首と語らった男
なまんだぁぶつ
なまんだぁぶつ
なまんだぁぶつ
老若男女の念仏を唱える声が響き渡る。
遠くに見えるは織田方の軍勢の旗。
こちらを取り囲む兵士たちは火縄銃をこちらに向けている。
「皆やめろ!ここは引くのだ!今立ち向かおうとてかないはせぬ。今はなんとしても生き延びて次の機会をまつのだ!」
弥八郎は周囲に叫んだ。
だが、念仏の声は止むことはない。
なまんだぁぶつ
なまんだぁぶつ
なまんだぁぶつ
弥八郎は、彼らを指揮する立場であったはずだ。
だが誰も彼の言葉に耳を傾けようとはしなかった。
弥八郎はその状況に、愕然となった。
「わしらの村を捨てて逃げろと言うんか!」
男が声を上げる。
それに弥八郎は大きく首を振る。
「このままでは皆死ぬ!今は耐えるのだ!」
「阿弥陀様が守ってくださる!」
だが弥八郎の声は別の男の声と、そして周囲の念仏にかき消された。
そんな皆に、あきらめずさらに何か言おうとした弥八郎だが、それは鎧姿の僧に押しとどめられた。
「臆したか!いかに不利な状況とて、阿弥陀様が守ってくださる。たとえ我らがここで討たれたとて、我らは極楽浄土へ導かれるのだ!お主はここで捨て石になろうと言う皆の覚悟に水を差すのか!」
こ奴らに、一体なんと言えばいいのだ。
僧のいう事に賛同する周囲に、弥八郎は呆れと絶望で膝をつきそうになった。
「臆しているのはどちらだ!矢玉が尽きて戦が劣勢だからとて自暴自棄になるな!ここで死んでも犬死だ!いたずらに死に門徒を導くな!」
「犬死ではない!」
とうとう僧は弥八郎を突き飛ばし叫んだ。
「今から命を賭して戦い。仏敵信長に目にものを見せてくれよう!死を恐れるな!阿弥陀様は見てくださる。王道楽土の為捨て石となったわれらを阿弥陀様は極楽に導いてくださるだろう!」
なまんだぁぶつ
なまんだぁぶつ
なまんだぁぶつ
「かかれ!」
そして、皆は念仏声と共に、敵陣に突撃を開始した。
「やめろ!」
弥八郎の声は、雪崩をうって突撃していく一向宗門徒の波と、念仏の声にかき消されていった。
そして、銃声と絶叫が響く。
それは戦とすら呼べない凄惨なものだった。
もともと敗戦を重ね、数が減っていた門徒は次々に鉄砲でなぎ倒されていく。
気迫で敵陣にたどり着いた者は居るにはいたが、すべて待ち構えていた武者たちに切り伏せられた。
そして「根切り」が始まった。
逃げまどう門徒を鉄砲で撃ち、槍で刺し、刀で切り付ける。
村は焼かれ、女子供関係なく、命乞いも聞かずに切り捨てられた。
山に逃げ込んだものを追いかけ、山狩りが始まる。
気付けば、弥八郎は山の中を一人、足を引きずりながら彷徨い歩いていた。
逃げ道はもはや塞がれた。
唯一囲みが薄い所は、険しくて先に進めぬような場所だ。
それを確認し、呆然と引き返してきた弥八郎は、山野に転がる門徒たちの大量の骸に愕然となっていた。
織田方の侍の骸に交じって、女、子供、尼の骸まである。
まさに根切り。
弥八郎は折れて役に立たなくなった刀を投げ捨て、力なくその場に座り込んだ。
さてどうするか。
弥八郎は、水筒の水を飲み干し、呼吸を整えながら考えた。
道という道は塞がれた、背後は険しい野山ばかり。
自分は昔の戦で足を痛めている。
追いかけられるような状況に陥れば、まず助かるまい。
前に出て斬られるか、山中で野垂れ死ぬか、獣の餌になるか。
周囲に織田方の兵が見当たらぬのも気にかかる。
こうやって、一休みできるのはありがたいが、なぜ?
