表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その指が温かくなるまで。  作者: 銀子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/34

第32話 白肌の犬



 エマは小さな布包みを持っており、その中には札や簡素な呪具がいくつか入っていた。ジュリエットが持たせてくれたということだったが、それ以上に聞きたいことがあった。

「どうやってここまで来たんですか。いえ、どうやってあの家を出たんですか。あいつには絶対にあなたを家から出すなと、強く言ってあったはずなんですが」

 するとエマは、どこか気まずそうに俯いた。

「……呪を、使ったの。彼女の名前も入れて」

 その言葉に、セナは軽い驚きとともにエマを見つめた。ジュリエットは決して約束を違えない。エマがどれほど頼み込んだところで、それを容れることは絶対になかっただろう。それゆえにエマは呪を使ったのだ。だがこの様子を鑑みるに、決して安易に使ったわけではないのだろう。そしてその易くはない決断をさせたのは、間違いなく自分のせいだった。

 受けた呪いは重く大きなものだったが、帰せないものではなかった。両腕が折られる前には帰せるだろうと思っていたが、エマはそれを知らず、カメラ越しに見ていたのは、呪いを受けて腕を折られ、膝をついている自分だけだ。そんなもの、心配するなという方が無理な話だった。いっそモニターのある部屋から出させておくべきだったかと思うが、もう遅い。

 ほとんど麻酔に近い役割の札を腕に貼り付けている間も、エマは俯いたままだった。どう言葉をかけるべきか迷った挙句、セナは話題を変えることにした。

「彼女から渡されたのは、この布包みだけですか?」

 エマは首を振った。

「いいえ……」

 そう言ってポケットに手を入れ、折りたたまれた札を取り出して開く。

「これを、持っていなさいって。一度だけ、あなたを護るからって」

 それは護ることに特化した札、護符だった。しかも随分と高価なものだ。呪具や痛み止めの札もそうだが、いったいどういう風の吹き回しなのか。エマの口調からしても、命じたわけではないだろう。約束を違えることになったことへの、せめてもの埋め合わせだろうか。

「では、それを肌身離さず持っていてください」

 向こうがこれで諦めるとは思えない。新しい人柱を作って術式を成功させなければ、無二の呪術師としての立場も揺らぐ。奴らは躍起になってエマを殺そうとしてくるだろう。手段を選んでこない可能性もある。そうなった場合、自分はエマを護りきれるのか。今からでもジュリエットの家に戻すか――。

 まとまりきらない思考を遮ったのは、新たな人の気配だった。隠すこともしないそれが、ゆっくりと近づいてくる。

 やがてなにかを嗅ぐように鼻を鳴らす音がし、ひょうきんとも取れる高い男の声が聞こえてきた。

「血の臭いがするな。なるほど手傷を負っているのか」

 エマが身を固くする。血ならそこらじゅうの路地に広がっているだろうが、嗅ぎ分ける獣じみた嗅覚に、セナは少々嫌な予感がした。そうした動物的な特質は、得てして近接型のものであることが多い。手段を選んでこないだろうとは思ったが、とうとう忌避している近接型を差し向けることにしたのか。

 セナは布包みから呪具を取り出すと、エマの周囲に置いて即座に呪を滑らせた。

「なにがあっても、決してここから動かないでください。わかりましたね?」

 不安げに見上げてくるエマが、ゆっくりと頷く。セナは背を向けると路地を走り、気配のある方へ飛び出した。

 果たしてそこにいたのは、全身を白い衣服で包んだ男だった。詰襟の首元に、手には手袋をしている。暗闇に浮かび上がるようなその様子だけで、先ほどまでの追っ手とは違う雰囲気を感じた。

