第5話 小さな屋敷
入り口で二人分のチケットを買い、展望台へ続くエレベーターに乗る。桂花街でも指折りの観光スポットとあって人は多かったが、中はそれなりのゆとりが保たれた。
ドアが閉まり、階数表示がカウントアップし始めた頃、桂花タワーについての説明をする自動アナウンスが流れ始める。それを聞くとはなしに聞きながら、セナは階数表示から視線を外し、自分の前に立つエマを見下ろした。
エマは他のほとんどの客と同様、黙ったまま前を見つめていたが、その後ろ姿は、どこか固い雰囲気を纏っている。緊張しているのだろうかと思ったが、どちらかというとそれは、警戒に近いもののように感じられた。
あの屋敷には当然だがこういった移動手段はなく、推測するまでもなく、エレベーターに乗るのが初めてなのだろう。加えて、見知らぬ人間が多く詰められた密室でもある。だとしても、警戒を抱くような危険な状態ではないのだが。
セナは声を届かせようと少し前屈みになり、小さくエマに尋ねた。
「大丈夫ですか?」
するとエマがびくりと肩を跳ねさせ、その体が一瞬動きかけて止まる。驚かせてしまったようだった。外でも同じことをやってしまったということを、やってから思い出した。
だがエマは強まった警戒を緩やかに解くと、前を向いたまま、静かな声音で言った。
「大丈夫よ」
またしても驚かせてしまったことを謝ろうと思ったが、それより先にエレベーターは展望フロアに到着してしまった。セナ達も、他の客に流されるようにフロアへと出る。
そのフロアは外周を大きなガラスに覆われており、眼下には広大な桂花街がよく見えた。
先を歩くエマが、ガラスの傍で立ち止まる。しばらく眼下の景色を見つめていたが、やがて、ねぇ、と呼びかけてきた。少し後ろにいたセナは、傍に歩み寄る。
「はい、なんですか?」
「屋敷は、どこ?」
セナは、桂花タワーから少し離れた、森に囲まれた白い建物を指した。
「あそこです。あの奥にある、緑に囲まれた場所です」
エマの首が少し動き、そちらを向く。じっと見つめたかと思うと、やがて呟くように言った。
「あんなに、小さいのね」
そう言ったきり黙り込む。窺った表情から読めるものはなかったが、その目はずっと、屋敷の方を見つめていた。そんなエマに、セナもつられるようにして屋敷の方角を眺めた。
近代的な街並みからやや浮くようにして存在している森と、その奥に佇む白い建物。思えばこうして遠くからあの屋敷を見るのは、セナも初めてだった。
子どもの頃に連れて来られた時は、果てがないような広大な敷地に思えたが、こうして見ると、広大ではあるが果てもある、ひとつの区画に収まった場所なのだと改めて感じた。小さいと称したエマも、同じような気持ちになったのかもしれない。
そんなことを思っていると、ふいにエマが体を返して歩き出した。ゆっくりとした歩調でガラス沿いを歩くエマのあとに、少し離れてセナも続く。エマは時折立ち止まって景色を眺め、思い出したように歩き出しては、また立ち止まって眺めるというのを繰り返し、時間をかけて広い展望フロアを一周した。
やがて歩き疲れたのか、ガラスとは反対側の、壁沿いにある長椅子に腰掛ける。セナはその視界を妨げぬよう、長椅子の隣に立った。
「貴方は、座らないの?」
エマが見上げてくる。
「仕事中ですので」
「一人だけ、立っている方が、不自然で目立つのではないかしら?」
そう言われると、立ち続けづらい。さすがにこんな場所では危険も少ないだろうと判断し、セナは少し間を空けて、エマの隣に座った。
薄く警戒を纏いながら辺りを窺うセナに対し、エマはじっとガラスの方を見つめていた。
平日であるものの、客はそれなりに多く、家族連れやカップルが目につく。エマの人形じみた美しさが目を引くのか、ちらちらとこちらを見る者もいたが、興味本位のそれに留まり、危険を及ぼすような気配はなかった。
どれだけの間そうしていたか、前を見つめたままのエマが唐突に言った。
「次は、どこへ行こうかしら?」
問いとも独り言とも取れるそれに、返すべきか迷っていると、エマがこちらを振り向いた。問われていたらしい。
「行きたいところがおありでしたら、お連れしますが……」
「どこでも?」
「行ける範囲であれば」
「それは、どこまでかしら?」
「おそらく街を出ることは許されないと思うので、この街の中、になりますね」
そう答えると、エマは視線を前に戻した。そうしてしばらく黙したあと、ぽつりと呟くように言った。
「では、この街を、見たいわ」
そっと音もなく立ち上がる。そのままエレベーターに向かうエマに、セナは続いた。
街を見たいと言ったエマは、その言葉の通り、街並みを見て歩いた。
大通り、小売りの店が並ぶ路地、公園、そしてその中で暮らす人々。それらをただ、眺めて歩いていた。だが最初に街並みを眺めていた時とは違い、物珍しさに起因する色が宿るわけでもなく、淡々とそれらを見つめるだけだった。
傾いた日が橙を帯びてきた頃、通りのベンチで休んでいたエマが、人通りを眺めながら言った。
「貴方はいつも、どこで食事を摂っているの?」
少し早いが、夕食の時間としても差し支えない頃合いだった。またも座ることを求められたセナは、エマの隣に座ったまま、周囲を軽く警戒しつつ答える。
「屋台街の屋台ですが……」
だがそう答えかけ、もしやと思うも遅かった。
「では、そこに連れていってちょうだい」
予想通りの言葉に、セナはエマを振り返ると、声にやや窘める色を乗せる。
「あそこはあなたのような人が行くところではありません」
だがセナを見つめ返してきたエマは、変わらぬ涼やかな表情で言った。
「わたくしがいいと言っているのよ」
もはや常套句となりつつあるそれに、この先何度もこれで従わされるのだろうな、とセナは微かな予感を覚えた。
だが多少の心配はあるものの、自分がいれば屋台街程度、危険はないだろう。万が一食べられないとなれば、自分が食べればいい。その場合、彼女の夕食を別途考えなければならないが。
先々のことが色々と思いやられ、セナは内心で深く息をついた。




