白比丘尼若狭へ
京の町の大通りで、巫女の服を着た女性が舞う。
その艶やかさに一同は歓声を上げた。
鐘の音に合わせた、その舞に、今度はお囃子の声が合わさった。
「サァサァ、これなるは霊験あらたか「白比丘尼」!長寿不老の巫女にしてまたの名を八百比丘尼!時が経っても老いはせぬ、時がたっても死にはせぬ!これなる霊験にあやたかりたければ、心づくしのお布施をいたせ!さすればこれらのお札にて、健康長寿間違いなし!」
男の陽気な囃子に合わせ、札を見せると集まった人々は次々に、男が指し示す賽銭箱に群がった。
銭が入れられるのを見て、それに札を配る男。
集まった人々は、あれが今、京で評判の八百比丘尼かと、顔を見合わせさらに群衆が集まった。
何年か前に、将軍が殺される事件があってからというもの京に都のみならず、日の本すべてが、混沌の最中にあった。
将軍に力なく、配下の武家同士は対立と駆け引きを繰り返している。税は上がり庶民の暮らしは苦しくなる一方だった。
そんな中、京に「八百比丘尼」を名乗る女が現れた。
彼女は、京の町で話題をさらい霊験あらたかな札を売りさばいていた。
そんな京で噂の八百比丘尼こと白比丘尼。
彼女は、食い詰めた百姓の娘で、旅芸人に売られ、芸を仕込まれた娘だった。
その美貌と踊りの才で、あちこちを転々としていたが、食うや食わずの生活続き。
だが、今の夫と知り合い、「八百比丘尼」を名乗ってからは、雨のように銭が降り注ぐ生活が始まった。
金儲けなんて、ちょろいもんや。
白比丘尼ことお白はそんな事を想うようになっていた。
芸はいつものものだが、筆で紙にそれらしく書いたものが飛ぶように売れる。
時折、病人だなんだがやってくれば、適当なまじないを読み上げて返してやればよいのである。
お白は、満面の笑みで群衆に微笑みかけ、夫の利兵衛が札を売りさばく。
本日の商売も上々、のはずだった。
札を求めて群がる群衆の中で、突然利兵衛の声が響く。
「あ!こら!小僧!御寄進もせんうちに札を取るな!」
見ると、汚いなりの子供が、売り物の札を取ろうとして、利兵衛ともみ合っていた。
子供は、気づかれて開き直ったのか、利兵衛が札を取られまいと踏ん張っているうちに、もう片方の手で他の札をもぎ取り周囲にまき散らす。
そして慌てる利兵衛をよそに賽銭箱を蹴り飛ばし、集めた銭をばらまいた。
舞い散る札に群がる群衆、銭を拾い集める利兵衛で、場は騒然となった。
その混乱に乗じ、札を掴んで逃げ出す子供。
「なにしよんねん!小僧!」
お白は自分の役割を忘れて、子供を追いかけていた。
大路を抜け、門を抜けるとそこは京の外。
そこまで追いかけた所で、お白は完全に小僧を見失った。
「……なんや、あの小僧。銭取ってくならまだしも、札を持っていくやなんて……あんなん何の役にも立たんのに……」
息を切らせながら、そう呟き辺りを見回す。
そこには、いつも通りの風景。
うち捨てられた、死体が点々と転がっていた。
元来、人が死ねば、京では決まった場所に持っていかれるのが常ではあるが、身元の分からぬ者や金が無いものが死ねば、最低限の処理として都の外に捨てられる。
ここはそう言う場所であった。
お白は、死体の一つが、自分たちの売ったその役に立たないお札を持っていることに気づき、ぎょっとなった。
恐らく、願いかなわず朽ち果てたのだろう。
お白は
「……神も仏も、助けてくれへん。銭のない奴は、みんなこうなるんや」
とつぶやき、札を取り上げて破り捨てた。
結局、不届きな小僧は見つからず、お白は都に引き返した。
利兵衛の元に戻ると、群衆は居なくなり、利兵衛はぶつぶつと愚痴をこぼしながら後片付けをしているところだった。
どうやら、あの騒動でずいぶんケチが付いたらしい。
「今日は縁起が悪い、止めや止め!」
利兵衛はそう言いながら、後片付けを始めていた。
それにお白は小さくため息をつく。
