第10話 - 少しずつ、自然に
駅に着いた頃には、空が少し暗くなり始めていた。
改札の前まで来たところで、雛華が振り返って淡を見る。
「淡、このまま帰る?」
「どうしよっかな」
淡は考えながらなんとなく駅前を見回した。
「さっきの班の話、もう少し決めてから帰る?」
「私もそう思ってた。作戦会議だね」
少し離れたところにカフェが見えたので、そこに向かって歩き出した。
「公園集合にしてよかったね」
「うん。最初からカフェとか行ってたら、お腹ちゃぷちゃぷになってたね」
「ちゃぷちゃぷって」
雛華はいたずらそうに笑いかけてきた。
休日の夕方ということもあり、店内はそれなりに混んでいる。
それでも学校からはかなり離れているため、知っている顔はいなかった。
だから気にせずに窓際の席に二人で座った。
淡はアイスコーヒー、雛華は紅茶を注文した。
飲み物が届くと、雛華がスマートフォンをテーブルに置く。
「それで、どうする?自然に四人で班を組む方法?」
「うん。急に私たちが灯さんと澄都を連れて四人になったら、さすがに不自然だと思うよね」
「夕日は警戒するだろうね」
「澄都もするよ」
夕日とはもちろん、澄都との会話もほとんどない。
澄都に話しかけても、話題は雛華のことばかりだった。
だから、いい印象は持たれていないだろう。
「雪は今、僕と同じ班になりたいとは思ってなさそうだし」
「そうだと思うよ。澄都から見た淡、完全に敵だもん」
「敵って。僕、何もしてないのに」
「私を名前で呼んで、二人で何回も教室からいなくなってるけどね」
「作戦通りでしょ」
「そうだけど……」
雛華は複雑な心境なのか、紅茶を一口飲んで一呼吸おいた。
「あと、もう一個気をつけた方がいいと思う。私たち、ただでさえ目立つよ」
モデルをしていて、学校内で目を引いている淡。
入学直後から男子の間で話題になることの多かった雛華。
ただ話しているだけでも憶測が生まれた二人が、最近は下の名前で呼び合っている。
その二人が今度は突然、澄都と夕日に接近し始める。
「確かに。露骨にやったら違和感出るね」
「それに、また変な噂が増えちゃうよ」
「僕と雛華はもう手遅れじゃない?」
「それは否定できないけど……」
雛華が苦笑する。
「だから、目立つ行動は避けよう。二人とも急に毎日話しかけるとかはなし」
「自然に接点を増やすってこと?」
「そう。それで班決めの日に誘っても、不自然じゃないくらいにはしておきたい」
「じゃあ、僕は雪。雛華は夕日だね。夕日にどう話しかけるつもり?」
「それを淡に聞こうと思ってる」
淡は少しだけ目を丸くした。
「僕に?一年半以上話してないのに」
「それでも、十五年くらい一緒にいたんでしょ。私よりずっと知ってるじゃん」
夕日と普通に話していたのは十四年ほど。
それでも、一緒に過ごしてきた年月は十五年になる。
今の夕日とまともに話せないのは淡だが、夕日がどういう人間なのかについては誰より知っている。
「じゃあ逆に、僕は雪のことを雛華に聞けばいい?」
「そういうこと」
「お互い、接し方を教え合おう」
雛華は少し楽しそうに笑った。
淡はその様子を見ながら、少し考えた。
「夕日は、いきなり距離を詰めない方がいい」
「やっぱり?」
「今は特にね。昔は全然違ったけどね。明るくて、誰とでも話せる子だったよ」
淡はそこで一度言葉を切った。
「あ、あと、返事が短くても気にしないほうがいいかも」
雛華が頷く。
「何を話せばいい?」
「勉強とかが一番無難かな。いつも参考書読んでるでしょ」
「分からない問題を聞くとか?」
「そうだね。夕日は、教えること自体は嫌いじゃないよ」
そこで雛華が少し怪訝そうな顔をした。
「でも、それ警戒されない?今、私って学年一位と仲がいいって周りに思われてるよ」
雛華は目の前の淡を指差した。
「わざわざ灯さんに勉強聞くかなって思われない?」
「……確かに」
「それに、淡から何か言われて来たって思われないかな?」
「それは大丈夫だと思うよ」
「なんで?」
「僕ら、付き合ってると思われてるし」
雛華が少し眉を上げたが、淡は続けた。
