3.天翔ける天女と越後農業革命の第一歩
「輝虎様!お願いがあります!」
翌朝一番、私は輝虎様が朝の勤行を終えたタイミングを見計らい、大広間へ突撃した。
後ろで小間使いの梅ちゃんが「ひ、姫様ぁぁ! そのようなお戯れを……!」と半泣きでついてきているが、構っていられない。私の胃袋と白米への執念は、一刻の猶予も許さないのだ。
広間には、案の定、昨日のコワモテ重臣オールスターズ――柿崎さんや直江さんが勢揃いして、私がいきなり畳に膝をついて頭を下げると、柿崎さんが眉をひそめて怒鳴り散らした。
「控えよ!お館様の御前であるぞ!女子が朝から何事だ!」
「柿崎、控えよ。」
静かに制したのは、奥の上座に座る輝虎様だった。
相変わらず息をのむほど美しく、そしてどこか神々しい雰囲気を纏っている。彼は優しく目を細めると、私に向かって頷いた。
「よい、葵。申してみよ。何でも天女殿の望みを叶えよう。」
「朝から申し訳ございません。お願いがあって参りました。…突然ですが、私に、農作業をさせてください。それと、川の治水工事もやらせていただきたいでのです!」
「「「は……!?」」」
広間にいた全員の声が重なった。柿崎さんに至っては、目が飛び出そうなくらい見開かれている。
「の、農作業だと!?天女と崇められるお方が、泥に塗れて土をいじるというのか!?」
「それに治水工事だと……!?治水など、国を挙げた大工事!どこの馬の骨とも知れぬ女子に仕切らせるなど、正気の沙汰ではございません!」
直江さんも冷静ながらも強い調子で反対する。
直江さんの言うことはごもっともである。突然現れた怪しい女が急に「土木工事させろ」と言い出したのだから。しかし、輝虎様は違った。彼は深く納得したように頷くと、眩しいものを見る目で私を見つめた。
「なるほど……。葵は、この湿気と水害に苦しむ越後を救うため、天界の法術をもって土を慈しみ、水を治めようというのだな?」
「お館様!騙されてはなりませぬ!」
柿崎さんが叫ぶが、お館様は何事ないように手で制した。
「葵の心ままにせよ。……うむ、春日山城の麓にある『直江津近くの小さな農村』をひとつ、葵に与えよう。まずはそこで思う存分、試してみるが良い。」
「!!…いいんですか!?」
あまりの即決ぶりに私のほうが叫んでしまった。当のお館様は、フッと優しく微笑む。
「葵の望むことならば、私がすべて叶えよう。ただし――」
お館様はそこで言葉を切り、柿崎さんに視線を向けた。
「柿崎。お前が手勢を率いて葵に同行せよ。葵の身に万一のことがあってはならん。村の差配を助け、護衛にあたるのだ。」
「ハッ! この柿崎景家、お館様の御意に従い、天女殿の『護衛』をしかと務め上げまする!」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべる柿崎さん。
……護衛って言ってるけど、100%監視役だよね?ボロを出したら即首が飛びそうな勢いだけど、村に行けるなら背に腹は代えられない。
「ありがとうございます、輝虎様。柿崎さんも、よろしくお願いします!」
こうして、私は柿崎さんとその部下たちという超厳重な「監視付き」で、村へ出発することになったのだった。
「姫様、お館様がご用意されたお駕籠でございます。」
城の門前で、梅ちゃんが恭しく指示を出していた。立派な飾りのついた駕籠と、それを担ぐ男たちが控えている。だが、私は首を横に振った。
「ううん、駕籠はいいよ。遅いし揺れるから。……馬、いない?」
「ええっ!?う、馬でございますか!?姫様、馬はお武家様が乗るもので……それに、落馬でもされたら大変でございます!」
「ハハッ!天女殿、強がりも大概にされよ!馬は女子が気安く乗れるものでは――。」
馬上で高笑いする柿崎さんを横目に、私は厩舎へ向かった。
そこには一匹の立派な青毛の大型馬が佇んでいた。気性が荒いのか、厩務員の手を焼かせているらしい。
「この子にするわ。」
「ひ!天女様!その馬は気性が荒く、熟練の武士でも乗るのを避けるほどの馬で――!?」
厩務員の悲鳴を無視して、私は静かに馬に近づいた。
「よしよし、大丈夫だよ……。」
