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ザドゥの巨塔の内部へと、俺たちは静かに足を踏み入れた。
ひんやりとした空気が肌を撫で、石造りの壁からは古いカビと湿った土の匂いが漂ってくる。
入り口やその付近には数人の見張りが立っていたが、重力を用いた気絶術で素早く対処できた。
無防備に眠ったままでは魔物に襲われる危険がある。
マジコさんが手早く杖を振り、気絶した彼らを魔物の目から逸らす不可視の結界で保護してくれた。
「塔は……ダンジョンなんだよねっ」
リィナが愛用の剣を鞘から抜き放ち、強張った表情で薄暗い周囲を見渡した。
「はい。正確に言えば、塔はダンジョンでもある、ですね。都市長の一族が住んでいる階層までは、魔物が出ないように魔払いの術がかけられているのですが」
チワさんの言葉は、あくまで彼女の一族が都市を管理していた頃の話だ。
現状はどうなっているか分からない。
「術がかけられるってことは、外せるってことでもあるな」
「だね。奥から敵の魔力を感じるよ。気をつけて」
マジコさんが杖を構え直し、静かに警告を発する。
俺たちは互いに頷き合い、臨戦態勢をとった。
ドゴォォンッ。
腹の底に響くような激しい轟音が、塔の奥深くから反響して聞こえてきた。
「わっ、なんだろ……って、めるちゃんがいないっ」
リィナが驚いて肩をすくめ、周囲を見渡して声を上げた。
確かに、さっきまで背後にいたはずのメルクリウスの姿がどこにもない。
「なにやってるのだー。遅いのだっ」
少し離れた前方の暗がりから、メルクリウスが無邪気に手を振っていた。
なるほど。音波の魔人の力を使ったのか。
空気を伝わる音波に乗って瞬時に移動する、メルクリウス特有の能力だ。
俺たちは駆け足で彼女の元へと向かった。
メルクリウスの背後にある迷宮の硬い石壁には、巨大な人面樹が粉々にひび割れて深くめり込んでいた。
砕けた木片と、青臭い樹液の匂いが辺りに散乱している。
「めるちゃんが倒してくれたの。あたしたちのためにっ」
「ま、まあ……そーなのだっ」
メルクリウスがえへんと得意げに胸を張る。
リィナはふわりと微笑むと、剣をしまって彼女の小さな身体をぎゅっと抱きしめた。
「ほわっ」
メルクリウスが心地よさそうに目を細め、リィナの豊かな胸元にすりすりと頬を擦り寄せる。
「ありがとう、めるちゃん」
「人は、いいな。温かいのだ……」
メルクリウスが、人間のために自発的に行動できるようになっている。
本当に良い変化だった。
しかし、俺の胸の中には、一つ大きな疑問が渦巻いていた。
「メルクリウス。お前、どうやって力を制御しているんだ」
彼女は俺と同じ魔人であり、人外の超パワーを秘めている。
だが、彼女は自身の音波攻撃を完全にコントロールしていた。
俺のように力が暴走することもなく、狙った通りの威力を的確に行使できているのだ。
一方で、俺は普段、自分に師匠から授かった枷をはめている。
この重い枷があるおかげで、重力による無差別な暴走を防げている状態だ。
だが、かつて戦ったマルスもそうだったし、目の前のメルクリウスも、自らに物理的な封印を課しているようには見えない。
彼らは自分たちの力を完全に支配している。
俺と彼らとでは、一体何が決定的に違うのだろうか。
「うーん。どうやって、別に」
メルクリウスは小首を傾げ、うまく言語化できないようだった。
「やろう、とか、制御しないと、みたいには思ってないのだ。手足を動かすのと同じなのだ」
「そうか」
確かに、手足の動かし方を他者に言葉で論理的に説明するのは難しい。
人によって感覚も異なるだろう。
人に頼ろうとしたのが間違いだったか。
それに、今は立ち止まってそんな議論をしている暇はない。
先を急ごうとした、その時だった。
「あ、でもあれなのだ。力を使うときは、闘気を集めるのだ」
「は。なんだ、それ。オーラ」
俺は思わず聞き返した。全く聞き覚えのない単語だ。
「そうなのだ。闘気。自然エネルギーを取りこみ、体内で燃焼させることで、爆発的な運動エネルギーや生命エネルギーを生み出す技術なのだ」
「はぁ」
説明されても、俺の頭には全く入ってこなかった。
自然エネルギー。取り込む。燃焼。
「ヴィーナスおねえちゃんは、星の力って言っていたのだ。ともかく、星に満ちる力を取り込んで、それを使うって」
本当に、訳が分からない。星に満ちる力とは一体何だ。
いや、待てよ。
そうだ。以前からずっと不思議ではあったのだ。
俺たち魔人の力は、一体何を燃料にして発動しているのか、と。
それが、闘気だとしたら。
俺は今まで、自分の重力操作が何を根源にして発動しているのか、全く理解していなかった。
それこそメルクリウスの言う通り、手足の動かし方と一緒で、ただ何となく行使できる状態だったのだ。
でも、そこにきちんとした技術的ロジックが存在したとしたら。
それを意識して自在に使えるようになったら。
枷で自らの肉体を縛らなくても、暴走して意識を飛ばさなくても、重力を完璧にコントロールできるようになるかもしれない。
「闘気は、どうすれば使えるんだ」
「星の声に耳を貸すのだ」
またそれか。
「もうちょっと具体的に教えてくれないか」
「十分に言ってるつもりなのだが」
メルクリウスが逆に困惑したように眉を寄せた。
多分、俺とメルクリウスとで、闘気に関する前提知識のレベルに天と地ほどの差があるからだろう。
だから、会話が全く噛み合わないのだ。
「お兄ちゃんは、星の声が全く聞こえないのだっ」
「ああ」
前にも言っていたな。
魔人たちは皆、星の声が大なり小なり聞こえているのだと。
「それは、聞こうと思ってないからではないか」
「と言われてもな」
別に聞きたいとも思っていなかった。
そもそも、星という無機物に意志があるなどと、到底信じられない。
駄目だ。まるで理解できない。
だが、闘気をコントロールするための重要な鍵は、そこにあるような気がしてならない。
マルスやメルクリウスは、俺と違って無闇に力を暴走させない。ヴィーナスも同様だ。
彼らは皆、等しく星の声が聞こえている。
聞こえていない俺だけが、魔人としての力を全く制御できていないのだ。
あいつらと俺との違いが、本当にそこにしかないのならば。
俺も、いったんは理解できなくとも、理解できないものだと認めた上で、受け入れる姿勢が必要なのかもしれない。
聴こうという明確な意志がなければ、決して聞こえないものがあるのかもしれない。
それで大切な仲間を守れるほどに強くなれるのなら。
星の声とやらを、俺も一度、真剣に聞いてみたいと思うのだった。




