第17話 - 同じ部屋で二人
京都のホテルに着いた頃には、外はすっかり夕方になっていた。
奈良を歩き回った疲れもあってか、バスを降りる生徒たちの声は朝より少し小さい。
それでも、二泊するホテルを前にすると、また少し空気が浮つく。
「思ったよりちゃんとしてる」
澄都が建物を見上げ、淡も隣からホテルへ目を向ける。
「学校の旅行なんだから、そんな変なところには泊まらないでしょ」
「もっと古い旅館みたいなの想像してた」
前では、雛華と夕日が並んで歩いている。
夕日は班長なので、担任から配られた部屋番号の一覧を確認していた。
ロビーで全体説明を受けたあと、生徒たちは一度それぞれの部屋へ向かうことになった。
大きな荷物を置いたあとは、夕食まで自由時間だった。
男子と女子では宿泊するフロアも分かれている。
淡と澄都は同じエレベーターに乗り、指定された階へ向かった。
「部屋、何号室?」
「八一七」
「お前よく覚えてんな」
「カードキーに書いてあるから」
廊下を進み、二人は部屋へ入った。
中にはベッドが二つ並び、窓際には小さなテーブルと椅子が置かれている。
広いとは言えないが、二泊するには十分だった。
澄都が鞄を床に置きながら口を開く。
「俺こっちのベッドでいい?じゃあ窓側」
「どうぞ」
淡も反対側のベッドに荷物を置き、制服の上着を脱いでハンガーに掛けた。
その様子を見ながら、澄都が何気ない調子で口を開く。
「なぁ。お前と雛華って、結局付き合ってんの?」
淡の手が一瞬止まる。
聞かれるかもしれないとは思っていた。
それでも、実際に来ると少しだけ間が空いた。
「急だね」
「朝から隣だし、奈良でもずっと一緒にいたし」
「同じ班だからでしょ」
「俺も同じ班だけど」
澄都はベッドに腰を下ろし、少し疑うような調子で続けた。
「みんな言ってるだろ。お前ら付き合ってるって」
「言ってるね」
「否定しないのかよ?」
「別に困ってないから」
澄都が眉を寄せ、改めて聞いてくる。
「じゃあ付き合ってんの?」
答えようと思えば答えられる。
付き合ってはいないし、雛華に恋愛感情があるわけでもない。
それに、雛華の気持ちが向いている相手は、おそらく目の前にいる。
ただ、今は言わない。
夕日が班長ミーティングへ行っている間に、雛華と三人で話す。
説明するなら、そのときでいい。
「それは今は秘密」
「何だよそれ」
「もうちょっとしたら分かるよ」
「余計怪しいだろ」
「じゃあ怪しんでて」
澄都はあからさまに嫌そうな反応を返した。
「お前、本当にそういうとこあるよな」
「どういうとこ?」
「適当に笑って誤魔化すとこ」
淡は少し驚いた。
図星だった。
受け流したいときや、相手との距離を一定に保ちたいとき、淡はよく笑って誤魔化す。
けれど、それを指摘されたことは今まで一度もなかった。
「よく見てるね」
「最近話すようになったからな」
澄都はため息をついて、それ以上は聞いてこなかった。
不機嫌そうに見えたので、これ以上、淡からも何も言わなかった。
*
女子部屋では雛華がベッドへ腰を下ろし、足を伸ばしていた。
「疲れた」
夕日は荷物を整理する手を止めずに返した。
「結構、歩いたからね」
「灯さん、平気?」
「普通かな」
「鹿せんべいのとき全然逃げなかったよね」
「雛華が逃げすぎなんだと思う」
雛華が目を丸くした。
「今、雛華って言った?」
夕日も一瞬動きを止める。
「あ」
雛華は以前、淡から聞いた話を思い出す。
昔の夕日は、今よりずっと明るく、人とも自然に話す子だったと。
淡のことも、ずっと下の名前で呼んでいた。
「雛華」と呼ばれたことで、ほんの少し距離が縮まった気がした。
「別にいいよ。むしろその方が嬉しい」
夕日は一度だけ言葉を飲み込み、それから確かめるように呼んだ。
「……じゃあ、雛華」
「うん!」
名前を呼ばれ、雛華が笑う。
今度は、雛華の方から呼び方を変えたくなった。
「じゃあ私も、夕日って呼んでもいい?」
夕日は少し驚いたように聞き返した。
「私を?」
「うん。嫌なら灯さんのままにするけど」
夕日はすぐには答えず、少ししてから小さく頷いた。
「別にいいよ」
「じゃあ、夕日」
雛華は確かめるように、その名前を呼んだ。
夕日はわずかに間を置き、視線を逸らす。
「何?」
「呼んでみただけ」
ほんの少しだけ、夕日の口元が緩んだ。
雛華も笑う。
学校ではずっと「桜さん」「灯さん」だった。
それが今、少しだけ変わった。
しばらくして、雛華は窓の外へ目を向ける。