じつは私、実家が競走馬の調教師をやっている。私自身は調教が得意なわけでもなく、たまに実家や農家のばあちゃんのお手伝いをする程度だ。でも! 馬の扱いに関してだけは幼少期からの身近で見てきたし馬にも乗っていのだ。
まずは、馬の目線を合わせ、首筋を優しく撫でながら、鼻先に息を吹きかける。馬社会の挨拶だ。ブルルッ、と鼻を鳴らした青毛の馬が、私に頭を寄せてきた。完全に心を許したサインだ。私は軽やかに鐙に足をかけ、ひらりと馬の背に跨がった。横乗りの経験がない為着物から袴に着替えてよかった。
「よし、行こうか!」
手綱を軽く引くと、青毛の馬は私の指示通りにしなやかに歩み出してみせた。
「「「な……なんだと……!?」」」
後ろで柿崎さんや兵士たちが顎が外れそうな顔で固まっているのが見えた。
私は城の部屋から引っ張り出してきた『椎茸の原木3本』と『じゃがいもの種芋』『玉ねぎの苗』『かぼちゃ・ほうれん草・キャベツの種』を詰めた麻袋を馬の鞍に括り付けると、颯爽と手綱を振った。
「柿崎さん、行きましょう。」
「ぐ……ぬぬ!全軍、天女殿に続け!」
悔しそうに采配を振るう柿崎さんを引き連れ、私は颯爽と春日山城を後にした。
城から小一時間ほど馬を走らせ、目的の村に到着した。村に着くと、空いている大きめの屋敷に案内され、私は着ていた綺麗な着物を脱ぎ捨て、梅ちゃんに頼んで用意してもらった農民の作業着(野良着にモンペのような半纏)に着替えた。
「姫様……! そのようなお召し物、お体に障ります!」と泣きつく梅ちゃんを「これが一番動きやすいの!」となだめ、袖をまくり上げる。
屋敷の外に出ると、村人たちが地面に頭を擦り付けて平伏していた。
「あ、ありがたや……!春日山城から天女様が来られたと……!」
「どうか、我ら貧しい村をお救いくだされ……!」
年配の村長をはじめ、老若男女がガタガタと震えている。
「あー!ちょっと待ってください!」
私は慌てて村人たちを立たせた。
「天女じゃないです。私は葵です。崇めるのはやめて、普通に『葵』って呼んでください。」
「そんな、お恐れ多い……!」
「大丈夫ですから。それよりも。頭を下げてる暇があったら、みんなで手を動かしましょう。私はね、みんなと一緒に、この越後を新潟県みたいな――あ、ううん、日本一のお米どころにしたいの!」
ぽかんとする村人たち。後ろで見張っている柿崎さんは「日本一の米どころだと?戯れ言を……」と腕組みをして冷ややかな視線を送っている。
ふん、見てなさいよ!……と言いたいところだが、ぶっちゃけ私自身は本格的な農業経験なんてほぼゼロだ!ばあちゃんの畑の手伝いで雑草を抜いたり、芋掘りをしたことがあるくらい。土壌改良やら乾田化やら、専門知識は全部ネット検索とタッピー頼みである。スマホが壊れたら即詰みだ。
頼んだわよ、タッピー!
私の胃袋の運命はあなたにかかってるんだから。
今の季節は冬の終わりから春先。田植えや種まきの準備を始めるのに最高のタイミング!そして、秋から美味しい野菜を収穫するためにも、【畑の準備】と【田んぼの準備】は同時に進めなければならない!私は手元でスマホをそっと操作し、頭の中でタッピーに問いかけた。
タッピー!畑と田んぼを同時に進めたいんだけど、まずは戦国時代でできる範囲での効果的な堆肥の作り方と土壌改良を教えて。
『はい、葵さん。戦国時代における土壌改良には、落ち葉、草木灰、人糞尿、刈り取った雑草を発酵させた「堆肥」の作成が有効です。特に米ぬかや魚のあら(手に入れば)を混ぜて積んでおき、発酵熱を生じさせることで、土の栄養分を劇的に改善できます。これは畑にも田んぼにも共通して極めて効果的です』
なるほど。
落ち葉と草木灰なら村の人たちに集めてもらえばすぐに準備できるね!乾田にする具体的な方法は!?このドロドロの泥田をどうにかしたいの。
『泥田を乾田化するには、田んぼの周りに深めの排水溝(暗渠排水の簡易版)を掘り、過剰な水を強制的に川へ排出する仕組みを作ることです。水抜きを行うことで土に酸素が入り、根が強く育つようになります。また、冬から春先にかけて土を掘り返して乾燥させる「春起こし」を徹底してください』
よし、排水溝掘りと土の掘り返しね。それと同時に、畑の畝作りもやってしまおう。ねえタッピー、田んぼって田植えまで何もしなくていいの?
