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八百比丘尼の語り部  作者: 宮城 英詞


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13/21

ただそこにあるモノ

「お待ちください!白椿様」


 月照は先を歩く自分の師、白椿に声をかけた。


 ここは人気のない山の中。


 獣道を越え、周囲には草木が見えなくなり、荒涼とした岩山の連なる景色が前面には広がっていた。


 心を奪われるような、絶景が広がるが、その代わり夏だというのに肌寒い風が吹いている。


「なんじゃ、若いおのこがだらしない。どこまでもついていくというたのは、お主ではないか」


 のどかに景色を眺めていた白椿は弟子の言葉に振り向くと、悪戯っぽく笑った。


まったく、この師は時々、こうやって少女のように自分をからかうのだ。


 月照はそれに疲れ果てた顔で、肩を落とし、必死に師の後を追い、岩だらけの山を登った。


 一見、少女の顔をした白椿だが、「八百比丘尼」と呼ばれる齢百を超える不老不死の尼である。


月照は、子供のころから彼女の世話なっており、いわば押しかけで弟子になったばかりの者だった。


古い知人に会わせてやろうというのでついてきたのだが、今自分が歩いているのは、険しい山どころか、この世の物とは思えないほど荒涼とした岩山だった。


さて、ここは地獄か、極楽か。


こうなると美しい景色も、怪しげなものに見えてくる。


月照は、とんでもない所に来てしまったことを、いやでも感じ取っていた。


「よろしいのですか?ここは霊山、女人禁制の修験者の修行の場でございます。見つかったら叩き出されるだけでは済まないかもしれません」


ようやくたどり着き、月照は肩で息をしながら、白椿に問うた。


長年の旅できたえられているのか、それともこれが不老不死の力の表れか、白椿は疲れた様子をみせていなかった。


それどころか、従者を叱るお姫様のように月照を叱咤する。


まるで自分の方が老人になったようだ。


月照は、この師の霊山の掟など、どこ吹く風の様子についてきたことを少し後悔していた。


「どこにでもついてくると言うたのはお主ではないか。儂は何度かここを訪ねておる。叩き出されるのなら。あやつがそれを望んでおらんのよ」


「……それは、師の言われる「山の神」という者ですか?」


「まぁ、そう言う事じゃ」


そしてまた、白椿は少女のような顔で笑う。


まったく、自分はからかわれているのか試されているのか。


月照は、その笑顔に癒され、疲れを一瞬忘れてしまっている己に未熟さを感じていた。






 岩陰を見つけ、火を起こす。


 辺りが薄暗くなっても、その「山の神」とやらは現れることはなかった。


 そして白椿は、手にした餅などの供物を、岩の上を祭壇に見立てて置き、そして静かに腰を下ろした。


「神降ろしを行うのでございますか?」


 月照がそう尋ねると、すっかり薄暗くなった闇を見つつ、小さく頷いた。


「まぁ、尼じゃから、そんなたいそうなものは教えてはもらえぬのでな。見様見真似の、ほんの供養じゃ」


「供養?でございますか」


「山には、修験者や木々。畜生たちの霊が神となっているのだ。この山のヌシと会ったのも、そう言う供養をしに行くうちに会うたのよ。今日は二人じゃから現れるか分からぬが……まぁ、天気も穏やかじゃから、嫌われてもおらんのじゃろう」


 そう言うと、白椿は静かに経を唱え始めた。


それは、月照も日常的にやっている程度の物だった。


なるほど、そう言う供養をしに来たのか。


そう納得すると、月照も従い、ともに経を上げる。


一体それをどれほど長く続けていたのか。


突然それは起った。


ごう、と風がないだと思うと、焚火の薪が吹き散らされ、蝋燭の火のように消える。


一切の灯りが絶たれ、辺りは一寸先すらも見えない暗闇に包まれた。


だが、白椿は読経を止めようとしない。


暗闇の中、目をつぶり必死に経を唱える月照の耳に、今度は岩の音が響いた。


こつ、こつ、こつ……


風に吹かれて落ちて来たのか、岩が転がる音が近づいてくる。


それがさながらこちらに近づいてくる足跡のように聞こえ、月照は読経するのも忘れその音に耳を澄ましていた。


こつこつこつ……。


それは、だんだんこちらに近づいてくる。


遠い向こうから、こちらをめがけて。


このままでは岩がこちらに飛び込んでくるのでは?


