第30話 与えられた力
三人が現れる。いよいよ警戒が勝ってきたのか、すぐさま呪いを差し向けてくることはしなかった。だがそれはそれで好都合だった。
こちらから距離を縮め、慌てて札を出そうとする一人の腕を切りつけ、次いで首を裂く。追尾の呪を発動したままだった一人は、さらに簡単に首を裂けた。
三人目は、札を出すことすらできていなかった。セナはその首を狙い、ナイフを振るう。
だが刃はガラスの上を滑るような手応えとともに、皮膚の上を滑った。
防御の呪だった。違和感があった。彼ら肌の白い――遠隔で戦う呪術師は、そういった呪をまず使わない。札や呪具で対応するからだ。それゆえに、距離さえ詰めればセナが優位を取れるのがほとんどだった。
そんな違和感にほんの一瞬動きを止めたセナの隙を突くように、男が後ろ手に持っていた短刀を薙ぎ払った。
とっさに身を引いたセナの頬を、切っ先がなぞる。セナはそのまま後退して距離を取った。
短刀を持つ男を改めて見やる。だがやはりその肌の色は、遠隔の呪術師達のそれと同じで、体格も、防御の呪を編み込めるほど鍛えたようには見えない。
「不思議そうだな」
短刀を構えたまま男が言った。セナはその姿から目を逸らさず答えた。
「あんたらが蛮族の呪を使うとは思わなかったよ」
先ほど蔑んできた男がいたように、彼らは近接型を見下すだけでなく、その呪術も原始的なものとして忌み嫌っている。そもそも系統が違う為に、仮に使おうとしてもすぐさま使えるものではないのだが。つまりこの男は、元より主たる戦法が近接型ということになるが、それでもにわかには信じられなかった。
「信じる信じないはお前の自由だ」
男はセナの心を読んだかのように言うと、地面を蹴りつけ距離を詰めてきた。
振りかぶられる短刀を、ナイフで受け止める。多少の重さはあるが、膂力はそれほど感じられない。噛み合わない感覚が、さらに強くなった。
弾いて腕を切りつけるが、衣服は裂けたものの、やはりその下の皮膚は手応えなく滑る。
男の身のこなしは軽く、次々と短刀で切りつけてきた。それらは難なく避けられるものの、有効打を出すことができない。切りつけた刃は、すべて皮膚の上を滑っていく。ナイフに呪を乗せようにも、男はその隙を与えなかった。
その時、避けて踏みしめたはずの地面が、ふいに滑った。疲労は想像以上に蓄積していたようだった。
短刀が迫る。首を狙うその刃を、セナはとっさに素手で握って止めた。
すると男が、はっきりとした動揺を見せた。奇妙な反応だと思った。近接型なら己が手で刃を止めることなど、よくあることだからだ。
違和感がなにかの形を得た。セナはそのまま力を籠めると、短刀を握った手を強く横に払った。
短刀はあっさりと男の手から離れた。男の動揺が強くなる。セナは短刀を投げ捨てると、その手で男の手首を掴んだ。衣服越しに、異様な体温が伝わってくる。呪の負荷に体が耐えられていないのだ。
「お前、生来の近接型じゃないな」
男は手を振りほどこうともがくが、手首を掴んだセナの手はびくともしなかった。
「早く解かないと、死ぬぞ」
気が付けば、男は肩で息をしていた。相当に苦しいはずだが、それでもなお必死にセナを睨みつける。
「お前を連れ帰れば、解かれることになっている」
つまり、誰かに無理矢理呪を編み込まれたということだろう。だがあの屋敷に近接型はセナしかおらず、遠隔型にこの呪は使えない。となると外部から呼んだのか。
そんな権限があるのは当主しかおらず、そして当主は、そんな口約束は守らない。つまりこいつは、どうあっても死ぬのだ。
湧いた憐憫がなにに由来するものなのか、セナにはわからなかった。それが憐憫であることにすら、気づいていなかったかもしれない。
掴んだ腕を引き、男の体を地面に倒す。
「ひとつだけ教えてやろう」
手首から手を放すと馬乗りになり、男の頭を掴んで上を向かせる。自然とその顎が開いた。
「この呪が唯一効力をなさない場所。それは口内だ」
呪を滑らせたナイフを、男の口の中に突き立てる。その体が硬直するが、悲鳴は上がらなかった。
やがて男の体はゆっくりと脱力していき、ナイフを引き抜いて手を離すと、倒れた男はもう動くことはなかった。
セナはその顔に手を伸ばすと、見開かれたままの目を閉じさせた。
ゆっくりと立ち上がり、男から離れる。だがその瞬間、唐突に背中に強い衝撃を感じ、セナはふらついた。
強い悪寒。呪い。易くはないもの。
即座に帰すための呪を唱え始めながら、背後を振り返る。そこにいたのは、別の追っ手らしき男達だった。呪いを放ったと思しき先頭の男が、鼻で笑ってセナを見やる。
「随分大人しく死なせてやったんだな。どういう風の吹き回しだ」
答えず、静かに呪を唱え続ける。だが今までのものとは重みが違った。容易に返させない強さがある。相手もそれをわかっているのか、セナの呪を遮ろうとすることなく続けた。
「だいぶ殺したようだが、そろそろ限界だろう。娘の居場所を答えろ」
その言葉に、セナは今更のように気付いた。こちらを捉えることなどおよそできなさそうな、驕った遠隔型を一帯にばらまいた理由。彼らの役割はエマを殺してセナを連れ帰ることではなく、セナを消耗させることにあったのだ。
だが彼らは恐らく、ただ捉えろ、もしくは殺して連れ帰れとしか言われていなかったのだろう。相性の悪い近接型とはいえ、相手は一人、さほどの労苦もないと。
結果彼らは、本来すべき対策もせず、死んでいった。人を駒としか思わない、あの男らしい手段だと思った。そしてその大量の死は、確かに効果を出していた。
呪の詠唱を続ける。食い込んだ呪いは徐々に体から剥がれつつあった。男が顔をしかめ、懐から札を取り出して呪を唱える。すると背に負った呪いが重さを取り戻した。
指先が凍てつくように凍え始め、それとは逆に、心臓から焼けるような痛みが広がり始める。強い嘔吐感に加え、視界が渦を巻くように歪み始めた。
「さっさと答えろ」
足元が定まらず、思わず膝をつく。胸元と脚の傷からは血が滲み出し、衣服に滲んでいた。
それでもどうにか詠唱を続け、それ以上の侵食をとどめていると、男が苛立ったように片手を上げた。
後ろにいた二人の男が歩み出て、セナに近づいてくる。抵抗することもできず、右腕を取られた。なにをされるかすぐに予想はついた。
そして、せめて詠唱を止めないよう唱え続けるセナの肘が、逆方向に折られた。