『いいえ。田植え前の「代かき(水を入れて土を細かく砕き、平らに均す作業)」が極めて重要です。これを怠ると、水深が不均一になり、稲の生育にムラが出ます』
代かき!聞いたことある。あとね、お米の種籾って、そのまま田んぼに撒いちゃっていいの?
『いいえ。そのまま撒くと病気に罹りやすく、発芽率が下がります。塩水につけて身の詰まった良い種を選別する「塩水選」を行い、さらに温水につけて発芽を揃える「催芽」を行ってから苗代に撒くことを推奨します』
タッピー、完璧!ありがとう。
知識は全部AIの受け売りだけど、言われた通りに指揮を出せばいいなら私にもできる。
私は村人たちに向き直り、力強く腕まくりをした。
「みんな!今日から畑と田んぼの準備を同時に進めるよ!まずは男性チーム!田んぼの周りに深い溝を掘って、溜まった水を外に逃がして!それと並行して田んぼの土を掘り返すよ!」
「おうっ!溝を掘って水を抜くんだな!?」
「そう!女性と子供チームは、山に入って落ち葉と草木灰を集めてきて!それと畑になる場所の雑草を抜いて、土を耕して畝を作ろう!持ってきたジャガイモや野菜の種を植える準備をするよ!」
「まかしときな!」
テキパキと指示を出す私を見て、監視役の柿崎さんが「むむ……」と不気味そうに眉をひそめた。
「おい、天女殿。田んぼの水を抜くなど、正気か? 米は水の中で育つものであろうが!」
「柿崎さん、水に浸かりっぱなしの土は窒息しちゃってお米が病気になるんです。一回水を抜いて、土に空気を吸わせてあげるのが大事なんですよ。」
「ぬ……土が窒息だと……!?」
ネットで仕入れた知識をドヤ顔で披露すると、柿崎さんは言い返せずに黙り込んだ。
よし、一勝!
私は麻袋から持ってきた『椎茸の原木』を取り出し、日陰のしめやかな場所に設置した。とりあえず、まずは田んぼと野菜を優先しよう。
「姫様……本当に泥に入るつもりですか……?」
隣で農民服を着せられた梅ちゃんが、諦めたような、でもどこかわくわくしたような顔で尋ねてきた。
「当たり前じゃない!美味しい白米と美味しいおかずを腹いっぱい食べるためなら、泥のプールにだって飛び込むわ。」
「ふん、どうだか。化けの皮が剥がれるのも時間の問題だな。」
後ろで柿崎さんが冷たく吐き捨て、数名の兵士たちがガッチリと周囲を警戒(兼・私監視)している。
上等じゃない!監視だろうが何だろうが、結果を出せば文句は言わせない。春の冷たい風の中、私は鍬を強く握りしめ、泥田へと勇ましく踏み出した。
「さあみんな、美味しいお米と野菜のために、作業開始ー!」
こうしてネットとAI知識をフル活用した「越後大農業革命」が、いま泥まみれになって幕を開けたのだった。
村で農業の準備を始めてから数日。
「……うん、やっぱりこの川が元凶だね。」
春先の冷たい風が吹き抜ける中、私は春日山城の麓を滔々と流れる大きな川の堤防――というか、ほとんどただの土手の上に立っていた。目の前に広がるのは、雪解け水を集めて激しく波立つ濁流だ。
「葵殿、あまり前に出られますな。足を滑らせて落ちでもしたら、それこそお館様に申し開きのしようがございませぬ。」
後ろから落ち着いた、しかしどこか神経質そうな声が聞こえてきた。
振り返ると、そこに立っていたのは柿崎さん……ではなく、輝虎様から「文官として葵の補助をせよ」と遣わされた重臣――千坂景親さんだった。
柿崎さんは村での監視兼・警備に残ってもらって、今日は内政や事務方に詳しい千坂さんが同行してくれたんだよね。見た目からしてインテリ眼鏡……じゃなくて、真面目そうな官僚タイプ!そして男前!
「千坂さん、ご心配ありがとうございます。でも、この川をなんとかしないと、せっかく村で準備してる乾田も畑も、大雨が一回降っただけで全部水没しちゃいますよね?」
「……おっしゃる通りです。越後の水害は古来よりの悩み。春の雪解けや大雨のたびに川が溢れ、田畑は泥に沈む……。我が上杉家も幾度となく土手を補強してまいりましたが、自然の猛威の前には焼け石に水でございます。」
千坂さんは固い表情で濁流を見つめ、溜息を吐いた。その瞳には、今まで何度も水害に苦しめられてきた越後の現実と、深い諦めが滲んでいる。
ふふふ、そこで私の出番ですよ!
