6.冷えゆる風と秘めた心
山々が色鮮やかな紅葉に染まったのも束の間、越後の空はどんよりとした鉛色に覆われ始め、初冬の冷たく澄んだ風が春日山城を吹き抜けるようになった。
村での収穫作業や水車小屋の稼働、そして醤油仕込みの準備もひと段落し、本格的な農閑期を迎えた。
泥に塗れて駆け回っていた日々が嘘のように、私は城内に与えられた屋敷の中で静かに過ごす時間が増えていた。
……はぁ。
何度目になるか分からない溜息が、口からこぼれ落ちる。膝の上に置いた手持ち無沙汰な指先を見つめながら、私はぼんやりと庭の落ち葉を眺めていた。
城内は今、いつにも増して華やかで、どこか浮き立った活気に包まれている。
それもそのはずだった。
――上杉家当主、上杉輝虎様と、関東の有力大名である千葉氏の姫君(近衛家の縁者とも囁かれる高貴なお方)との間で、正式な政略結婚の交渉が進んでいるのだ。
「これでようやく我が上杉家にも、お館様の血を引くお世継ぎがお生まれになる!」
「名門・千葉家、ひいては公方様や摂関家とも縁が繋がるとなれば、我が家の威光はますます高まりましょう!」
大広間を通りかかるたび、直江さんや本庄さんたちが嬉しそうに顔を綻ばせている声を耳にする。柿崎さんまでもが「これで殿も腹が据わるというものよ。」と酒を酌み交わしていた。家臣たちにとっては、待ちに待ったおめでたい報せ。戦国大名として、家を存続させ、他国との絆を深めるための「当然の決断」だ。
なのに。
「……なんで、こんなに胸がモヤモヤするんだろう。」
自分の胸の奥に芽生えた、重くて冷たい不快感の正体が分からず、私は膝を抱え込んだ。
___輝虎様が結婚する。どこかの美しくて家柄の良いお姫様を正室として迎える___。
それは歴史の必然だし、一人のタイムスリップしてきただけの不審者――いくら「天女」なんて奉られていても、ただの異邦人にすぎない私が口を挟めることじゃない。分かっている。頭では、痛いほど理解しているのだ。なのに、輝虎様が誰か知らない女性を抱きしめ、優しく微笑みかける姿を想像するだけで、胸の奥がキュッと締め付けられるように痛む。
戦国時代に来てから、いつも味方でいてくれた人。
優しくて、温かくて…愛おしいと言う様に見つめてかれた人。
たとえそれが『天女』と言う肩書きのせいだとしても…味方のいないひとりぼっちのこの時代で、私には大きな、大きな意味を持っていた。
「……バカみたい。私、何期待してんのよ。」
ポツリと呟いた言葉は、寒風にかき消された。
その日の午後。
冷気を含んだ風が庭の散り残った紅葉をパラパラと散らしていた。縁側にぽつんと座っていた私のもとに、静かな足音が近づいてきた。
「葵。」
低い、けれど心地よい声。
振り返ると、白い頭巾を脱ぎ、格式高い羽織を纏った輝虎様が立っていた。その手には、小ぶりの酒木箱と器が握られている。
「て、輝虎様……!?」
慌てて立ち上がろうとした私を、お館様は優しく手で制した。
「そのままにしておいてくれ。……少し、隣を借りても良いか?」
「は、はい……!」
輝虎様は長い足を折って、私のすぐ隣に腰掛けた。ふわりと、彼独特の凛とした、かすかな線香と澄んだ冬の風の香りが鼻腔をくすぐる。