と、月照は危険を感じたが、白椿は読経を止めようとしなかった。


そして、岩の音がぴたりと止まる。


さながら、目の前で立ち止まったかのように。


そして月照は、その暗闇の中に何かの気配をしっかりと感じ取っていた。


そこに、何か「いる」


それは、目で見たものでも、耳で聞いたものでもなかった。


周囲の空気と、肌で感じ取れる気配。


月照は暗闇の中、初めて感じる違和感に戸惑っていた。


こつ、こつ、こつ


そしてまた岩の転がる音がする。


それは、月照の右側を通り抜け。


背後に、周り。


そして左側を登っていく。


月照は、いよいよ、おかしな現象が起きていることが錯覚でない事を確信し、恐怖で身動きが取れなくなった。


岩の音が、月照たちの周りを回っているのである。


ここは山の傾斜地。


落ちていくならまだしも、「回って」いるのである。


音が山肌を「下り」、自分の後ろを通り抜け、「登って」いるのだ。


ありえない事だ。


月照は暗闇の中、硬直したまま暗闇を凝視した。


こつこつこつ


音は止まらない。


まるで自分たちを観察する獣が周囲を歩くように。


こつこつこつ


それは、規則的に月照たちの周囲を回っていた。


そして、白椿の読経が終了する。


不思議な事に、彼女の読経の声がすると、その岩の音はピタリとやんだ。


そして今度は、周囲に生暖かい風が吹く。


それは、獣と苔の匂いがまざったような、奇妙で、そして存在感を確かに感じさせる風だった。


たとえて言えばそう、


獣が目の前で口を開け、息を吐いたような……


そして、月照は先ほど感じた気配が、目の前に「来た」事を感じ、鳥肌が立った。


それは、まったく見えはしないが、確実に目の前にいて、こちらを「見て」いる。


上手く説明できないが、月照はそれを肌で感じ声を上げられなくなっていた。


「久しいな。今夜は弟子と共に来させてもらった」


そして、暗闇から白椿の声がする。


自分に語り掛けられたものではないが、それでも月照は、地獄で助けを得た思いだった。


だがそれに返事はない。


生暖かい匂いが周囲に漂い、気配が遠ざかったり近づいたりしている。


月照は今度は沈黙の中でただ気配を感じるだけの、またもや身動きが取れない状況に追い込まれた。


読経がない分時間の経過すらわからなくなってくる。


暗闇と沈黙の中、その異常な「世界」は無限とも思える時間の中で、静かに澱んでいた。


動悸が止まらない。


体から汗が噴き出してくる。


何も見えないのに、


いや、何も見えないからか。


月照は体中から泡立つ恐怖心に戸惑っていた。


これが神なのか。


それは、人を愛しているわけでもない、恐れているわけでもない。


ただそこにあるモノ。


その前では、自分のような人間は、虫や草木と変わらぬものでしかない。


恐ろしく高い所からそれは自分たちを見下ろしているのである。


そんなものが、自分の目の前にいる。


ほんの花を摘むような感覚で、自分の命など吹き飛んでしまうかもしれない。


月照はその事実を肌で感じ、手足を動かすことも、息をする事すら慎重に行わなければならない気になっていた。


そして、空気が静止し、時間が流れる。


ふっと、匂いと空気が風に散った事を感じたその時、月照は空が白みだしたことに気が付いた。


暗闇から周囲の景色と、そこに佇む白椿の姿が浮かび上がる。


緊縛を解かれたように脱力した月照は、その後ろ姿を呆然と眺めていた。


やがて、山々に太陽の光が差し込む。


白椿はその太陽光を、ただ静かに眺めていた。



月照がようやく言葉を発することができたのは、周囲が完全な朝になったと認識できてからだった。


「……私は。夢を見ていたのでしょうか」


呆然と言葉を発する月照。


良く見ると供えたはずの供物は跡形もなく消えている。


月照はそれに改めて鳥肌が立った。


だが、そんな自分をよそに師、白椿はただ昇る朝日を眺めていた。


「……あれが、儂の知る「神」というものじゃ。この山と同じく、ただそこにあるものだ。月照よ、お主にはどう見えた?」


どこか、旧知の物を見送るような、寂しげな顔で語る白椿。


それに、月照はただ正直に、ありのままの感想を述べた。


「言葉に言い表せませぬ。しいて言えば、恐ろしい。そう、ただ、恐ろしく……」


月照の言葉に白椿はうなづいてほほ笑んだ。


「……そうじゃな。あ奴の前では、人間など草木や虫と変わらぬ。人はそう思われるのが怖いのじゃろう。世俗で積み上げた、地位も、名誉も、富も、そして命のはかなささえも、神の前では皆等しい。じゃから人は神の前では恐怖を感じるのじゃろう」


「……私はまだ未熟という事でありましょうか」


先程までの体験から未だ立ち直れない、月照は、力なく項垂れた。


だがそれに、白椿は首を横に振った。


「そうではない。神は神であり、人は神を畏れる。それでよいのだ。お主には、そう言うものを実際に見せてやりたくてな」


なるほど、確かに月照は、この一夜でなにか価値観が大きく変わったような気にされられていた。


 少なくとも、この世には目に見えぬ「何か」がいることを感じ、信じるようになっていた。


 そして、月照はそんな体験をさせた師の表情に驚いていた。


「……白椿様は恐ろしくはないのですか」


まるで旧知の友にでも会って来たかのような表情の白椿。


彼女は弟子のその問いに、やはりどこか嬉しそうに答えた。


「儂もな、あ奴の前にいると、自分もちっぽけな人じゃと判らされるのじゃ。じゃから心地よい」


「心地よいのですか?」


「左様、あの山を見上げた時。青い空を見上げた時のような気分じゃ。長生きしておると、そうちっぽけに扱われても、腹の立たぬ相手はそうはおらんからな」


 それは、師が、あらゆる執着を捨ててしまったからだろうか?


 いや、彼女は捨てざるを得なかったのだ。


 永久の寿命を持った彼女には、あらゆるものが儚く見えているのだろう。


 だから、山のような雄大で永遠なものに安心するのだ。


「やはり私はまだ未熟者のようです」


 月照は、神に恐怖した、執着の多い自分の未熟さを恥じた。


 だが。彼女はただそれに頷くだけだった。


「一人前の者が誰かの弟子になったりはせぬ。人は、死ぬまでが修行じゃ。そして、儂は

永久に修行の身」


「……白椿様」


「儂は別に、僧としての修行をしたわけではない。ただ人ならざる者として、この世にあるのだ。儂は弟子など育てられるような言葉を持たぬ。儂が何のために、ここにおるのか。儂の姿になにを見るのか。お主は儂の姿から何かを学んで行かねばな」


白椿はそう言うと。ただ一人の弟子に、朝日を背にしてもう一度静かにほほ笑んだ。


月照には、それが自分の前に現れた、仏の姿に見えてならなかった。






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