「ねぇ、アンタ。そろそろこの商売も終わりにせぇへん?」
その言葉に利兵衛は目を丸くした。
「……なんでや?今日はケチついたけど、うまいこといっとるやないか?」
きょとんとする利兵衛にお白は周囲を見回し、小さな声で耳打ちした。
「うまくいきすぎてるのが問題やいうてるんよ。おかげで京では大評判の「八百比丘尼」やけど、こんな勢いやとぼちぼちぼろが出てくる。ウチももう二十五や、なんぼ化粧でごまかしとったかて、不老不死なんか言うとれんようになるわ、こういうのは引き際が肝心なんやろ?」
「せやけどなぁ……」
確かにそれは道理ではあるものの、手元に集まった大金を眺め、なんとも名残惜しそうな利兵衛。
これだけの大儲けをしているのに、商売替えとはなんとも思い切りのいる事だ。
そして、返答をしぶり、天を仰ぐ利兵衛に、大人数でやって来る武家の人間の姿が映った。
何事か?と思う間もなく、お白と利兵衛は武家の人間に取り囲まれた。
「お主が評判の「八百比丘尼」か」
「は、はい!」
「左様でございます」
あまりの威圧感に反射的に返事をする利兵衛とお白。
ここは嫌な予感がするので白をきる手もあったが、「興行」の後のため言い訳が効かない。
さては先ほどの会話を聞かれたか?
と思ったが。怯える二人の前には、箱に詰め込まれた銭の山が置かれた。
「我が主がご危篤になられた。主名で、お噂のお札を所望である。銭20貫お納めいただきたい」
あまりの事に二人は青ざめて顔を見合わせた。
だがここで、うろたえては命が危ない。
お白はとっさの機転を利かせ、慌ててお札の束を差し出した。
「多大なるご寄進!かたじけなし!さらば息吹を込め、病平癒をお祈りいたさん!」
こうなると、お白の方が度胸が据わっている。
お白は、必死に、いつもの適当な祝詞を上げ、白比丘尼を演じてみせた。
武家の者たちは恭しく頭を下げ、そしてお札を拝領した。
「助かり申した、御主君がもしもの時は、それがしも追い腹を斬らねばならぬ。これで万事安心であるな」
「は、はい……」
もう頷くしかない状況に、二人はどうにか愛想笑いで答える。
そしてその武家は、最後にこう付け加えた。
「かような大金を払い。主君が身罷ることあれば、こちらとしても面目が立たぬ。追い腹致す前に、そなたらにも相応の報いをせねばならぬゆえ。後もしかと御祈祷お願い仕る」
それは、祈願という名の脅しであった。
そう言いつつ、武家の者たちは笑いながら帰っていったのだが、二人は生きた心地がしなかった。
やがて、彼らの姿が見えなくなると、お白はその場に座り込み、利兵衛は慌てて荷物をまとめ始めた。
「あかん!お前の言う通りや!早い事、京を出よう!このままここにおったら命がいくつあっても足らんわ!」
「京を出るって……どこに?」
「と、とにかく遠くや!大金もあるし、あの武家さんが追いかけられへんような所に……」
と、そこまで言ったところで、高らかな笑いが響いた。
見るとそこには、髪の毛生え放題の汚らしい僧が座っている。
見るからにうさん臭そうな坊主に、二人は思わず、先ほど手に入れた銭の箱を隠した。
「……何やお前。聞いとったんか?」
その問いに、僧はまた笑った。
「いやぁ、すまんすまん。ずいぶん派手に商売しておる同業者がおるので、拙僧から道理を教えてやろうと来たのじゃが。なんとも困った事になったようじゃやな」
どうやら、一連の騒動を見ていたようである。
二人は、なんとも迂闊な事をしたと、この怪しげな僧を睨みつけた。
「強請りにきたんか?」
だがそのお白の言葉を、坊主は鼻で笑った。
「安心せい、ワシら坊主も似た者同士。商売の道理は判っておる。尊き者の名を騙り、人々を導き、銭を稼ぐ。お主らも儂らも似た者同士よ。……もっとも、欲をかきすぎるとこのようにわが身に災厄が降りかかって来るものじゃがな。この辺りは、やはり坊主の方が手慣れておるのよ」
