第16話 - 話せないままでも
大仏殿を出た四人は、昼食を探しながら夢風ひろばの方へ向かっていた。
「飯」
澄都が腹を押さえながら、歩幅を少し緩める。
「さっきからそればっかり」
雛華が呆れたように笑う。
「朝五時前起きなんだから腹減るだろ」
「私も減ったけど」
澄都のぼやきを流すように、雛華は前を歩く夕日へ声をかけた。
「灯さん、予定通りでいい?」
「うん。ここから少し歩けば、お店が集まってるよ」
昼時を少し過ぎていたこともあり、店によっては席も空き始めていた。
いくつか見て回ったあと、比較的すぐに入れそうな和食店に決めて、店の中に入った。
四人掛けの席で、問題が起きた。
どこに座るか。
夕日と話すことばかり考えていて、それ以外のことまでは頭が回っていなかった。
一瞬固まった淡の表情を見て、雛華が先に奥へ入る。
そのまま夕日を隣に座らせ、淡を正面に座らせた。
淡と夕日は斜め向かいになる。
澄都は少し面白くなさそうな顔で、残った席に座った。
夕日との距離は、今日の中で一番近い。
雛華がメニューを開きながら、三人に向かって聞いた。
「何食べる?」
「僕これ」
淡はメニューをほとんど迷わず指した。
「早」
「こういうの迷わないから」
澄都もメニューに目を落とす。
「俺、うどん」
「奈良まで来て普通の?」
「何食えば正解なんだよ」
「柿の葉寿司とかあるよ」
「寿司だけじゃ足りない」
「セットあるじゃん」
「じゃあそれ」
「結局食べるんだ」
夕日も静かにメニューを見る。
昔の夕日なら、こういうときは茶粥みたいなものを選びそうだと淡は思った。
「灯さん決まった?」
「これにする」
夕日が指したのは、茶粥と小鉢が付いた定食だった。
「茶粥?」
「食べたことないから」
「じゃあ私もそれにしようかな」
夕日と同じものに決めた雛華へ、澄都が視線を向ける。
「お前、人に合わせすぎじゃね?」
「迷ってるときはいいでしょ」
「俺のうどんには合わせないのに」
「普通のうどんは東京でも食べられるじゃん」
「失礼だろ、奈良のうどんに」
その言い方に、淡も口を挟んだ。
「雪、急に奈良側に立ったね」
「飯を馬鹿にするな」
「してないよ」
そのやり取りを聞いていた夕日も、メニューに目を落としたまま少しだけ表情を緩めた。
注文を済ませると、料理を待つ間にこのあとの予定へ話が移った。
「このあとどうする?」
「奈良公園歩いて、集合場所戻る感じでしょ?」
夕日が頷く。
淡は水を口にしながら、そのやり取りを聞いていた。
予定の確認は自然と夕日を中心に進み、澄都と雛華もそこへ言葉を重ねていく。
このあとの予定がひと通りまとまった頃、注文していた料理が運ばれてきた。
「いただきます」
雛華の声に合わせ、四人も箸を取る。
夕日はいつものように小さく手を合わせてから、茶粥を口にした。
「思ったより好きかも」
雛華の感想に、夕日も一口食べてから頷く。
夕日と雛華が茶粥を食べているのを見て、澄都が口を開く。
「味薄くない?」
「こういうものなんじゃない?」
「食べたことあるっけ?」
「ないけど」
「なんだよ」
「聞かれたから答えたのに」
淡は自分の定食を食べながら、二人のやり取りを見て笑った。
「雪、今日質問して雛華に怒られてばっかりだね」
「こいつがすぐ怒るだけだろ」
「怒ってないよ」
「それ怒ってるやつが言うセリフ」
「澄都が適当すぎるの」
言い合っていても、二人の間には昔から続いてきたような気安さがある。
夕日は静かに食べている。
それでも、ときどき二人の会話を聞いているのか、ほんのわずかに表情が動く。
淡はそれに気づいていた。
雛華も、おそらく気づいていた。
けれど誰も触れないまま、澄都と雛華の軽いやり取りは続いていった。
*
昼食を終えた四人は、再び奈良公園へ戻った。
今度は急がず、周囲を見ながらゆっくり歩いていく。
しばらく進んだところで、鹿せんべいを売っている場所を見つけ、雛華が足を止めた。
「やってみたい」
澄都が嫌そうな顔をする。