「それに僕、中三の頃と今じゃキャラ全然違うから」
「どう違うの?」
「中三の僕は誰とも話さなかったけど、今は誰とでも普通に話すようにしているから。夕日には、高校に入ってキャラを変えたと思われてるかもしれない」
「そうなんだ」
「夕日からしたら、今の僕が雛華に夕日のことを細かく話してるとは思わないんじゃないかな。ってか最悪興味すらないと思う」
淡は軽く笑って、何気なく言葉を足した。
「好きな人に、自分が不利になる情報って普通言わないでしょ」
『好きな人』という言葉に反応したのか、雛華の耳が少し赤くなった。
「私と淡がお互い好きだと思ってる前提になってない?」
「周りから見たらね」
「わかっているけど。腑に落ちない」
「僕が雛華に『夕日にこう話しかけて』って頼んでるとは思いにくいってこと」
雛華は少し考えてから頷いた。
「それなら、大丈夫かな……」
「ただ、勉強をいきなり夕日に聞くのはちょっと不自然だね」
「でしょ?」
淡はアイスコーヒーを一口飲みながら、自然に夕日に話しかける方法を考える。
「じゃあ先に僕に聞いて」
「淡に?」
「そう。放課後、僕に普通に問題を聞きにくる。そして、その途中で僕が席を外す」
「それから灯さんに聞きにいく?」
「うん。夕日、放課後もだいたい参考書見てるから」
「淡がいなくなったから、近くにいて勉強してる灯さんに続きを聞きに行く」
「それなら自然じゃない?」
「いいと思う」
「僕は撮影とかバイトで放課後すぐ出る日もあるから、理由も作りやすいし」
「じゃあ、それでいこう」
雛華はスマートフォンに何かを入力する。
「メモしてるの?」
「忘れたら困るから」
「真面目だね」
「淡の十五年分を数日で覚えないといけないんだから」
「十五年なのかな……。無理でしょ」
二人は顔を見合わせて笑った。
笑いが落ち着いたところで、雛華が次の問いを口にする。
「絶対やっちゃいけないことは?」
「僕のことを聞く」
淡がきっぱり答えたので、雛華の指が止まる。
「やっぱり?」
「今はやめた方がいい」
「『月城くんと何かあったの?』みたいなの?」
「絶対ダメ。僕の話を出した瞬間、多分閉じる」
「分かった」
「あと、無理に昼飯とかを一緒に食べようとかもしなくていい」
「少しずつ?」
「うん。今の夕日は、人に急に距離を詰められるのが一番嫌だと思う」
淡は一人で弁当を食べながら参考書を開く夕日の姿を思い浮かべる。
以前なら昼休みになると、当たり前のように淡のところへ来ていた。
「じゃあ次は澄都ね」
「どうすればいい?」
「簡単だよ。淡から話しかければ答えるでしょ?」
「答えるけど、すぐ会話終わるよ」
「澄都、自分から話題作るの苦手だから」
「なるほど」
「特に、まだ仲良くない相手にはね」
雛華は考えながら続ける。
「あと質問攻めはやめた方がいいよ」
「まじか。僕、最近雛華のことばっかり聞いてたけど」
「だから警戒されてるんじゃない?」
「それ先に教えてよ」
「普通の話してみたら?授業とか先生とか。ゲームでもいいし」
「雪、ゲームする?」
「するよ。結構。漫画も読むし」
「へえ。知らなかった」
「澄都って自分から話さないから知られてないだけで、話題は普通にあるよ」
そういえば、雛華のことを聞いてばかりで、澄都とは高校生らしい会話をしていなかった。
「それなら話しやすそう」
「ただし、こっちも急に毎日一緒にいたら不自然だからね」
「分かってる。たまたま近くにいたときに話すくらいにする」
「それがいいと思う」
雛華が人差し指を立てる。
「それと、無理に仲良くなろうとしない」
「夕日と同じじゃん」
「似てるところはあるのかもね」
「雪と夕日が?」
「人との距離の取り方は全然違うけど、急に距離を詰められると引くところは」
「雛華は?距離詰めても平気なタイプ?」
「相手によるかな」
「僕は?」
「協力関係だから特別」
「便利な言葉だね」
淡は小さく笑った。
*
カフェを出る頃には、外はすっかり暗くなっていた。
二人は駅へ向かって歩く。
「そういえば、これだけ話してたら、雛華は僕のこと好きになった?」