私は胸を張り、ポケットから肌身離さず持っている相棒――スマホを取り出した。
「千坂さん、ちょっと待っててくださいね。今、天界の知恵(ネット検索)から最高の解決策を引き出しますから。」
「は? て、天界の……?」
困惑する千坂さんや、後ろに控える兵士たちの視線を全身に浴びながら、私は画面を素早くタップし、フリックした。そして、心の中で叫ぶ。
タッピー!武田信玄が行った治水工事のやり方ってどうやるの?この時代の人手と技術で再現できるように、手順を分かりやすく整理して『工事計画書』を作成して。
『了解しました、葵さん。「武田信玄の治水技術(信玄堤)」に関するデータを抽出・再構築します』
一瞬で画面に、図解付きの分かりやすいテキストがダダダッと展開された。
さすがタッピー!「信玄堤」の核となる技術がバッチリまとまってる。
画面に表示された文字を真剣な目で指で追いながら、私は画面を右へ左へスワイプし、拡大したり縮小したりと、一心不乱に画面を操作した。
――だが。
その私の必死な「スマホ操作」が、千坂さんたちの目にはどう映っていたか。
「な……なんだ……あれは……!?」
千坂さんが息を呑み、ガタガタと震え出した。
「な、何もない空中に向け、指を滑らせておられる……!光の軌跡……いや、目に見えぬ天界の文字を操り、空間そのものを書き換えているのか……!?」
「お、おい……見ろ、天女様の手が揺れるたびに、風の音が変わったぞ……!」
「あれぞ噂に聞く、天界の神術……!川の神と対話し、お言葉を授かっておられるのだ……!」
兵士たちが恐れおののき、その場にバタバタとひれ伏していく。
……いや、ただ拡大縮小してるだけで、風の音はただ突風が吹いただけだから!
ツッコミたかったけれど、ここで「ただのスマホです」と言っても伝わらないのは前回の件で学習済みだ。私は何事もなかったかのようにすまし顔を装い、画面から目を離した。
「千坂さん、できました。これが川を鎮めるための計画です。」
「は、はいっ……!し、神術によるお告げでございますか!?」
「あー、うん、まあそんな感じですね。千坂さん、筆と紙を持ってますよね?今から私が言う通りに書き写してください。」
「ハ、ハッ!ただちに!」
千坂さんは慌てて懐から矢立てと和紙を取り出し、堤防の上に膝をついて構えた。
「いきますよ!まず第一に『霞堤』の建設です。堤防をあえて一続きにせず、重なり合うように切れ目を入れて重なりを作ります。」
「な……堤防に……切れ目を入れるだと!?それでは水が溢れてしまうのでは!?」
千坂さんが驚愕して筆を止めた。
「そこがミソなんです。大水が出た時、わざと切れ目から遊水地に水を逃がして勢いを弱めるんです。水が引けば自然に川に戻る仕組みで、力で力で押し返すんじゃなくて、受け流すんですよ。」
「水勢を……受け流す……!?合戦のいなしの如き理……!」
千坂さんの目がカッと見開かれ、猛烈な勢いで筆を走らせ始めた。
「第二に『聖牛』と呼ばれる木組みの設置です。丸太を三角錐状に組み、三角のフレームを作って川の中に沈めます。これによって川底の流れを和らげて、堤防が削られるのを防ぎます。材料は丸太と石だけで作れます!」
「丸太と石だけで……!大がかりな石垣を積む必要がないのか……!?」
「第三に、川の合流地点の角度を変更して激突を防ぐ『将棋頭』の設置!さらに……」
私はスマホ画面に表示されたタッピーの「信玄堤コンプリートマニュアル」を読み上げ、千坂さんは狂ったような集中力でそれを和紙に書き留めていく。わずか小一時間ほどで、何枚もの和紙にびっしりと治水工事の詳細な計画が書き上げられた。
「……完成しました、千坂さん。これが『越後・河川改修計画書』です!」
千坂さんは完成した書類を両手で掲げ、震える手でじっくりと読み返した。そこには、単なる精神論や祈祷の言葉など一切なかった。「どの地点に」「どういう角度で」「どんな木組みを何基設置し」「人夫をどう配置して」「資材をどれだけ準備するか」という、あまりにも緻密で合理的、かつ完璧な施工手順が網羅されていたのだ。
「こ……これは……素晴らしい……!完璧すぎる……!」
千坂さんの額からぽたぽたと汗が垂れ落ちる。
「流れる水の勢いを計算し、川の構造そのものを利用して被害を最小限に抑える……。それも、高度な石工や膨大な予算をかけず、現地の木材と石、そして人夫の労力だけで実現可能な設計になっている……!」
