↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
猛暑の終末、向かいの部屋の彼とこもって生き延びる  作者: 空の異変


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/11

第五話 干し肉は食べない

夜明け前のベランダは、まだ息ができた。


3枚のパネルを床に寝かせて、角度をつけて手すりの内側に固定する。外へ出すな、通路を塞ぐな、と説明書に赤字で書いてあった。


電源本体は室内。日の当たらない廊下の、水気のない場所に置いた。


「本体を日向に出したら、たぶん止まります」


「保護がかかるってこと?」


「暑くなりすぎると、勝手に休むんだそうです。人間より賢い」


空が白んで、手すりの影が伸びた。


パネルに光が乗る。


画面の数字が、7から8に動いた。


「動いてる!」


「動いてますね」


彼が説明書を閉じて、こちらを見た。


「アオさん。尊敬します。1年半、開けなかったことも含めて」


8から9まで、思っていたよりずいぶん長かった。


箱には600ワットと書いてある。書いてあるのと、出るのは別らしい。


「角度と、雲と、あとはパネル自体の温度で落ちます」


「暑いと発電も落ちるの」


「落ちます」


「全部この暑さのせいだと、文句の行き先が一つで助かるね」


    *


冷凍ストッカーの電源を入れて、蓋を閉めた。


「開けて涼んだりは」


「熱は、行く先が要るので。開けたら部屋の熱が中に入って、そのぶん後ろから吐き出されます」


「だと思った」


「思ってたなら聞かないでください」


冷えた瓶を3本だけ取り出して、浴室へ運ぶ。首の横と、脇と、脚の付け根。


濡らしたタオルを首に巻く。


体の全部を冷やす必要はない。血の通り道を冷やせばいい、とどこかで読んだ。


どこで読んだかは思い出せない。


USBの小さい扇風機を2台、床に並べた。一台は内蔵電池つきで、線を抜いても回る。


風は涼しくない。涼しくないのに、当たっていると少しましになる。


    *


昼前、彼が自分の部屋から箱を運んでくる。


一往復では終わらなかった。二往復でも終わらなかった。


玄関に積み上がった段ボールを、私は数える。


18箱。


「水道水が苦手で、箱で買ってあります。先に言えばよかったですね、俺」


「……これ、全部あなたの」


「はい」


「何を想定して買ったんですか」


「買い物に出たくなかっただけです」


「それだけで18箱」


「毎日飲むものを、毎日買いに行くのが、どうしても嫌で」


「分かる」


「分かりますか」


「私はそれで冷凍庫を買った」


彼が、積んだ箱を端から指でたどっていく。18まで数えて、手が止まった。


「アオさんの冷凍庫がなかったら、俺の水だけじゃ3日目で茹だってました」


私が20日の籠城を見込んで買ってきた水は、2箱だった。


紙に書き出して、二人分を足す。飲めるぶんだけで、232リットル。


多い。ただし、多いというのは、減りはじめるまでの話だ。


1日に二人で何リットル使うのか、私は途中まで計算して、やめた。


数えると、数えた日から減る速さのほうが怖くなる。


食べ物も並べた。缶詰が64。


クラッカーの袋、ナッツ、アルファ米が20食、袋麺が5つ。


米が10キロ。


「これ、炊けないですね」


「炊けない」


電気がなければ、米はただの重い荷物になる。


キャンプ用品の箱からは、携帯トイレが30回分出てきた。買った記憶がない。


浴槽の水で流すのは大のときだけ、と最初に決めた。3日目には、1日に1回へ変えている。


残りの回数を数えるのは、私の担当になった。


「アオさん、もしかしてお姉さ──」


「その呼び方はやめてください」


彼が口を閉じた。


「……はい。すみません、アオさん」


「はい」


それきり彼は、二度と言わなかった。


    *


解凍しかけた肉は、塩をしてベランダに並べた。


夕方に取り込むと、板の床に脂が落ちていて、危うく滑るところだった。


表面は乾いて、色は濃くなって、匂いだけが立派になっていく。部屋中が焼肉屋になる。


「食べます?」


彼が言った。言いながら、自分で首を振っている。


「やめておきましょう」


「やめておきましょう」


乾いたことと、安全なことは別だ。この暑さで腹を壊したら、水が2倍要る。


葉物は袋の中で溶けていたので捨てた。卵も捨てた。


冷凍庫の底に溜まっていたアイスの水も、袋ごと2枚まとめて捨てた。


もらったぶんの一本が、どれだったかは分からない。全部、同じ色の水になっていた。


主食は缶詰と乾物に決まった。鯖の味噌煮と、クラッカーと、ナッツ。


味は、3日で飽きた。


飽きても食べた。食べないと、暑さに耐えるための体力がそのまま減る。


冷やした炭酸を一本だけ開けて、二人で半分ずつにした日がある。あれが、この数日でいちばんおいしかった。


    *


一日の形が決まった。


朝はパネルの角度を直して、電源を充電に回す。夕方に瓶を冷やし直して、夜に読む。


昼のいちばん暑い時間は、二人とも動かない。


浴室のタイルに背中をつけて座って、喋らない。喋ると喉が渇くからだ。


その時間が、毎日3時間ある。3時間、人は本当に何もしないでいられる。


本は、買ったまま開いていなかったものが棚に何冊もあった。


汗が落ちて、ページが波を打つ。指が濡れているので、紙をめくる音が鈍い。


彼も自分の部屋から本を持ってきて、ついでにボードゲームの箱を3つ抱えてきた。


「これ、配信用に買ったやつです。一度も使ってない」


「配信」


「ゲームの実況と、動画を作る仕事です。夜中に編集してるので、目の下がこれです」


初めて会った日の、起きたばかりみたいな顔を思い出した。


あれは起きたばかりではなく、寝る前だったのかもしれない。


一度だけ、最後まで通した。


カードを引いて、線路を伸ばして、相手の行きたい方向を塞ぐゲーム。私は塞ぐのが得意で、彼は伸ばすのが得意で、結果は彼の勝ちだった。


「営業なのに、道を塞ぐの上手すぎませんか」


「塞いでから、どうぞって言うのが仕事なので」


「こわ」


「そっちこそ、終盤の伸ばし方が意地悪でしたよ」


「配信で覚えました。見てる人が退屈しない負け方って、あるので」


「負ける前提なんだ」


「勝ってばかりだと、誰も見ないんです」


「じゃあ次は、私が負ける番?」


「負け方、教えましょうか」


「いらない」


『──本日の最高気温は、58度を観測しました。屋外での活動は──』


ラジオが言い、彼がイヤホンを抜いた。


数字には、もう二人とも慣れていた。


日が落ちて、部屋が少しだけ軽くなる。


彼はカードを箱に戻して蓋をし、自分の本を3冊重ねて抱えた。


「じゃあ、おやすみなさい」


「おやすみなさい」


玄関のドアが閉まって、少し遅れて、向かいのドアも閉まった。


私はページのあいだに指を挟んだまま、本を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。