「絶対囲まれるぞ」
「大丈夫でしょ」
「さっきから食い物持ってる人追いかけられてたぞ」
「だから面白そうじゃん」
雛華が鹿せんべいを買うと、夕日も少し迷ってから一つ手に取った。
その様子を見ていた澄都が、今度は淡へ顔を向ける。
「お前は?」
「僕は見る側でいい」
淡と澄都は、鹿の少ない場所まで少し離れ、雛華と夕日の様子を見ることにした。
雛華が鹿せんべいを一枚手に取ると、すぐに鹿が寄ってくる。
「ちょ、待って」
一頭、二頭と、どんどん増えていく。
「澄都!」
「知らん!」
「助けて!」
「だから言っただろ!」
雛華が笑いながら逃げると、鹿もそのあとをついていく。
その様子に、淡も口元を緩めた。
「雪、助けてあげないの?」
「無理。俺まで巻き込まれる」
「幼なじみなのに」
「こういうときは他人」
一方、夕日は雛華よりずっと慎重だった。
鹿せんべいを一枚ずつ渡し、近づかれすぎると少しだけ身を引く。
それでも怖がっているわけではなく、相手の様子を見ながら距離を取っていた。
淡はその姿に、昔の夕日を思い出す。
動物は好きなのに、いきなり触ろうとはしない。
向こうから近づいてくるまで待つところも、昔と変わっていなかった。
淡が見ていると、夕日が顔を上げた。
視線が重なり、淡は反射的に目を逸らしてしまう。
楽しそうにしている夕日を見るのは、久しぶりだった。
気づけば口元が緩んでいて、淡はそれを隠すように片手で顔を覆った。
まだ話すことはできない。
それでも、少しだけ嬉しかった。
鹿せんべいがなくなると、雛華が澄都のところへ戻ってくる。
「ひどくない?助けてって言ったのに」
「だから言っただろ。囲まれるって」
「普通助けるでしょ」
「無茶言うな」
「淡なら助けてくれたよね?」
不意に話を振られ、淡が雛華へ顔を向ける。
「どうだろ」
「そこ迷う?」
「鹿相手に何したらいいか分からないし」
「二人とも役に立たない」
最後の一言に、淡と澄都は思わず顔を見合わせた。
「僕まで一緒にしないでよ」
「結果同じだろ」
そのあとは土産物を少し見たり、奈良公園を歩いたりしながら、何枚か写真も撮った。
予定していた場所をひと通り回り終え、集合時間にはまだ少し余裕がある。
四人はそのまま、バスの乗降場所へ戻ることにした。
歩き出して間もなく、淡が呼び止められる。
「月城くん」
振り返ると、班行動を始めた直後に声をかけてきた別クラスの女子が二人立っていた。
「さっき写真撮れなかったから、一枚いい?」
淡は時計を見て、まだ時間があることを確認する。
「一枚だけなら」
「本当?」
女子の一人が淡の隣に並び、もう一人がスマートフォンを受け取る。
一枚撮ると、今度は二人が入れ替わった。
二人を撮り終え、これで終わりかと思ったところで、また別の声が飛んできた。
「私もいい?」
別の女子が来る。
「じゃあ私も」
一人増えると、それをきっかけにまた一人。
気づけば、淡の周りには次々と人が集まっていた。
「何してんの?」
「月城くんと写真」
「俺も撮ろうかな」
今度は男子まで加わり、淡はさすがに苦笑した。
「撮影会じゃないんだけど」
「本職じゃん」
誰かが笑う。
その言葉に反応して、少し離れたところにいた他校の女子たちまでこちらを見た。
「あの人、さっきのモデルの人じゃない?」
「写真撮ってもらってる」
「いいな。聞きに行ってみない?」
少しずつ、人が増えていく。
淡はモデルの仕事そのものを嫌っているわけではない。
写真を撮られることにも慣れている。
それでも、学校行事の最中までこんなことになるとは思っていなかった。
「はい、次」
いつの間にか、誰かが面白がって仕切り始めていた。
一人撮れば、また次が来る。
このままでは終わりそうにない。
「あと二人で終わりね」
淡がそう区切ると、周りから「はーい」と軽い返事が返ってくる。
二人を撮り終えても、まだ何人か残っていた。
「最後、本当に最後」
もう一人だけ応じたところで、人の外側から声がした。
