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幼なじみの僕らに、名前をつけるなら。  作者: MUHIRO


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第21話 - もう一度、名前を

カーテンの隙間から朝の光が差し込んでいる。

淡が目を覚ましたとき、隣のベッドでは澄都がまだ布団に包まれていた。


淡はスマートフォンで時刻を確認した。

昨日より少し早くなった集合時間にも、まだ余裕がある。


「雪、起きて」


「……起きてる」


「布団から出て言いなよ。集合時間早くなったし」


布団の中から「知ってる」と答える澄都を見て、淡は少しだけ笑った。


「寝坊しないようにね」


動きそうにない澄都はいったん放っておいて、淡は先に洗面所で身だしなみを整える。

制服に着替え、必要なものを鞄へ入れていく。


澄都もようやく身体を起こした。

けれど、ベッドに腰を下ろしたまま、すぐにスマートフォンへ目を落とす。


「雪、先に行ってるよ」


澄都は返事の代わりに、手をひらひらと振った。


淡はそのまま部屋を出た。

澄都が何を見ているのかまでは、気に留めなかった。


*


エレベーターを降りて朝食会場のあるフロアへ出ると、雛華とちょうど顔を合わせた。

挨拶を交わし、そのまま一緒に会場へ向かう。


中へ入ると、夕日はすでに昨日の夕食と同じ席についていた。

雛華は夕日に挨拶をして、その隣に座る。

淡もそれを見ながら席についた。


昨夜、淡は夕日に話しかけようと決めた。

けれど、当日になったからといって簡単にできるわけではなかった。


『おはよう』


ただその一言が、どうしても出てこない。


夕日も淡を見ようとはしなかった。

それが余計に、声をかけづらくさせる。


雛華は二人の様子を見てから、淡に尋ねた。


「澄都は?寝坊?」


「まだ部屋にいると思う。起きてたよ。スマホ見てた」


少しして、澄都が会場へ入ってくる。

三人を見つけ、そのまま席へやってきた。


「遅い。何してたの?」


「悪い。ちょっとメッセージ見てた」


雛華の手が一瞬だけ止まった。


そのまま澄都へ目を向ける。

澄都はほんの少しだけ頷いた。


二人の間で何か通じたように見えたが、淡には何のことか分からなかった。


雛華はそれ以上何も聞かなかった。


*


昨夜、夕日が眠ったあとも、雛華は淡と夕日から聞いた話を何度も思い返していた。


二人が大きくすれ違っていることは、もう分かっている。

それでも、夕日が話してくれたことを、本人より先に淡へ伝えることはできなかった。


ただ、一人で抱えるには重かった。


雛華は澄都にだけメッセージを送り、淡が思っている「拒絶」と夕日の本心が食い違っていること、そして二人とも本当は話したいのだと思うことだけを伝えた。


澄都がそのメッセージを読んだのは、朝になってからだった。


*


朝食を終え、部屋へ戻って荷物を整えた。


ロビーに集合すると、そのままホテルを出る。

最初の目的地へ向かう市バスに乗るため、朝の京都を四人で歩いた。


歩きながら、淡は何度か夕日の背中を見る。


今なら声をかけられる。

そう思って足を踏み出そうとしたが、身体はすぐには動かなかった。


迷ったまま歩いていると、横から声をかけられた。

声の方を振り返ると、同じ学校の別クラスの女子生徒が数人いた。