「…冷えるな。越後の冬は早い。」
「そう……ですね。」
輝虎様は自分の盃と、私にも小さな盃を置くと、なみなみと澄んだ酒を注いだ。そして、盆の上に置かれた小さな皿を指差す。そこには、鮮やかな橙色の干し柿と、丸々としたきな粉団子が盛られていた。
「酒の肴だ。葵は甘いものが好きだと、梅から聞いてな。」
「ありがとうございます……。」
二人で並んで縁側に座り、散りゆく赤や黄色の葉を眺める。……輝虎様は多くを語らず、静かに盃を傾けていた。その横顔はどこまでも端正で、横から見る鼻筋や長いまつ毛、凛とした唇のラインがあまりにも美しくて、直視できずに私は思わず目を逸らしてしまった。
静寂が重い。
自分の胸の鼓動が聞こえてしまうのではないかとヒヤヒヤして、私はたまらず沈黙を破るように口を開いた。
「あ、あの!村のみんな、収穫が終わってすごく喜んでるんです。水車小屋も順調に動いてて、熊さんが『もっとデカい水車を作る!』って張り切ってて……それから、仕込んだ醤油の様子もすごく良くて……!」
「ほう……熊五郎がそこまで言っておるか。……葵、お前が村に入ってからというもの、民の顔から陰りが消えた。皆、お前のことを心から慕っておるよ。」
輝虎様は嫌な顔ひとつせず、穏やかな相槌を打ちながら、私の拙い話をじっと傾聴してくれた。その深い温もりに満ちた瞳で見つめられると、胸が苦しくなるほど熱くなる。
「あ、この柿、すごく甘くて美味しいです……!」
誤魔化すように干し柿を口に運ぶと、お館様はふっと口元を緩めた。その微笑みは、冬の冷気を溶かすほどに優しかった。
「柿が好きか。……ならば、今年の冬、干し柿がもっと美味く出来上がったら、必ず一番に葵へ贈ろう。越後の柿は甘みが強くて美味いぞ。」
「……っ!」
『必ず一番に葵へ贈ろう』。
その言葉と、私だけに向けられた柔らかな笑みに、私の胸がドクンと激しく跳ね上がった。
やめて……そんな風に優しくしないで……。
『関東のお姫様と結婚するのに、どうして、そんなに私に優しくするんですか?』
言葉が喉の奥でつっかえて、どうしても出てこない。
私は、ただの異世界から落ちてきた居候だ。この人は越後を背負う戦国大名で、家同士の繋がりや政治、世継ぎを残す義務がある。私なんかが口を出して良い領域ではない。もし聞いてしまって、「葵は毘沙門天が遣わされた、吉祥天女だからだ。」と淡々と言われたら……私の心が完全に砕けてしまう。
『天女』と言う肩書きがなくなったら…私にはもう、この優しい視線も、穏やかな笑みも…何も向けられなくなるのだろか?
結局、私は何も尋ねることができないまま、盃が空になるのを見届けて、「失礼します」と逃げるようにその場を辞したのだった。
その夜。
自室の寝床に入ったものの、一向に眠気が訪れなかった。冷えた茣蓙の上で丸くなり、私は暗闇の中でスマホの画面をそっと点けた。青白い光が部屋を薄暗く照らす。
……タッピー。
頭の中で、ぽつりと語りかける。
『はい、葵さん。どうしましたか?』
……ねえ、戦国時代の『大名の結婚』って、どういうものなの?