「淡」
淡が目を向けると、雛華が腕を組んで立っていた。
「また?」
「今回は僕が悪いかも。一枚だけって言った」
「それ一番ダメなやつじゃない?」
雛華はため息をつくと、淡の腕にそのまま腕を絡めた。
「もう行くよ。私たちを待たせすぎ」
雛華が淡を引っ張っていく。
二人の背中を見送るように、後ろから笑い混じりの声が飛んできた。
「また桜さんに回収されてる」
「やっぱ彼女じゃん」
淡は、雛華にだけ届くくらいまで声を落とした。
「これ、雛華が彼女って噂、どんどん強くならない?」
「今さらでしょ」
「雪の機嫌悪くなるよ」
「淡のせいでしょ。機嫌悪くなるかもだけど、仕方ないじゃん」
合流しようと歩き出したところで、夕日と目が合う。
夕日はすぐには目を逸らさず、淡と雛華へ順番に視線を向けた。
その表情は、どこか納得したようにも見える。
淡には、何に納得したのか分からなかった。
雛華と並んで澄都たちのところへ戻ると、澄都が呆れたように口を開く。
「長かったな、モデル撮影会」
「次からは全部断るよ。たぶん」
雛華が少し呆れたように言う。
「最初からそうして」
「善意だったんだけどね」
「淡の一枚は一枚で終わらないんだよ」
淡にとっても、ここまで人が増えるのは想定外だった。
できることなら、研修旅行中にもう一度同じことになるのは勘弁してほしい。
そのまま四人は再び歩き始めた。
*
集合時間になると全員がバスへ戻り、点呼を終えて奈良を出発した。
ここからは京都へ向かう。
初日の班行動を終え、宿泊先までは一時間半ほどだった。
バスが走り出す頃には、朝よりも車内は静かになっていた。
歩き回った疲れもあって、すでに眠っている生徒もいる。
バスが走り出してから少し経った頃、淡が雛華にだけ聞こえる声で話しかけた。
「雛華。今日の夜の班長ミーティング、何時だっけ?」
「夕食と風呂のあとだから、八時半ごろだったと思う」
「雪を呼ぶなら、どこにする?」
雛華は研修旅行の冊子を取り出し、ホテルの館内図を開く。
「男子部屋は無理だよね」
「雛華が来たら一発で噂になるね」
「女子部屋に淡たち入れないし」
「先生に怒られる。そんなリスクは背負いたくないな」
「じゃあロビーは?」
館内図を見ると、一階のフロントとロビーの奥に小さなラウンジスペースがある。
雛華がそこを指差した。
「ここは?」
「うん。班長ミーティングは二階の会議室みたいだから、灯さんと会う可能性も低いと思う」
「先生は?」
「ロビーだから普通にいるかもしれないけど、三人で話してるだけなら何も変じゃないでしょ」
「確かに」
むしろ、隠れようとする方が怪しい。
「八時半に夕日がミーティング行くから、八時四十分集合にしよ」
「淡は先に行ってて」
「雛華は?」
「澄都連れてく」
「来る?」
「来させる」
「強制じゃん」
淡は、澄都が結局断らないことまで分かっている雛華がおかしくて笑った。
「何て言うの?」
「話あるから来て」
「絶対警戒するよ」
「じゃあ淡もいるって言う」
「もっと警戒すると思う」
「……それもそうだね」
「とりあえず連れてく。澄都なら絶対来るよ」
「じゃあ八時四十分に、一階ロビー奥のラウンジで。夕日が予定より早く戻ったら?」
「灯さんが行く前に連絡先を聞いておく。それで、戻る前に連絡をもらうようにするよ」
そこまで決めると、雛華がスマートフォンに時間を入力した。
淡は座席に背中を預ける。
今夜、澄都にも協力を頼む。
改めてそう考えると、少しだけ気が重かった。
夕日とのことを他の誰かに話すのは、今でも少し抵抗がある。
それでも、夕日との関係を動かすためなら、一人で抱えている場合ではなかった。
研修旅行初日、夕日と直接言葉を交わすことはできなかった。
それでも、同じテーブルで食事をして、久しぶりに楽しそうな顔を見ることができた。
窓の外の景色が、少しずつ変わっていく。
奈良から京都へ。
止まっていた一年半以上の時間を動かすために、バスは次の場所へ向かっていた。




