第2話 待たせてすまなかった、と手紙には書いてあった
御者は、そこから半日、桟橋の端に立っていました。
わたくしが荷を量っているあいだも、昼の鐘が鳴ったあとも、外套の裾を風に取られながら同じところに立っています。荷役たちは初めのうちこそ横目で見ていましたが、そのうち見なくなりました。
昼を過ぎて、ダーヴィトが水の入った革袋を持っていきました。御者は受け取って、礼を言って、飲んだあとに袋を返したそうです。「王都のもんは、待つのが仕事なんですかね」
「そういう務めもあります」
「立ってるだけで銭になるなら、こっちも代わりたいもんだ」
そう言って、荷車の柄を担いで行ってしまいました。
日が傾いてから、御者は帳場の窓口に来て、封をした手紙を一通置いていきました。
「お返事は、いつでもお預かりいたします」
そう言って、また馬車のほうへ戻っていきます。宿を取るつもりはないようでした。
ヨナスさんが窓口の板の上から手紙を取って、わたくしの前まで持ってきました。封蝋の色を見ています。赤ではなく、濃い緑です。伯爵家の私信に使う色でした。
「受け取りますか」
「受け取ります」
わたくしは前掛けで手を拭いて、封蝋の面を上にして受け取りました。
ヨナスさんは何も聞かずに帳場へ戻り、検定所から返ってきた分銅を、布の上に並べ直しはじめました。打ち直しの済んだものには、焼印の横に小さな点が増えています。
店の裏には、乾いた品を置く棚があります。北向きで、日が入らず、床が石です。乾物はもともと水気を抜いてあるものですから、置き場所が湿っていれば湿りを吸い戻します。夏の初めは特にそうです。この棚の前は、店でいちばん風の通る場所でした。
わたくしはそこで封を切りました。
紙は上等でした。二枚。折り目のつけ方まで、屋敷の書斎の癖のままです。
セラフィナ。
まず、名前が書いてありました。二年前まで、この人は書きつけの上でわたくしの名前を書くことがありませんでした。書くのは全部わたくしのほうでしたから。
このたびの件、親族の反対がようやく収まった。母上も、そなたの働きについては認めるところがあると申している。屋敷の内向きのことは、この二年、思うようにいかぬことが多かった。返礼の手配も、人を替えて三度やり直させた。
そなたであれば、これほど手間はかからなかったはずである。
行はそこで一度あきます。
「親族を黙らせるまでの二年だった。待たせてすまなかった。」
二枚目は、迎えの日取りと、王都までの道中の手配についてでした。船を使えば三日で戻れること。荷は少なくてよいこと。屋敷の東の間を新しくしたこと。それから、母上の薬が春から思わしくないこと。
母上の薬のところだけ、二度読みました。
煎じるのは朝と晩で、量は指の腹に載るほど。膝には熱を持たせないほうがよく、胸のほうは寝る前に一度だけ。そういうことを、この人は知りません。
そのあとに、書き添えのように一行。事情を先に話さなかったのは、話せばそなたが自分から出ていくと言い出すと思ったからだ、と書いてありました。
書き損じもありません。この一行を書くために、下書きをしたのだと思います。
紙を膝の上に置いて、棚の板の木目を見ていました。木目のところどころが黒くなっています。ここも去年までは湿っていた棚です。石床の上に木の桟を渡して、それでようやく乾くようになりました。
手紙には、詫びの言葉が二度出てきます。要求は三つです。数えるつもりはなかったのですが、目が勝手に拾いました。
離縁の話が出たとき、理由を尋ねたことがあります。義母は、血筋のことです、と答えました。夫には尋ねていません。応接室に入ってこなかった人に、どうやって尋ねるのでしょう。
屋敷を出る朝、玄関の広間で一度だけ会いました。手袋を片方だけはめたところで、こちらを見て、それから壁の時計を見ました。口から出たのは、道中気をつけて、でした。
道中気をつけて。二年分の言葉が、それで全部です。
その日から数えて、手紙は一通も来ませんでした。持参金の返還は、追って、と言われたきりです。追っての意味を確かめる手紙をわたくしのほうから二度出して、一度目は返事がなく、二度目は執事のゲオルクさんの名前で、只今取り込んでおります、と返ってきました。それが一年と三月前です。
金額の話をしたいのではありません。返ってこないものは、返ってこないものとして数えました。
持参金の中には、母の形見の銀の鎖もありました。品の目録は義母が作りました。目録の写しは、いまも鞄の底にあります。
けれど、この手紙には、そのことが一行も書かれていませんでした。
二年のあいだに、この人が書けたはずの手紙は何通もあります。三月のうちに屋敷を出ろと言った日の夜にも、船の便を待っていた三日のあいだにも、書けました。
風が抜けて、棚の上の紙が鳴りました。二枚目のほうが軽いので、先に浮きます。
浮いた紙を手のひらで押さえたとき、迎えの日取りのところがもう一度目に入りました。三日後の朝と書いてあります。わたくしの都合を尋ねる文は、二枚のどこにもありませんでした。
「セラフィナさん」
ブラントさんが裏口の柱のところに立っていました。手には荷の帳面を持っています。手紙のほうは見ていません。
「二番の棚、下の段が湿ってます」
「はい」
「読んでも読まなくても、棚の品は湿ります。」
それだけ言って、帳面を脇に挟んで店の表へ戻っていきました。わたくしは紙を二つに折って、前掛けの下の物入れに仕舞いました。
下の段の品を、一つずつ上へ移します。麻袋の底に手を差し入れて、石床に触れていたところを確かめます。指が冷たくなって、湿りが残りました。夏に入る前のこの時期は、乾いた品ほど早く戻ります。
湿った袋は、口を開けて風の道に立てておきます。戻らないほうは、匂いで分かります。辛みの奥に土の匂いが出たものは、もう元には戻りません。何日か置いても、匂いだけは抜けません。
薬草の束も、この棚にあります。麻の紐で小さく縛って、逆さに吊るしてあるものです。日陰で一週間、途中で上下を入れ替えます。乾き方に癖のある草なので、上のほうだけ先に乾きます。
あれは王都へ送るぶんでした。二年、続けています。港の薬種商から取り寄せて、ここで束にして、船便でゲオルクさん宛に送ります。頼まれたわけではありません。義母が飲んでいる草を、王都の薬種商が扱わなくなったと聞いたので、そのまま続けているだけです。
今年の分は、まだ札を書いていません。
袋を移し終えるころには、日が桟橋の向こうまで落ちていました。指の先が冷えて、爪の際に麻の繊維が入っています。井戸で手を洗って、爪の間を親指の腹でこすりました。
こういう終わり方をする一日を、二年のあいだにいくつも重ねました。
港の端で、馬車の灯が一つ点いています。御者はまだ待っているようでした。
二年のあいだ、王都の窓に灯が点いていたことを、わたくしは知りません。
わたくしは物入れの上から、紙の角を指で押さえました。
待たされた、と書いてありました。二年、待たせてすまなかった、とも。
わたくしは、この二年のあいだに何を待ったでしょうか。乾く日を待ちました。船の便を待ちました。給金の日を待ちました。どれも、待てば必ず来るものです。
待っていろと、あの人は一度も言いませんでした。




