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……ノエルが連れ去られてしまった。
ギンコさんがゲーヒィン側に操られていたのだ。その隙を突かれてしまった。くそ……。
リィナはすっかり口数が減っていた。
大切な親友が連れ去られたのだ。心配で仕方ないのだろう。
メルクリウスもまた、黙り込んでいる。
普段とは違うリィナの様子を見て、彼女なりに気遣っているようだった。
「このままだとジリ貧ね」
マジコさんが静かにつぶやく。その通りだ。ヴィーナスにこちらの位置を把握されてしまった。
今回のように支配された人間を送り込み、拉致する。それを繰り返されれば、こちらの戦力なんてあっという間にゼロになってしまう。
ぽたっ、とリィナの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「リィナお姉ちゃん……」
「だ、だいっじょうぶ。大丈夫だよ……う、ううううぅううううっ」
見かねて俺が彼女を抱きしめると、ついに声を上げて泣き出してしまった。
張り詰めていた不安が溢れ出してしまったのだろう。
リーダーとして、己の不甲斐なさを噛み締める。
「の、ノエル……生きてるよね」
「そこは安心してくれ。保証するよ」
「どうして」
「彼女に付与した重力が、消えていないからだ」
仲間たちには、俺の減重が付与されている。
そして、重力が付与されている者の位置を、俺は探知可能なのだ。
万有引力を応用した感覚だ。重力の魔人たる俺の力が付与された物体同士は、互いに惹かれ合う。
その性質を利用したものだった。
生物に付与された重力は、術者である俺が解除するか、術をかけられた対象が命を落とさない限り消えることはない。
ノエルの気配を感じ取れるということは、まだ彼女は無事だ。
リィナは俺の言葉を信じてくれたらしく、安堵したようにその場へへたり込んだ。
だが、命があるということだけが保証されたに過ぎない。身の安全まではわからない。
ギンコさんがゲーヒィンに操られ、いかがわしい格好をさせられていたことを鑑みるに、同じ辱めをノエルに強いてくる可能性は高い。
だが、まだ敵の全容が分かっていない状態で無闇に突っ込むのは危険すぎる。
「…………」
状況を打破する方法が、なくはない。
だが、それは彼女の心を利用する形になってしまう。
それはよくない。だが、俺にとってノエルはかけがえのない仲間だ。だから。
「メルクリウス。提案がある」
「……めるめるからも、てーあんがあるのだ」
メルクリウスからも。
なんだろうか。俺はまず、彼女の言葉を聞くことにする。
「めるめるが……ヴィーナスをぶっ飛ばしてくるのだ」
「っ、それは……」
俺が提案しようとしていたことだった。
つまりは、裏切りである。
現状、ヴィーナスはメルクリウスの心変わりを把握していない。俺と敵対しておらず、リィナに懐いているという事実をだ。
メルクリウスが俺のそばにいることは、ギンコさん経由で知られてしまっているかもしれない。
だが、それだけで俺の味方になったとは判断しないだろう。俺に捕らえられたと考える可能性もある。
俺との戦闘に負けて拘束されていたが、隙を見て逃げてきた。そう偽れば、相手の信用を得ることはできるはずだ。
そして、ヴィーナスに近づき、殺す。つまりは暗殺である。
「でもそれは、お前の姉を殺すことになるんだぞ。その覚悟はできてるのか」
「……あるのだ。めるめるにとっては、リィナがお姉ちゃんなのだ。お姉ちゃんを悲しませるヴィーナスお姉ちゃん……ううん、魔人ヴィーナスは、敵っ」
メルクリウスは、ヴィーナスよりもリィナを真の姉として認定したのだろう。
もとより血の繋がった家族ではなかったが、それ以上に強い絆を感じているのだ。
それに、話を聞いている限り、メルクリウスはヴィーナスの言いなりになっていた。無理やり、したくもないことをさせられていたのだ。
ヴィーナスに従うよりも、リィナを笑顔にする道を彼女は選んだのだ。
「でも……お前、大丈夫なのか。ヴィーナスに勝てるのか」
「真っ向勝負じゃ、めるめるは負けるのだ。だから……」