「おはよう。月城くん。昨日、月城くんと写真撮ってた子いたよね。私たちも一緒に撮ってもらっていい?」


淡は足を止めた。


「ごめん、今ちょっと――」


「一枚だけでいいから!」


そう言いながら、一人が半歩距離を詰める。

他の女子も期待したように淡を見る。


断り切れず、淡は小さく息を吐いた。


「……一枚なら」


雛華が振り返ったが、すでに撮影が始まっていて、止めに入ることができない。

案の定、一枚では終わらない。

近くを歩いていた別の女子生徒まで足を止め、あっという間に淡の周りへ人が集まる。


◇


雛華が呆れた様子で淡の方へ向かおうとした瞬間、澄都がその腕をつかんで止めた。


「待って。ちょっとこのままでいい」


雛華が澄都を見る。


「何で?」


「いいから」


雛華は納得していないが、澄都の表情を見て、その場で足を止めた。

三人だけが少し離れた場所に残る。


一人、また一人と写真撮影を希望する生徒が増えていく。


「いつまで待つの?」


澄都はその問いには答えず、夕日の方を見た。


「班長が止めてきたら?」


夕日の表情が一瞬固まった。


「無理」


答えはすぐに返ってきた。


雛華が澄都を睨む。

その視線に気づいても、澄都は引かなかった。


「俺か雛華が呼びに行っても、昨日と同じだろ。班長が行けば、あいつも断りやすいんじゃねえの」


「澄都」


雛華が低い声で呼ぶ。

その続きは言わなかったが、口調から『やめて』と伝える。


それでも、澄都は続けた。


「昨日の夜さ、月城と恋バナ的なものしたんだよ」


雛華の目が鋭くなる。


「でもあいつ、中学時代のこと全然言わなくて」


夕日は視線を落とした。


雛華はさらに澄都を睨み、止めようと一歩動くが、それより先に澄都が続ける。


「だからさ、あんなハンサムなモデルでも全然モテなかったのかって茶化しまくってたら、あること教えてくれた」


そこまで軽く話していた澄都の声が、少しだけ落ちた。


「中二の事件のこと」


「澄都」


さっきより低く、強い声だった。

それでも澄都は止めなかった。


「大切で、すごい好きだった人に拒絶されて、廃人みたいになってたって言ってた」


夕日の指先が震える。

顔は上がらない。


澄都はそんな夕日を見ながら、名前は出さずに続けた。


「でも違うんだろ。拒絶じゃないんだろ」


雛華は夕日へ視線を向けた。

俯いていた夕日は、澄都の言葉を聞いて、顔を上げかけていた。

雛華は止めようとしていた言葉を飲み込んだ。


「あとさ、もし事件を覆せる人がいたとしても……月城は、その人に発言させるつもりなかったらしいよ」


夕日の顔が上がった。


「……え?」


泣きそうな目で澄都を見つめている。


「なんで……」


「その人が発言したら、絶対傷つくって分かってたからだって」


澄都は離れたところにいる淡を見る。

淡はこちらの話に気づかないまま、女子生徒たちと写真を撮っていた。


「だから、何も言わなかったこと自体はよかったって思ってたらしい」


夕日は澄都の顔を見たまま、唇を僅かに震わせた。


「でも……その人から拒絶された」


夕日の目から涙が一筋落ちる。


「それで月城、どうしたらいいか分かんなくなったんだって」


一呼吸置くと、澄都の口調が少し軽くなった。


「話すのも怖くなって、話しかけられなくなったらしい。あんなハンサムでもヘタレになるんだなと思った。けどさ、あいつ、その人からまた名前を呼んでもらうのが夢らしいよ」