追いかけている方も根が尽きたのかもしれぬ。
しかし、夜になってうっかり火でも使えば、こちらの場所が知れてしまう。
弥八郎はそこまで考えて、火から連想される答えを口にした。
「……いやもしかすると山に火を放つつもりかもしれんな」
あ奴らならやりかねん。
恐らくあの様子では、徹底的な根切りの命が下されているのだろう。
門徒が寄せ集めとはいえ野山に潜伏されては厄介なものだ。
自分が大将でもそうするかもしれぬ。
弥八郎は、自分が導き出した最悪の結論に、体の力が抜ける思いだった。
なまじ先が見えるというのも困ったものだ。
これなら何も考えず、敵陣に飛び込んでいき、鉄砲に頭を打ち抜かれた門徒の方がいかに楽だったか。
弥八郎は覚悟を決めねばならないと考え始めていた。
「火を放たれるのは困るな。この期に及んで丸焼けにされてはたまらぬ」
ふと、傍らで声がする。
振り向くと、そこには切り落とされたうら若い尼の首が転がっていた。
「……さて、いよいよ亡者の声が聞こえるようになったか」
いよいよ自分も正気を失ったか、それとも亡者の霊が語り掛けているのか。
自分もぼちぼちそちらの仲間入りをすると思うと驚く気にもならない。
弥八郎は力なく笑い、首に語り掛けた。
「間もなく荼毘に付されると思えばよい、言葉が出るなら念仏を唱え、阿弥陀様に極楽に行けるようおすがりせよ」
だが首はそれを迷惑そうに受け止めた。
「悪いが儂は門徒ではない。どちらかというと阿弥陀様には嫌われておる口でな。このような姿になっても極楽どころか地獄にも行けぬ」
さて、顔立ちに似合わぬ、年老いた物言い。
弥八郎は顔をしかめて、もう一度その首を覗き込んだ。
「物の怪の類か?」
その問いに、首は自嘲気味な笑みをみせた。
「まぁ、親戚のようなものよ」
これはなんだ?
弥八郎はただでさえ余裕のない状況に現れた怪異に煩わしさを感じた。
疲れ果てた中、山中で死の危険が迫っているのだ、こんなものを見ることもあろう。
悪いが、驚く気力もない。
弥八郎は深くため息をついた。
「物の怪にしては間抜けな奴だ。門徒でもない者がここで転がっておる」
「旅の途中でな。戦の話を聞いて。戦の仲裁役か怪我人の手当て、最悪弔いでもできぬものかと思うてな。うかつに立ち寄ったらこの通りよ。あ奴ら見境なく斬ってきおった……まったく、胴から首が離れるのは初めてではないが、気持ちのいいものでもないし、元に戻るには時がかかる。この上、焼かれたとあってはたまらぬ。こう見えて、痛いし、熱いのだ」
「その物言いだと、体を焼いたこともあるのか?」
「一度な。二度は御免というものじゃったぞ」
弥八郎は首の物言いをさすがに笑った。
確かに、焼けただれるのは惜しい顔立ちと肌をしている。
弥八郎は横倒しになった首を石の上に置いた。
泥を落としてやろうかと思ったが、自分も血と泥にまみれており、無駄な事と悟って少し土を払い落とすだけでそのままにした。
死ぬまでの短い間、こいつに話し合ってもらおう。
弥八郎は、そんな事を考えながら、首の前に腰を下ろした。
「申し訳ないが、ワシにできることはこれくらいじゃ。ワシはこれから山を下りて斬られるかここで野垂れ死ぬか焼け死ぬかよ」
なにか不思議と諦めがついたのかどこか開き直ってそういう弥八郎。
首はそれを憐みの表情で見返す。
「……むごいものじゃな。女子供構わず切り捨てるとは。これが人の所業とはとても思えぬ」
物の怪が人の行いを憐れむとは。
弥八郎は苦笑した。
「そうかな?なるようになっただけよ。ワシは別に惨いとは思わぬ」
「……どういう事じゃ?」
首は弥八郎の言葉に意外そうな顔をした。
物の怪にしては人間味のある奴だ。
弥八郎は重ねて苦笑した。
「女子供に武器を持せているのだ、向こうとしては生かしておく道理が無い。普通の戦なら領主の首を取れば終わりだが、門徒相手ではそうはいかぬ。一人一人の心を変え、教えを捨てさせねばならん……そんな事が容易にできるはずもない」
「……なるほど、確かにそう考えれば、手っ取り早い方法だな。」
