↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
猛暑の終末、向かいの部屋の彼とこもって生き延びる  作者: 空の異変


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/11

第六話 ノックは二回まで

向かいの棟の灯りを数えるのが、夜の習慣になっていた。


最初に数えた晩は、30以上あった。


一昨日は16。昨日は14。


今夜は12だった。


減った灯りが何なのか、私は考えないことにしている。蝋燭が尽きただけかもしれない。


避難所へ移ったのかもしれない。


数える以上のことは、ここからは何もできない。


「今日は12」


「昨日より二つですね」


「数えてるの、知ってたんだ」


「毎晩、窓のところで足が止まってるので」


「やめたほうがいい?」


「……いえ。俺も数えてます」


彼はガラスの一点を指した。


「24階に一つ、ずっと同じ場所で点いてるのがあって」


「知ってる。あれ、消えない」


「消えないでほしいですね」


「瀬川さん、蝋燭ある?」


「ないです。火は、こわいので」


「私もない」


    *


潰した段ボールが、玄関に積み上がってきた。


空いた箱を平らにして重ねるのは彼の担当で、枚数を見れば、飲んだ量はだいたい分かる。


浴槽の水位は、指3本ぶん下がった。


蒸発と、1日1回の水洗と、体を拭くぶん。そのうち、拭くのをやめる日が来る。


「箱、何枚になりました」


「14」


「思ったより早い」


「暑いと飲みますから」


「飲まないほうが早く死ぬので、飲みましょう」


「そういう言い方、営業っぽいですね」


「褒めてる?」


「褒めてます」


『──本日の最高気温は58度でした。明日も同程度の見込み──』


「変わらないですね」


「変わらないほうがいいの、これ」


「上がらないだけましだと思うことにしてます」


「じゃあ、おやすみなさい」


「おやすみなさい。……ドア、内側から掛けておいてください」


「掛けてる」


「ですよね」


夜、私はページの波打った本を伏せて、灯りを落とした。


    *


ドン、という音で体が跳ねた。


床が揺れたのではない。空気のほうが叩かれた感じだった。


私は寝室を出て、玄関へ走る。


共用廊下へ出ると、向かいのドアも同時に開いた。


彼がサンダルの片方を引きずったまま出てくる。


二人で廊下の窓に寄った。


向かいの棟の、7階か8階のあたりから火が出ていた。


窓の四角が、内側から橙色に塗られている。上の階の窓にも、同じ色が回りはじめていた。


「何が燃えて」


「分かりません」


「消防、来ますか」


「……どこも手いっぱいだと思います」


道路には、赤い光も、走る人影もなかった。


80メートル向こうで棟が一つ燃えていて、誰も来ない。それがこの街のいまの状態だった。


ドン。


2度目の音で、廊下の窓ガラスが震えた。


私は彼の腕を掴んでいた。掴んでから、掴んだことに気がつく。


「大丈夫です。向こうの棟です。あいだに道路があって、80メートルくらい──」


彼の手が、私の頭に触れた。


体が跳ねた。


私は両手で彼の胸を押している。押してから、押したことに気がついた。


彼が半歩下がって、手を空中で止めた。行き場のない指が、そのまま下りていく。


「……すみません」


「違う」


言葉が足りない。喉の奥が狭い。


「違うの。あなたじゃない」


廊下の熱が、足の裏から上がってくる。


「入って」


私は自分のドアを押さえた。


「そこ、暑いから。入って」


彼が靴を脱ぐ音を背中で聞きながら、私は寝室へ入って、内側の鍵を回した。


    *


カチ、という小さい音が、体の中では別の音になる。


薄い合板を外から叩く音。2回で終わらない音。


私は床に座って、膝を抱えて、両手で耳を塞いだ。


ノックが2回、聞こえた。


「アオさん」


耳を塞いだ手のあいだから、それだけ入ってくる。


私は答えなかった。


「ここにいます。開けなくていいです。何かあったら、声だけください」


それきり、ノックは来なかった。


リビングの床に何かを置く音がして、あとは動く気配が消える。


戻る足音もしなかった。


あの人は、廊下の熱を知っている。自分の部屋のほうがこちらより暑いことも知っている。


それでも、ドアの前から動かない理由が、私には計算できなかった。


計算できないものを、私は昔から苦手にしている。


    *


窓から、向かいの棟が見えた。


火は上の階へ移っていた。ベランダから水をかけている人がいる。


バケツ一杯ぶんの水は、途中で白くなって消えた。


懐中電灯を振っている窓が二つ。


上の階の窓から、翼のないものが落ちていった。


私は目を閉じて、また開ける。


火の色は、部屋の中まで届いていた。届いているのに、温度はほとんど変わらない。


80メートル向こうが地獄でも、こちらの空気は昨日と同じ重さだった。


その理不尽さのほうが、見ていられなかった。


眠ったつもりはない。火の色が薄くなって、また濃くなるのを、何度か見た。


向こうの音は、ガラス越しにほとんど届かない。遮音のいい部屋を選んだのは私だ。


選んだ理由が、今夜だけは逆から働いた。見えるのに、聞こえない。


膝を抱えたまま、私は夜が白くなるのを待った。


足の感覚が、途中でなくなった。


    *


コン、コン。


2回だけだった。


「瀬川です」


名前が先に来た。名前を先に言えば、音が音だけにならないと、この人は分かっている。


私は壁に手をついて立った。立ってから、両脚が痺れていることに気づいて、その場に座り直した。


「……起きてます」


「よかった。あの、窓を見てもらえますか」


鍵を回して、ドアを細く開ける。


彼はリビングの床に座っていた。壁に背中を預けて、こちらを見上げている。


寝ていないのは、目を見れば分かった。


「ずっとそこにいたんですか」


「動くと音がするので」


「……ごめんなさい」


「謝らないでください。俺が、いきなり触ったので」


「それもだけど」


「それもって、何ですか」


言いかけて、うまく置き換えられない。


ドアを蹴らなかった。叩き続けなかった。


声を荒げなかった。名前を呼んで、返事がなくても、それ以上は入ってこない。


そのどれも、口にすると変な話になる。


「……何でもない」


「気になるんですけど」


「窓」


彼が顎で示す。


私は膝で歩いて、掃き出し窓に近づいた。


ガラスに、点が3つ。


その上に、もう一つ。


「……水」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。