雛華は一瞬きょとんとしてから、すぐに答えた。
「ならないね」
「即答なんだ」
「なる要素あった?何その質問?」
「普通はさ、名前で呼んだり、何回か誘ったりしただけで、勘違いする人が多いんだけどね」
「それを本人が言う?」
「実際そうだから」
「じゃあ残念だったね」
「全然。むしろ期待通り」
そのやり取りに雛華が笑い、淡もつられて笑った。
「淡も私が好きにならないって分かってて選んだんでしょ?」
「そうだね」
「なら問題なし」
二人はそのまま改札をくぐった。
*
週明けの学校で、淡は早速、澄都に話しかけることにした。
昼休み、澄都は一人でパンを食べながらスマートフォンを見ていた。
淡は近くの空いている席に腰を下ろした。
「雪」
澄都は怪訝そうに顔を上げる。
「何?」
「それ何のゲーム?」
「知らない?結構有名だけど」
「最近ゲームしてないからな」
澄都は画面を少しだけ淡の方へ向ける。
「対戦系?」
「一応」
いつもなら、ここで終わる。
でも今日は、雛華から言われたことを思い出す。
質問攻めにしないよう気をつけながら、淡は少しだけ画面を見る。
「キャラ多いね」
「今、百人くらいいる」
「覚えられない」
「やってれば分かる」
「雪はどれ使うの?」
澄都が一人のキャラクターを見せた。
そこから、ほんの少しだけ会話が続いた。
五分ほどだが、それでもこれまでより長い。
会話が途切れたところで、淡は無理に次の話題を探さなかった。
「じゃ、ありがと」
「……何が?」
「教えてくれて」
「別に」
淡は席を立つと、少し離れたところにいる雛華と目が合った。
雛華がほんの少し笑う。
淡も小さく笑い返した。
二人とも、それ以上目立つようなことはしなかった。
*
数日後の放課後、夕日はいつものように自分の席で参考書を開いていた。
雛華は数学の問題集を持ち、教室に残っている淡のところへ向かった。
「淡、これ分かる?」
「どれ?」
淡が問題集を見る。
教室にはまだ何人か生徒が残っていて、そのうち数人が二人へ視線を向ける。
最近の二人なら、この程度の会話は珍しくない。
「ここまでは分かるんだけど、その次」
「ここから代入して――」
淡は説明の途中でスマートフォンを見る。
「あ、ごめん」
「どうしたの?」
「バイト、そろそろ出ないと間に合わない」
淡は問題集を雛華へ返す。
「途中でごめんね」
「大丈夫だよ」
淡は鞄を持って、足早に教室を出た。
雛華はすぐには動かず、淡の姿が廊下から完全に見えなくなるまで待った。
それから教室を見渡した。
夕日は変わらず、自分の席で参考書を読んでいる。
雛華は問題集を持って夕日の席へ向かった。
「灯さん」
夕日が少しびっくりしたように顔を上げる。
「何?」
返事に冷たさはないが、必要最低限だった。
雛華は淡から聞いたことを思い出す。
返事が短くても気にしない。
「ちょっと聞いてもいい?」
「……何を?」
「この問題」
夕日の前で問題集を開く。
「さっき淡に途中まで教えてもらってたんだけど、仕事で行っちゃって」
雛華は説明に淡の名前を出し、夕日の反応をうかがった。
夕日の視線が一瞬だけ止まる。
雛華はそれ以上淡の話をしなかった。
「ここの続きが分からなくて」
夕日はしばらく問題を見て、それからシャープペンシルを持った。
「ここ」
「うん」
「先にこれを代入すればいい」
「あ、そっちからなんだ」
「そう」
「ありがとう」
「別に」
夕日は再び自分の参考書へ視線を戻す。
雛華も、それ以上話を広げなかった。
「助かった。またね」
夕日は返事をしなかったが、雛華が離れる直前に一度だけ顔を上げた。
それで十分だった。
*
その日の夜、雛華から淡にメッセージが届いた。
『成功』
すぐにもう一通。
『普通に教えてくれた』
淡は画面を見て、少しだけ表情を緩める。
『警戒されなかった?』
『多分大丈夫』
『よかった』
それだけ返した。
ここまでは、予定どおりに進められた。
あとは班決めまでに、四人でいても不自然じゃないくらいの関係を作っていく。