タッピーは一瞬の思考時間を挟み、淡々と、そして冷酷な歴史の事実を脳内に響かせてきた。
『回答します。戦国時代における大名の婚姻は、ほぼ100%が「政治的同盟(政略結婚)」です。家同士の絆を強め、領地や軍勢の貸し借り、あるいは和平の証として執り行われます。個人の恋愛感情が挟まれる余地は一切ありません』
……やっぱり、そうだよね。
『また、当主は「家の存続」のために、正室の他に複数の側室を持つことが一般的です。特に上杉家のような有力大名においては、世継ぎ(男児)を設けることが当主の最大の義務とされていました』
側室。世継ぎ。政治的同盟。
現代の私には、遠すぎる世界の話。あの人が背負っているものの重さと、自分がどれほどお門違いな感情を抱いていたのかを突きつけられ、胸がズキズキと痛んだ。
……分かってる。分かってたよ……。
画面を消し、スマホを胸に抱きしめる。暗闇の中で一人、静かに涙が頬を伝い、冷たい枕にしみ込んでいった。
しかし――。
物語は、誰もが予想だにしなかった方向へと、突如として激変した。
関東の千葉家との婚礼の日取りも決まり、城内が祝いの準備で最高潮に達していた、まさにその直前のことだった。お館様・上杉輝虎が、重臣たちの集まる大広間にて、静かに、けれど毅然とした声で言い放ったのだ。
「――この縁談、取りやめとする。私は生涯、不犯の誓いを立て、妻を娶ることはせん」
「「「「な……なにぃぃぃぃぃぃぃっ!!???」」」」
広間が、まるで天変地異でも起きたかのような大混乱に陥った。
「お、お館様!? 正気でございますか!?」
直江さんが青ざめた顔で畳に身を乗り出す。
「すでに祝言の準備も整い、使者も行き来しておるのですぞ!今さら破談など……千葉家に対する大いなる侮辱!関東との同盟も台無しになりまする!」
柿崎さんが髪を振り乱して叫ぶ。
「なぜ……なぜ拒絶されるのですか!我が家の世継ぎはどうされるのですか!?」
千坂さんも声をひっくり返して食い下がる。だが、輝虎様の意志は固かった。「毘沙門天に身を捧げる」という信仰上の理由を建前にしながらも、家臣たちのどんな説得にも耳を貸さず、一方的にこの大縁談を破談にしてしまったのだ。案の定、面目を潰された千葉家は激怒し、関東のパワーバランスは一気に緊迫し、家臣たちは「なぜだ……一体なぜ殿は急に……!?」と頭を抱え、城内は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。
その騒ぎを、私は自室の窓から呆然と眺めていた。
「姫様……お館様、本当にお祝言をおやめになってしまいましたね……。」
お茶を運んできた梅ちゃんが、信じられないという顔で呟く。
……どうして……?
胸の中で、いくつもの感情が渦巻く。
お館様が破談にしたと聞いて、一瞬、胸が跳ね上がるような安堵感と嬉しさが込み上げたのは事実だ。けれど同時に、お館様がその決断によって重臣たちから追及され、他国からの怒りを買い、追い詰められている姿を見るのは辛かった。
私が…吉祥天女としての…何か関係してるのかな?……いや、そんな自意識過剰なわけないよね。お館様は信仰心が深い人だし……。
自室の窓から見える、遠くの山々に白い雪が降り積もり始めていた。冷たい冬の風が吹き抜ける春日山城で、私は答えの出ない複雑な想いを抱えたまま、ただ静かに佇むのだった。
結婚の破談という前代未聞の大騒ぎから数日。城内は異様な静けさと緊迫感に包まれていた。
お館様――輝虎様はあれ以来、お堂に籠もって勤行を続けておられ、私との面会も叶わない日々が続いていた。胸の奥に残る、あのモヤモヤとした痛み。
どうして結婚をやめたの?
私の…天女が何か関係あるの?