なんとも身も蓋もない、物の言い様に呆れる二人。
果たしてこいつは本当に坊主なのかも怪しい。
だがこの生臭坊主は、笑いながら顔を近づけてきた。
「この手の商売の危うさは十分身に染みたじゃろ。どうじゃ?せっかく京に居られんようになったんじゃ、この際本物に会ってみんか?」
「本物?」
訳が分からない顔をする利兵衛。
だがその隣で、お白はこの僧が重大な事を言った事に気が付き、はっとなった。
「あんた、本物の八百比丘尼を知っとるんか?」
その言葉に僧は大きく頷いた。
「ああ、昔いろいろあってな。今、あ奴は若狭国で、天照大御神を気取って洞窟の中におるらしい。これも何かの縁じゃ、一度騙されたと思って。行ってみるがいい。」
「……若狭国」
それは、京周辺しか知らないお白にとっては未知の場所だった。
だが、どのみち京にいられるはずもなく、二人は言われるがままその若狭国へ旅立った。
京から北に行き、山々を越えていくと、そこに若狭国がある。
海辺にあるこの国は、古くから禁裏、京に海の幸を届けており、京の人間にはなじみの深い所であった。商人の行き来も多く、朝とれた海の幸もその日のうちに届けるものがいるという。
さすがに二人はそこまでではないので、ゆるりと、三日ほどかけて到着していた。
歩くのはさすがに難儀ではあったが、潮の香りを感じ、海を初めて見て、流石に感嘆の声を上げていた。
「ウチ、海なんて初めて見るけどすごいもんやなぁ。変なにおいもせんし、京の外もなかなかええもんやね」
目の前には巨大な湾の広がる雄大な港町。それがあの怪しげな坊主に言われて二人のやってきた小浜湊である。
京の中は、打ち捨てられた死体や、様々なものの悪臭が立ち込めるところであったが、海と自然の香り漂うこの若狭はそのような者もない。
お白は、京を離れ、それが、ずいぶん特異な事だと感じていた。
だが、都合の悪い事もある。
利兵衛は周囲の民家を見回しやれやれと考え込んでいた。
「せやけど、さすがに人の多さは、京にはかなわんなぁ。こんなんでお札売れるやろか?」
夫の言葉に、お白は辺りを見回す。
「……確かに。人もそうやけどなんや、いまいち活気が無いというか……若狭ってこんなもんなんやろか?」
確かに港町としては機能しているようだが、港に者たちやすれ違う者たちの視線がずいぶん気になった。
よそ者として警戒される視線も感じるし、何より生気のないものが多い。
「聞いた話やと、ここいらでは最近一揆がよう起こってるらしいからそのせいかもしれんな。重い税金とお武家さん同士のいざこざでそらえげつない事になってるちゅう話やけど」
「そんな物騒な所なん?なんで黙ってたんよ?」
「まぁ、ワシも本物の八百比丘尼さんに会いたいしなぁ……」
利兵衛のつぶやきに、お白はため息交じりに頷いた。
確かにこの国にやって来たのは、京にいられなくなったというのもあるが、本物の八百比丘尼をこの目で見てみたい、という動機がかなり多くを占めていた。
「そやな。どこかで商売始めるにしたって、本人に会うておいて損はないしなぁ。うまいこと言ったら、お墨付きもらえるかもしれへんし」
お白は、そう言うと辺りを見回し。付近の浜で網を修理していた老人に声をかけた。
「すんまへん。この辺に八百比丘尼って呼ばれてる人がおるって聞いたんやけど、どこにいてはるんかな?」
その言葉に、老人は驚いて振り向き、そして、彼らがよそ者であることを確認すると。悲し気な顔でうつむいた。
「ああ……、あのお方はもうおんならん。……おんならんのや」
老人の言葉に、二人は顔を見合わせた。
老人は庄三郎という、事情をよく知る男だった。
事情を聴くと、彼は山の麓まで案内してくれた。
そこには、草が生え放題になった中に朽ち果てた庵が佇んでいる。
その光景を眺めながら、庄三郎は語り始めた。
