第4話 預けてあるつもりだった
母上の煎じが切れたのは、火曜の朝だった。
厨の女が湯を運んできて、匙を止めた。壺の底に、砕けた葉の粉が指の腹ほど残っている。それを湯に落とすと、色がつかなかった。
「旦那様、こちらで最後でございます」
「補充は」
「まだ届いておりません」
届いておりません、という言い方をした。届かないのではなく、届くはずのものがまだ来ていない、という言い方だ。私も同じつもりで聞いていた。
母上は東の間の椅子で、膝に毛布を掛けて座っていた。薄い茶を一口飲んで、皿の上に戻す。
「これは違いますね」
「同じものです」
「同じなら、匂いがいたします」
母上は匂いのことを言うと、だいたい正しい。去年の秋、菓子屋を替えたときも一口で当てた。私は湯呑みを下げさせて、執事を呼んだ。
ゲオルクは廊下の端から来て、いつもの距離で止まる。
「母上の煎じの草だが、次の便はいつだ」
「便の予定は、こちらでは持っておりません」
「では、どこの薬種商から取っている」
ゲオルクは一度、目を伏せた。伏せてから、王都の薬種商ではございません、と答えた。
「では地方か。どこの」
「存じません」
存じません、と執事が言うのを、私は久しぶりに聞いた。この男は屋敷の物の出入りを全部知っている。酒の樽が何本あるかも、蝋燭の減り方も言える。
「帳面には」
「品の受け入れとして、年に二度、記載がございます。仕入れの欄ではございませんので、仕入れ先は載っておりません」
「では誰が頼んだ」
ゲオルクは答えなかった。答えなかったのを、私は考える時間だと受け取った。
「思い出せぬなら、古い書付を当たれ」
「かしこまりました」
返事は早い。早いのに、動き出すのが遅い。この男は、命じられたことしかしないという顔で、命じられていないことをずっとしてきた男だ。
母上が椅子から声を出した。
「二年前までは、切れたことがございませんでしたよ」
「存じております」
「家政は誰にでもできます。そう申しましたのは、わたくしですけれど」
母上は毛布の端を膝に押し込んだ。それきり、その話はしなかった。
二年前、離縁の話をまとめたのは母上である。私は反対しなかった。血筋のこととして片づけるほうが、親族の口が早く閉じる。閉じたあとで戻せばよいと考えていた。その手順を、私は母上にも話していない。話せば、母上が先に手を打つからだ。
その日のうちに、王都で二番目に大きい薬種商へ人をやった。扱いがないという返事である。三番目にも、その次にも人をやる。北の産で、量が出ないので置かなくなった、というのが四軒とも同じ言い分だ。
取り寄せなら三月かかると言われた。三月というのは、この草に関しては半年と同じ意味になる。乾いてから半年ほどで匂いが落ちる、と最後の店の主人が言った。それも今日はじめて聞いた。
母上の膝は、朝のうちだけ痛む。煎じを切らした翌日、階段の下で足を止めているのを見た。手すりに手を置いて、二段目で止まっている。私が近づくと、庭を見ておりました、と言った。
夕方に、書斎で手紙の束を見た。
港へやった御者は、四日待って戻ってきた。返事はございません、とだけ言う。あの男は数えて帰るのが仕事だから、四日という数字も一緒に置いていった。
私はまだ驚いていない。
セラフィナは筆の遅い人ではない。屋敷にいたころは、返礼の便箋を朝のうちに全部片づけていた。返事を書かないのは、書くことがまとまらないときだ。二年ぶりに来た手紙にどう返すか、まだ決めかねているのだろう。決めかねるだけの中身は、確かにあの二通に書いた。
親族の反対が収まったことも、母上が働きを認めていることも、書いた。事情を先に話さなかった理由も、一行だけ書いた。あれを読んで腹を立てているなら、それはそれで筋が通る。
腹を立ててから戻る、という順序を、私は勘定に入れていた。二年のあいだに一度も便りをよこさなかったのは、私のほうも同じだ。同じことをした者同士なら、話は早い。
羽根ペンを取って、二通目を書きはじめた。今度は短くする。長いものを送ると、返す側の負担になる。
迎えの日取りは、前の手紙で三日後と書いた。その日はもう過ぎている。次の日取りをこちらで決めるのは押しつけがましいので、都合のよい日を知らせてほしいと書いた。書いてから、これが一通目に無かった一行だと気づいた。
母上の薬のことは、書くかどうかで少し迷った。頼むように読まれるのは本意ではない。しかし、あれが誰の手配だったかを私は今日まで知らなかったのだから、知ったことは書いておくべきだ。
書き上げてから、灯りに透かして読み直した。
セラフィナなら、言わなくても分かっていると思っていた。
そう書きかけて、その行は消した。消したところへ、屋敷の東の間を整えたことをもう一度書き足す。二年のあいだに、私はあの部屋の壁紙を替え、窓を大きくし、暖炉を切り替えている。戻ったときに使う部屋として整えたのだから、そう伝えれば伝わる。
封をして、朝の便に乗せるよう言いつけた。
ゲオルクが封蝋を溶かしているあいだ、私は書斎の棚の下段を見ていた。二年前まで、あの段には家政の帳面が並んでいた。いまは半分が空いている。誰が片づけたのかは聞いていない。
窓の外では、庭師が薔薇の枯れた枝を落としていた。鋏の音が二度、三度と聞こえて、それから止まった。
港までは四日。返事を書くのに一日として、便がすぐにあれば九日で戻る。私は日数を数えて、机の端に置いた暦に、指で印をつけた。
二通目の返事は、まだ来ない。




