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その指が温かくなるまで。  作者: 銀子


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第8話 なにもしませんよ



 一通り拭き終え、シャツを身につける。タオルを洗面台傍の棚に置いてベッドの方に戻ると、エマはまだ自身のベッドに座り、髪を拭いていた。髪が長い分、乾かすのにも時間がかかるのだろう。だがそれを見ながら、セナはふと思った。

「ドライヤーは使わないんですか?」

 自分は適当に拭けば乾くのでほとんど使ったことはないが、エマほど長ければ、使った方がいいはずだ。だがエマは拭く手を止めると、振り返って言った。

「それは、なあに?」

「髪を乾かす道具です、が……」

 答えつつ、そんな反応をするということは、あの屋敷にドライヤーはなかったか、少なくともエマは使ったことがないのだろうことがわかった。

「洗面台にありましたので、使い方をお教えしましょうか?」

 そう尋ねると、エマは少し迷うような表情を閃かせたあと、ためらいがちに言った。

「……お願いするわ」

「では、こちらへ」

 洗面台のあるドアを開けて促すと、エマはバスタオルを持ったまま中に入った。ガラスのドア越しにシャワールームのある狭い空間にセナも入り、湿気が部屋に広がらぬよう、後ろ手でドアを閉める。

「これがドライヤーです」

 エマの後ろから手を伸ばし、洗面台の脇に置かれたシンプルなドライヤーを袋から出すと、コンセントに繋ぐ。

「で、このスイッチを入れると風が出るので……」

 言いながらスイッチを入れると、大きな音と共に温風が吹き出し、エマがびくりと体を震わせた。

「あ、すみません……」

 慌ててスイッチを切る。風の止んだドライヤーを見つめたエマが、か細い声で言った。

「随分、大きな音が出るのね」

「えっと……使えそうですか?」

 恐る恐る尋ねると、鏡の方に向き直ったエマが、僅かに俯き、どこか不服そうに呟いた。

「貴方が、やってちょうだい」

「髪に触れることになりますが……」

「構わないわ」

 両手でバスタオルを握りしめたままのエマが、その身を硬くしていることに、セナはようやく気付いた。自分は特に気に留めることもなかったが、こんな狭い空間で、父の配下とはいえ男が傍にいることが、不要な緊張を強いているのかもしれない。ならばせめて、早く終わらせるべきか。

「では、失礼します」

 再びドライヤーのスイッチを入れ、しっとりとした銀糸を一房手に取る。自分の髪であれば適当にひっかき混ぜて乾かすところだが、この髪にそれをやってはいけないことぐらいはわかった。

 内側から風を送り込んだり、梳くようにしたりしながら、丁寧に乾かす。そうして少しずつ乾かしていると、折れそうなほど細い首に巻かれたままの、銀色のチョーカーが目についた。

 恐らく当主につけられたであろうその呪具は、自分では外せないようになっているのだろう。だが寝支度をした姿には、少し窮屈にも見えた。

 結局相応の時間を要して髪を乾かし終え、最後にブラシを通す。エマは終始身を硬くしたままだった。

ドアを開けてセナが出ると、続いたエマが、早足で自身のベッドの方へと戻る。その手には、バスタオルが握られたままだった。

「エマ」

 呼びかけると、エマがはっとしたように振り返る。

「それ、もういらないでしょう」

 セナが手を伸ばすと、エマは一瞬戸惑うような表情を微かに浮かべたが、手に持ったものを指されているのだと気付くと、素直に差し出してきた。

 受け取ったそれを洗面台の棚に置き、再び部屋に戻ると、エマが自身のベッドの上に、今度はこちらを向いて座っていた。じっとセナを見つめる瞳には、警戒の色がある。

「寝ないんですか?」

「貴方が寝たら、寝るわ」

 纏う空気が硬い。今更ながら、身内でもない男と同じ部屋で眠るということを意識したのだろうか。

セナは少し考えてから言った。

「今からでも部屋を追加しますか? 空いているかはわかりませんが……」

「このままで、構わないわ」

 声は頑なだった。その目が、ベッドサイドに置かれた緑色の石をちらりと見る。そういえば説明していなかったな、と思った。

「簡単な結界です。侵入などないでしょうが、念の為」

「どういった、結界なの?」

「外部からの侵入を探知するものです」

「内と外を、隔離するものではなくて?」

 一瞬、なにを言われているのかわからなかった。内側で起こるものを外部から隔離する結界はあるが、このような場合に使うものではない。やはり今になって、自分を警戒しているのだろうか。

