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八百比丘尼の語り部  作者: 宮城 英詞


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20/21

またね

 徐々に日が傾き、空がうっすらと赤くなり始め、涼しい風が吹き始める。


 そんな空を、清子は尼寺の縁側から見上げていた。


 あれから、何度こうやってこの空を眺めていただろう。


 彼女は何かあると、こうしてこの寺に勝手に上がり込んではここに座っているのだ。


 白椿びゃくちんは、そんないつも通りの彼女の姿を見つけ、笑顔で声をかけた。


「おや、清子さん。今日はどうしたのじゃな?」


 清子は、それに空を見上げたまま、ゆっくりと頷いた。


「今日も、白椿さんとお話しにきてん。また昔のお話聞かせて」


 白椿の前で、清子はいつも、出会った時の十歳の少女のままだった。


 白椿はそれに笑顔でゆっくりと、隣に腰掛ける。


「……さて、今日は何を話そう。何しろ、あれから色んなことを話したからの」


 白椿が、空を見上げると、空は徐々に夕焼けに染まり出していた。


「おんなじ話でもええんよ?最初の頃の話なんか、きっと覚えてへんし。うち、白椿さんとお話するの好きやねん。いつきても、どんな時でも、白椿さんは変わらへん。せやから、うちいつも思い出すんや。楽しかった小さい頃の事を」


 彼女は、そう言いながら昔のことを思い出しているようだった。


 白椿は、それに同じく、懐かしむような視線で清子の顔を眺める。


「……そう……清子さんはお幾つに?」


「19」


「……そう、では……もう、嫁入りはしたのじゃな」


 元気よく答える清子に、白椿は少し寂し気な笑顔で彼女と同じ空を見上げた。


 空はもう、赤く染まっていた。


「そう、私、18でお嫁に行ったの。旦那さんは、とっても優しい人で、私は子供を何人も産んだの。みんな可愛い、可愛い子供たち……」


 最近は、もっぱら白椿が話を聞く側だった。


 彼女は、嬉しそうに語る清子の話をゆっくり頷きながら聞いている。


 それは、白椿が何度も清子から聞いた話だった。


「……子供はみんな立派に成長して、孫もひ孫もたくさんできた。みんな可愛くて、立派に成長して、顔も名前も覚えられんほどや……」


 彼女は、そう語りながら年老いていく。


 それは彼女が、さながら人生を振り返っているようだった。


「つらい事も、そら沢山あったけど、ウチ、そう言う時は、いつも白椿さんの話を聞きにいったり、思い出したりしたんよ。ここに来たら、白椿さんはいつものあのお姉ちゃんの顔で出迎えてくれる……そしたらうちは、いつでも十の頃に戻れるんや」


 白椿は彼女の言葉に、小さく笑った。


 そう言えば、彼女に会った時も、こうして笑ったのだった。


 さて、あれから何年経って、いくつの話をしたのだろう。


 世の中は目まぐるしく変わり、清子も時代のうねりの中で懸命に生きた一人だった。


 そんな自分の話が、ささやかだが、彼女の人生の助けになったとすれば、それは喜ばしい事だ。


 何百年も生きていた自分が、ただ、傍観者に過ぎなかっただけではなく、誰かに何かを与える者になっていたということは、この永遠の生という牢獄から抜け出せない自分にとってはささやかな幸せだった。


 白椿の中で清子はやはり、年下の少女だった。


「……そう、醤油屋のひ孫がね、小浜の材木商の所に嫁に行ったんよ。だから言うたの。若狭はええとこよ、そこには時々、八百比丘尼さんが来はるんよ……って」


「……そうか」


「でも、ここで私が本物に会てるのは、二人だけの秘密や。そう言う約束やもんな」


 そう言うと清子は、静かに、だが少女のように笑った。


「……清子さん、良かったな」


 白椿の言葉に、清子はゆっくりと頷く。


「……うん、良かった、良かった。……うち、幸せやし、楽しいわ。……これもみんな白椿さんのおかげや。……白椿さん、ありがとうな」


 清子はそう言うと静かに手を合わせた。


「……それは、お互い様じゃ」


 白椿は彼女の言葉に、同じく手を合わせた。


 彼女も、いくつもの出会いの中で巡り合った一つの縁、一つの想い出。


 そして、一時を共に過ごした、かけがえのない友人の一人だった。


 白椿も同じく、彼女の出会いに感謝した。


 ふと、遠くから男の呼ぶ声が聞こえる。


 それはどうやら、清子を探しているようだった。


 清子は、薄暗くなり始めた空を見上げ、ゆったりとつぶやく。


「……ああ、もっと話してたいのにうちの人が迎えに来たわ。名残惜しいわぁ……」


 そして、白椿が返事をする前に、彼女は笑顔で寝言のように言葉を発した。


「……ほな、またね」





「ああ、やっぱりここに居ったんですか。いつもすんまへん」


 そう言って寺に入って来たのは板前姿の若い男だった。


 どうやら、いつもここに来ている事を聞いて、心配してやって来たらしい。


 白椿は初めて見る彼に、小さく礼をすると念のため訪ねた。


「……貴方が、清子さんの旦那さん?」


 それに男は、うんざりした顔で答えた。


「冗談言わんとってください。僕はひ孫!先々代なんか僕が生まれる前に死んでますわ。ここのとこ耄碌もうろくして、よう僕と先々代を間違うんですわ」


「……よほど昔が楽しかったのじゃろうな」


「中途半端に元気やから、あちこち出歩いて困ってますんや。尼さんからもよういうたって下さい……ほら!ひいばあちゃん、帰るで!」


 そう言って清子に声をかける若者。


 だがそれを、白椿は静かに手で制した。


「……どうやら、お迎えは不要のようじゃ。先に旦那様が来られたようでな」


 そう言う白椿の隣で、九十歳の清子は深く、そして永遠の眠りについていた。


 その安らかな顔に、白椿は清子の背中をやさしく叩きながら、小さな声で囁いた。


「では、またな」


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