「……つまるところ因果が巡ってきただけの話よ。武器を持って戦いを挑んだのだ、今さら助かろうなどと虫の良い話ではないか」
「……お主、門徒にしては変わった男だな」
今度は弥八郎が笑われる番だった。
まったくだ、と弥八郎も頷く。
「元は三河の侍だ。一揆に加わって主君に歯向かい追放され、加賀に流れ着いた。一応武将として門徒を率いておったが……ごらんの通りよ」
「……随分、厳しい戦だったようだな」
「厳しいも何も、元より勝ち目のない捨て駒だ。勝てようはずもない」
自嘲気味に笑う弥八郎尉。
首は険しい表情になった。
「……お主、解っていながらここに来ておったのか」
「言うてもどうせ聞き届けられぬのだ。致し方ない。……いや、あれこれ言いすぎて疎ましがられたのかもしれんな。それならば、と策を練ってあれこれ考えてみたが、どうにもならなかった……戦に不慣れな門徒たちではまともに動けぬ。皆、恐怖に負けて言う事を聞かなくなってしまった。」
そして、弥八郎は大きく息を吐いて曇天の空を見上げた。
「これが主君を裏切って王道楽土を求めた者のなれの果てよ。皆で作る国に希望を抱いてやってきたが、結局周りとの戦に明け暮れ、結果門徒全員をこのようにむごたらしい死に追いやったのだ。……このような地獄絵図を作り上げるのが阿弥陀様の思し召しとは到底思えぬ。ワシは……そう、そうだな、疑いを持ってしまったのだ」
「……死ぬのが怖くなったか」
「……そうかもしれぬな。ワシには、何も考えず、ただ他力本願を信じて、虫けらのように死ぬことをどうしても受け入れられなかった。主君を裏切ったものがついには阿弥陀様をも信じられなくなったのだ」
「……お主は利口なのだな」
「どうだかな。こんな状況になっている者が利口かどうかは判らん。……だが、もう少し気づかんままであったら、とは思うな。何も考えず武器を持って正道を騙り、戦場で死ぬ方が楽な気がしてならん」
そう言って、弥八郎は瞑目した。
知恵が回るという自負はある。
それなりに軍略の知識も、戦場での経験もあるつもりだ。
だが、門徒の中にいるにはその利口さがなんと邪魔な事か。
悪戯にいろいろなものが見える分、周りが愚かに見えて仕方がない。
導くような立場でもなければ、一緒になって死地に飛び込むようなこともできぬ。
「利口さ」とは一体何なのだ?
弥八郎は笑うしかなかった。
そんな落ち武者に、首は静かに口を開く。
「……そうだな、皆。楽がしたいのだ」
それは、弥八郎の言い様に、何かを気づかされたような口調だった。
「仏法と正義を唱え、死に向かう事は確かに楽な事だ。……何も考えなくてよいからな。考える時間すらない。対して儂のように死ねぬまま、この世に居続けることのなんと苦しい事か、この世は永久に解けぬ理不尽と、苦悩に満ちた業の世界じゃ。そこで利口なことはただ苦痛でしかない。思えば儂は、このような苦悩を体現するためにこのような罰を受けているのやも知れぬ。知っている者はそれに責任も、使命もついてくるのだ」
「ほう?お主はワシと同類か?」
怪しげな首がとうとう説教を始めた。
弥八郎はいよいよおかしくなって嗤った。
だが、次の言葉に弥八郎ははっとなった。
「そう、お主にも使命があるのだ。それこそ阿弥陀様のお導きではないか?」
それは、今のこの弥八郎が思っていない言葉だった。
「……使命?このワシに?この期に及んで阿弥陀様は生きよというのか?主君を裏切り、家を捨て、挙句念仏を唱える事すらやめようとしているこのワシにか?」
「……それでも阿弥陀様は許してくださる。儂と違って、お主にはいずれ「死」という救いがあるのだ。今は、そしてこの場はそうではない……それだけの事よ」
もしやこの首は、阿弥陀様のお告げを降しに来たのか。
首の言葉に、弥八郎は体中の力が抜け落ちながら、頭が冴えていくのを感じた。
それは、先ほどとは違い自分が生きるために何をせねばならぬのか、という方向へ動いていた。
