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肉体を失ったヴィーナスは、毒電波塔に残留するだけの思念となっていた。
魂がただそこへ留まっている、いわば幽霊のような存在だ。
毒電波を放ち、人間たちを支配し、自殺に追い込む。それだけが今の彼女の存在意義だった。
それが成されて、初めて彼女の魂は昇華される。
この星に裏切られた。
星は、人類抹殺など微塵も望んでいなかったのだ。
人間は星が産みだした子供であり、それを殺そうとする魔人こそが悪。
そんな理不尽を認めたくはなかった。だが、どうやら星は人類の味方らしい。
『許せない……許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せないっ』
自分が今まで深く信じ、身を粉にして尽くしてきた星に裏切られた。
愛しさ余って憎さ百倍。
彼女はすでに、星への凄まじい恨みを晴らすためだけの怨霊と化していた。
『死ね死ね死ね死ねっ。人類は全員死んでしまえぇええええええええええええええええええええええええっ』
電波塔から放たれるのは、ヴィーナスの底知れぬ怨念がこもった毒電波。
儀式場が完成し、あとはこの破滅の波動を全世界に届けるだけだった。
しかし、それを邪魔するものが立ちはだかったのだ。
重力の魔人ガイア、妹メルクリウス、そしてその仲間たち。
仲間の魔女が銀の結界を張り、ヴィーナスの毒電波を完全に堰き止めている。塔を覆い尽くすほどの、常軌を逸した規模の結界だ。
維持には想像を絶する精神力を必要としているはずだ。
あのような代物が、そう長く持つはずがない。
『ざまぁみろ人間どもぉおっ。星のボケカスがぁっ。てめえの大事な人間たちを全員ぶっ殺してやるよぉおっ。おーーーーーーーーーーーーーーーほっっほっっほぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ』
狂ったように叫んでいると、彼女の目の前に何かが現れた。
最初は人間のように見えた。
だが、その人影には顔がなかった。
人間の形をした、青白い光の塊とでも言えばいいのだろうか。
『やっぱりキショいな、お前』
『っ、お前は……星っ』
今までヴィーナスが絶対の神と崇めていた存在、星。
この呆れたような声は間違いなく、先ほど自分を気色悪いと罵ったそれと同じものだ。
『まあいいや。お疲れさんを言いに来たんだよ』
『は……。どういうことですか……』
『まもなくお前は死ぬ。覚醒した重力の魔人の力によってな』
『覚醒した……。一体どういうことですっ』
星が顎で下を見るように促す。
ヴィーナスは促されるまま、遥か眼下の塔の前にいる少年へと思念の目を向けた。
ガイアだ。
彼は大地に静かに両手を置いている。
彼の両腕に巻いてあった重い枷が外れていた。
だが、完全な魔人モードにはなっていない。
枷はまるで植物の蔦のように無数に伸びて、周囲の大地を這うように覆い尽くしている。
『彼は闘気コントロールを覚えた。自らの魔人の力を自在に操れるようになったんだ。彼の腕に巻いてあった枷は、遺物。君のアンテナや、メルクリウスのエレキギター……ああ、弦楽器だっけか。とにかくそれらと同じだ』
あの枷は遺物だったらしい。そして、その遺物が塔の周辺に広範な結界のように展開している。
『あの遺物はガイアの身体の一部として機能する。すなわち、枷が触れている範囲に限定して、重力を完全に操れるというわけだ』
魔人モードの彼は、圧倒的な重力を完全には制御できていなかった。ただ強大な力を、でたらめに周囲へぶつけているだけだった。
だが、今の彼は違う。
枷で定めた領域内に限定することで、完璧で精密な重力コントロールを可能にしたらしい。
『この地球が発生させている万有引力を、彼はあの枷で作った結界内部に局所的に発生させる。すると、地球の外に漂っているスペースデブリ……ああ、星の欠片か。ともかく、それをあの範囲内にピンポイントで落とすことができる。宇宙からの隕石落下だ。それの直撃を受ければ、塔は完全に破壊される。お前の意識もろともな』
ヴィーナスは最初、星の言っている理屈を理解できなかった。
かろうじて理解できたのは、自分が決定的に敗北するということだけだった。
『う、うそだ……なんだ……それは……負ける……。このわたくしが……。星のために尽くしてきた、このわたくしがっ。よりにもよって星の力によってっ』