頬を流れる涙を隠そうとしない夕日を見ながら、澄都は先程までとは口調を変え、丁寧に伝えた。


「大切な幼なじみだから。……いつものように。当たり前みたいに」


澄都は笑いかけながら夕日を見る。


「小さい夢だよな」


話し終えた澄都は、頭を掻いた。


「ごめん、班長。昨日の恋バナが盛り上がって、話しちゃった」


雛華が一歩前へ出て、淡の方を指す。


「夕日、淡を連れ戻してきて」


「私が?」


雛華は夕日の背中にそっと手を添え、軽く押した。


「行って」


夕日はすぐには動かなかった。


◇


視線の先には女子生徒たちに囲まれ、いつものように笑っている淡がいる。


高校に入ってから、あんなふうに笑う淡を何度も見た。

誰とでも話すようになり、人に囲まれることも増えた。

淡の隣には、もういられない。


むしろ、その方がいいと思おうとしていた。

夕日が近づかない方が、淡は幸せなのだと信じようとしていた。


でも違った。


一年半以上、淡は夕日から呼ばれることを望んでる。


ただそれだけを。


夕日の胸が苦しくなり、視界が滲む。


昨日、雛華に話したことを思い出す。

裏切りをして、逃げた最低な女。

だから、淡に話す資格なんてない。


何度もそう思った。


けれど淡は、証言しなかったことを責めていなかった。

むしろ、よかったと思ってくれていた。

夕日が傷つくくらいなら、何も言わなくていいと思っていた。


それなのに、あの日、淡を見て、夕日自身への怒りも無力さも憎しみも全部顔に出したまま、『月城さん』と呼んだ。


その言葉は、淡にとって拒絶にしか見えなかったと思う。

十四年近く何も考えずに呼んでいた名前を、自ら遠ざけた。


夕日は唇を噛む。


背中にある雛華の手は強く押しているわけではない。

ただ、そこにある。


「行って」


もう一度、雛華が言った。


夕日は淡に視線を向け、足を動かす。


一歩。


ほんの少し進んだだけなのに、心臓が強く鳴った。


止まりそうになる。

それでも、もう一歩。


淡との距離が少し縮まり、女子生徒たちの笑う声が聞こえる。


「月城くん、こっち向いて」


「次、私もお願い」


淡は一人ずつ応じている。

その声も、その笑い方も、全部知っているはずなのに今は遠い。


夕日はまた歩く。


足が重い。

明日でもいい。

旅行が終わってからでも。

淡に話しかける資格はない。


けれど、そうして一年半以上が過ぎた。

ここでまた止まったら、きっと同じことを繰り返す。


夕日は一度目を閉じ、深呼吸をする。


目を開けた先には、淡がいる。

誰よりも見慣れた人がいる。


昔なら、見つけた瞬間に『淡』と呼んでいた。

意味なんてなくても、呼べば必ず振り返ってくれる。

それが当たり前だった。


夕日の目から、また涙が流れる。


それでも進む。

もう雛華の手は背中にない。


夕日は自分の足で、一歩、また一歩。

淡との距離は声を出せば届くところまで来た。


手が震えている。


喉が詰まる。


名前を呼びたい。


でも声が出ない。


一度口を開く。


息だけが漏れた。


淡はまだ気づかず、女子生徒に向かって少し笑っている。


夕日はその横顔を見る。

ずっと、その顔を何度も見てきた。

笑った顔も、泣いた顔も、怒った顔も、眠そうな顔も全部知っている。


大切だった。

今も大切だ。


それだけは、一年半以上経っても何一つ変わっていない。


夕日は、淡へ手を伸ばした。

大切な人へ届くように。

今度こそ逃げないように。


震える息を一度吐き、当たり前だった頃と同じように明るく笑った。


「淡」


声が出た。


その声に、淡の動きが止まった。

周囲の女子生徒たちも、何が起きたのか分からないまま夕日の方を見る。

淡もゆっくり振り返った。


何が起きたのか理解できていないような顔だった。


夕日は涙を流したまま笑う。


「淡、行くよ。二人も待ってる」


淡は夕日を見る。


一呼吸置いて、淡の口が僅かに動く。


「うん、夕日」


その呼び方に、胸の奥が大きく揺れた。


◇


淡は周りにいる女子生徒たちにはもう目を向けず、何も言わず、夕日の方へ歩き出す。


数歩進んだところで視界が滲む。

次の一歩で、涙が頬を伝った。


止めようとしても止まらなかった。


それでも淡は足を止めない。

涙を拭うことも、俯いて隠すこともせず、そのまま夕日のところまで歩いた。


夕日の顔を見ると、頬にも涙が流れていた。


夕日に名前を呼ばれた。

夕日の名前を呼べた。

ただそれだけ。


それなのに、昨日までと同じ距離にいるはずなのに、少しだけ近く感じた。


どちらからともなく歩き出し、二人のところへ戻った。


雛華も澄都も何も言わない。

四人が揃う。


淡と夕日の頬にはまだ涙が残っていた。

それでも、もう誰も立ち止まらなかった。


四人で次の場所へ向かって歩き始める。

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