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その指が温かくなるまで。  作者: 銀子


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第7話 触ってもよくて?



 部屋に入り、設備の使い方を一通り説明する。ベッドの傍にエマの荷物を置いたあと、さてどうするか、とセナは思った。二つのベッドと小さな机、あとは椅子があるぐらいの小さな部屋には、当然ながら仕切りのようなものはない。となると、彼女が寝支度を済ませるまで、部屋を出ておくのが最も障りがないだろう。

 外から軽く結界でも張っておくか、などと考えながらドアへ向かうと、声がかけられた。

「どこへ、行くのかしら?」

「あなたが寝る支度を終えるまで、外に出ています」

「そんなこと、しなくて結構よ?」

「しかし、着替えたりするでしょう」

「背を向けていてくれれば、それで構わないわ」

 エマは表情ひとつ変えず、淡々と返してくる。セナはそれでも迷ったが、そもそもが同じ部屋で眠るのだ。ここで意固地になることもないだろうと、ただひとつだけ息をつき、ベッドの方へと戻った。



 いくつかの布擦れの音と、ドアの開け閉め、間を置いてシャワーの音が響き始めた頃、壁を向いたままだったセナはやっと息をついた。そして今のうちにと、外したウエストバッグから、深い緑色をした小さな石をいくつか取り出す。

 口の中で呪を唱えながら、それらをベッドサイドの机、窓際、ベッドとは反対の壁際に置き、最後にドア前の足下に置いた。簡単な結界だった。侵入者などないだろうが、連れているのは当主の娘だ。備えをしておくに越したことはない。

 自分のベッドに戻って、再び壁の方を向く。エマが自分で入浴を済ませられる娘であることに、セナは心底ほっとしていた。上流階級の令嬢の入浴事情など知る由もないが、体を洗うことすら使用人に任せ、それをここでセナに求めるようでは、さすがに対処できないと思ったのだ。

 いくらかの時間が経った頃、シャワーの音がやんだ。そこからしばらくして、ドアが開け閉めされる音がし、無きに等しい足音が、奥のベッドに向かう。その間もひたすら壁を向き続けていると、声がかかった。

「もう、結構よ」

 ゆっくりと振り返ると、自身のベッドに座り込んだエマが、タオルで濡れ髪を拭いていた。着ている簡素なワンピースは、恐らく寝間着だろう。セナを見つめるその顔は、風呂で温まったのか、頬が僅かに上気している。ふいによぎったのは、氷のように冷え切ったあの指先だった。

「温まれましたか?」

 そんな言葉が口をついた。浴槽に湯が張れない以上、芯からというわけにはいかないだろうが、それでも多少なりとはそうなっていればいいのだが。そんな思いからだった。

 するとエマの、髪を拭く手が止まった。じっとセナを見つめるその瞳は、どこか驚いているようにも見える。

 どうしたのだろうと思っていると、エマははっとしたように目を瞬かせ、僅かに俯いた。そして再び髪を拭き始めながら、ぽつりと答える。

「ええ」

 その顔は、一見すると感情の読めない、常のそれに戻っているように見える。だがその実、うっすらと困惑に彩られていた。

 おかしなことを聞いてしまっただろうか、と思った。やはりシャワー程度では温まるはずもなく、変に気を遣わせてしまったのかもしれない。いや、彼女の強引な性格上、そんなことはないだろうか。

 その表情の意味は汲み切れなかったが、明日は浴槽に湯を張ることも考えた方がいいかもしれないと、そんなことを考えながら、セナはシャワールームへと向かった。



 ホテルのシャワールームは狭く、セナの体格では息苦しさを感じるほどだった。適当に体を拭き、ボトムスだけを身につける。あとは部屋で拭こうと、首にタオルをかけて出ると、ベッドの上で髪を拭いていたエマと目があった。

 その瞬間、エマの髪を拭く手が止まった。その瞳は僅かに見開かれ、驚いたような表情を浮かべている。

 どうしたのだろうと思った矢先、彼女が名家の令嬢であったことを思い出した。着衣のない男など、当然見たことはなかっただろう。そこまで思い至っていなかった自分の配慮のなさに、申し訳なさと、しくじったという気持ちが混ざる。

「すみません、服を……」

 着ます、と踵を返そうとした時、エマがベッドを降り、どこか足早に歩み寄ってきた。先ほどまで浮かべていた驚きは収め、セナを見上げる。

「貴方、体も、黒いのね」

 想定外の言葉に、セナは少し遅れて返す。

「……はい」

 顔や手に、なにか塗っているとでも思っていたのだろうか。

 確かにあの屋敷には、セナ以外にこの肌の色の者はいなかった。だが表通りでは幾人か見かけており、屋台街では半数近くがそれだった。それでもそう思ったということは、本当に今まで、まったく目にしたことがなかったのだろう。

 するとエマが、セナの体を見ながら言った。

「触ってもよくて?」

「構いませんが……」

 そう答えると、エマがそっと手を伸ばし、セナの胸に触れた。風呂上がりにしてはひんやりした指先が、肌の上を滑る。

「なにも塗っていませんよ」

 どこか拭うようなそのしぐさに、セナが冗談めかして言うと、

「そのようね」

 と返された。本当に、なにかを塗っていると思っていたらしい。

 だがエマは、そう言ったあとも、なかなかセナの胸から手を離さなかった。手が触れているそこはちょうど、心臓の位置に当たる。彼女が呪術の類を使えないとわかっていても、緊張を強いられる場所だった。

 どうすべきか考えていると、見下ろすように俯いた髪から雫が滴り、エマの手の甲に落ちる。するとエマが、はっとしたように手を離した。

「ごめんなさい、風邪を引いてしまうわね」

 そう言うと、ベッドの方へと戻って再び座り込み、背を向けたまま髪を拭き始める。どうしたのだろうと思うも、背を向けたエマの表情は伺えない。

 気にはなったが、日頃から疑問を飲み込んで生きているせいか、それが口から出てくることはなかった。

セナは自身のベッドに座ると、髪を拭き始めた。




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