第27話 - 周囲の視線
四人は、ホテルへ戻る時間ぎりぎりまで京都の街を楽しんだ。
着物を返して制服に着替え、そのままホテルへ向かう。
到着した頃には、空はもう夕方の色に変わっていた。
買った土産の分だけ、朝より荷物も増えている。
それぞれの部屋へ戻り、荷物を置いて少し休むことにした。
それから夕食の時間になると、昨日と同じ食事会場へ集まった。
流れだけなら、昨日とほとんど変わらない。
けれど、四人の間にある空気はもう違っていた。
昨日と同じテーブルだが、座る場所は違う。
淡の隣には夕日。
向かいには澄都と雛華が座った。
淡と夕日が話す姿を、通り過ぎるクラスメイトたちが不思議そうに見ている。
淡はその視線に気づいていたが、気にせず夕日との会話を続けた。
学校では、二人が直接話しているところを見たことのある生徒はほとんどいない。
それが今は、当たり前のように名前を呼び合って話している。
二人の関係を知らない人からすれば、今日一日で急に距離が縮まったように見えるのかもしれない。
淡にとっては、距離が縮まったというより、止まっていた時間が再び動き始めた感覚に近かった。
夕食を終えると、「あとでね」と言い合って、それぞれの大浴場へ向かった。
*
入浴後にロビーで話す約束をしていた。
淡と澄都が先に風呂を済ませてロビーで寛いでいると、少し遅れて雛華がやってくる。
夕日も同じ頃には風呂から上がっていたようだが、班長会議に参加しているため、まだロビーには来ていなかった。
「昨日と同じ場所だね」
昨日、澄都に協力を頼むために座った席が、たまたま今日も空いていた。
あの時のような緊張感はない。
三人でこうして話すようになってから、まだそれほど時間は経っていない。
それでも、誰かが話せば、残りの二人が自然に言葉を返すくらいにはなっていた。
近くを通る同じ学校の生徒から、何度か声をかけられる。
淡たちも普通に返すが、そのまま会話に加わる人はいない。
三人が拒んでいるわけではない。
ただ、会話が途切れないせいか、挨拶程度の関係では入り込むきっかけがないのだろう。
それでも、淡と雛華がいることもあって、声をかけられる回数は多かった。
何組かと短いやり取りをしたあと、女子生徒三人が近づいてきた。
「雛華、月城くん、雪くん、おつかれー」
「あ。おつかれー」
話しかけてきた女子は三人の近くまで来ると、少し楽しそうに雛華を見る。
「雛華と月城くん、着物デートしてたって聞いたんだけどほんと?」
「着物で清水寺付近を歩いてたけど、デートはしてないよ。四人で歩いてたし」
「でも噂だと二人になってるよ」
雛華は少し眉を寄せた。
「何で?」
「知らないよ。二人が仲良さそうに着物で歩いてたって」
「だから四人だって」
「じゃあ違うんだ」
「違うよ」
「そっか。気になってたから聞いただけ。じゃあ、また明日ね。おやすみ」
「うん。また明日。おやすみ」
そう言い終えると、その生徒たちはエレベーターの方へ向かっていった。
澄都はその背中を見送ってから、淡と雛華を交互に見る。
「また噂増えたぞ」
「僕に言われても」
雛華はわざとらしく大きなため息をついた。
「今度は着物デートなんだ」
「着々と付き合っている感が増してるね」
「面白がらないでよ」
そんなやり取りをしているところへ、また別の生徒が声をかけてくる。
けれど、これまでと同じように一言二言話すだけで、誰もそのまま会話には加わらない。
結局、三人だけで続くやり取りは途切れないままだった。
班長会議を終えた夕日が、ロビーの入口で辺りを見回していた。
先に気づいた淡が声をかける。
「夕日。こっち」
夕日は声のした方を見て、三人のところまで歩いてきた。
「会議お疲れ様」
「ありがとう」
「今日は昨日より早かったね」
「うん。明日はクラス移動だから共有事項が少なかったの」
夕日は淡の横に座った。
通りかかったクラスメイトが、少し意外そうにこちらを見る。
昨日までの学校での二人を知っていれば、夕日がここにいること自体が珍しく見えるのだろう。
「灯さんもいるんだ。珍しいね」
そう言われるたびに、夕日は少しだけ居心地悪そうにする。
それでも会話から離れることはなかった。
しばらく話したところで、淡が夕日を見る。
「そういえば夕日、一個謝りたいことあるんだけど」
「何?」
「毎晩ご飯作ってくれてるでしょ」
「うん」
「バイト先で食べて帰って、夕日の作ってくれたご飯食べないときあったけど、そのご飯ってどうしてたの?」
「次の日の私の夜ごはんにしてたよ」
あまりにもあっさり返されて、淡はすぐに言葉が出なかった。
「気にしなくていいよ。勝手にやってただけだし」
「でも毎日違うご飯だったけど」
「淡のご飯は毎日作ってたから」
その言葉を聞いて、淡はしばらく何も言えなかった。
「……ごめん」
夕日は困ったように笑った。
「何で謝るの?」
「毎日作ってもらってるのに、何も考えてなかった」
「別にいいよ。淡が食べなかったからって捨てたりしてないから大丈夫」
「そういう問題じゃないよ」
「そういう問題だよ」
淡は少し困った顔をする。
夕日はそんな淡を見て、そのまま言葉を続けた。