答えの出ない問いが頭をぐるぐると駆け巡り、私は毎夜、冷たい布団の中で一人ため息をついていた。
そんな折、城内に衝撃的な報せが駆け巡る。
「お館様が出家される――!」
髪を丸める剃髪まではなさらないとのことだったが、武士としての名を捨て、仏門に入られるという。そしてどういうわけか、その出家の儀式に私――『天女』である葵も正装で参列するよう、直江さんから申し渡されたのだ。
「うう……苦しい……重い……動きづらい……。」
鏡の前で、私は慣れない豪華な打掛に身を包まれ、悪戦苦闘していた。重厚な絹織物の重みが両肩にズシリとのしかかる。着物の裾を踏まないように歩くだけで一苦労だ。
「姫様、とてもお綺麗でございますよ。」
梅ちゃんがうっとりと手を合わせる。普段の泥まみれの作業着とは180度違う、絢爛豪華な姫様の姿。けれど、私の心はどこまでも重く沈んでいた。
案内されたのは、春日山城の奥深く、あの私がタイムスリップしてきた日に転がり落ちた思い出の毘沙門堂だった。
重い扉が開く。
堂内はひんやりと冷たく、密やかに焚かれた沈香の香りが漂っていた。薄暗い光の中、正面の毘沙門天像の前には、白い装束を纏ったお館様が静かに座していた。その佇まいは、呼吸すら感じさせないほど神秘的で、近いがたい圧倒的な神聖さを放っている。家臣たちが息を呑んで見守る中、粛々と儀式が進められていく。高僧の読経が静かに響き渡り、やがてお館様はゆっくりと立ち上がり、本尊に向かって誓いを立てた。
「これより我は、上杉輝虎の名を捨て――『上杉謙信』と名乗る。」
重厚な声が堂内に満ちる。
その瞬間、ひとりの人間・輝虎は消え、真の「軍神・上杉謙信」が誕生したのだった。
「皆、ご苦労であった。下がって良い。……葵は、残ってくれ。」
儀式が無事に終わり、緊張の糸が切れたように家臣たちが一人、また一人とお堂を辞していく。やがて、重い木造の扉が静かに閉まり――堂内には、謙信様と私の二人だけが取り残された。
静寂が二人を包んでいた。線香の匂いが酷く重く感じる。私は重い打掛の裾を整えながら、座したまま動かなかった。すると、謙信様はゆっくりと振り返り、私のもとへ一歩、また一歩と歩み寄ってくる。
「……葵。」
以前と変わらない、けれどどこか透きとおるような声。
「はい……謙信様。」
新しく名乗られたその名を口にすると、胸の奥がキュッと絞めつけられるように痛む。謙信様は私の前にひざまずくと、まっすぐな瞳で私を見つめた。
「皆には伝えたが……お前にも、私の決意を直接話しておきたかったのだ。」
「……決意、ですか?」
「うむ。私は本日、毘沙門天様の御前にて誓いを立てた。……生涯、妻を娶らず、不犯を貫くと。」
その言葉が、私の耳から脳へと冷たく染み込んでいく。
「この身は私欲のためにあらず。ただ義を尽くし、乱世に苦しむ民を救うための剣とならん。ゆえに、私的な愛や情、家柄のための婚姻など、一切を断ち切る。それが我が生き様だ。」
淡々と、けれど揺るぎない覚悟を込めて語る謙信様。
……あぁ。そうなんだ……。
私は静かに目を伏せた。輝虎様……ううん、謙信様は、最初から毘沙門天の化身・「軍神」として生きる道を選んだのだ。誰か一人の女性を愛することも、家庭を持つことも捨てて、この越後のため、義のためにすべてを捧げる人なのだ。私の中に芽生えかけていた、小さくて浅はかな恋心。
私のことを特別に思ってくれているのかも。
なんていう甘い自意識過剰。そのすべてが、謙信様の圧倒的な「覚悟」の前に、静かに粉々に砕け散っていくのを感じた。
…終わりにしなきゃ。
私はギュッと打掛の袖を握りしめた。
この人は神様みたいな人。私が個人的な感情や身勝手な想いを抱いて、足引っ張っちゃダメだ。