「八百比丘尼と呼ばれた尼、白椿尼様はこの土地での諍いにずいぶん心を痛めておんなってな。あれこれ心を砕いてくんなったんやけど、どうにもならず。最後はわしらの命と、武家たちから狼藉を働かんよう、禁制を出してもらう代わりに、この奥の洞窟に入定しなったんや」
それは、二人にとって驚くべき話だった。
まずは、「八百比丘尼」は本当に存在していたという事。
そして、その人物はしっかりこの地の人たちに影響を与えているという事である。
二人は顔を見合わせた。
「……入定って……なんや?」
お白の言葉に、利兵衛はがっくりうなだれる。
「……つまり、仏さんになるっちゅうこっちゃ。この場合、洞窟に閉じこもってそれっきりっちゅうこっちゃな」
「ええ!」
お白はようやく事情を悟り、声を上げた。
「ほな、不老不死の人が、自害したっちゅ事かいな?死なん人が死ぬ?なんやそれ?」
事情が分かったような、わからないようなお白。
それに、庄三郎はうつむいて答えた。
「白椿尼様は、争いを止められんかったことを、ずいぶん悔やんでおんなった。いろんな人が死んでいくのを見てきて自分は何しとったんやろかと……恐らくもう、長く生き過ぎて、お疲れにもなっとたんやろう。ええ機会やというて……」
「そんなことある?永遠の命やで?」
お白は理解ができなかった。
「どんな辛い事あったんか知らんけど、永遠の命を棒に振りたなるってなんなん?投げたら全部終わりやんか!」
お白はだんだん会った事もない八百比丘尼に腹が立ってきた。
彼女は苛立ちながら草むらをかき分け奥に進む。
そこには、岩で封をされた洞窟らしきものと、数本の椿の木があった。
「……これは?」
お白は、真っ赤に咲き乱れる椿に、目を奪われた。
「白椿尼様がお好きやった椿や。入定する時、「これが枯れたら自分が死んだと思うてくれ」と言い残した椿ですわ」
「……まだ、咲いとるやんか」
「……はい、ゆえに中を開けて仏になった白椿様を出すこともできず……」
そう言う、利兵衛に後で追いかけてきた利兵衛が、呆れた顔で椿を眺める。
「当たり前やんか。椿なんか丈夫な花やから大事に育てたらそら何百年も枯れへんで?言い残すにしても、もうちょっと他のん言うたらええのに……」
「……ほな、中でまだ生きてるいう事?」
お白の言葉に庄三郎はうつむき、利兵衛はやれやれという顔で大きく息を吐いた。
「あのな、お白。もう何年も経ってんねんで?なんぼ不老不死いうたかて、中で干からびてるに決まってるがな」
「……ほな、出したったらええやん」
ああそうか、と利兵衛はお白の言葉に、思わず頷いた。
そして、無言でうつむく庄三郎に目をやる。
彼は、その視線に、呻くように声を上げた。
「……怖いんや。中で亡くなってたらそんな姿見とないし。生きとったら、わしらはそれこそ合わす顔がない。……あれからも一揆は繰り返され、ぎょうさん人が死んだ。わしらを庇って入定した白椿尼様になんと言うたらええんか……」
「……まぁ、確かに死んどったら、不老不死やなかった事になるしなぁ」
老人の告白に、利兵衛は彼らしい理解をして頷く。
だが、お白は自分でも理解のできない憤りが湧き上がるのを感じた。
「……そんなもん、中確かめてから考えたらええやろ!」
お白は思わず叫んでいた。
どいつもこいつもなぜこんなに自分を苛つかせるのだろう。
世の中を憂いたという尼にも、それを止めようとしない庄三郎にも。
結局彼らは見て見ぬふりをしているのだ。
何もしない事で、問題を先送りにしたのだ。
お白は、怒りに任せて洞窟の前の岩を押し始めた。
だが、びくとも動かない。
お白は唖然とする利兵衛に声をかけた。
「アンタ!手伝って!」
それに利兵衛は、いよいよ呆れた顔で妻をなだめる。
「あのな、お白。もう何年も経ってるんやで?中で干からびてに決まってるやんか」
「それを確かめるために中を開けるんや!椿は枯れてないんやで?ウチが演じてた八百比丘尼がホンマもんなんかどうか、確かめたるんや!」
