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その指が温かくなるまで。  作者: 銀子


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第9話 悪夢払い



 目を開けると、薄い明かりに照らされた天井が見えた。カーテンは外の光を完全に遮断しているが、恐らくまだ夜明け前だろうとセナは思った。いつからか、なにもなくとも夜明け前には目が覚めるようになっていた。

 隣のベッドを見やると、小さく縮こまったままのエマが、静かに寝息を立てていた。どうやらちゃんと眠ってくれたらしい。

 体を起こし、ベッドサイドに置いた石を確認する。夜の間になにも感じることはなかったが、やはり外部からの接触はなかったらしく、石は置いた時と変わらぬ様子を見せていた。

 その時ふいに、小さく声が聞こえた。振り返ると、眠るエマの表情が、少し苦しげなものになっていた。嫌な夢でも見ているのか、上掛けから少しだけ見える手も、強く握りしめられている。

 セナはベッドから降りると、眠るエマの額にそっと指先を触れさせた。

 口の中で小さくまじないを唱える。簡単な悪夢払いだった。そのまま指先を離すと、僅かな間を置いて、エマの表情が徐々に和らいでいく。効果はあったようだった。

 静かに離れ、自分のベッドに戻る。あまり音を立ててもよくないと思い、枕元に置いたウエストバッグの中身を改めることにした。前の仕事を終えた足でそのまま今の仕事が始まってしまったが、呪具や札の類はまだいくつかあり、数日護衛を務めるだけなら充分に思えた。

 やがて夜明けの気配が感じられ始めた頃、隣のベッドでエマがもぞりと動いた。振り向くと、淡い色の瞳がうっすらと開かれたところだった。

 エマは何度か瞬きし、ぼんやりとセナを見つめていたが、次第にその表情が覚醒し始め、はっと目を見開いたかと思った瞬間、突然体を起こし、ベッドの上で後退った。

「大丈夫ですよ。なにもしてませんし、なにもしません」

 エマの心情をなんとなく察しながら、セナはベッドの上から動かないようにした。ここで下手に動けば、悲鳴でも上げられかねない。

「なにを、していたの」

 エマの視線が、セナの手元に落ちる。

「呪具や札の確認です。あなたの護衛を務めている間、不足しないかどうか。問題ありませんでしたので、安心してください」

 エマはしばらくセナのことを見つめていたが、やがて俯くと、なにかを考え込むような表情を見せた。しばらくそうしたあと、再び顔を上げ、どこか怪訝そうにセナを見つめる。

「本当に、なにもしていない?」

「してませんよ、あなたを害するようなことは。言ったでしょう、俺はあなたの護衛なんです」

 悪夢払いをかける為に触れたのは、さすがにカウント外にしてもらいたいと思った。苦しそうなエマを見て、とっさにしてしまったことだった。

 もしかしたらなにかを感じたのかもしれないが、あれはただのまじないに過ぎず、気配が残るようなものではない。感じたとして、己の体調の僅かな変化ぐらいだろう。

 エマはそれでもなおセナを見つめ続けていたが、やがて再び俯くと、ぽつりと言った。

「着替えるわ。背を向けてちょうだい」



 エマが着替え終わり、すべての身支度を終えた頃、ようやくカーテンを開ける。奥にはもうひとつレースのカーテンが引かれており、薄い膜越しに朝日の差す街並みが見えた。

 振り返ると、エマがカーテン越しの街並みを見つめていたが、心なしかその顔色が少し悪いような気がした。

「あまり眠れませんでしたか?」

 エマの視線がセナを向く。問われた意味を問うているようだった。

「顔色が優れないので」

 加えて言うと、エマはセナのことをじっと見つめたかと思うと、ふと視線を落とした。

「慣れない場所、だったからかしら」

 それだけではないであろうことは、昨日の様子から察せられた。まったく、なぜ同室で構わないなどと言ったのか。今日泊まる時は、なにを言われても部屋を分けようとセナは思った。

「朝食はどうされますか?」

 尋ねると、エマの視線がセナに戻る。

「貴方はいつも、どこで摂っているの?」

 その返しに、セナは昨日の夜のことがよぎった。先んじて言う。

「また屋台になりますよ」

「構わないわ」

 セナは息をつき、トランクを手に取ると、エマと共に部屋を出た。



 訪れたのは、昨日と同じ屋台街だった。電球が消され、朝の白い光を受けた屋台街は、既に多くの人で賑わっている。連なる屋台のひとつに足を止めると、セナは黄色い肌の婦人に声をかけた。

「二つくれ」

 小銭を渡すと、片言ながら快活な返事と共に、すぐに料理が皿の上に盛りつけられていく。紙皿に乗せられたのは、薄く黄色に色付いた米と、大雑把に切られた肉、いくらかの葉野菜だった。プラスチックのスプーンが最後に差し込まれ、受け取ったそれを、空いた左手で纏めて持ち、そのまま机がある場所へと向かった。

 昨日と同じく、椅子を気持ちばかりに拭き、エマを座らせる。目の前に置かれた皿を、エマはどこか不思議そうな面持ちで見つめていた。

「米は、食べたことはありますか?」

「ええ、何度か」

 セナが向かいに座ると、エマはスプーンを手に取り、盛りつけられた米にそっと差し込んだ。その窪みの半分ほどに米を乗せ、静かに口に運ぶ。そしてそのままゆっくりと咀嚼し、飲み込んだ。

 黙って見守っていると、スプーンは再び米に差し込まれ、口に運ばれていく。どうやら、味に問題はないようだった。セナは安心し、自分も食べ始める。だが、昨日よりゆっくり食べることを心がけたものの、やはりエマより相当早く食べ終わってしまった。

 エマの方はというと、相変わらずスプーンに半分程度を掬い、それをちまちまと食べている。なにを食べるにしても一口が小さいのだなと、セナは思った。それに加えて胃袋も相当に小さいようで、恐らくこれも半分ほど食べた頃、こちらに寄越されるのだろう。

 黙々と食べ続けるエマを、なんとはなしに眺める。食べ慣れていないであろうものを文句も言わずに食べてくれるのはありがたいのだが、一体なにを考えているのか。

 ホテルのことに関しても、同室で構わないと言ったくせに、こちらが寝るまで眠らないなど明らかな警戒を見せ、風呂上がりの自分に無防備に近付いてきたかと思ったら、洗面所では緊張に体を固くしていた。

 この一貫性のなさはなんなのか。それとも上流階級の令嬢というものは、こういうものなのだろうか。

 そんなことをつらつらと考えていると、エマが食べる手を止めた。皿の上は半分ほどに減っている。

「満足したわ。あとは、貴方が食べてちょうだい」

 予想されていた展開だったので、受け取って残りを食べ切る。紙皿とスプーンを纏めてゴミ箱に捨てると、エマを振り返った。

「今日はどこに行きますか?」

「そうね……」

 椅子から立ち上がったエマが、立ち並ぶ屋台を見回した。


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