↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
14/21

第13話 帰還した聖女は頭を下げない

第13話 帰還した聖女は頭を下げない


王都へ入る門の前には、黄色い秋薔薇を抱えた人々が集まっていた。エレノアは馬車の窓を少し開け、濃い青色の旅行着についた皺を手で伸ばした。沿道から聞こえてくるのは歓迎の言葉ばかりではない。「逃げた聖女が戻った」「ようやく罪を認めたらしい」という声も混じっている。焼き栗の香りが漂う街路で、新聞売りの少年が号外を掲げて走っていた。


「改心した聖女、王命により帰還! 王国治療院へ復職の見込み! 一枚、銅貨二枚だよ!」


「ずいぶん話が変わっているな。改心するべきなのは、君を使い潰した側だろう」


「王都では、先に大声で言った人の話が真実になることがあります。ですから今日は、私も皆に聞こえる声で話します。新聞は一枚買ってください。帰りの馬車で栗を包むのに使えます」


アルベルトは新聞を買うと、見出しを読んで顔をしかめた。エレノアは紙面を畳み、足元の鞄へしまった。鞄の中には診療着と雇用契約書、それから辺境の料理人が持たせてくれた胡桃パンが入っている。王都に着く前に二つ食べるつもりだったが、道中で眠ってしまい、一つ残っていた。


馬車は王宮へ向かわず、辺境伯家の王都屋敷へ入った。長く使われていなかった屋敷では、使用人たちが朝から窓を開け、白い布をかぶせていた家具を整えていた。玄関には赤紫色の孔雀草が飾られていたが、花瓶の水は汲みたてで冷たく、葉の先から雫が落ちている。エレノアが食堂へ入ると、年配の料理人が茸のオムレツと温かな牛乳を用意していた。


「議会へ出る前に、何か召し上がってください。王都の方々は話が長いうえに、昼食の時間を守りませんからね。先代様も会議のたび、空腹で機嫌を悪くして帰ってこられました」


「では、胡桃パンも一緒に温めてください。辺境から持ってきたものです。少し硬くなってしまいました」


「牛乳を塗って焼けば食べられます。食べ物も人間も、乾いたからといって捨てることはありませんよ」


食事を終えたエレノアは、淡い灰色のドレスへ着替えた。胸元に飾りはつけず、辺境伯家の紋章が入った銀の留め具だけで外套を留める。鏡の前に立つと、かつてレナードの隣で着ていた華やかなドレスが頭に浮かんだ。どの衣装も彼の好みに合わせて選び、首が苦しくても襟元を緩めることは許されなかった。


「その留め具、少し曲がっている。直してもいいか。それとも侍女を呼ぶか」


「あなたが直してください。ただし、髪には触らないでください。せっかく侍女がまとめてくれたのに、あなたが触ると崩れます」


「分かった。留め具だけにする。私も同じ失敗を三度は繰り返さない」


議会前の広場には、さらに多くの人が集まっていた。王宮の役人は、エレノアが民衆へ向かって謝罪すると考え、階段の中央へ演台を用意していた。その横には王国治療院の院長と、白い礼装を着た治癒師たちが並んでいる。治癒師の多くは頬が痩せ、袖口から見える手首には魔力枯渇による黒い斑点が浮かんでいた。


「エレノア様、お帰りなさいませ。まずは国民の皆様へ、治療院を離れたことについてお言葉をお願いいたします。その後、復職の宣誓をしていただきます」


「私は謝罪にも、復職にも同意しておりません。今日は治癒制度について協議するために来ました。召還命令への返書を読んでいないのですか」


「もちろん読みました。しかし、あれは辺境伯家の体面を守るための形式でしょう。聖女様が国民を見捨てたままでいられるはずがありません」


院長は笑いながら、小声で宣誓文を渡そうとした。エレノアは受け取らず、代わりに鞄から雇用契約書の束を出した。風が吹き、一番上の紙がめくれる。院長はそこに並ぶ数字を見た途端、笑みを消した。