利兵衛の言葉をはねのけながらなおも岩を押すお白。
それに利兵衛は。
「……まぁ、死んどったらありがたい即身仏として、売り払うたらええか」
と、お白とは違った納得をして、岩を押し始める。
その姿に、庄三郎はただ、手を合わせ念仏を唱えていた。
そして、岩は徐々に動き。
倒れ、割れて砕けた。
それに、利兵衛はふうふうと汗をかきながら、頭を抱える
「……あーやってまいよった。お役人に見つかったらめんどくさい事になるでこれ」
「どうせ、禁制もとっくの昔に反故になっとるわ。……アンタ、蝋燭!」
「へいへい」
妻に促され、なんとか蝋燭に火を灯す利兵衛。
洞窟の底からは、澱んだ空気が流れだしていた。
そして二人は手を合わせる庄三郎を残し、洞窟の中に足を踏み入れた。
やや下に下って、右に曲がる。
そこには、暗くて先が見えないほどの空洞が続いていた。
左を照らすと、そこには石仏がある。
どうやら、ここはもとは石仏を納めた祠だったようだ。
そして、お白は周囲をくまなく照らす。
すると、石仏に向かい合うような位置に。それはあった。
土と埃にまみれたまま、瞑想する女性。
その少女のような顔は、数年ここに居たとは思えないほどみずみずしい肌をしており、お白は、一瞬それが精巧な作り物のようにすら見えた。黒く長い髪が恐ろしく長く伸び、
もはや尼とは呼べない姿になっていた。
「……ほんまに、おった」
その姿に唖然とするお白。
そして、利兵衛も、お白の背後から覗き込み、その姿に声を上げた、
「……嘘やろ?何年もここにおったんやろ。なんで干からびもせんで……」
と、そこまで言ったところで、尼はうっすらと目を開けた。
それはまるで、深い眠りから覚めたようだった。
それに、利兵衛はいよいよ悲鳴を上げて腰を抜かした。
それは間違いなく、生きた女だった。
埃をかぶってはいるものの、つい先ほどここに座ったかのような、若い……いや、幼いとすら言える尼。
お白は言葉を上げる事もできず、ただ茫然とそれを凝視していた。
彼女は、呼吸する事すら忘れていたのか暗闇の中で徐々に、そして必死に息を吸っていた。
そして唖然とする二人の前で、声を発する。
「……だれじゃ?すまぬが、儂はまだ滅してはおらぬ。仏になるまでもう少し待ってはくれぬか?毎日ここで、往生せんと祈ってはおるが、身の不徳ゆえごらんの通り不死のまま難儀しておる」
その女は、優しいが、しかし力強く、威厳を持って語っていた。
さながら、死なぬ自分を呪うような言葉に、お白はなんと言って良いか分からず立ち尽くした。
「……あんたを連れ出しに来たんや」
そして、絞り出すようにお白は声を上げる。
女はそれに、ゆっくりと首を横に振った。
「お気持ちはありがたいが。これは、さる約定を果さんがためのものでもある。皆の命と、利益がかかっているのだ。そう動くわけにはいかん」
女は、庄三郎が言ったのと同じことを言いだした。
それにお白は、やはり言い知れぬ憤りを覚えた。
「……ここに何年おったと思とんねん。そんなもん、とっくに反故になっとるわ」
女はそれに、
「……そうか、やはりな」
と小さく頷いただけだった。
お白はそんな尼にやはり言い知れぬ憤りを感じた。
「「やはり」って何やねん!なんか言わんかい!お前のやった事はぜーんぶ無駄になって、この国は一揆が起こり続けとるんや、こんな所で籠って木乃伊になったって何も良うならんわ!」
「……おい、お白。そんな言い方したらばちが当たるで……!」
あまりの剣幕に流石にお白をなだめる、利兵衛。
だが、お白は止まらなかった。
彼女は懐からお札を取り出し。女に見せつける。
「この札見てみぃ。アンタの名前を騙って作った、何のご利益もない、インチキの札や!こんなもんでもな、みんな少ない銭はたいて買いにくんねん!誰も何もしてくれへん、糞みたいな世の中やから、せめてなんかにすがりたいと、インチキかもしれへんけど買いに来るんや!]