 肌の色は浅黒く、いくらか鍛えられた体つきをしている。同族ではないが、系統の近い呪術師だろうことが察せられた。

「お前が、犬か?」

 だしぬけに男が言った。それは屋敷で散々に聞かされた蔑称だった。黙したままでいると、男はセナの全身を眺めまわして言った。

「随分と満身創痍だな」

 かと思うと、辺りをきょろきょろと見回す。

「お嬢さんはどこ行った? まとめて死体にしろと言われてるんだが」

 だが元より答えは期待していなかったのか、そのまま視線をセナに戻す。

「まぁいいか。どうせお前が呪をかけてるんだろうし、お前を殺して残滓を辿ればいい……なっ!」

 男が予備動作なく踏み出してきた。その手にはいつのまにか小振りなナイフが握られており、右腕を強襲したそれを、セナは体を捻って避けた。折れたままの右肘に鋭い痛みが走るが、顔をしかめる程度で済ませる。

 流れるような動きで次々とナイフが繰り出され、セナはそれを、紙一重で避けていった。呪を使っている様子はない。近接型同士の戦いではよくあることだった。これもまた、呪術師らしからぬと、遠隔型に蔑まれるゆえんのひとつだった。

 隙を縫って時折攻撃に転じるも、消耗の影響は無視できず、鈍った切っ先は男を捉えることができない。逆にセナの方は徐々に浅手が増えていった。そしてついには避けきれず、その刃をナイフで受け止めた。

 乗せられた重さに、足が僅かに地面を削る。男はその顔に軽薄そうな笑みを浮かべると、実に軽い調子で言った。

「お前さ、なんで白肌の犬なんかやってんだ?」

 セナは切っ先に神経を集中させながら、久しぶりに聞く呼び名だと、そう思った。殊更に侮蔑の意味合いはないが、肌に色を持つ呪術師の一部は、こう呼んで、自分たちと肌の白い呪術師を区別する。そこには彼らなりのプライドがあるらしかった。

「答える義務はない」

 そう言うと、男はふっと笑った。

「ようやく喋ったな。声を封じられでもしてるのかと思ったぞ」

「お前こそ、なんで白肌に従ってるんだ?」

 あえてそう呼んだのは、彼らのプライドに問いかけたからだった。白い肌の呪術師達が色のついた肌の呪術師を嫌うように、彼らもまた白い肌の呪術師をよくは思っていないはずだった。セナの一族がそうだったように。

「金になるからだよ」

 男はさらりと答えた。

「奴ら近接型に対して有利を取れないのはわかってるくせに、ろくに対策を取ろうとしない。それそのものが屈辱だと言わんばかりにな。だからその辺りの仕事を俺が請け負ってやってるのよ」

「遠隔型に防御の呪を入れたのもお前か」

「ああ。あれどうなった? まぁお前が生きてる時点で失敗だったんだろうが」

 心の奥底が、僅かにさざ波を立て、消えていった。そんなものが起きたことに、セナは自分のことながら違和感に似た驚きを覚えていた。

 呪術師が人を物のように扱うのは、別段珍しいことではない。セナがただの駒であるように、エマが人柱であるように、有用か否か、使えるか否かという、合理的でまっとうな判断のもとに、すべてを動かしていく。セナ自身、人間を形代代わりにする一族の呪術に、さほどの感情も持ってはいなかった。エマが見ているなら、また怖がらせてしまうのではないかと、そう思った程度だ。

 だからこのさざ波は、酷く不可解なものだった。それは自分が、ただの駒から逃げ出そうとしているからかもしれなかった。

「まぁあんまりお喋りしてるのもよくないか。遅くなるとうるさそうだしな」

 刃の重さが増した。強く弾かれ、体勢が崩れる。男が瞬時に屈み込み、手にしたナイフをセナの脇腹に突き刺した。痛みに顔をしかめる。セナはそのまま男の脳天にナイフを振り下ろそうとしたが、それより早く、男は身を引きながらナイフを横薙ぎに払った。

 深く裂かれた腹から大量の血が溢れる。耐えきれずセナはその場に膝をついた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