「じゃあ今度から、食べない日は連絡して。それなら最初から自分の分だけ作るから」
「分かった」
話すことができなかったから、こんな簡単なことすら確認していなかった。
淡はかなり反省したが、夕日は本当に気にしていないようだった。
その後も、通りかかったクラスメイトが何人か声をかけてくる。
夕日もそのたびに返していたが、少しずつ疲れが見え始めていた。
淡は飲み物に手を伸ばし、ペットボトルが空になっていることに気づく。
「飲み物なくなった」
淡がぽつりと言うと、雛華も手元のペットボトルを確認した。
「私もお茶欲しい」
「僕買ってくるよ。雪は?」
「俺もお茶頼む」
「了解」
淡はそう言って立ち上がり、そのまま夕日を見る。
「夕日は?何かほしいのある?」
「私もお茶欲しい」
夕日の様子を見て、淡はそのまま声をかけた。
「じゃあ一緒に行く?」
夕日は一瞬だけ周囲を見てから「うん」と頷いた。
*
夕日は淡の後について、ロビーを離れた。
自動販売機の前まで来ると、夕日は小さく息を吐いた。
その様子に気づき、淡は夕日の横顔を見る。
「ちょっと疲れた?」
「少しだけ」
「いろんな人に声をかけられたからね。クラスメイトも何人もいたし」
「うん。教室であんな風に話しかけられないからね」
淡は昔のことを思い返す。
「でも、中二の中盤までは今みたいな感じじゃなかった?」
「そうだっけ?」
「夕日、結構話しかけられてて、普通に話してたよ。それにすぐ仲良くなるし」
「そうだったかな?」
夕日は少し黙ったまま、視線を落とした。
「あの頃は何も考えてなかったからな。淡の横にいることも当たり前だったし」
淡は何も言わず、そのまま夕日の言葉を待った。
「中三から昨日までほんとに人付き合いしてないから……」
夕日は自動販売機に向きを変え、どのお茶にするか選んだ。
「淡、中三の時から変わったよね」
「変わった?」
「うん。中三のとき、ほとんど人と話してなかったでしょ」
「ああ……そうだね」
「高校入ってからは急に普通に話すようになったし」
「そうだね。まあ、同じ中学の人はいなくて、事件のことが伝わってなかったから。だから、みんな普通に話しかけてくれたからだと思う」
淡も自動販売機の方に向きを変える。
「正直、雛華と雪との会話以外、あんまり覚えてないし」
夕日が少し驚いたように見る。
「そうなの?クラスではいつも周りに人がいるのに?」
「うん。表面的なコミュニケーションっていうか」
雛華と澄都には、早い段階で周囲と深く関わろうとしていないことに気づかれていた。
ただ、それ以外の人に言われたことはない。
ずっと近くにいた夕日でさえ、そこまではわからなかったのだ。
元に戻ったからといって、何もかもが昔と同じになるわけではないのだと実感した。
「夕日は久々なのもあって、いつもより疲れるんじゃない?」
「それはあるかも」
「だからあまり無理しなくていいよ」
「うん」
「学校でも、急にみんなと仲良くしなくていいし。夕日のペースでね」
財布から小銭を取り出し、自動販売機に硬貨を入れようとしたところで、夕日が淡の手を止めた。
「待って」
夕日は自分の財布から小銭を取り出す。
「今回は絶対私が払う。今日ずっと淡が払ってたから」
「別にいいのに」
「よくない」
淡は夕日の手をどかして硬貨を入れようとしたが、夕日は頑なに制止してくる。
「じゃあ夕日は自分の分だけ買えば?」
「それだけじゃ足りない。私の気が済まないの」
「そこまで?」
「そこまで」
淡はそれ以上言わず、夕日に譲った。
夕日は、お茶を三本買った。
「淡はこのお茶でいい?」
「自分の分は自分で買うよ」
「断固拒否」
夕日は四本目のお茶を買った。
四本のペットボトルを前に、夕日は少し満足そうな表情を浮かべる。
飲み物を抱え、雛華と澄都のもとへ戻っていった。
*
「あ、戻ってきた」
雛華と澄都は、淡たちに向かって手を振った。
夕日は雛華と澄都にペットボトルを渡す。
「はい。お茶の銘柄は淡が選んだよ」
「ありがとう。いくら?」
「いいよ」
「え?いいよ払う」
「いいの。私は、今日全くお金使ってないから」
「でもそれ淡が払っていて私たちは何もしてないよ」
「いいの。受け取って」
そんなやり取りを見ながら、淡は呟く。
「夕日が今日の支払いを取り返そうとしている」
「取り返してるって、へんな言い方しないでよ」
「実際そうでしょ」
「淡が払いすぎなの」
二人のやり取りを見ていた雛華が、少しだけ表情を緩めた。
「仲いいね」
夕日は少し照れたように顔を逸らし、淡も否定はしなかった。
それからも四人で話し、クラスメイトが通れば軽く挨拶を交わす。
四人の会話はそのまま途切れることなく続き、気づけば就寝時間も近くなっていた。
夕日は時計を確認してから、三人を見る。
「そろそろ戻ろうか」
四人は立ち上がり、エレベーターの前まで一緒に歩く。
そこで男女に分かれた。
「また明日。おやすみ」
「うん。また明日」
「おう」
それぞれ言葉を交わしたあと、淡は夕日を見る。
「おやすみ、夕日」
夕日が浮かべたのは、淡が昔よく見ていた表情だった。
「おやすみ、淡。また明日ね」
たったそれだけの言葉だった。
また明日も普通に話せるとわかるだけで淡は嬉しくなった。




