第28話 差し出した対価
街灯のない路地は、闇に包まれていた。ともすれば自分の指先すら見えないような暗さだったが、暗闇を見通す呪を自身にかけたセナには、昼間と同じように見通すことができた。
だが恐らく、向こうも同じ呪を使っているだろう。人工的な光源といった、自身の居場所を知らしめるようなものを使うほど、彼らは愚かではない。だが彼らとセナとでは、違うものがあった。
その最たるもののひとつが土地勘だった。セナは移民の多く住むこの近辺を知り尽くしているが、大多数の、主に肌の白い呪術師であれば、こんな場所は近づくことすらしない。そしてそれは、戦いにおいて圧倒的な差となるものだった。それに加えて、もうひとつ。
入り組んだ路地の中、ジュリエットの拠点から最も近い一組に近づく。一人が手元の呪具で追尾の呪を発動させ、ほかの二人と何事かを話している。こちらに気づいている様子はなかった。
静かに地面を蹴りつけ、背後に近づく。限りなく消された気配に向こうが気づいたのは、セナがすぐ傍まで迫った時だった。
一人の首を難なく切り裂き、札を取り出そうとしたもう一人も返す手で切りつける。呪具を持った最後の一人は、追尾の呪を発動させているせいで反応が遅れた。言葉すら発させず、その首を裂く。
モニターの向こうで、三人の男達がばたばたと倒れていく。暗闇すらはっきりと映すカメラは、地面に広がるおびただしい量の血だまりもしっかりと映していた。それから目を逸らしたい気持ちを必死で押さえつつ、エマはセナの動きを見つめ続けていた。
セナはこの辺りの地理に詳しいのか、即座に移動しては次の追っ手に奇襲をかけ、そのナイフで首を裂いて殺していった。呪を使っている様子はない。それは発動の気配を悟られない為もあるだろうが、大抵の遠隔型の呪術師が、物理攻撃に弱いせいだろうと思われた。彼らは恐らく、常のものとして、向けられた呪いを受ける形代の呪具を身に着けている。だがそれは物理的な攻撃を防ぐことはできず、セナはその点において既に優位なのだ。
奇襲をかければ呪を唱える猶予を与えることもない。モニターに映る追っ手の人数は相当なものだったが、個別に襲われた彼らは、あっけないほど簡単にやられていった。
「言ったでしょう? 一人の方が強いって」
傍らの声に、振り返って見上げる。ジュリエットがどこか楽しげな笑みを浮かべてモニターを見つめていた。その言葉に返すとしたら、確かに同意なのだが、エマは素直にそれを口にすることができなかった。
再びモニターのセナを見つめる。少数に分かれているとはいえ、やはり相手の方が人数が多い。だがそれらを難なく倒してのけるということは、やはりあの怪我は、自分のせいなのだ。セナは自分が勝手に負った傷だと言っていたが、それもエマがいなければ負うことのなかった傷だ。
「そんな顔する必要ないわよ」
再びの声に振り返ると、ジュリエットが変わらぬ笑みでこちらを見つめていた。エマは、感情を抑えることを強く躾けられて育った為、あまり表に出ないはずなのだが、そう言われるということは、出てしまっているのだろう。
そんな風に思っているエマをよそに、ジュリエットは軽快な様子で続けた。
「あいつは自分の意思であなたを護ろうとして、進んで怪我を負ったんだから」
だがその言葉に、エマは怪訝なものを感じた。映像を映し出すカメラには音声を拾うものがないのか、すべて無音である。つまり、エマ達と追っ手とのやり取りは聞こえていないはずだった。
言っている内容は先ほどセナが口にしたことと同じように思えるが、それ以上に確信を持って言っているように感じる。実は、音声を拾う機能があるのだろうか。それともセナが、彼女に詳細を話したのだろうか。
だがそんな怪訝な感情も、表情として出ていたようだった。
「聞こえてないわよ、もちろん。あいつも言ってない。でも、家の中のことは全部わかるのよね。だって、あたしの家だし?」
盗聴器という言葉は、エマの知識の中にはなかった。だがなにがしかの手段によって自分達の会話が知られていたのだろうということはわかった。
エマは警戒するように、ジュリエットから後退った。するとジュリエットがおかしそうに笑った。
「そんな怖い顔しなくていいわよ。そうね、もうひとつ教えてあげる」
そう言って、モニターに映るセナに目をやる。
「あいつはね、あなたがあのお屋敷のお嬢様だということは言ったけど、それ以外の情報は、一切あたしにくれなかったわ。知るということは不可逆なものだから、それによって不要な累が及ばないようにしたかったんでしょう。まったく、舐められたものね」
エマもつられるようにしてモニターに目を向けた。淡々と追っ手の命を奪っていくセナに、ためらいのようなものは一切見えない。人を殺すことには慣れているのだろう。それは酷く恐ろしいことだったが、彼が心のすべてを氷のように冷たくした人間ではないことは、エマはもう知っていた。
「でもね」
ジュリエットの声に、振り返る。
「それだけであたしが協力することってないわけよ。それもあいつはわかってた。だから、対価をよこしたの」
それはなんだろうと思っていると、続けてジュリエットが言った。
「あいつが持っているものの中で、一番価値のあるものはなんだと思う?」
エマはしばし考えた。価値のあるもの。エマはセナの所持品について多くは知らない。なにより、どれが価値あるものなのか、見たところでわかりはしないだろう。だがひとつだけ心当たりのあるものがあった。だがそんなもの、差し出したりするのだろうか。
まさかと思うものの、他に思い当たらなかったエマはそれを答えとすることにした。
「……血?」
「そうよ」
ジュリエットはあっさりと肯定した。
「でもいくらあいつの血だからって、こんな仕事、一度寄こしたぐらいじゃ割に合わないわ」
エマの脳裏によぎったのは、彼女の父親がセナを欲した理由だった。半永久的に得られる血。
「……体そのものを、差し出したというの?」
「ええ」
途端に、エマは目の前が暗くなったような錯覚に陥った。
それでは呪物とされるのとなにも変わらない。自分は彼を、そんなものにはしたくなかったのに。
「わたくしの、せいで……」
酷く動揺した声が自分のものだとは、すぐにはわからなかった。自分がそんなにも感情が乗った声を出せるのだとも、思わなかった。ただ自分のせいでそうなってしまったということが、先の見えない暗闇のように思えた。自分のせいで、彼は――。
「落ち着きなさい、お嬢様」
ジュリエットの声に、エマは無意識に落としていた視線を上げた。
「別に永劫縛り付けようだなんて思ってないわ。ただいつでもその居場所が知れるよう、しるしをつけただけよ」
しるし。そういう呪術を、セナの体に施したということか。
行動は縛らない。一見それは自由を許されたように思えるが、ジュリエットが欲した時に、それに従わなければならないのだ。セナはジュリエットに協力させる為に、それを受け入れた。
そこまで考えたエマは、ふいに気づくことがあった。セナがそれを受け入れたのは、情報を伏せた上で協力を求めたからだ。だがジュリエットはなにがしかの手段をもって、自分たちの会話を聞いている。セナが思っている以上の情報を得ているのだ。
エマは動くことを拒絶するように強張る口を、懸命に動かした。
「彼が伏せたと、思っている情報を、貴方は知り得ている。それを言わずに対価を、得るのは、不誠実ではないの」
長い年月閉ざしていた口は、滑らかに動いてくれない。それを不自由に感じながらもそう尋ねると、ジュリエットはその目を猫のように細めて笑んだ。
「かわいいこと言うのね、あなたも」
そう言う声は、だが笑っていない。




