのまま話を続ける。
「それで、その一年後には夕日の両親も海外に行くことになったんだ。夕日も親についていかなくて、一人暮らしになった」
「じゃあ、二人とも一人暮らしになったんだ。それ、寂しくなかったの?」
「僕はなかったよ。夕日からも、寂しいって聞いたことはないな。ほとんどどっちかの家で二人で生活してたから」
「私じゃ想像もできないや」
「むしろ親が帰ってこなさすぎて、逆に寂しいって思わなかったのかも。年末年始くらいしか帰ってこなかったから」
「二家族とも?」
「うん。学校のイベントとかにも顔出さなかったよ。小学校の入学式以外は全部不参加」
別に、それをかわいそうだと思ったことはない。
少なくとも当時は。
何度も父親たちから聞かされた言葉がある。
同じ年、同じ日、隣り合った家、そして二人の子ども――九月十九日は『運命の日』だ。
父親たちは、昔からそう言って笑っていた。
「だから」
淡は真剣な眼差しで雛華を見る。
「僕と夕日のことを話すなら、生まれた頃からになる」
雛華は黙って聞いている。
そして淡は、高校に入って初めて、自分と夕日のことを誰かに話し始めた。