「同じ部屋で眠るのが落ち着かないのであれば、やはり別の部屋を……」

「このままで、いいと言っているのよ。早く、眠ってちょうだい」

 エマの頑なさは変わらない。セナは仕方なく自分のベッドに向かった。横になる前に、部屋全体に明かりを灯すスイッチに手を伸ばしかけ、エマを振り返る。

「明かりは消しますか?」

「少しだけ、つけておいてちょうだい」

「では枕元の明かりだけ、つけておきますね」

 ベッドサイドに設置されたランプを少し暗めにつけ、部屋の明かりを落とす。横になって目を閉じると、聞こえてくるのは空調の静かな音だけになった。

 目を閉じたまま、明日はどこへ行くのだろうかと考える。今日行ったのは、ファストフード店、桂花タワー、あとはセナがいつも行っている屋台街だけだ。街並みを見て歩きはしたが、特にめぼしいものがあるわけでもない場所だった。

 エマは、外という場所を楽しめているのだろうか。その表情からは、およそ喜びに類するものは見受けられず、心情を推し量ることもできない。もう少し楽しい場所に連れていくべきか、と思うも、彼女がなにをもってそれを感じるのかもわからず、それ以前に、セナはそういった場所に詳しくない。となるとやはり、行きたい場所に連れていくのが一番なのだろう。

 眠気はなかなか訪れなかった。護衛という慣れない仕事だからだろうか。そうは言っても、いつもの仕事のような危険性などなさそうではあるが。

 そう思った辺りで、隣から未だになんの音もしないことにセナは気付いた。目を開けて首を動かすと、エマはまだベッドの上に座ったままで、自分の方をじっと見ていた。

「そろそろ寝ませんか?」

「貴方が眠ったら、そうするわ」

「ではせめて、ベッドの中に入ってください。体が冷えてしまいます」

 室内は空調が効いているが、風呂上がりでなおひんやりとしていたエマの手を思うと、元より体温が低いのだろう。そうなると、あまり薄着の状態でいさせるのも心配だった。

 エマは少し悩む様子だったが、やがて上掛けをめくって中に潜り込むと、こちらを向いたまま横になった。体は警戒そのままに丸く縮こまり、その目は、やはりセナをじっと見つめている。

 その様子に、やはり強引にでも部屋を分けるべきだったかとセナは思った。これは本当に、自分が寝るまで眠らない気かもしれない。ならどうにか、少しでも早く眠るよう努めるしかなかった。

 視線を天井に戻し、目を閉じる。そして少しでも警戒を解けたらと口を開いた。

「なにもしませんよ。あなたは俺の雇い主の娘です。あなたになにかあったら俺の首が飛ぶんです。比喩ではなく。まぁこうして同じ部屋で眠ったことが知られても、同じ結果になるでしょうが」

 そう言いながらも、セナはそれらをどこか他人事のように感じていた。

 命は惜しくなかった。いつ死ぬかわからない仕事を毎度生きて帰るようにしていたのも、そう命じられているからだった。今回これで死ぬのであれば、そういう仕事だったということだろう。そう思えるほど、セナは自身に対する執着を失くしていた。

「だから安心してください。そもそも俺の役目は、あなたの護衛なので」

 エマからの返答は一切ない。眠ったのか、まだ自分を見つめているのか、どちらにしろ、目を開けて確認しようとは思わなかった。この言葉で、少しでも安心してくれることを願うだけだ。

 そしてそんなことを考えながら、セナは少しずつまどろみの中に沈んでいった。




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