第14話 二度目の問い
神経が擦れるような、痛みに似た感覚。結界が壊された。
目を開けたのと、廊下に続くノブが音を立てたのは同時だった。即座に体を起こすと同時に、枕の下に隠しておいたナイフを手に取り、身を隠すように壁に張り付く。セナのベッドの位置は、入り口からは見えない。すると静かにドアが開き、足音を消した気配が室内に入ってきた。
気配は、セナの視界に入る前に止まった。恐らくその位置からは、奥のベッドで眠るエマだけが見えているのだろう。布擦れと札を取り出す微かな音。呪を使う気配。セナは壁から飛び出した。
そこにいたのは口元を布で隠した黒ずくめの男で、セナの気配を読めていなかったのか、その瞳が明確な狼狽に揺れた。セナは即座に男の腕を捕らえて捻り、ナイフを持ったままの手で、その体を壁に押しつける。動きを封じられた男が小さく呻き、持っていた札が床に散らばった。
「誰の指示だ」
抑えた声で低く問うが、男は答えようとしない。セナは捕らえた男の腕に目をやると、その右手の人差し指と中指を纏めて握り、あらぬ方向へとへし折った。
鈍い音が鳴り、男の口から押し殺された呻きが漏れる。予想はしていたが、大きく声を上げない辺り、多くの呪術師同様、拷問には慣れているのだろう。
「外なら腕の一本でも切り落とすんだが、ここでやったら部屋が汚れるからな」
そう言いながら捕らえた手にさらに力を込め、男の肩の関節を外した。くぐもった悲鳴が漏れる。
「誰の指示だ?」
改めて問うが、男は脂汗を流しながらも、不自由な姿勢でセナを睨みつけるだけだった。
「そうか……」
セナは男の拘束を完全に解いた。ふらついた男が逃げ出そうとする刹那、片手でその肩を掴み、壁に押しつける。口の中で小さく呪を唱え、もう片方の手で持っていたナイフの柄尻で男の額を軽く突くと、再び男を解放した。
「五分だ」
怪訝にする男に、セナは告げる。
「五分経ったら、あんたの頭は破裂する。それまでに呪を解いて、あんたのところのボスに伝えてくれ。今度は喋れる奴を寄越せってな。まぁ……」
外された肩とへし折られた指を見やり、
「その手で呪が使えるなら、だが」
青くなった男は即座に背を向け、まろぶように部屋から出ていった。
開け放たれ、ゆっくりと閉じていくドアのノブにセナは手を伸ばすと、音を立てないように静かに閉める。そして改めて鍵をかけると、足元に目をやった。
結界として置いた緑の石が、真っ二つに割れていた。それを拾い上げ、次いで、男が落としていった札に目をやる。音を封じる札だった。これを使い、部屋の外に一切の音が漏れないようにして事を成すつもりだったのだろう。造りもありふれたもので、これから身元を知ることもできなさそうだった。本来なら燃やしてしまいたいところだが、部屋の中ではそうもいかない。拾い集めると纏めて破り裂き、ゴミ箱に捨てた。
ベッドの方を振り向くと、エマが体を起こしていた。その顔は相変わらず感情の見えにくいものだったが、瞳に垣間見えるのは怯えの色だった。
「すみません、起こしてしまいましたか」
「なにが……あったの……」
微かに震える声には、恐れと警戒がありありと感じられる。セナは極力落ち着かせられるよう、穏やかな声音を作って言った。
「ちょっと侵入者があったのですが、返しました。もう大丈夫ですよ」
念の為、あとで結界を作り直しておくか、などと思いながらベッドの方に向かうと、エマが僅かに後退った。
怪訝に見つめると、エマは上掛けを強く抱き締めて言った。
「貴方……怖いことをするのね……」
聞こえていたのか、と思った。いったいどの辺りから聞いていたのだろう。隠すつもりはなかったが、自分がやったことでここまで怯えさせてしまうのは予想外だった。
セナはエマから距離を取ったまま、目線を合わせるように屈んだ。
「怖いですか、俺が」
エマの目が、ためらいがちに伏せられる。
「今の俺の仕事はあなたの護衛です。あなたを護る為に、人の命を手にかけることもある。特に呪術師であれば、殺さなければこちらの命が危ないんです」
「わかって……いるけれど……」
エマが更に、上掛けを強く抱きしめる。
「どうすれば、あなたの恐れをなくせますか」
エマの目が再びちらりとセナを見つめ、また伏せられる。なにかを迷っているようだった。
「なんでも言ってください。それであなたが安心できるのなら」
するとエマは何度か瞬きしたあと、顔を上げてセナを見つめた。まっすぐに、淡い瞳が据えられる。
「エマに教えて。貴方は、わたくしを殺さない?」
あの感覚が、体を抜けていく。セナの口が動いた。
「はい」
じっとセナを見つめていたエマは、やがてふっと目を伏せた。
「わかったわ」
「安心していただけましたか?」
「ええ」
「ではもう寝ましょう。明日に障ります」
セナが体を起こすと、エマは再びベッドに潜った。
「ねぇ」
呼びかけに顔を向けると、横になったエマがこちらを見上げていた。
「もう一度あのまじないを、かけてはくれないかしら」
「わかりました」
セナは自分のベッドにナイフを置いてからエマに近付き、手を伸ばした。エマが目を閉じる。
その額に指先を触れさせてまじないを唱え、そっと離すと、エマは閉じていた目を開け、セナを見上げた。
「ありがとう」
感情の薄い、だがその目の怯えの色は、いくらかやわらいでいるように見えた。