議場へ入ると、中央の席には国王と宰相が座っていた。左右には大臣と高位貴族が並び、後方には王国治療院の治癒師たちが立たされている。彼らのための椅子は用意されていなかった。エレノアは自分の席へ向かう前に足を止め、書記官へ声をかけた。


「後ろにいる治癒師たちにも椅子を用意してください。協議の当事者を立たせたまま、雇用条件を決めるつもりですか」


「彼らは証言を求められたときだけ前へ出る者です。議員ではありませんので、席は必要ないかと存じます」


「では、私も立ちます。私だけ座って彼らの働き方を決めることはできません。椅子が届くまで、協議を始めないでください」


ざわめきが広がったが、アルベルトもエレノアの隣へ立った。国王が書記官に命じ、倉庫から木の椅子が運び込まれる。脚の長さが合わず、座るとがたつく椅子もあった。若い治癒師が折った紙を脚の下へ挟むと、隣の女性が小さく笑った。


全員が座ったところで、協議が始まった。厚生大臣はエレノアの帰還を歓迎し、まず王国治療院の欠員を補ってほしいと求めた。朝から夜まで患者が列を作り、地方からも重傷者が運ばれているという。エレノアは返事をする前に、机へ十二枚の契約書を並べた。


「治癒魔導士一人が診察する人数は、一日二十人までとします。重傷者へ大規模な治癒魔法を使った場合は、その一件を五人分として数えます。勤務は一日六時間、二時間ごとに十五分の休憩を取ります」


「待ちなさい。現在は一人あたり五十人を診察しています。二十人に減らせば、待っている患者をどうするのですか」


「治癒魔導士を増員してください。助手を配置し、魔法を必要としない処置は医師と薬師へ分担させます。一人に五十人を任せる仕組みを残したままでは、何人補充しても同じことが起きます」


エレノアは次の契約書を宰相へ渡した。夜間勤務には通常の二倍の手当をつけ、魔獣の毒や感染症を扱う者には危険手当を支給する。魔力枯渇の症状が出た場合は、最低七日間の休養を命じ、その間の俸給も全額支払う。契約を破った管理者には罰金を科し、三度目には役職を解くことまで記されていた。


「危険手当まで要求するのですか。治癒師は人を救うために神から力を授かった者です。その使命に金銭を持ち込むのは、いかがなものでしょう」


「では、大臣は無給で働いておられるのですか。議会へ来る馬車代も、ご自分で負担なさっているのでしょうか」


「私の職務と治癒師の献身を一緒にしないでいただきたい。病人を前に金の話をするのか」


厚生大臣が机を叩くと、水差しが揺れた。銀の杯が倒れ、水が契約書の端へ広がっていく。エレノアは慌てず、持参した布巾で水を吸い取った。その布巾は辺境の治療院で蜂蜜の染みを拭いたものと同じ薄茶色で、端にはマルタが青い糸で小さな花を縫っていた。


「病人を盾にして、治癒師を使い潰す話をしております。治癒師が倒れれば、翌日から誰が病人を診るのですか。使命という言葉では、食事も睡眠も補えません」


議場は静まり返った。大臣は口を開いたが、すぐには言葉が出てこなかった。後方に座っていた治癒師の一人が、膝の上で両手を握っている。彼の右手には三本の指しかなく、残る二本は魔獣の毒に侵された患者を素手で治療した際に失ったものだった。


「発言してもよろしいでしょうか。私は王国治療院で十二年働いております。昨年の休日は四日でした。指を失った翌日も、患者が待っていると言われて診療室へ戻りました」


「なぜ、これまで報告しなかったのだ。院長は何をしていた」


「報告しました。聖女エレノア様は休まず働いているのだから、私たちも理解しろと言われました。エレノア様が去った後は、逃げた聖女の穴を埋めるのが義務だと言われました」


