第19話 外に出した理由
ぐらりと傾いだ体が崩れ落ちる。そして地面に血溜まりが広がっていくのと同時に、消えていたざわめきが戻ってきた。隔離の結界を張ったのは、この男で間違いないようだった。
他に気配は感じられないが、ともあれ早くここを離れなければならない。ここが無法地帯に等しい屋台街の傍で、警邏の類がほぼ訪れない場所であるとしても、これの説明が面倒だ。
セナは地面に投げつけたナイフに歩み寄って拾うと、エマを振り返る。するとエマはなぜか、青ざめた顔でこちらを見つめていた。脅威は去ったのになぜそんな顔を、と思いかけ、ふいに今し方自分がやったことを思い出した。予想外の事態にとっさに呪いを返してしまったが、エマの手前、もう少しやり方を選ぶべきだったのかもしれない。
「傍に行っても大丈夫ですか?」
尋ねると、エマはぎこちなく頷いた。セナはナイフをしまうと、できる限り刺激しないようにゆっくりと歩いた。だが傍まで近づいて立ち止まると、エマが目に見えて体を固くする。
「あの、エマ。あなたに危害を加えるようなことは、決してしませんので」
「ええ……。わかって、いるけれど……」
エマの目が俯き、なにかを迷うようにした後、再びセナを見上げてきた。必死で目線を据え、震える唇を恐る恐るのように開く。
「エマに――」
「殺しませんよ。傷つけません。あなたを害することはなにもしません」
先んじて言うと、セナを見つめていたエマは、なおも見つめ続けたあと、そっとその目を伏せた。
「もう一度ちゃんと聞きますか?」
エマが首を振る。
「いいえ、大丈夫よ……」
だがそう言うも、青ざめた顔は収まらず、体も僅かに震えている。少し気は引けたが、早くこの場から移動したかった。
「エマ、ちょっとこちらに」
そう言うと、エマの手からそっとトランクを取り、その手を握ると、入り組んだ路地に入った。
いくらか歩き、先ほどの死体からかなり離れたと思ったところで、ようやく立ち止まる。
「すみません。あのままあそこにいると、障りがあるので」
エマも概ねは察したらしく、追及はしてこなかった。
ここなら大丈夫だろうとセナが手を離すと、俯くエマの視線がセナの手を追った。僅かに惑う手を握り締め、その目を逸らす。セナは考えるより先に手を伸ばした。
握り締められたエマの手を解くようにして、再び握る。すると、エマは目を逸らしたまま、そっと握り返してきた。
改めて触れると、華奢な手は指先まで冷え切っており、だがこれは、常の体温の低さだけではないだろうとセナは思った。
「どこか座れるところを探しますか」
そう聞くが、エマは首を横に振った。セナは、手を握ったまま周囲に意識を配ったが、幸いに追っ手の気配はなく、呪を向けられる感覚もなかった。
しばらくそうしていると、震えは次第に収まっていき、青ざめた顔にも血色が戻ってくる。やがてエマは、俯いたままおもむろに口を開いた。
「ごめんなさい。わたくし、人が死ぬところを見たのは、初めてで。しかも、あんな……」
俯く顔に未だ微かに残るのは、恐れの感情だった。その声も、込み上げるものを抑え込むかのように硬く、セナは改めて胸を苦くした。
彼女の立場を考えれば、当然のことだった。普通の呪術師であれば、仕事上人の命を奪うこともあるが、エマはそうではない。
「こちらこそ、配慮が足りず申し訳ありませんでした」
エマが静かに首を振る。
「いいえ。仕方のないことだったのだと、思うわ」
半ば己に言い聞かせているかのように言ったエマは、そういえば、と言葉を繋げた。
「さっき話していた、ことだけれど」
そう言われ、セナは思い返す。結界が張られたことで中断されたが、人柱について、どれだけ知っているかとエマは尋ねてきていた。そして、今代の人柱がどうであったか、知っているかと。
エマは顔を上げると、どこか遠くを見つめるように言った。
「今代の人柱、わたくしは、失敗作だったようなの。術式を受けるに見合った力が、ないそうなのよ」
静かな表情で、まるで他人事のようにエマは続ける。