「京都だね」
夕日もつられるように、窓の外へ視線を移した。
ホテルの窓から見えるのは、いかにも観光地らしい景色ではない。
並んだ建物と、行き交う車。その向こうに空が広がっている。
それでも、見慣れた東京とは違う場所にいるのだと感じた。
「明日、ちゃんと回れるかな」
今日は数カ所しか回っていないのに、淡は何度も足を止められていた。
明日も同じなら、予定通りにはいかないかもしれない。
けれど、夕日の前で淡のことを持ち出すのは避けたかった。
「時間通りなら」
「班長らしい」
「班長だから」
「楽しみじゃない?」
夕日は少し黙る。
「……少しは。思ったより居心地よかったよ」
雛華はそれ以上聞かなかった。
その言葉だけで、少し嬉しかった。
*
夕食の時間になると、全員がホテル内の食事会場へ集まった。
席は班ごとに分かれていて、淡たちも四人で一つのテーブルを囲む。
雛華の隣に夕日、その正面に淡と澄都。
昼とよく似た並びだった。
料理が揃い、四人で手を合わせて食べ始める。
「淡、それ食べないの?」
雛華が淡の煮物の皿を指す。
「食べるよ」
「全然手つけないから嫌いなのかと思った」
「最後に食べる」
澄都が口を挟む。
「好きなもの最後に残すタイプ?」
「いや、何となく」
「何となく多いな、お前」
夕日は会話を聞きながら、静かに食事を続けている。
一度だけ、淡の皿へ視線を落とした。
淡はそれに気づいたが、何も触れなかった。
食事の途中、雛華が夕日に聞く。
「夕日、班長ミーティング八時半だよね?」
「うん」
名前で呼ばれると、夕日はほんの少しだけ間を置いた。
「どれくらいかかる?」
「三十分くらいって聞いてるよ」
淡は箸を止めず、その会話だけを聞いていた。
澄都は特に反応も見せない。
「じゃあ九時くらいには戻る感じ?」
「多分」
「そのあと自由時間?」
「十時まではね」
夕日は頷く。
淡と雛華は、その返事を聞いて一瞬だけ視線を合わせた。
八時四十分、ロビー奥のラウンジ。
予定通りだ。
*
夕食後は、学校ごとに決められた時間で入浴を済ませた。
男子の大浴場では、淡と澄都が明日の予定や今日の無料撮影会を軽く話した。
少し前までほとんど接点がなかったとは思えないくらい、今では会話が続く。
友人と呼ぶにはまだ早い。
それでも、今夜話す相手としては十分だった。
*
女子の大浴場では、雛華が夕日の隣で湯船に浸かっていた。
学校にいるときより表情が柔らかい。
眼鏡も外し、濡れた前髪が少し分かれている。
ふと、以前淡が言っていた言葉を思い出した。
『夕日の方が可愛い』
学校で見る夕日とは、少し印象が違った。
淡がそう言っていた理由も、なんとなく分かる。
雛華が夕日を見ていると、その視線に気づいた夕日が口を開いた。
「何?」
「何でもない」
夕日は少し不思議そうにしたあと、小さく笑った。
*
部屋へ戻った淡がスマートフォンを確認すると、雛華からメッセージが届いていた。
『予定通り』
『了解』
画面を伏せると、ベッドに寝転んでいた澄都が聞いてきた。
「雛華?」
「秘密」
「まだやるのかよ」
「もうすぐ分かるよ」
澄都は呆れたように息を吐いた。
*
夕日は班長ミーティングへ向かう準備をしていた。
資料と筆記用具を鞄へ入れ、忘れ物がないかを確かめる。
その様子を見ながら、雛華はベッドに座ってスマートフォンを手に取った。
「もう行く?」
「うん」
夕日が立ち上がる。
「ミーティング終わったら、部屋戻ってくる?」
「そのつもりだよ」
「分かった。じゃあさ、夕日、連絡先交換しない?」
「連絡先?」
「うん。戻る前に一回連絡してほしい。もしかしたら部屋にいないかもしれないから」
雛華はスマートフォンを持ち上げる。
「夕日が戻る頃には、私も戻ってたいし」
二人はその場で連絡先を交換した。
夕日はスマートフォンを鞄へしまい、ドアへ向かう。
そのまま出ていくかと思ったところで、足を止めた。
「雛華」
「なに?」
「先に寝ないでね」
思っていなかった言葉に、雛華は少しだけ間を置いた。
「寝ないよ」
「ならいい」
それだけ言って、夕日は部屋を出た。
雛華は閉まった扉をしばらく見つめたあと、スマートフォンを手に取る。
『夕日出た』
送ると、すぐに淡から返事が届いた。
『分かった』
雛華もベッドから立ち上がる。
そのまま澄都へ短く連絡を入れた。
これで準備は整った。
夕日が班長ミーティングへ行っている間に、淡と澄都のところへ向かう。




