第29話 形代の呪
「この世界では、いかに相手を出し抜くかがすべてなの。それを見抜けなければ、見抜けなかった方の負けってことね」
エマは再び警戒を強めた。彼女にはどこか不穏なものを感じていたが、それは間違いではなかったのだ。
「あいつはそうじゃないと思ってる? この世界で長く生きてきて、ただ誠実に過ごしてきたなんてあるわけないでしょう。あたしが全部知ってるってことも、知ってるかもしれないわよ?」
「知っていたら、体なんて、差し出さないのではないの」
自分でも驚くほどの、低い声が出た。エマはそれを内心で驚いていた。だがそれが怒りによるものだとは、わからなかった。ジュリエットはそれをどう捉えたのかはわからないが、その表情と声を酷く穏やかにして言った。
「ねぇお嬢様。あなたがいた屋敷、この街ではどういう存在かわかっているかしら?」
エマは答えられなかった。エマは屋敷の中の、ほんの僅かな範囲のことしか知らない。ジュリエットもそれは承知しているのか、答えを待たずに言った。
「あたしはお金さえもらえたらどんな仕事でもやる。でもね、あれを敵に回すっていうのは、どれだけ積まれてもなかなか割に合わないのよね。例えあいつの口からすべてを聞かされていたとしても、全財産を寄越すと言われたとしても、引き受けたかはわからないわ」
「じゃあ、どうして引き受けたの。彼の血が、そんなに欲しかったの?」
「血は確かに魅力的ね。あの血にはお金に代えられない価値があるもの。でも理由としては、あいつが血を対価に差し出したから、かしらね」
意味が取れず怪訝になるエマに、ジュリエットは、勝手に調べたことだから、知ってるっていうことは内緒にしておいてほしいんだけど、と断って続けた。
「あいつの一族は、存続の為にあいつをあの屋敷に売った。まだ子どもの頃よ。酷い絶望だったでしょうね。そんな血でなければ、売られることもなかったのに。だからあいつは、自分の中に流れる血を嫌ってるのよ。なのに、それを対価とした。これがどういうことかわかる?」
それほどまでに嫌っているものを、なぜ対価として差し出したのか。それはエマを、自分を、逃がす為だ。
「どうして、そんなにしてまで……」
エマに、かつての自分を重ねていると言っていた。それだけではない理由もあるようだったが、セナ自身も上手く言えないと言っていたものを、どう捉えたらいいかわからない。
セナは、エマが今まで与えられたことがなかったものを、たくさん与えてくれた。そしてそれは、エマの心を温かくした。その行為をなんと呼ぶのかエマは知らなかったが、そんなセナが死ぬのは嫌だった。
けれどセナの方はどうだろう。エマはセナに対して、なにかを与えた記憶はない。ずっと警戒していて、それだけだったはずだ。なのに、セナは――。
「なにか難しいこと考えちゃってる?」
ジュリエットの声に、エマはいつの間にか俯きがちになっていた顔を上げた。また自分は、感情を表に出してしまっていたらしい。それにしても、難しいこと、とは。
「そんなに考え込むような理由じゃないと思うわよ」
窺うようにするエマだったが、ジュリエットはそれを教えることなく、再びモニターに目を戻した。
「まったく。もともと自分の命には頓着がない奴だったけど、そこまで投げ捨てられるとはね」
エマも再びモニターのセナに目を向ける。見下ろす形に映るカメラでは、背を向けたセナの表情はわからなかった。
ナイフについた血を、倒れた男の服で拭う。さすがに少し息が上がってきていた。
足元には、六人分の死体が転がっている。仕留め切る前に、別の組に見つかったのだった。
だが呪を使わせなければ、使っても防ぐことができれば、それは脅威にはならない。屋敷の呪術師達がセナのような近接型を格下と蔑んでいるのは知っていたが、対峙して負けるとはおよそ思っていないようだった。そしてその慢心がこんなにもあっけない死を呼ぶことになっている。これでは今まで仕事で殺してきた呪術師の方がよほど手強かったかもしれない。