「阿弥陀様は、もっとワシに苦しめと、そうおっしゃるのか?この世で、生きながらえて……」
「……そうかもしれぬな。お許しがあれば、阿弥陀様はお主を迎えに来よう。それまでは、せいぜい足掻くのだ」
首の言葉に、弥八郎は顔を引き締めた。
「なるほど、良くわかった。ならばお主が御仏の使いか、ただの妖か試してやろう」
弥八郎はそう言って腹を決めた。
夕暮れ。
いよいよ薄暗くなってきたところに、一人の雑兵が足を引きずりながら山を下りてきた。
鎧の上に法衣を着てやってきたその者に待ち構えていた織田方の兵たちは一斉に色めき立ったが、味方の旗差し物と、小脇に抱えた僧の首に全員が首を傾げる。
「おおう、やめよ、やめよ。味方じゃ!僧の着物をはぎ取ろうと追いかけまわして居ったら転んで、道に迷うてしもうた」
そう言って手を振る泥だらけの男の声に、一同はあきれ顔で武器を下ろした。
「柴田様より、門徒どもは切り捨てじゃと指示があったはずじゃ。首など追いかけてどうする!」
「そうは言うても、みよ!この見事な衣。さぞ名のある将に違いないと思うてな」
そう言って、首を見せびらかす男。
それを覗き込んだ一同は、その首の容姿をまじまじと覗き込んだ。
いまにも動き出しそうな生気溢れる首になにか不気味な物を感じつつ、一同は顔を見合わせる。
「これは、子供……というか女子ではないか?」
余りに整った、しかも幼い顔立ちに困惑する一同。
それに男はまじまじと顔をのぞき込んで顔をゆがめる。
「なんと!薄暗いので顔など見てもおらなんだ!……しかし、だいぶ手練れじゃったぞ?本当じゃ!髪の毛が無いから、ここまで持ってくるのに難儀したんじゃぞ?」
必死に手柄を主張する男にあきれ顔で解散していく一同。
まったく相手にされなくなり、男はとぼとぼと足を引きずりながら、本陣の方へ歩いて行った。
そして男は、迂闊にも置き去りにしてある陣昼食を鼻歌交じりにくすね、顔をぬぐい、本陣を横切り、徐々に人気のない場所へ歩いていく。
夜のとばりが降りる頃には、男はすっかり織田方の陣の裏側に出ていた。
そして男は周囲を見回すと、鎧を脱ぎ捨て始める。
弥八郎はこうして、まんまと織田方を欺き、逃げおおせて見せた。
「役者じゃな」
鎧を投げ捨てる弥八郎に、今まで沈黙を守っていた首が話し始めた。
やはり、未だ言葉を話すことに驚きつつ、弥八郎はそれににやりと笑う。
「この期に及んではなりふり構ってもおられまい……正直、うまくいくかは五分もない策だったが……お主は本当に阿弥陀様の使いなのかもしれぬな」
「……どうじゃろうな?このような禍々しい恰好でも極楽へ導いてくださらぬので、儂は恨んでおるのだが。」
弥八郎の言葉に今度は首もにやりと笑った。
弥八郎はそれに
「ではワシと同じだな」
と笑う。
そして、遠くで山に火の手が上がるのを眺めながら、首は弥八郎を見た。
「これからどうするのじゃ?ここから加賀に戻るか?」
「いや、今更加賀には戻れん。ワシの見たところあそこもそう長くはあるまい」
「では?」
「三河に帰る。女房、子供に会うて……それからは阿弥陀様のお導き次第じゃな。ここで一度死んだと思えば、何でもできよう」
どこか吹っ切れた弥八郎の言葉に、首は微笑んだ。
そして、彼の背中にもう一度話しかける。
「ならばこの先に顔見知りの僧が居る寺がある。夜が明けたらその衣と共にそこへワシを連れて行ってはくれぬか。おぬしはそこで体を休めるなりして、旅に備えるとよい」
首の言葉に弥八郎は大きく頷いた。
「よかろう。これも何かの縁じゃ、もう少し、お主に付き合ってやる……ただし」
「……なんじゃ?」
「ワシ以外の前で、みだりに口を開くなよ?下手すればワシまで物の怪と思われるからな」
そう言って弥八郎は豪快に笑った。
そして、弥八郎は、数日の休養を経て、故郷の三河へと帰っていった。
彼にどのような使命があるのか、阿弥陀様はどのような使命を下されるかは分からないが、頭の回る男なので、心配は無かろう。
八百比丘尼はそんな事を思いながら、旅立つ弥八郎を見送った。




