第16話 首につけられた呪具
駅に行き、二人分のチケットを買う。今いる場所は桂花街の中心と称される場所だが、位置的には街の東の端近くにあった。目的の駅は西の端にあり、この巨大な桂花街をほぼ横断する形になる。
雑多な人種が混ざり合う構内を歩き、乗り込んで二人掛けの席の窓際にエマを座らせる。トランクを荷物棚に乗せると、程なく列車は動き出した。
窓から見える景色が、飛ぶように流れていく。エマの方を見ると、同じように窓の外を見ていた。だが窓に映ったその顔に表情と呼べるものはなく、なにを考えているのかは読み取れない。着いた先で、いったいなにをしようというのか。だがそれも、着けばわかるだろう。
エマは窓の方を向いたまま一言も話さず、セナもまた黙したままでいた。時折他の乗客の話し声が漏れ聞こえてくるが、あとは列車の駆動音のみの静かな空間だった。
昨夜のことを思ってしばらく警戒を強めていたが、不審な人物も、呪を向けられる気配も感じられない。さすがにこれだけ人目がある中では、なにかを仕掛けてくることもないのだろう。そう思いつつも、セナは薄い警戒を維持したまま、駆動音に耳を傾けていた。
いくつかの駅を経由し、どれほどそうしていた頃か、ふいにセナの耳に、硬質ななにかが割れるような音が聞こえた。エマの方からだった。
振り向くと、エマがその手に、首から下げた指輪を持っていた。だが嵌められた石にはひびが入っている。それを見たセナは、はっとしてエマの様子を窺った。
エマは俯いて指輪を見つめているものの、その表情はなにかに耐えるように僅かに険しさを帯びており、白い肌はなお紙のように白くなっている。薄い肩を微かに上下させ、呼吸もどこか浅かった。
「エマ」
呼びかけると、俯いたままのエマは指輪を握り込み、掻き消えそうな声で言った。
「……大丈夫、よ」
だがその様子は、どう見ても大丈夫には見えない。
「次の駅で降ります」
そう告げると、折りよく減速を始めた列車の中で立ち上がり、荷物棚からトランクを下ろす。
手を差し出すと、エマが弱々しく手を伸ばしてきた。掴んだ手は、いつにも増して冷えきっている。
ゆっくりと歩くエマを連れて通路を通り、ドアの傍まで来たのと同時に、列車が駅に着いた。
ホームに出て、近くのベンチにエマを座らせる。正面に屈んで見上げると、エマが苦しげながらも、避難を混ぜた瞳を向けてきた。
「乗って……いたかったのに……」
「そんな状態でなんて聞けません。いったいいつからですか。どこか具合が……」
言いかけて、エマの首元に目がいった。銀色の精緻なチョーカー。それが、エマの首を絞め上げるように深く食い込んでいた。とっさに手を伸ばして触れると、呪が発動している気配があった。
――どういうことだ。
言葉を失うセナに、エマが目を伏せ、溜め息のような吐息を漏らした。
「あの人が、つけたものなのだけど。屋敷から遠ざかりすぎると、締め上げるみたいね」
どこか他人事のように口にするエマに、だがセナは信じられない思いだった。
呪具だということには気付いていた。護りの力は感じられなくとも、少なくともエマを危険から遠ざけるものだと思っていた。それがなぜ、こんな風に締め上げるのか。しかも外を見せてやると言いながら、遠ざかりすぎれば問答無用で締め上げるなど、これではまるで、家畜かなにかではないか。
「すぐに戻りましょう。中心部に戻れば、呪は解けるはずです」
「大丈夫よ」
「どこがですか……!」
思わず声を荒げると、エマが顔を上げた。その瞳は、驚いたように僅かに見開かれている。エマはそのまましばしセナを見つめていたが、やがて遅れるようにして口を開いた。
「……大丈夫よ、本当に。今、少しずつだけれど、締め上げる力が、弱まっているから。離れ続けなければ、効力は弱まるみたいね」
「本当ですか?」
