第13話 エマに教えて
セナは思わず視線を逸らした。だが、答えないわけにはいかないし、ごまかしたところでどうなるものでもない。つかの間瞑目して腹を括ると、諦めるように視線を戻した。
「俺とあなたの前に立ちはだかり、あなたを害そうとするものはすべて退けます。ですが、あなたの真名を知る者が、俺の見えない場所であなたに呪いを向けた場合は、俺には防げません。俺に、その手段はありません」
近接型は直接戦闘を得意としているが、ことなにかを護ることに関して、正しくは、なにかを呪いから護ることに関して、そのすべを持たない。だから当主から護衛の任を命じられた時、セナは耳を疑ったのだ。なぜ近接型の自分が、と。
エマはじっとセナを見つめたままだった。その表情に、落胆や憤り、悲観などは見えない。ただ、じっとまっすぐに見つめたまま、ゆっくりと瞬きをした。淡い水色の瞳が、セナを見据える。
「エマに教えて。貴方、わたくしに嘘をついているのではなくて?」
その言葉が投げかけられたと同時に、不可思議な感覚がセナの体を抜けていく。覚えのあるそれがなにか思い出せないまま、口が勝手に動いた。
「いいえ」
答えたセナを、エマはなおも見つめていたが、やがてなにかを得たように目を伏せた。
「そう」
小さく息をつく。そして体を返すと上掛けをめくり、ベッドの中に潜り込んだ。今日はこちらを待たずに眠ってくれるらしい。なぜそんなことを聞いたのかと思ったが、それよりも、思い出せない感覚の方が気になった。だが探り当てるより先に、こちらを向いて横になったエマが言った。
「今朝の、ことだけれど」
セナは、俯きかけていた顔を上げた。エマの瞳が見つめてくる。
「本当に、わたくしになにもしていない?」
していない、と返そうとしたが、まったくなにもしなかったわけではないという事実が、口を鈍らせた。
「害するようなことは、していないのですが……」
「なにを、したの?」
まっすぐな瞳から逃げるように、セナは目を逸らす。
「悪夢払いを……」
「え?」
エマが怪訝な声を出す。
「あの、少しうなされておいでだったので、それを晴らせられればと、ついまじないをかけました」
長い沈黙があった。まじない自体は害のないものだが、それをかけるには相手に触れなければならない。意識のない間に許可なく触れたことを咎められるだろうかと思ったが、反してエマはなにも言わなかった。
恐る恐る視線を戻すと、澄んだ瞳がセナを見つめていた。不機嫌なようには見えず、どちらかというと、どこか不思議そうにしているように見えた。
「あの……怒っておいででは、ないですか?」
「……なぜ?」
不思議そうな瞳のまま、エマが問い返してくる。
「眠っている間に、許可なく触れたので」
「貴方は、うなされているわたくしを、どうにかしようとしてくれたのでしょう?」
「はい」
「なら、わたくしが怒る必要は、ないのではなくて?」
触れたことに関しては、いいのだろうか。昨日も今朝も、あれだけ警戒していたのに。
だが口にしないということは、恐らく咎めるつもりはないのだろうと、セナは返すのをやめる。
「ねぇ」
そんなことを考えていると、常の表情に戻ったエマが言った。
「悪夢を払うのではなくて、見ないようにするまじないは、ないのかしら?」
「ありますが……」
「では、それをかけてちょうだい」
「触れることになりますが……」
「構わないわ。必要なことなのでしょう?」
「では……」
立ち上がって近づき、そっと手を伸ばすと、エマが僅かに身を固くしてぎゅっと目を閉じた。
その額に指先を触れさせる。短いまじないの言葉を唇から滑らせ、指先を離すと、エマが恐る恐るのように閉じた目を開け、セナを見上げた。
「もう、いいのかしら?」
「はい」
するとエマはなぜか目を逸らし、引き上げた上掛けの下から、くぐもった声を響かせた。
「ありがとう……」
ベッドサイドのランプで、天井がぼんやりと照らされている。セナはベッドに横になったまま、それを見上げていた。
あれから改めてあの感覚を思い返し、そしてすぐに、それがなんだったかを思い出した。
あれは、誰かに呪を受けた時の感覚だ。いつもと状況が違いすぎたせいで、すぐに思い出せなかった。なにしろ詠唱がなかった上に、発動させる為の言葉もなかったのだ。加えて、呪術を学ぶことを禁じられていたエマが呪を使えるはずがないという思い込みが、認識を遅らせた。
だがそれならいったい、あれはなんだったのか。あの感覚は、間違いなく呪を受けた時のものだった。
首を動かし、隣で眠るエマを見やる。薄明かりに照らされたエマは、こちらに体を向け、静かに寝息を立てている。昨日までの警戒が嘘のようだった。
――貴方、わたくしに嘘をついているのではなくて?
なぜあんなことを聞いたのだろうと思った。最初は呪術師について教えた内容を疑われたのかと思ったが、恐らくそうではない。エマが確かめたかったのは、昼間尋ねてきていた、セナが本当にエマの護衛であるのかということだろう。呪術師について尋ねたのは、一種のカモフラージュだ。だがなぜ、疑ったのか。
眠るエマの顔は、張りつめたものを一切なくした穏やかなものだ。だが起きている時はほとんど感情が読めず、時折浮かべても警戒や戸惑いが多い。
エマはなにを思っているのだろう。そんなことを思った。感情も希薄で、口数も少ない。セナが尋ねるということをしないせいで、余計にその心情はわからない。
尋ねれば、答えてくれるのだろうか。そう思うも、恐らく面と向かったところで、口は動いてくれないのだろう。
再び天井に視線を戻し、深く息をつく。
喉の奥深くで、言葉を縛り付ける。まるで呪いのようだと、セナは思った。