万有引力。それは、この星自身が生み出す根源的な力。
ガイアはその引力を増幅し、隕石を落とそうとしている。ヴィーナスは思念の目を凝らした。肉体を失った霊体だからこそ、はっきりと見える。
遥か宇宙の彼方から、ものすごいスピードでこちらに向かって墜ちてくる巨大な質量があるのだ。
それは流れる星。
彼女に終焉をもたらす、圧倒的な光の塊。
『いやだ……いやだぁああああああああああああああああああああああっ』
ヴィーナスは無様に泣き叫び、星の姿をした光にすがりつこうとする。
『どうしてっ。どうしてわたくしが死ななければいけないのですっ。わたくしはただっ。あなたのためにっ。星を食い潰す人間どもをっ。掃除してあげようとっ』
ヴィーナスは自分を生み出した星に深く感謝していた。そして、狂信的に傾倒していた。
星にとって、人間は己を蝕む害虫のようなものだと信じて疑わなかった。
『そうだね。確かに人間は、地球の資源を食い潰そうとしている』
『そうでしょぉおっ』
『でも……それでいいと思うんだ』
『なん……だと……』
星の光に表情はない。だが、ひどく優しい声音で言う。
『人間は愚かだ。でも星の愛おしい子でもある。馬鹿な子ほど可愛いというだろう。星からすれば、人間はたとえ星の資源を全て食い潰すことになっても……生き残ってほしいと願うものなんだよ』
全くもって、ヴィーナスには星の言葉が理解できなかった。
あれほどまでに直接聞きたがっていた、愛する星の声。
確かに聞いていたはずの声は、ヴィーナスの意識を通り過ぎるだけで、決して彼女の心には届かなかった。
大気を焼き焦がす流星が、目前まで迫っている。
ヴィーナスは涙を流した。血を吐くような悔し涙だ。
『わたくしは……空回りしていたのですね……は……はは……』
星が望んでいると勝手に思い込み、独善的な人類抹殺を目指した。
でも、最期に。最期にだけは言ってほしかった。
そんなことないよ、と。
よく頑張ったね、と。
確かに間違ってはいたけれど、でもここまでよくやったな、と。
その血の滲むような努力を、過程を、たった一言でいいから認めてほしかった。
『そうだよ。お前の独り相撲だ、電波の魔人ヴィーナス』
ヴィーナスのささやかな望みは真っ向から、残酷なまでに否定された。
『お前は星の声を都合よく曲解し、ただ自分の独善的な欲を満たすためだけに力を使った』
深い失望の籠もった声で、星が告げる。
『お前を産んだのは、間違いだった』
死が、目の前まで迫っていた。燃え盛る巨大な彗星が、電波塔の真上へと到達している。
『あ、あは……あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ』
ヴィーナスは壊れたラジオのように、空虚に笑い続けた。
愛する星に、産んだことすら最期に否定されたのだ。もう彼女を支える精神の柱は、砂のように崩れ去ってしまった。
流星が電波塔を押し潰す。遥か上空から降り注いだ凄まじい質量の塊が、塔を根本から破壊していく。
それと同時に、ヴィーナスの精神も粉々に砕かれていく。
ただもう、笑うしかなかった。
自身の全てを懸けた野望が、音を立てて崩れ去っていく。
そして、流星が大理石の地面と激突する。
激しい破壊のエネルギーが周囲に拡散する。それを、遥か下方でメルクリウスが必死になって防いでいる。
『める、ちゃん……』
消えゆくヴィーナスが最期に震える手を伸ばしたのは、自らの唯一の肉親であるメルクリウスだった。
『おねえちゃん、を……みとめてぇ……こわいよぉ……ひとりで……きえたくない、よぉ……』
ヴィーナスの幼児のような切なる願いが、微弱な電波に乗って妹に届く。
音波を司るメルクリウスだからか、彼女はその消えゆく声を受け取ったようだった。
だが、メルクリウスは頭上のヴィーナスを冷たく見据え、ハッキリと宣告する。
「消えろ、魔人。お前は……もうこの星に、そしてわたしにも……必要ないっ」
ヴィーナスの中にあった感情の全てが、白く燃え尽きて消え去った。
星にも、そして実の妹にも、必要ないとはっきり拒絶されてしまった。
もう、自分が縋り付くことができる拠り所は、この星のどこにも存在しなかった。
『わたくしは……ほんと……馬鹿だった、なぁ……』
巨大な塔の崩壊とともに、ヴィーナスの意識は、光の中に跡形もなく消え去っていったのだった。