千坂さんは和紙から目を離し、信じられないという目つきで私を見つめた。
「葵殿……貴女様は、わずか一刻足らずの間に、これほどの規模の国造り計画を、たったお一人で立案されたというのですか……!?」
いや、立案したのは武田信玄とタッピー(AI)だけど。
「え、ええ、まあ、そんなところで…。」
私がぎこちなく返事をすると千坂さんはバッと地面にひれ伏した。昨日の柿崎さんとは打って変わって、心からの敬意と感動に満ちた平伏だった。
「感服いたしました……!これほどの書類、当家の優れた文官が束になって数ヶ月吟味しても思いつかぬ快挙! 葵殿がただの女子でないこと、この千坂景親、身をもって理解いたしました!」
「や、やめてください。千坂さん、立ってください!…それに、感心してる場合じゃないですよ。この計画、本当に輝虎様から人手を出してもらえるんですか?」
「もちろんでございます! お館様はすでに『葵の望むままに人夫を手配せよ』と命令を出されております。この計画書をお見せすれば、お館様も即座に許可を出されるでしょう!」
千坂さんは大事そうに計画書を懐に収めると、力強く頷いた。
「ただちに春日山城へ戻り、人夫と資材の手配を行います!葵殿、この千坂、命に代えてもこの工事を成功させてみせまする!」
「ぜひ、よろしくお願いします!」
数日後。
「「「うおおおおおっ!!」」」
川のほとりには、輝虎様が手配してくれた数百人もの農民や足軽(人夫)たちが溢れかえっていた。
威勢の良い掛け声とともに、山から切り出された丸太が次々と運ばれてくる。
「丸太を三角に組め!葵様のおっしゃった『聖牛』を作るのだ!」
「こっちは穴を掘れ!『霞堤』の切れ目を作るぞ!」
現場で指示を出しているのは、あの千坂さんだ。
あんなにクールだった文官の千坂さんが、袖をまくり上げて図面(私が渡した計画書)を手に、「現場監督として指示を飛ばしている。
「ふん、何が聖牛だ。こんな丸太の組み物で川が治まるなら、苦労は――」
堤防の端っこで腕組みをして見ていた柿崎さんが、相変わらず悪態をつこうとしていた。……しかし、川の中に『聖牛』が数基沈められると、激しかった川の濁流が木組みに当たって分散し、岸辺を削る激しい波が一気に穏やかになった。
「な……なにぃ!?」
柿崎さんの目が飛び出そうになった。
「本当に……水勢が弱まっただと!?岸が削られておらん……!?」
「言ったでしょ、柿崎さん?」
私は馬に乗ったまま、ニカッと笑って見せた。
「力で川を抑え込もうとするから失敗するんです。川の力を逃がしてあげるのが、本当の治水なんですよ!」
「ぐ……ぬぬぬ……!」
悔しそうに言いよどむ柿崎さん。だが、その瞳にはもはや「ただの怪しい女」を見るような色はなかった。驚きと、ほんの少しの畏怖が混ざり合っている。そこへ、春日山城から豪華な馬に乗った人物がやってきた。白巾を頭に巻き、美しい装束を纏った男――。
「お館様!」
「輝虎様!」
私が馬から降りて駆け寄れば、お館様は馬からしなやかに降りると、激しさを減じた川と、活気あふれる現場を見渡した。そして、私に向かって優しい眼差しを向けた。
「見事だ、葵。千坂から計画書を見せてもらったが……まさかこれほど見事に川を治めてみせるとはな。」
「…千坂さんが協力してくれて、輝虎様が人夫をたくさん貸してくれたおかげです。」
「いや、お前の『神術』と、民を想う心がこの奇跡を起こしたのだ。」
お館様は静かに歩み寄ると、私の泥で少し汚れた手に、自分の大きな手を重ねた。…その手は温かく、強かった。
「葵。お前が越後に来てくれて、本当に良かった。お前はやはり……私に遣わされた吉祥天女だ。」
真面目で情熱的な瞳でまっすぐに見つめられ、私は思わずドキンと胸が跳ね上がった。
や、やばい……!輝虎様、顔が良すぎる……!こんな超絶美形に真顔で感謝されたら、落ちない女子なんていないでしょ!?心臓に悪い!!
「あ、ありがたき幸せです……輝虎様……。」
顔が赤くなるのを隠すように、私は必死に頭を下げた。
川が治まれば、大雨が降っても村の田んぼや畑が流される心配はない。泥田を乾田に変え、現代の堆肥と種まき技術で美味しいお米と野菜を作る――「越後大農業革命」の基盤が、完璧に整ったのだった。




