73
俺たちは巨大な塔へと足を踏み入れることにした。
秘策は一応、用意してある。ヴィーナスの未知の能力について、あくまで仮説の段階だが、検討はついているのだ。
警戒するべきはヴィーナス、そしてゲーヒィンの二名。
加えて、ギンコさんたち黄昏の竜の面々も、ゲーヒィン側に操られ手駒にされている。
それらの敵を掻い潜りながら、囚われた仲間たちを救出し、ヴィーナスが成そうとしている狂った計画を根本からぶっ潰す。
俺たちは重厚な塔の入り口へとやってきた。
無機質な塔に出入りする者はいない。だが、巨大な扉の前は厳重に見張られている。
チワさん曰く、彼らは本来ザドゥの町民だそうだ。
無闇に傷つけるわけにはいかない。
俺は背後の仲間たちを見渡し、静かに目で合図を送った。
足音を殺し、俺は一人で門番たちの元へと歩み寄る。
「なんだ、貴様は」
門番たちは虚ろな目を向けながらも、俺の接近を警戒して槍を構えた。
「メルクリウス様の配下の者だ。ヴィーナス様に命じられて、ゲーヒィン様に会いにきた」
門番たちがさらに警戒を強める。
だが、その隙を突いて俺は懐へと潜り込み、素早く彼らの肩を叩いた。
「加重」
ズンッと、見えない巨大な手が彼らの身体を押さえつけるように重力が掛かる。
瞬時に彼らの身体がぐらりと傾き、白目を剥いて意識を手放した。
冷たい石畳に倒れる寸前で重力を解除する。
崩れ落ちる彼らの身体を、俺は音を立てずにふわりと受け止めた。
よし。
「今のは、何をしたのだっ」
メルクリウスが不思議そうに倒れている門番たちを指差し、小首を傾げて尋ねてくる。
「殺したんじゃないのだっ」
メルクリウスの発言に、明確な変化が見られていた。
以前の彼女であれば、どうして殺さないのか、と無邪気な残酷さで問うてきただろう。
いい兆候だと俺は思う。
そうだ、この星には絶対的な力を持つ魔人だけが住んでいるわけではないのだ。
俺は思考を切り替え、彼女の質問に答える。
「ああ、気絶させただけだ」
「お兄ちゃんは重力の魔人なのだろうっ。重力でどうやって、相手を気絶させたのだっ」
「頭から足に向けて強烈なGが掛かると、血液が下半身に沈下し、脳に酸素が行かなくなって意識を失うんだ」
賢者テラステラは、これをブラックアウトすると言っていた。
物理的な窒息とは違う概念なのだそうだ。
宇宙飛行士や戦闘機のパイロットが経験するような、地球の何倍もの重力が掛かる環境で呼吸が困難になる状態。それを能力で局所的に再現する感じらしい。
宇宙だの、戦闘機だのと、師匠はたまに全く理解しがたい単語を口にする。
賢者の深淵なる知識は常人には理解できないのだと、俺は都合よく解釈している。
「なんだかよく分からないのだが、お兄ちゃんは器用だなっ。すごいのだっ」
普段であればリィナが嬉しそうに褒めてくるところだが、今の彼女はひどく強張った表情で押し黙っている。
親友であるノエルが無事かどうかが、気がかりで仕方ないのだろう。
「先を急ごう」
ヴィーナスに操られた一般人は、こうして極力傷つけずに無力化していく。
チワさんは倒れ伏す門番たちの傍らに膝をつき、静かに治癒術を施していた。
後遺症が残らないよう、手加減をして重力気絶させてはいるが、急激な酸欠による肉体への負担はゼロではない。
そこで、チワさんがすかさず治癒を施してくれているというわけだ。
チワさんの職業は巫女だ。
聖なる力を用いた治癒術を行使できる。
「ほぉ。すごいのだ、お前っ」
メルクリウスが、興味深そうにチワさんに声をかけていた。
人間を見下さなくなったことで、他者の行動に純粋な興味が湧いたらしい。
チワさんは不意に声をかけられ、最初は少しだけ嫌悪の色を顔に滲ませていた。
一番の巨悪はヴィーナスであり、メルクリウスはただ姉に逆らえずに従っていただけ。
頭では理解していても、やはり複雑な感情があるのだろう。
「めるめる、何か悪いこと言っちゃったかなっ」
なおも、メルクリウスは無邪気にチワさんに話しかける。
空気を読むという概念を、彼女はまだ知らないのだろう。
「わたくしは、すごくなんてありません」
ギリッと、チワさんが悔しそうに歯噛みをする。
俯いた彼女の耳が、悲しげに垂れ下がった。
「わたくしは何もできない。魔人を倒すことも、囚われた大事な人も、一人では助けられない。わたくしは無力ですわ」
共にいたという、使用人のキースホンドのことを言っているのだろう。
確かに治癒術だけでは、彼女の望む救出劇は実行できない。
「あまり、自分を責めないでください」
「ガイアさん……」
「一人ではできないことも、力を合わせて可能にする。それが、人間の本当の強さじゃないですか」
俺たち魔人は、個としてあまりにも強すぎる。
それゆえに、他人に頼るという発想がそもそも欠落しているのだ。
マルスも、そして俺自身もそうだ。
仲間を頼るという選択肢は、どうしても一番最後に出てきてしまう。何事も自分一人で解決しようとしてしまう。
でも、人間は違う。
それこそが魔人との決定的な違いであり、彼らのかけがえのない個性であり、強さなのだ。
「力を合わせる。それが、人間なのか」
さっきの発言は、メルクリウスへ向けた言葉でもあった。
彼女の心には、俺の言葉が少しは響いたらしい。
メルクリウスは何かを噛み締めるように、小さく呟いた。
「ガイアさん」
治癒術を終えたチワさんが、立ち上がって俺へ深く頭を下げた。
「ありがとうございますわ」
「お礼を言うのは早いですよ。さ、いきましょう。まだ塔の攻略は始まったばかりです」




