第18話 近接型と遠隔型
屋台街を出て、路地を歩く。喧騒を離れたそこは、人通りも少なく静かだった。セナの隣をゆっくりと歩きながら、エマは口を開いた。
「わたくしにとって、貴方は護衛ではなかったのかと、聞いたわね」
「……はい」
答えるセナに、エマは静かな表情で続けた。
「答えとしては、いいえ、になるわ。わたくしもあの人に、外に出る間、護衛をつけると、言われていたもの」
そこまで言って、エマが見上げてくる。ではなぜと思うセナに、エマは言った。
「貴方、なぜと尋ねることを、禁じられてでもいるの?」
予想外の問いにセナは詰まり、少し遅れて、絞り出すように答える。
「……はい」
するとエマは、前に向き直った。
「貴方、人柱のことを、どれだけご存じ?」
「あまり知りません。この街の安寧の為に捧げられる存在で、呪術を使うことを禁じられており、俺がまだ子どもの頃に代替わりをした、ということぐらいしか……」
「それは、わたくしを宿した人が、わたくしを産んだ時、でしょうね」
宿した人とは母親を指す存在だろうが、エマはその呼称で呼ばなかった。
「なら……今代の人柱がどうであったのかは、知らないのかしら?」
「どうであった、とは?」
だが問い返したセナに、エマはすぐには答えなかった。
俯きがちになったエマに声をかけようとした時、ふいに不自然な静寂が辺りを覆った。
立ち止まって辺りを見回すと、まばらにいた人間が一人もいなくなっていた。隔離の結界。限られた空間を外界から遮断するもの。どうやって居場所を突き止めたのかはわからないが、今考えるべきはそれではなかった。
周囲を警戒するセナに、同じく立ち止まったエマも異常な状態に気付いたようで、その顔が僅かに強張る。すると少し離れた先で交差した路地から、一人の男が現れた。黒い服で身を固め、口元を布で隠している。だが昨夜の男よりいくらか上背があり、別人のようだった。セナは男から目を離さないまま、エマにトランクを渡す。
「これを持って、少し離れていてください」
トランクを受け取ったエマが、静かに後退っていく。セナがウエストバッグからナイフを取り出すのと、男が懐から数枚の札を取り出すのは同時だった。
布に覆われた口が呪を唱える。投げつけられた札がどろりと変形し、四足の獣に似た姿を取った。低級の呪いだ。直接触れれば呪いを受けるが、対抗するすべを知っていればどうということはない。
セナは呪を唱えてナイフに込めると、同時に横薙に振るい、それらを切り裂いた。裂かれたものが黒い霧となって消えていく。
そのまま距離を詰めようとしたが、男は新たな呪を向けてきた。多少の軌道は違えども、さっきのものと同じ低級の呪いだった。難なく切り裂くが、男は懲りずに同じものを向けてくる。それらも危うげなく霧散させながら、セナは怪訝に眉をひそめた。
こんな低級の呪い、こちらに通用しないのは初撃でわかったはずだ。有限の札で消耗を促すとも思えない。目的はわからないが、それなら無力化して聞き出すまでだ。
僅かな隙に地面を蹴り、距離を詰める。男はまたも低級の呪いを向けてきた。一体、二体と霧散させ、だが三体目が予想外の挙動をした。
セナを素通りして背後に向かう。標的はエマだった。とっさに体を捻って振り返る。エマに守りの呪はない。ナイフの刃は届かない。セナは即座に判断すると、呪を込めたナイフを投げつけた。
ナイフはエマに向かっていた三体目を正確に捉え、地面に縫い付けて霧散させる。だがそれと同時、セナの背後で呪の気配が上がった。
振り返ると同時に、どろりと変化した獣が、セナの腕に食らいつく。瞬間、氷のような悪寒が全身を包み、強い虚脱感に思わず膝をついた。喘ぐように息をつくと、近づく足音とともに嘲るような声が降ってきた。
「こんな簡単なものにも対応できないとは、やはり護ることに慣れていないというのは本当のようだな」
言葉の意味を考えるより先に顔を上げると、札を手にした男がセナの傍まで歩み寄ってきていた。
「所詮はこの程度か。体に防御の呪を編み込むなど、原始的なことをしているからだ。直接呪いを受けて、平気なわけがあるまい」
蔑む男の視線が、セナからエマへと変えられる。
「まったく、手間をかけさせてくれたものだな」
そのままセナの傍を通り過ぎようとしていた男の足が、ふいに止まる。セナの口から低く長く紡がれるその呪は、男にとって馴染みのないものであるはずだった。
怪訝に振り返った男の顔が凍り付く。セナの腕に食らいついていたはずの獣がその顎をほどき、あろうことか、男に虚ろの瞳を向けていたのだった。
「近接型に呪いを返されたことはあるか?」
セナが低く尋ねる。男がさっと顔色を変えた。
「そうだ。これ俺達の、呪いの返し方だ」
男が慌てるようにして、腕に付けた防御の呪具に触れる。セナが呟いた。
「帰れ」
短い命じで飛び出した呪いは、だが腕の呪具には微塵も反応せず、男の首に食らいついた。そのまま溶けるように皮下に潜り込んだかと思うと、男は見る間に顔を青ざめさせ、その場に膝をつく。反対にセナが立ち上がると、男は顔中から脂汗を流し、信じられないとでも言いたげな表情で見上げてきた。
「形代で防げなかったのが、意外か」
見上げてくる男は、もはや口を利く余裕もないようだったが、そう思っているのは明白だった。
「お前ら遠隔型が返した呪いなら、それで防げるだろう。でも俺たち近接型に返された呪いは、形代で防げないものに変質するんだよ。近接型とやり合うなら、その辺りも勉強しておくべきだったな」
男の首、呪いに食らいつかれた場所に、横一線の赤黒い線が浮かび上がってきた。
「もうひとつ教えておく。俺達が返した呪いは、元がどんなものであれ、確実に主の命を奪う」
セナは数歩下がり、男から距離を取る。直後、男の首がぱっくりと裂け、真っ赤な血が噴水のように吹き出した。