「けれど、作り直すには、今の人柱を、処分しなければいけないらしくて」
「処分……?」
人に対して使う言葉ではないそれは、だが経験としてなら理解できるものだった。不必要な存在を、処分する。セナ自身、何度も命じられてきたもののひとつだった。だがエマがその対象であるということに、理解が追いつかなかった。
「わたくしを外に出す理由は、わたくしに外を見せる為ではないわ。わたくしを、処分する為よ」
「でも俺は、あなたの護衛を命じられて……」
そう言いかけ、ふいによぎったのは、あの男に言われたことだった。
――今回の仕事はお前にとって慣れないものだろうが、なに、気負う必要はない。万一全うできなかったとしても、糧にはなる。
あの言葉は、こういう意味だったのだろうか。今回の外出はエマの処分が目的で、護衛は失敗することが前提だった。追っ手が屋敷からのものなら、先ほどの男がセナのことを知っているように話していたことにも合点がいく。だがそれなら、なぜわざわざこんなことを。なんのために護衛などという役割をセナに命じたのか。
困惑に言葉を発せないでいるセナを、エマが見上げる。
「やっぱり、貴方、なにも知らされていなかったのね」
その瞳に映るのは、どこか腑に落ちたような落ち着きだった。セナは慌てて言い募る。
「待ってください。それが本当なら、あなたは……なぜ、それを知っているんですか」
途切れそうになった問いを無理矢理に繋げると、エマはふと視線を落とした。
「あの屋敷は、とても静かなの。鳥の声ひとつ、しないほどに。だから噂話は、ひときわ大きく、聞こえてくるのでしょうね」
使えない人柱を処分する。誰一人、声を落としてなどいなかったという。エマに聞こえたところで問題などないと思ったのだろう。
「けれど、内々で処分しては、外聞が悪い。だから、外に出して、事故を装おうとしているのね」
エマの表情は、どこまでも静かだった。だがそれを見つめながら、セナはなおも信じられない思いだった。しかしそうだとすれば、色々なことが符合するのも確かだった。ただひとつ、セナに護衛を命じたという不可解な点を除けば。
するとエマが、再びセナを見上げてくる。
「だからわたくしは、貴方がわたくしを殺すのだと、そう思っていたわ」
確かにその方が合理的なはずだった。セナは仕事上、女子どもを手にかけたことは少なからずある。最初からセナに処分を命じていれば、セナは胸に燻る疑問を飲み込み、事故に見せかけてエマを手にかけただろう。だがそこまで考えた時、奇妙な引っ掛かりを感じた。
エマは、自身が処分されることを知っていた。そして護衛という名目でつけられたセナが手を下すのだろうと予想もしていた。であれば、あとはその処分を受け入れるだけなのだ。
脳裏によみがえったのは、最初の夜のことだった。エマは、セナのことを酷く警戒していた。あれは身内でもない異性と同じ部屋で眠るからだと思っていたのだが、エマの思考を順当になぞれば、二人だけになったあの時が、殺される最初のタイミングだったのだ。フロントに顔を見られていることや、その後の遺体の始末など、呪術師にかかればどうとでもなる。
だがエマはセナを警戒していた。あれは死を受け入れる態度ではなかった。つまりエマは、それに抗おうとしていたのではないか。
それに気付くと、色々なことが繋がった。
エマはセナに呪を使い、偽りなく護衛を命じられていること、エマを手にかけることはないことを知った。だが追っ手が現れ、間違いなく自分は処分されるのだということも知った。
そして高速列車に乗ったエマが、呪具が最後まで締め上げるのかを試そうとしていた理由。
――このままでは……どのみち、同じことだもの。
なにもしなければ追っ手に殺される。かといって屋敷から遠ざかっても呪具に絞め殺される。だが、呪具がエマを締め上げるものでなければ――。
「エマ、あなたはもしかして……逃げようとしていたのですか?」
人柱という運命。処分されるという運命から。
「ええ」
セナを見上げるエマは、短く答えた。




