第23話 - 過去形じゃない
清水寺の境内は観光客で混み合っていた。
修学旅行なのか、同じくらいの年齢の学生も多い。
二人は立ち止まりながら、レポート用の写真を撮り、必要なことをメモしていく。
「澄都」
雛華がスマートフォンにメモを入力しながら呼ぶ。
「何?」
「さっきのこと」
幼い頃から見てきた澄都のことだ。
あの軽口が本心でないことくらい、雛華には分かっていた。
それでも、その理由は澄都自身の口から聞きたかった。
「何であのタイミングであんなこと言ったの?」
澄都は足を止めた。
「怒ってる?」
「少し。夕日から聞いたことまで全部言うのかと思った」
「言ってないだろ」
「途中まで本気で止めようと思ったから」
「わかってる。めちゃくちゃ睨まれたし」
「当たり前でしょ」
澄都はすぐには答えず、少しだけ間を置いた。
「でも、あのタイミングじゃないと灯は動かなかったと思う」
澄都はそこで一度言葉を切った。
「月城が女子に囲まれてたろ。その姿を灯はずっと見てた」
澄都の眉がわずかに寄る。
「今朝、送ってきたメッセージ読んで、あの二人が何で話せないのかは分かった。で、灯って、自分がいなくても月城はもう大丈夫だって思ってるんだろ?」
雛華は昨夜の夕日の言葉を思い出した。
『淡が幸せそうでよかった。立ち直らせてくれてありがとう』
「けど、あの灯の姿見てたら違うのかもと思った。納得してないっていうか。無理に言い聞かせてるっていうか」
雛華も、同じことを感じていた。
昨夜の夕日は嬉しそうに話していたけれど、その表情や口調には、どこか自分に言い聞かせているような苦しさがあった。
澄都は夕日から直接聞いていないのに、あの視線だけでそこまで読み取ったのか。
「だから班長に行けって言ったの?」
「最初ね」
「最初は?」
「無理って即答されたから」
澄都は少し笑う。
「じゃあ、もう言うしかないかなって。結果よかっただろ」
「結果論だよ。夕日がもっと傷ついたらどうするつもりだったの?」
「俺のせいにすればいいと思った」
「だからあんな言い方したの?」
「おう」
澄都はあっさり答えた。
「恋バナだとか、ハンサムなのにヘタレだとか?」
「重く言ったら灯、自分を責めるだろ」
「……たぶんね」
「だったら俺が勝手に人の恋バナ喋った最低なやつでいいじゃん」
「それと、『大切で、すごい好きだった人』って言ってたでしょ。淡、澄都にはそう話してたの?」
「いや、言ってない」
「……え?」
「そこは俺が脚色した。強めに背中押さないと、灯は動かないと思ったし」
「夕日が淡に確認したらどうするの?」
「今のあの二人なら大丈夫だろ。それで何かあるなら、俺が月城からも灯からも責められればいい」
雛華はしばらく澄都を見た。
「澄都ってたまに変なところで頭回るよね」
「たまに余計じゃない?」
「普段、頭を使ってなさそうだから」
「失礼だな」
雛華は小さく息を吐いた。
こういうところは、昔から変わらない。
「でも、ありがとう。一人だったら、たぶん何もできなかったから」
昨夜、どうすればいいのか分からなかった。
だから澄都を頼った。
一人では持てなかったものを、半分渡した。
「俺が勝手にやっただけ。まあ、雛華に怒られたけど」
「それは別」
二人は笑いながら、また歩き始める。
「今頃どうしてると思う?」
淡も夕日も、本当はずっと話したがっていた。
だから今なら、きっとちゃんと話せているはずだ。
ただ、淡は夕日のことになると、少し引いてしまうことがある。
そこだけは、まだ少し心配だった。
「まだ話してると思う」
「二時間ずっと?」
「一年半以上分あるからね」
約束の時間までは、まだ少しある。
もう少しだけ、二人きりで話せる時間が残っている。
「戻ってきたら普通にしようね」
「分かってる」
「絶対茶化さないでね」
「しない」
「本当に?」
「信用ないな」
澄都は笑い、それにつられて雛華も笑った。
