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ノエルは静かに目を閉じ、過去を思い出す。
まだ、彼女が冷え切った実家で暮らしていた時のことを。
彼女の家は、代々優秀な魔法使いを輩出する由緒正しき貴族の名家だった。
そう、「だった」のだ。
数代前から領地の運営が上手くいかず、資金繰りには常に困窮していた。
父の代で限界まで膨れ上がった借金は、もはやどうしようもない状態に陥っていた。
貴族の子女たちが通う学院。
ノエルはそこでリィナと運命的な出会いを果たすことになる。
ノエルは実家に頼らず、自ら奨学金を借りてその学院へ通っていた。
彼女は両親とそりが合わずにいた。いつまでも空虚な貴族のプライドにしがみつき、多額の浪費を抑えられない愚かさに呆れ果てていたからだ。
学院を卒業したら、家を出る。
ずっとそう決めていた。……しかし。
『げっひひ、お前がノエルだなぁ〜』
卒業を間近に控えたある日、実家から緊急の呼び出しを受けた。
親が危篤だという知らせを受ければ、さしものノエルであっても帰らざるを得なかったのだ。
しかし、薄暗い応接間で待っていたのは、下卑た笑みを浮かべる変態貴族、ゲーヒィンだった。
『今日から貴様は吾輩の女だぁ。さぁ、おいで』
意味がわからなかった。この男の女?
困惑して立ち尽くすノエルの尻を、ゲーヒィンは無遠慮に撫で回してきた。
背筋が凍るような気色悪さに、ノエルは咄嗟に男を強く突き飛ばす。
『おいおいおい、お前は吾輩に売られたのだぞぉ』
『売られた……? まさか……っ』
『げひひっ。そのまさかさぁ』
実家は巨額の金を得る代わりに、実の娘であるノエルを借金のカタとして嫁に差し出したのだ。
ノエルの了承も得ず、彼女の意思を完全に無視して。
ノエルの胸に、深い絶望と悲しみが広がった。
まさかそこまで落ちぶれているとは思っていなかったからだ。
元より良い親ではなかったが、この一件で、完全に両親への愛想が尽きた。
借金のために娘を身売りするような親を、どうして好きでいられようか。
ゲーヒィンはすっかり、ノエルを我が物にした気でいた。
身体も心も、すでに自分の所有物になったのだと。
その慢心の隙を突き、ノエルは実家から、そしてゲーヒィンからも逃げ出したのだ。
『のえるー? どうしたのっ』
学院を去る前に、ノエルはリィナのもとへ向かった。
事情を説明し、これから逃亡する旨を、唯一の親友にだけ打ち明けた。
彼女は、あの堅苦しい学院でできた、たった一人の大切な友達。
せめて最後に、お別れだけは言いたかったのだ。だが。
『んっ。了解っ。あたしも……学院、辞めーるっ』
『は……?』
『ノエルについてくよっ』
『なに……言ってるの……?』
本気で、リィナが何を言っているのか分からなかった。
貴族のステータスである学院を辞め、逃亡者であるノエルについてくる?
『そんなの……あなたになんのメリットがあるの……?』
『親友がさみしそうにしてる。ほっとけねーっ。ってわけよっ』
『リィナ……』
『それにさ、あたしも嫌々学院通ってたし、卒業してもどうせお家に帰って、親が決めた好きでもない相手と結婚させられるの。そんなのやーだっ』
リィナもまた貴族の子女だ。
彼女の家は高名な剣士の家系だが、ひどい男尊女卑の傾向があるらしい。
女であるリィナは家を継げず、政略結婚の道具にされるだけの運命だったそうだ。
『やりたくないことやるより、やりたいことやるっ』
『……なにやりたいの』
『わからんっ。けど……今は、ノエルの涙を止めたいかなっ』
気づけば、リィナはノエルの目元を、柔らかなハンカチで優しく拭ってくれていた。
そこで初めて、彼女は自分が涙を流していることに気づいた。
頬を伝う雫が、ひどく熱かった。
『あれ……なんで……』
ノエルは、この涙が何が原因で流れているのか、分からなかった。
本当に、自分がここに至り、リィナに涙を拭われるまで、気づきもしなかったのだ。自分が泣いていることさえも。
『ノエルは、あれだ。もっともっと、自分の心に素直になるといいと思うっ』
いつだって真っ直ぐに、偽りなく自分を見てくれた親友。
彼女の屈託のない笑顔を見ていたら、知らず知らずのうちに、ノエルの口から本音がこぼれ落ちていた。
『……リィナと、離れたくないよぉ……っ』
実の親に捨てられたこと、下品な貴族の慰み者にされそうになったこと。
そんなことよりも、もう二度と、大好きな親友と離ればなれになってしまうこと。
それが何より、耐え難いほど悲しかったのだ。
『そんじゃ……いこーっ。誰の手も、目も届かない……場所へっ』
『……うんっ』
こうしてノエルとリィナは学院を飛び出し、冒険者としての道を歩むことになったのだ。
といっても、すぐに正規の冒険者になれたわけではない。
元々箱入りだった貴族の彼女らが冒険者になるため、まずは冒険者学校に通う必要があった。
幸いにも、それは自分たちの故郷から遠く離れた辺境の地にある学校だった。
ゆえに、ゲーヒィンたちに見つかることなく過ごせたのである。
月日は流れ、彼女らは厳しい訓練を乗り越え、冒険者としての確かな技能を身につけた。
そうして、ガイアと運命的な出会いを果たすことになるのだった。