女は答えなかった。
ただ、うつむき、黙ってお白の訴えを受け止めていた。
「不老不死やのに……死なへんのに……動けるのに!何様のつもりでここにおんねん!お前も同じか!手を合わせても何もしてくれへん、インチキの仏像と一緒か!?ほんなら、嘘でも夢を見せて銭稼いでるるウチらの方がましやないか!……悔しかったらな!外に出てこのお札の一枚でも売ってみい!」
そう言って、札を叩きつけるお白。
女はしばし何も答えなかった。
一通り叫んで、肩で息をするお白の前で、座ったままうつむく。
そして
「……そうか、このままではインチキの仏像か」
とつぶやくと、ゆっくりと顔を上げた。
「確かに、長い間苦しみに耐えても、儂は死ねぬ。であれば、儂にはまだやることがあるのかもしれぬ、御仏はそれをお望みなのかもしれぬ……じゃが、出たくても出れぬ事情があってな」
「……なんや?」
「長年、ここで座禅を組んでおるので、足がそれこそ石のように固まっておるのだ」
八百比丘尼はそう言うと、気恥ずかしそうに笑った。
数日後、八百比丘尼のいた洞窟の前にお白と利兵衛はいた。
二人は、岩が割れ、口が開いた洞窟の奥に祭壇を設け、奥へ続く入り口をふさぐ作業を終わらせてほっと息をついていた。
この中に八百比丘尼は居ない。
だが、いるように信じさせることに二人はした。
それはあの八百比丘尼、そして庄三郎と話した結果。
八百比丘尼は、伝説のまま姿を消すことを選んだのである。
その上で、やれることをやる。
それが現状を踏まえた上での彼女の決断だった。
「八百比丘尼さん、もう京についたかなぁ?」
空を見上げ、お白がつぶやく。
それに利兵衛は、洞窟の入り口に、結界を張りながら頷いた。
「そうやな、あの足もちょっとほぐしたらすぐ元に戻ったから。そんなに苦も無く京まで行ってるんちゃうか。なんせ飲まず食わずでも平気なんやからな、便利なもんやで」
ここで姿を現しても、混乱が増すばかりなので、やれるかどうかは分からないが自分は京で足掻いてみる。
それが、八百比丘尼の言い残した言葉だった。
お白は、見た目は自分より年下にしか見えない尼の姿を思い出し考える。
そして、空を見上げたまま、夫に語り掛けた。
「……うち、信じたかったんや。」
「なにを?」
「長生きはできるし、生きてたらええことあるって、どこかで仏さんみたいな人がおって、うちらを助けてくれるんやって……せやから、あんな八百比丘尼はんをみたら、腹立ったんやろな」
お白の言葉に利兵衛は頷いた。
「……せやな、わしらはどんな阿保みたいな世の中でも、足掻くしかないんや。神様も仏様も、八百比丘尼さんも働き者が一番っちゅうこっちゃな」
二人はそう言うと互いに笑みを交わす、そして立ち上がり、パンと手を叩いた。
「ほな、ウチらも働こか!」
そして二人は旗を掲げ、鐘を鳴らし、大声を上げる。
「さぁさぁ、お参りあれ!お参りあれ!これなるは不老不死の尼八百比丘尼の入定したる洞窟!ここに参れば、不老長寿の御利益間違いなし!合わせてこちらにご寄進下されば、この札にてご利益をお分けいたす!さぁお参りあれ!」
二人の声は、後瀬山に、そして小浜湊に響き渡った。
八百比丘尼の洞窟に参ると、不老長寿の御利益がある。
この話は、人々の話題となり、京からも巡礼者を呼び寄せる事になった。
八百比丘尼の伝説は、こうして若狭国のみならず、京へと広がっていったのである。
そしてもう一つ、小浜湊の人々だけに密かに語り継がれた話がある。
曰く、
「あの洞窟は奥があり、それは京までつながっている」
真相は定かではないが、その話は代々語り継がれていくことになる。
後年、若狭国守護武田氏に朝廷から勅が発せられ、公式に若狭国の天皇御料の管理権が認められた。
これにより、一色氏残党の支配は弱まり、一揆は沈静化していくことになる。