「……素晴らしいご決意だと思います、謙信様。」
私は大きく息を吸い込んで、謙信様を見上げる。新しい門出に立つ彼に悲しい気持ちを必死に押し殺して、笑ってみせた。
――だが、葵は気づいていなかった。
自分が「恋心に終止符を打った」その瞬間の、切なさの混じった笑顔を――目の前の男がどのような想いで見つめていたかを。
謙信の胸の中では、葵の想像とはまったく違う「激震」が走っていたのだ。
ああ……なんという人だ……。
謙信は、目の前で必死に微笑む葵の姿に、息を呑んでいた。謙信にとって、葵は最初「毘沙門天が遣わした吉祥天女」だった。けれど、彼女と過ごすうちに、その認識は大きく変わっていた。
彼女は自分の利益や名誉のためではなく、泥だらけになり、腰を痛め、汗を流しながら、見ず知らずの越後の民のために笑顔で米を育て、川を治めてみせた。
これこそが真の「義」。このお方は自分などより遥かに高潔で、まばゆい魂を持っておられる。
謙信は葵に対して、深すぎるほどの敬意と畏怖を抱いていた。……しかし、それだけではなかったのだ。
どれほど凄い天界の知識を出し、農作業に励んでいても、農民達と笑い合っていても……ふとした瞬間に寂しそうな顔をしたり、泣きそうな顔をしたり、甘いものを食べて子供のように喜んだりする。それらを見るたびに、謙信はどうしようもなく葵を守ってやりたくなってしまう。彼女に降りかかる、悲しみも苦しみも全て自分が取り払い…真綿で包む様に、自分の腕の中で幸せや楽しさだけ受け取って欲しい。そう、強く思ってしまうのだ。
私は……葵を「天女」と崇めながら……一人の女性として、私の腕で抱きしめ、守りたい。生涯不犯の誓いを立てたのは、ただの人間の女子と関係を持つつもりはないと言う意味であり、神への信仰のためだけではない。自分には、吉祥天女である葵という至高の存在がある。他のいかなる女子も、私の心に入る余地はない。
という、強い想いの表れだった。
けれど、謙信には目の前の葵の儚げな笑顔の理由が「自分への恋心」だとは夢にも思わず、ただ「天女様を悲しませてはならぬ、死力を尽くしてこのお方を守り抜く」と、心の中で固く固く誓うのだった。
2つの想いは、すれ違ったまま――二人はゆっくりと離れた。
お堂から戻ると春日山城の空からはハラハラと白い雪が舞い降りてきていた。
寒……っ!
打ちつける冷気と、胸の奥の冷たい痛みが交ざり合う。私はグチャグチャになった気持ちを振り切るように、正装の打掛を脱ぎ捨てていつもの動きやすい服に着替えると、城の中庭へと飛び出した。
「伴次郎くん!弥三郎くん!」
「おや、葵様?どうされたのですか、そんな格好で?」
巡回していた馬廻の二人を見つけると、私は足元に積もり始めた雪をぎゅっと手で丸めた。
「勝負よ!雪合戦!!」
「えっ!?ゆ、雪合戦!?」
バシッ!!
私が思い切り投げつけた雪玉が、油断していた伴次郎くんの額にクリーンヒットした。
「ぶはっ!?あ、葵様!?な、なにを――!?」
「ふははは!油断大敵!ほら、かかってきなさい!」
「くそっ、手加減しませんよ!俺は荒川家の次男坊だーっ!」
伴次郎くんがノリノリで巨大な雪玉を作り始める。
「おい!伴次郎、葵様に怪我でもさせたらどうする気だ……とか言いながら、私も参戦いたします!」
弥三郎くんまで目を輝かせて参戦し、中庭は一気に雪玉が飛び交う大乱闘状態になった。
「姫様、せめてもう少し暖かい格好を!姫様ッ!」
「大丈夫!すぐに温まるから!」
「そりゃあっ!」
「当たらないわよ!」
「くっ、速い!?」
「伴次郎くん!覚悟ッ!」
「なんのっ!ありゃ!」
夢中で雪を投げ、走り回り、転がり、笑う。