まっすぐ目を見つめて尋ねると、エマはこくりと頷いた。そのまま目を伏せ、呼吸を整えるようにゆっくりと肩を上下させる。その表情に先ほどのような険しさはなく、効力が弱まっているというのは本当のようだった。
気が付けばホームにはほとんど人がいなくなっており、がらんとした空間に、エマの呼吸の音だけが静かに響いた。それに注意深く耳を傾けながらエマの様子を窺っていると、やがて、チョーカーの食い込みが徐々に薄くなっていくのがわかった。
呼吸も徐々に穏やかなものになっていき、その顔にようやく血の気と呼べるものが戻ってくると、そっと目を開けたエマが、困ったような、それでいてまた別の感情が混ざっているような複雑な表情を浮かべ、セナを見つめる。
「貴方、座らないの?」
第一声がそれであったことにセナは少し戸惑ったが、そう言えるだけのゆとりが戻ってきているのだとわかると、それは安堵以外のなにものでもなかった。だがそうなると、ずっと尋ねたかった事柄が頭をもたげる。
「少しずつ、締め上げられていたんですよね?」
なのになぜ、ここまで酷くなる前に言ってくれなかったのか。
続く問いは口から出ることはなかったが、問わずとも伝わったようだった。セナの瞳を受けたエマは、その顔を再び俯かせ、感情の薄い薄水の瞳を、膝の上に置いた己の手に落とす。そしてぽつりと言った。
「試してみたかったのよ」
「……試す?」
「ええ。本当に、最後まで締め上げてしまうのかを」
セナは眉根を寄せた。なぜそんなことを。命が危うくなるのに。
その思いはやはり口から出ることはなかったが、視線を落としたままのエマは小さく呟いた。
「だって、このままでは……どのみち、同じことだもの」
どういう意味だと思ったが、エマはそれ以上言葉を続けなかった。
俯いたエマはそのまましばらく黙していたが、やがて唐突に言った。
「――帰りましょうか」
そう言って顔を上げ、セナを見つめる。その表情は、一見していつもの、感情の見えにくいものに思えたが、
「もう、満足したわ。ただ、ゆっくりと帰りたいから、高速列車はやめてちょうだい」
セナを見つめるその瞳には、なぜか薄く諦観のようなものが見える気がした。
なぜそんな表情を浮かべているのか、その理由も分からぬまま、セナは反射のように聞いていた。
「いいんですか?」
エマの顔に、ほんの一瞬、微かな惑いが掠める。だがそれは本当に一瞬で、すぐに見えなくなってしまった。
「……ええ」
答えた声が、どこかためらいがちに聞こえたのは、気のせいだろうか。そう思った矢先、エマが手を差し出してきた。
小さく華奢な手を取る。相変わらず体温の低い手は、それでも先ほどよりいくらかましになったようだった。
だがそう思ったのもつかの間、手を支えに立ち上がったエマが少しふらつく。セナはとっさに立ち上がると、その肩を支えた。
「もう少し休んでからにしますか?」
「……いいえ、大丈夫よ」
ゆっくりと首を振って答えるエマは、どこか頑なに見えた。だがその意味も掴めないままに、ホームは次の列車に向けて混み始める。セナは問いを出すことのできない口を諦め、動きやすいうちに移動しておこうと、気持ちを切り替えた。
「では一度、改札を出ましょう」
「わかったわ」
セナはエマの手を離し、置いたままのトランクを取る。そのまま歩き出すが、同じく歩き出したエマは俯いたままで、その表情はどこか沈んでいるように見えた。
どうしたのかと、そう尋ねたかった。だがやはり、問いは口から出てきてはくれない。しかしそのまま放っておくというのも、どこか心が落ち着かなかった。
セナは考えたあげく、トランクを持っていない方の手を、エマに差し出した。なぜそんな行動を取ったのか、自分でもよくわからなかった。
エマは差し出された手をしばし見つめていたが、やがてそっと手を伸ばすと、セナの手を握った。
エマはなにも言わず、そしてセナもまたなにも言わないまま、その手を握って改札へと向かった。




