第10話 お守りが、ほしいわ
「この人達は、こういった食べ物を、どこで手に入れているのかしら?」
「恐らく近くの市場だと思われますが……」
言いかけて、セナははっとした。素直に答えるべきではなかった。案の定、エマは言った。
「なら、そこに行きたいわ」
「いけません」
思わず声が荒くなった。エマが振り返る。
「あの市場は、あまり治安がいいとは言えません。あなたを連れていくなんて以ての外です」
彼らの大半は、都市外から不法に入ってきた移民である。この屋台街も、役人が半ば目を瞑っていることで成立しているようなものだ。ここではよほどの隙を見せない限りカモにされることはないが、雑多な市場ではそうもいかない。スリは当たり前のように起こるし、エマのような見た目の者が行けば、身代金目的に誘拐されかねない。良くも悪くも法の適用されない場所なのだ。
だがそんなセナの危惧を、エマはまるで気に留めない風情で見上げてくる。
「貴方、わたくしの護衛なのでしょう?」
「そうですが、あえて危険なところに行くことはありません」
「でもわたくしは、行きたいわ」
いつもの流れが来たと思った。だがそれでもセナは断るつもりだった。そして淡い色の瞳が、セナを見据える。
「わたくしがいいと言っているのよ」
だめだと言おうとした。そのつもりだった。だがなぜか、口が動かなかった。拒絶の言葉が、音として出てこない。それだけでなく、幾度となく繰り返されてきたエマのその言葉に、セナはなぜか今、奇妙に逆らいがたいものすら感じていた。まるで、なにかの呪でもかけられているかのように。
セナはどうにかだめだと言おうとし、どうあがいてもその言葉が口から出せないのだとわかると、やがてひとつ息をつき、諦めとともに言った。
「……わかりました」
言葉はするりと出てきた。抵抗したのはセナの心だけだった。本当は、連れて行きたくなどないというのに。
呪をかけられたのかと、ほんの一瞬思ったが、そのようなものをかけられた感覚はなかった。常人ならば気付かないだろうが、セナは違う。かけられて、気付かないはずがない。ではこの感覚は、なんなのか。
困惑するセナを、じっと見据えたままのエマが、静かな声で言った。
「では、案内してちょうだい」
屋台街にほど近い場所、古びたビルに押し込められるような一角に、市場はあった。襤褸を張ったいくつもの露店と、そこを行き交う多くの人が、遠目からでも見える。
「入る前に、お願いしたいことがあります」
セナは市場の少し手前で立ち止まると、隣に立つエマを見下ろした。
「この先では、俺と手を繋いでください。そして、絶対に離れないでください」
「わかったわ」
差し出された、白く華奢な手を掴む。その手は昨日と変わらず、氷のように冷たかった。半ば温めるような思いで握り、セナは歩きだした。
露店は、道の奥まで長く続いていた。並んでいるのは、香辛料や肉、魚、甘く濃厚な香りを放つ果物、それらに紛れるように服や靴、雑貨の類が並んでいた。真っ先に鼻につくのは、香辛料のキツい匂いで、それらに魚の生臭い臭いや果物の匂い、人の体臭や煙草の臭いなどが混ざり合う。辺りを行き交うのは、黄色い肌や浅い褐色の肌をした人々で、白い肌の者は数えるほどしかいない。そこここで聞き慣れない言語や、片言の言葉が飛び交っている。歩きながら、セナは隣のエマを振り返った。
「大丈夫ですか?」
人混みと、身長差ゆえの距離があるので、少し覗き込むように頭を屈め、声を張る。どうにか聞こえたようで、エマは前を見つめたまま、ただ一言言った。
「ええ」
「気分が悪くなったり、もう充分だと感じたら、すぐに言ってくださいね」
「わかったわ」
エマの表情は変わらない。元より白い肌のせいで顔色が分かりづらいが、少なくとも今のところは悪くなってはいなさそうだった。
露店の店主や行き交う人々が、エマをちらちらと見る。当然だろう。およそこんな場所にいるような少女ではない。それでもなにかしようとしないのは、隣にセナがいるからだと思われた。自分の見た目がある程度威圧として働くことを、セナは知っていた。
しばらく歩くと、突然手が引かれた。立ち止まって振り返ると、エマがある露店の前で立ち止まり、並ぶ品に目をやっていた。一見普通の装飾品を扱う店のようだが、並んでいるのはほとんどが呪具だった。
店番をしていた黄色い肌の老婆が、エマを見上げてしわがれた声を出した。
「きれいな、お嬢さんだネ。安くしておくよォ」
セナは、エマの隣に立った。
「なにか気になるものがありましたか?」
呪術を扱えないエマに、呪具は必要ない。なぜここで立ち止まったのだろうと考えていると、並べられた装飾品を見ながら、エマがぽつりと言った。
「お守りが、ほしいわ」
「お守りですか?」
「そうよ。貴方が、選んでちょうだい。わたくしに、合うものを」
相変わらずどこか不自由そうに話すエマの瞳が、セナに向けられる。その表情は、やはりなにを考えているのか読めない。セナは仕方なく、並べられた品を眺めた。
護りの呪具として使えそうなものはいくつかあったが、どれも実戦では使えない、文字通りお守りにしかならなさそうなものばかりだった。だが要求されている以上、選ばなければならない。
「じゃあ、これを」
エマの手を束の間離し、手に取ったのは、黒い石が嵌め込まれた銀製の指輪だった。男物なのか、やや大きい。それを見た老婆が、別の指輪を指した。
「お嬢さんには、ちょっと大きいんじゃァ、ないかい? これなんか、どうだい?」
示したのは、赤い宝石の嵌め込まれた銀製の指輪だった。華奢な造りをしており、エマの手にも合いそうに見える。だがそれは、相手を呪う為の呪具だった。
「護りの呪具がほしいんだ。それじゃあ逆効果だろう」
軽く睨むと、老婆は歯の不揃いな口を開けてからからと笑った。
「よくわかったねェ。お兄さん、もしかして呪術師ってやつかい?」
まったく悪びれる様子もない老婆に、セナは溜め息をついた。
「これはいくらだ」
黒い石の指輪を見せて尋ねると、性能とおよそ釣り合わない、かなりの高額を提示された。セナは顔をしかめる。
「護りの呪具と偽って呪いの呪具を売りつけようとしたと、吹聴するぞ」
半ば脅すように言うと、老婆はまたも笑い声を上げ、最初に提示した額の半分を示した。それでもまだ少し高かったが、これ以上やり取りを続けたくなかった。
示された額を渡すと、それを懐にしまった老婆が、脇に置いた小箱をごそごそと漁り、取り出したものをセナに差し出した。
「これも、おまけしてあげるよォ。その細い指じゃ、つけられないだろうからねェ」
老婆が寄越したのは、細く長い銀の鎖だった。これに指輪を通せということらしい。受け取ると、老婆はニヤニヤと笑いながら、口の横に手を添えて言った。
「だから、内緒で、お願いよォ」
礼を言おうとしたセナは、代わりに溜め息を返し、指輪と鎖を懐にしまうと、エマの手を取って店を離れた。