暗殺か。なるほど。
どうやら、メルクリウスの覚悟は相当なものらしい。
「メルクリウス……お前の覚悟は、受け取った」
だが。
「だめだよっ」
リィナが涙を流しながら、メルクリウスを強く抱きしめた。
そうだ。俺も同じ気持ちだった。
「そんなのだめっ。めるちゃんが、危ないもんっ。もし裏切りを感づかれたら、めるちゃんが殺されちゃうもんっ」
リィナは、本当に優しい子だ。親友を助けるための最短の道を、真っ先に選ばなかった。
その先にメルクリウスという犠牲を強いるのなら、やらない。選ばない。そう言い切ったのだ。
「でもでもっ。リィナお姉ちゃんの大事なノエルが捕まってるのだろう。めるめるは助けたいよっ」
「それは嬉しいけど、でもその結果めるちゃんが死ぬのはいやっ」
リィナは誰もが幸せになる道を選ぼうとしている。
どれほど困難な道のりになろうとも。
「リィナ……おねえちゃん……そこまで、めるめるのことを思って……」
「だってあたしたちの、可愛い妹だもんね」
「ああ」
俺もリィナの意見に賛成だ。そもそも、この作戦は穴が多い。
ヴィーナスがメルクリウスの裏切りに気づいていないという、不確かな前提に基づいているからだ。
ギンコさんに俺たちが一緒にいるのを見られている時点で、成功確率はぐんと下がる。
メルクリウスを失い、敵に後れを取る。これが最悪のシナリオである。
「一番は、ゲーヒィンを倒す。囚われている人たちを解放する。そして全員で、ヴィーナスを倒しに行くことだ」
「でも……無策で突入したら、みんな操られちゃうんじゃ……」
マジコさんの危惧を聞き、俺は深く頷いた。
「ええ。でも、奴はまだ支配の力を使ってきていません。敵の侵入に気づいているにもかかわらずです。つまり、奴は現在力を使えない状況にあると考えられます」
考えられる可能性としては、何か大規模な準備をしており、そちらにリソースを割かねばならず、こちらにまで手が回らない状態だということ。
「この隙に敵地に侵入し、電撃作戦をかけます」
「うーん……まあ、それが一番か。どのみち持久戦は相手の望むところだろうしね」
何らかの巨大な計画をヴィーナスが実行している最中だと仮定するなら、のんびりしている時間はない。
待機組と作戦実行組で分けるというのも悪手だ。
どのみち時間がないのだから。
「全員で特攻をかけましょう」
皆が静かに頷く。そして。
「ひとつ、ヴィーナスの力に対する仮説を立てました。これを……」
俺が懐から取り出したものを見て、全員が不思議そうに首を傾げた。
「こんなもので、魔人の力を防げるのですか」
チワさんが俺の手元を見つめ、戸惑うように問いかける。
確証はない。だが、マジコさんが支配を受けなかったこと。そして、今なお俺たちが無事なこと。
それらの事実から、ヴィーナスの力は万能ではないと分かる。
そして、もしこれでヴィーナスの支配を受けずに済むのならば、奴は「あの魔人」ということになる。
「この局面じゃ、ギャンブルを仕掛けるしかないか」
マジコさんが呆れたように息を吐く。しょうがない。俺たちがミスをすれば、そこですべておしまいなのだ。
戻って応援を呼んでくる間に、ヴィーナスの儀式が完成してしまうだろう。
相手がこちらにリソースを割けない今このタイミングで、この仮説が当たっていることに懸け、突っ込む。
ギャンブルを仕掛ける。それ以外に道はないのだ。
無論これは、「安全な道を探るなら」という前提がつく。
魔人の力を全解放し、街の被害を一切考えずに、塔を丸ごと重力で押し潰すという暴挙もできなくはない。
だが、他の魔人がそれをやろうとも、俺は絶対にやらない。
俺は心に誓ったのだ。この力で、決して人を殺めたりはしないと。
「みんな、俺に懸けてくれ」
「もちろんだよっ」
誰より早く、リィナが力強く頷いた。メルクリウスも同意してくれる。
ザドゥを救いたいチワさんも、仲間を救出したいマジコさんも、俺の提示したこの細い可能性の糸を、共に掴んでくれるらしい。
「よし、いくぞ。塔へ」
【おしらせ】
※9/19(土)
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