視線が一斉に治療院長へ集まった。院長は襟元の汗を拭き、報告を受けた記憶はないと答えた。すると別の治癒師が鞄から勤務記録の写しを出した。紙には休憩を申し出た者の名前と、その横に院長が書いた「使命感不足」という赤い文字が残っていた。


エレノアはその文字を見て、王都にいた頃の自分の勤務表を思い出した。夜明けから深夜まで働いた日にも、勤務時間は八時間と記録されていた。途中で倒れた日は、体調管理不足として減給されている。彼女は机の下で拳を握ったが、爪が食い込む前に指を開いた。


「陛下、王国治療院の過去五年分の勤務記録と会計簿を調査してください。治癒師本人が記録した診察人数と、院長が王宮へ報告した人数も照合する必要があります」


「そこまで大ごとにする必要はありません。まず聖女様が復職し、患者を落ち着かせてから内部で話し合えばよいでしょう」


「私を入れて穴を塞げば、記録はまた棚の奥へ戻されます。私は穴を塞ぐために来たのではありません。穴を開けた仕組みを調べるために来ました」


国王はすぐに答えず、契約書を一枚ずつ読んだ。窓の外では昼を知らせる鐘が鳴り、議員たちの間から椅子を引く音が聞こえる。本来なら昼食の休憩に入る時刻だった。しかし厚生大臣は話を続けようとし、書記官へ扉を閉めるよう命じた。


「ちょうどよい機会です。二時間を超えましたので、十五分の休憩を取りましょう。最初の規則を、ここで実行します」


「まだ結論が出ていないのですよ。今、休む必要がありますか」


「休憩は、倒れてから取るものではありません。結論が出ないと食事も許されない職場を、私は変えに来たのです」


エレノアは立ち上がり、鞄から残していた胡桃パンを取り出した。少しつぶれていたが、割ると中から甘い香りがした。アルベルトは自分の鞄から燻製肉を出し、薄く切ってパンへ挟む。後方の治癒師たちにも、王宮の使用人が豆のスープと丸パンを運んできた。


十五分後、協議が再開された。国王は王国治療院への調査官派遣を認め、契約書を制度改革案として審議に回すと告げた。正式に決まるまでの暫定措置として、治癒師の診察人数を一日三十人までに減らし、必ず交代で昼食を取らせることも命じた。院長は職務停止となり、勤務記録と会計簿を提出するまで治療院への立ち入りを禁じられた。


「エレノア、王国治療院への復職については、改めて打診したい。条件が整えば、考えてもらえるだろうか」


「陛下、私は辺境に自分の仕事があります。王都で制度を整えるための協力はいたしますが、ここへ戻るとは申し上げません。私がいなければ続かない制度では、何も変わっていないからです」


議会を出ると、広場には朝から待っていた人々が残っていた。新聞売りの少年は売れ残った号外を束ね、その上へ焼き栗の袋を置いている。エレノアを見ると、謝罪は終わったのかと尋ねた。彼女が謝罪していないと答えると、少年は首をかしげた。


「じゃあ、明日の見出しは間違いってことですか。刷り直すなら、もっと分かりやすい言葉をください」


「帰還した聖女は復職せず、契約書を提出した、と書いてください。聖女も食事をし、眠り、休まなければ働けない人間だということも」


「それじゃ長すぎます。『聖女、頭を下げず』にします。短いほうが売れますから」


少年はそう言うと、新しい見出しを考えながら走っていった。エレノアは広場の露店で焼き栗を一袋買い、朝の新聞紙で包んでもらった。紙面に印刷された「改心した聖女」という文字は、栗の熱で黒くにじんでいる。


アルベルトが一つ取ろうとすると、栗はまだ熱く、指先から石畳へ落ちた。エレノアは笑いながら、自分の布巾を差し出した。二人は孔雀草の咲く王都屋敷へ向かい、焼き栗を半分ずつ食べながら歩いた。明日からは記録の調査が始まり、さらに多くの反対が出るはずだったが、今日のエレノアは誰にも頭を下げず、自分の足で議場を出てきた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。