そんなことを考えていると、ふいに人の気配が近づいてくることに気づいた。足音を忍ばせ、路地の奥に隠れると、三人組の追っ手が姿を現した。地面に転がる死体に、動揺したような声が聞こえてくる。呪の残滓を追うように追尾の呪を発動させたが、呪を使わずに殺したセナを追うことなどできるはずもなかった。
ひとつ、ふたつ呼吸をし、三度目の息を吸ったところで飛び出した。
呪を使っていない一人を切りつける。だが二人目は反応が早かった。身を逸らして刃を避け、札を構える。呪を唱えようとするが、セナが札を持ったその腕を切りつけると、痛みに顔を歪めて詠唱が止まった。男は左手で右腕の傷を抑えるようにしたが、近接型の前ですべき行動ではなかった。首元が空き、セナは即座にそこを切りつける。
背後で呪の気配。気付くと同時に身を翻すと、飛び出してきた呪いがセナの腕に食らいついた。男の顔に優位を得た笑みが浮かんだが、セナは呪を唱えるとその呪いを帰した。
男の元へと返った呪いは、その首に大きな裂傷を生んで主を殺した。その体が崩れ落ち、再び静寂が戻る。だがそれから僅かな間も置かず、遠くから駆けつけてくる複数の足音が聞こえてきた。さっきの呪を察知されたのか。ならば逃げても意味はない。追尾の呪を使っている者を殺さなければ、延々と追われるだけだ。
現れたのは、幸いに二組六人だった。追尾の呪を使っている二人を除いた四人が、手柄を競いでもするように、てんでばらばらにセナに向かって呪いを放った。さすがに四つもの呪いを一度に受けることはしたくない。カメラを通してエマが見ているかもしれないが、逡巡は一瞬だった。
セナは足元に倒れていた瀕死の男の腕を掴み上げると起こし、盾にするようにかざして呪を唱えた。最後に一言、
「お前は、俺の形代だ」
その体の心臓部に、背中からナイフを突き刺す。襲い来る呪いはすべてその男を包んだ。
即座に投げ捨てると、声にならない絶叫を上げ、男だったものが血まみれの肉塊と化して地面に崩れ落ちる。それを見た追っ手達が、一様に驚愕の表情を浮かべた。
「……蛮族の呪は、実に品がないな」
一人が嫌悪交じりに呟いた。
「呪術に綺麗も汚いもないだろう」
どのように繕ったところで、根底にあるのは呪いだ。そこに大きな差はない。
即座に地面を蹴る。遠隔型の呪術師は近接の攻撃を受けることがほとんどない。それを体現するように反応の鈍い一人の首を切りつける。 動揺した相手の命を刈るのは易かった。
動揺は伝播する。そして揺らぐ心で使った呪いは放たれることなく主に返る。もう一人を殺す間に、二人が己の呪いに食われて崩れ落ちた。
残った二人は冷静だった。呼吸を合わせるようにして同時に呪いを放つ。ふたつの呪いが一度にセナを襲った。
かざした両腕に食らいつき、体を蝕もうとする。二人の呪術師の顔に笑みが浮かびかける。が、それもすぐに硬直する。呪を紡いだセナの口が静かに告げた。
「帰れ」
ふたつの呪いが身を翻し、放った主に返る。呪いは主の身を引き裂いてその命を潰えさせた。
二つの体が崩れ落ち、辺りは再び死体だけになる。セナは極力穏やかな呼吸になるよう、肩をゆっくりと上下させた。
さすがに二体を同時に帰すのは、やや無茶があったらしい。胸の傷口が開いた感覚があった。だがジュリエットのカメラがどこに仕掛けられているのかわからない以上、余裕のない有様をエマに見せるわけにはいかなかった。
不要な心配をさせたくない。いつもと違い、受け身の状況が不慣れであるとはいえ、それもすべて自分の実力のうちなのだ。
そんなことを考えていると、その血の臭いが引き寄せたのか、また新たに人の近づく気配がした。だいぶ殺したはずだが、追っ手はまだまだいるようだった。




