第7話 品物ではないのに
下見に伺うのは、こちらから申し出たことです。
縁談の話が出てから、父は二度、あちらの屋敷を訪ねております。応接室で茶をいただいて、庭を歩いて、それで帰ってくる。わたくしは、庭を見ても嫁ぐ先のことは分からないと申しました。
見たいのは、帳面と、食料庫と、返礼の控えです。
父は難色を示しましたが、ロートフェルスの娘は帳面を読むという評判は前からございますので、押し通せば通ります。あちらからは、どうぞ、という返事が来ました。
六月の半ばに参りました。
アーベル様は、玄関で待っていてくださいました。姿勢のよい方です。挨拶の言葉に無駄がなく、こちらの父の名も、領地の産物も、正しく覚えておいででした。
御母堂様は、東の間で椅子に掛けておいででした。膝に毛布を掛けておいでで、立ち上がるのを止めていただきました。
「ロートフェルスのお嬢様は、帳面をご覧になるとか」
「不躾でございますが、そのように」
「よろしいこと」
そうおっしゃった声に、含みはございません。この方は、わたくしが帳面を読むことを、飾りの一つだと思っておいでのようでした。
食料庫から拝見しました。
石の床で、北向きです。造りは悪くありません。天井の梁も乾いております。
ただ、棚の下の段に空いた箱が三つ積んでありました。中を見ると、底に粉が残っております。指で払うと、乾いた虫の殻が出ました。夏に入る前に上の段へ移す家は多うございます。うちでもそういたします。移していれば、三箱も空きません。
「この段のものは」
「先月、始末いたしました」
女中頭がそう答えました。始末という言い方をなさるということは、それなりの量だったのでしょう。
次に、返礼の控えを拝見しました。
春の分が三軒、二十日を過ぎております。デルフ侯爵家は二十二日目。順番も逆でした。格の高い家から先に返すのが決まりですから、これは、控えを見ればどなたにでも分かります。
「返礼は、どなたが差配なさっておいでですか」
「女中頭に任せております」
「その前は」
御母堂様は、少しお答えが遅れました。
「二年前までは、家の者が」
家の者、という言い方をなさいました。
わたくしは控えの束を閉じて、次に家政の帳面を拝見したいと申しました。持ってこられた帳面は、革の表紙が擦れております。開くと、婚礼の年から二年前の春まで、頁がすべて同じ字で埋まっておりました。
字は途中で変わりません。人が替われば、字も替わります。
二枚目から先は、季節ごとに分かれておりました。返礼の順、家ごとの好みと苦手な品、買い付けの時期。デルフ侯爵家の頁には、当主の代替わりのことまで書き添えてございました。
わたくしの家の帳面より、細こうございます。
「この字の方は、いまは」
「おりません」
「では、いまはどなたが」
お答えはございませんでした。
アーベル様が、代わりに口を開かれました。屋敷の内向きのことはこの二年、思うようにいかぬことが多い。人を替えて三度やり直させている。そういうお話でございます。
やり直させた、と三度おっしゃいました。ご自分で書き直したというお話は、一度も出てまいりません。
そのあと、父が持参金の話をいたしました。
こちらの持参金の額と、支払いの時期の相談です。話の途中で、父が何気なく、前のご婚姻の際の取り決めはどのように、と伺いました。作法として伺うことです。
御母堂様が、追って返す約束になっております、とお答えになりました。
「追って、と申しますと」
「離縁の折に、そのように」
「それは、いつのことでございましょう」
二年前の春でございます、とゲオルクという執事の方が答えました。
父の顔が変わったのが、隣におりましたので分かりました。父は数字の話になると、口を閉じて計算する人です。二年前の春から数えて、一年と三月ほど前に照会があった、という話も、そのときに出ました。
持参金が返っていない家に、娘の持参金を納める。父はその話を、馬車の中で三度繰り返しました。金額の多寡ではございません。返す約束を二年置いておける家かどうか、という話です。
けれど、退けたのはわたくしです。
帰り際、玄関の前でアーベル様がおっしゃいました。もし気にかかることがあれば、遠慮なく尋ねてほしい、と。
わたくしは、一つだけ伺います。
「先の奥様は、いつお戻りになりますか」
アーベル様は、少し黙られました。それから、あれは二年のあいだ待ってもらっていたのだ、とお答えになりました。
「待っていてほしいと、お伝えになりましたか」
お答えはございませんでした。
御母堂様が、家のためでございました、と後ろからおっしゃいます。
わたくしは、玄関の石段を一段降りてから、振り返って申しました。
「お戻しになるおつもりで手放されたのですね。品物ではないのに。」
アーベル様は、こちらを見ておいででした。何かおっしゃりかけて、やめられました。やめられたのは、こちらの言葉に返す言葉をお持ちでなかったからだと思います。
「この縁談は、お断りいたします」
父が、隣で息を吸う音がいたしました。あとで叱られるのは承知しております。けれど、この家の家政は、いま誰も持っておりません。持っていない家に嫁げば、持つのはわたくしです。
わたくしは帳面を読みます。読めば、二年ぶんの仕事の量が分かります。
あの量を、無償で引き受けた方がいて、その方はいま、この屋敷におられません。
石段を降り切ったところで、女中頭が父の外套を持って追ってまいりました。渡し方が丁寧でした。この屋敷の方々は、皆さん丁寧です。
馬車に乗る前に、わたくしは一度だけ屋敷を振り返りました。