冷たい雪が顔に当たるたび、胸の奥のモヤモヤした痛みが少しずつ麻痺していく気がした。泣かないために、私はがむしゃらに雪を投げ続けた。
――そんなハチャメチャな様子を、城の廊下から眺めている人物たちがいた。
智謀の将・宇佐美定満。内政の要・直江景綱。そして猛将・甘粕景持の三人だ。
「……ふむ。」
宇佐美が顎髭を撫でながら、ニヤリと怪しい笑みを浮かべた。
「直江殿、甘粕殿。見よ。あの天女殿の『雪合戦』とやらを。」
「はぁ……相変わらず天女様は突拍子もないお戯れを……」と直江が呆れるが、宇佐美は首を横に振った。
「戯れではない。見よ、あの身のこなし、遮蔽物(木や岩)を利用した遮蔽戦闘、そして雪玉による牽制と投擲の正確さ……。冬の越後は雪に閉ざされ、兵の練度が落ちるのが長年の悩みであったが……あの『雪合戦』を訓練に取り入れればどうだ?」
甘粕が手をポンと打った。
「なるほど……!楽しみながら足腰を鍛え、投石や部隊の連携を身につけさせる戦闘訓練になる!さすが宇佐美殿、いや、さすがは天女様の発案だ!」
「よし、ただちに全軍に『冬期雪合戦戦闘訓練』を通達しよう!」
余談だが葵が失恋のヤケクソでやっていた雪合戦が、なぜか上杉軍の最強冬期訓練として採用された瞬間であった。
ハァ、ハァ……と息を吐きながら、雪の上にへたり込む。全身汗だくで、手足はキンと冷えていたけれど、運動したおかげで頭は少しスッキリしていた。
……でも、ダメ。部屋に戻ったら、また余計なこと考えちゃう。胸の痛みを誤魔化すために、もっと集中できる『仕事』が欲しい。
私はスマホを取り出し、タッピーに問いかけた。
タッピー!冬の間、暇にならないように……何か越後でできる大仕事ってない?
タッピーは即座に、そして心強い回答を返してきた。
『回答します。戦国時代の越後は冬になると2メートル以上の雪に覆われ、外での農業は完全にストップします。ですが、心配いりません。水車パワーと現代のビジネス知識があれば、この農閑期こそが「上杉国を日本一の富豪にする最強のゴールデンタイム」に変わります。冬の間、プロ兵士や農民たちには以下の仕事を割り振ることを推奨します』
画面にダダダッと表示されるテキスト。
『水車を活用した「冬のガレージ(屋内)ブランド」
⚪︎青苧の高級加工(越後縮の量産)
春〜秋に収穫しておいた青苧を、冬の間に屋内ですり潰し、糸に紡ぎ、高級な布(越後縮)へと加工させます。湿度が高い越後の冬は、乾燥に弱い繊維を扱うのにむしろ最適です。
⚪︎水車パワーによる「酒造り(寒造り)」
現代の新潟といえば日本酒ですが、実は冬の寒さは雑菌の繁殖を抑えるため、最高の酒造りの環境です。水車で精米した綺麗なお米(白米)を使い、現代の衛生管理(煮沸消毒や温度管理)の知識を導入すれば、京都の人間がひっくり返るほど美味い「超・高級日本酒」を冬の間に大量生産できます』
日本酒……!! そして最高級の布製品!!
画面に躍る『京都の人間がひっくり返るほど美味い日本酒』の文字に、私の目がカッと見開かれた。
そうだよ!新潟と言ったら美味しいお酒だよ!
水車で精米した綺麗な白米はある。冬の寒さと綺麗な雪解け水もある。そこに現代の衛生管理をプラスすれば……とんでもない極上の日本酒ができるじゃない!!
「よしっ……!」
私は立ち上がり、服についた雪をパンパンと払い落とした。
失恋の痛みに浸っている暇なんてない。
恋愛がダメなら、ビジネスで無双してやるんだから!
「伴次郎くん!弥三郎くん!大工の熊さん呼んできて!冬の間に、日本一の酒造りと高級布ブランド立ち上げるわよー!」
「「ええぇぇぇ!!???」」
雪空の下、私の宣言が元気に響き渡った。