また四人で集まったとき、淡と夕日がどんな顔をしているのか。
今は、それを見るのが少しだけ楽しみだった。
*
テーブルの上に置いていたスマートフォンが震え、淡は画面に目を向けた。
通知に表示された雛華の名前を確認し、メッセージを開いた。
『ごめん。ちょっと熱中して遠くまで行きすぎた』
『集合場所に、三十分くらい遅れそう』
夕日は飲み物から顔を上げ、淡を見て小さく首を傾げた。
「二人ともレポートに熱中して、遠くまで行き過ぎたって」
淡は短く『了解』と返す。
「まだゆっくりできそう」
予定より少し長く、夕日と話していられる。
そのことが素直に嬉しかった。
スマートフォンをテーブルに戻しかけて、ふと手を止める。
「そういえば、夕日って僕の連絡先まだ登録してる?」
夕日は少し不思議そうに淡を見た。
「してるよ。消す理由ないでしょ」
中学三年の頃、淡は親や仕事で関わる人以外の連絡先をほとんど削除した。
学校で話しかけてくることもない相手の連絡先を、残しておく必要はないと思ったからだ。
その中には、夕日の名前もあった。
削除したときに感じた苦しさを、淡は少しだけ思い出した。
「連絡して」
「何で?」
「親とか仕事関係以外、全部消しちゃって」
夕日が目を丸くする。
「全部?友達も?」
「全部。友達ってほどじゃなかったけど」
「……ほんとに?」
「ほんと」
夕日は呆れたような声を出す。
「もう……。送るからね」
夕日は、スマートフォンを取り出した。
少しして、淡のスマートフォンに通知が届く。
表示された名前を、改めて連絡先に登録した。
『灯 夕日』
その名前を迷うことなく、お気に入りに追加した。
テーブルに置いたまま操作していたため、その一連の動きを夕日はじっと見ていた。
「早くない?今、お気に入りにしたでしょ」
「したよ」
淡の即答に、夕日は少しだけ嬉しそうに笑った。
「でも、中学の頃はほとんど使ってなかったよね」
「そうだね。帰る時間の確認がほとんどだった気がする」
「直接話せばよかったしね」
テーブルには、空になったグラスがいくつも並んでいる。
二時間半の間に何度か追加注文をし、夕日はケーキまで食べていた。
集合時間も近づいてきたため、二人は集合場所へ向かうために準備を始めた。
淡が伝票を手に取ると、夕日が横からのぞき込んできた。
「お会計結構いってそう?」
「まあ、二時間半いたしね。夕日は、ケーキも食べたし」
「淡も何杯飲んだの?」
「夕日より一杯多いくらい」
「じゃあ人のこと言えないでしょ」
「ケーキは食べてない」
夕日は残っていた飲み物を飲み干し、グラスをテーブルに戻した。
それを見て、淡もスマートフォンをポケットにしまう。
「行こうか」
「うん」
淡が立ち上がろうとした、そのときだった。
突然、言葉が込み上げてきた。
理由は分からない。
気づいたときには、もう止められなかった。
「夕日」
「うん。何?」
夕日が淡を見る。
その顔を見た瞬間、自分が何を言おうとしているのか分かった。
それでも、言っていいのかと迷うことはなかった。
「夕日のこと、やっぱり大好き」
夕日が固まり、目を大きく開いたまま、淡を見る。
淡自身も、口にしてから少し驚いた。
でも、取り消したいとは思わなかった。
恋愛なのか、幼なじみとしてなのか。
一年半以上話せなくなって、それでもずっと大切で、もう一度話せることが嬉しくて、その全部をまとめるなら。
『大好き』
それがきっと、今の気持ちに一番近い言葉だった。
夕日は、しばらく何も言わなかった。
それから、昔と同じように笑い、まっすぐ淡を見る。
「私も淡のこと大好きだよ」
その言葉に、淡の口元も自然と緩んだ。
それ以上、二人とも何も言わなかった。
今はそれでよかった。
二人で会計を済ませ、集合場所へ向かう。
淡には、雛華と澄都に伝えたいことがあった。
夕日と、たくさん話せたことを。




