27. 岐阜の賑わいと、黄金の楽市
雨の転移から数週間。
岐阜城の下に広がる城下町は、今日も他国からの商人や旅人たちで溢れ、熱気に包まれていた。
「――ほう! これが葵殿の申しておられた『導線』と『陳列』の工夫というやつか! たしかに客の足が止まり、面白いように商品が売れていくぞ!」
賑やかな市場の真ん中で、すばしっこく動き回りながら感嘆の声を上げたのは、豊臣秀吉さんだった。
「秀吉さん、声が大きいですよ。……でも、成功して良かったです。」
私は打掛の裾をさばきながら、苦笑いを浮かべた。
失恋と遠ざけられたショックで落ち込んでばかりもいられない。元・社畜の性分なのか、じっと部屋に閉じこもっているとろくなことを考えないため、私は濃姫様の許可を得て、岐阜の城下町の視察と「商業改善」に乗り出していたのだ。
頼れる相棒・タッピーで【現代マーケティング 店舗レイアウト 集客動線】を検索し、信長様が進める「楽市楽座」に現代の店舗経営ノウハウを掛け合わせた。
看板の文字を大きく見やすくし、ジャンルごとに露店を整理。さらに商品の「試食・試用」を導入したことで、城下町の売上は爆発的に増加していた。
「葵殿! 葵殿はお噂通りの天女……いや、弁財天の生まれ気に相違ございません! どうかこの秀吉、葵殿の知恵袋を師と仰ぎ、弟子としてお慕いしてもよろしいでしょうか!?」
「ちょっと、秀吉さん、距離が近いです……!」
もみ手をしながらすり寄ってくる秀吉さんを手で制していると、背後から地響きのような威厳ある声が落ちてきた。
「おい、秀吉。葵殿に無礼な真似をするな。」
現れたのは、頑強な甲冑を身に纏った巨漢の武将――柴田勝家さんと、帳面と筆を手にした穏やかな顔立ちの丹羽長秀さんだった。
「ひぃっ、権六(勝家)殿! 丹羽殿! 滅相もございません、わしはただ葵殿の素晴らしいお知恵に感動していただけで……。」
「フン、調子の良いやつめ。」
勝家さんは豪快に鼻を鳴らすと、少し照れくさそうに私に向かって頭を下げた。
「葵殿。……先日いただいた『陣中食(干し肉と穀物を蜂蜜で固めた現代風栄養バー)』、我が配下の者たちに試食させたところ、すこぶる評判が良い。軽いうえに腹持ちが良く、日持ちもする。……武士が商いなどと最初は疑ってすまなかった。誠に見事な知恵だ。」
「柴田さんにそう言っていただけると嬉しいです! 丹羽さん、物資の管理の方はどうですか?」
私が尋ねると、長秀さんは感心したように深く頷き、手にしていた帳面を開いて見せてくれた。
「葵さんに教えていただいた『識別印章(シリアルナンバーの割り印)』と複式簿記の仕組みにより、兵糧や武器の在庫管理が劇的に改善いたしました。盗難や重複が一切なくなり、勘定方の者たちが『葵さんは神の使いだ』と拝んでおりますよ。」
ふふ、現代のロジスティクスと棚卸し技術、戦国時代でも大活躍ね!
織田家の優秀な家臣のみなさんと協力し、事業がどんどん形になっていく達成感は、傷ついた私の心を確かに元気づけてくれていた。
そして、この岐阜城ライフの最大の「共同経営者」であり、頼れるお姉様となってくれたのが、信長様の正室・濃姫様だった。
その日の午後、岐阜城の奥にある見晴らしの良い楼閣で濃姫様と茶会を開いていた。
「まあ、美味しい……! この香ばしさと優しい甘み、お茶に誠によく合いますね。」
濃姫様が目を細めて味わっているのは、私がタッピーで【カステラ パウンドケーキ 和風アレンジ】を検索し、美濃特産の蜂蜜と柿、そして尾張の米粉を使って焼き上げた「岐阜特製・蜂蜜カステラ」だ。
「濃姫様、お口に合って良かったです。城下の『お濃と葵の甘味処』でも、今日から売り出しを始めました。京や越前からの商人たちが買い求めて、すでに長蛇の列ができているそうですよ。」
「ふふ、葵殿とこうして商いをするのは、本当に楽しいですね。……殿も、葵殿が来てからというもの、城下を見る目が実に生き生きとしておられますよ。」
濃姫様は扇子を優しく仰ぎながら、私を温かな目で見つめた。
「信長様が……ですか?」
「ええ。あの殿は、先進的で新しいものを何より好まれる。葵殿の持ち込む天界の知恵と、誰も思いつかないような発想に、どれほど胸を躍らせておられるか。……もちろん、知恵だけではなく、葵殿という存在そのものに、心を救われておられるのですがね。」
濃姫様の言葉に、私は少しだけ胸がキュッと締め付けられるのを感じた。
信長様は、私がタッピーを使って提出する経済や物流の改善案を誰よりも早く理解し、「ふははは! 面白い! お主の頭の中にはどれほどの策略と知恵が詰まっておるのだ!」と絶賛してくれた。私のアイデアを惜しみなく実行し、私という人間を心から評価してくれている。
ここでの暮らしは、驚くほど温かく、そして賑やかだった。
――だが。
カステラを小さく口に運ぶ私の視線は、無意識のうちに、楼閣の窓から見える「はるか北の空」へと向いていた。
……謙信様……。越中の一揆の鎮圧、どうなったのかな……。
越後から遠く離れた岐阜の地。
どんなに賑やかな市場にいても、信長様や濃姫様、家臣のみなさんに優しくされても――ふとした瞬間に脳裏に浮かぶのは、あの不器用で、凛とした「越後の軍神」の姿だった。
一目惚れしたわけじゃない。あのハプニングで唇が触れ合ったからでもない。
ただ、私を「異国からの迷い人」としてではなく、毘沙門天から遣わされた吉祥天女として、そして、一人の尊い人間として見つめ、不器用ながらも命をかけて護ってくれた、あの真面目でどこか切ない瞳が、頭から離れないのだ。
あんなに冷たく突き放されたのに……私、やっぱりバカだな……。
「……葵殿?」
濃姫様の優しい声が、私の思考を現実引き戻した。
濃姫様は悲しげに微笑み、私の手にそっと自分の手を重ねてくれた。
「……どれほどここで楽しそうにしておられても、あなたの心は……あの北の国の、軍神様の元にあるのですね?」
「濃姫様……私……。」
「よいのです。恋とは、理屈で割り切れるものではありませんから。……ですが、あなたのその一途な想いが、いつかあの方の閉ざされた心を開く鍵になるのだと、私は信じておりますよ。」
「……ありがとうございます、濃姫様……。」
私たちが静かにお茶を飲んでいると、楼閣の階段を力強い足音が上がってきた。
「ハハハ! 濃、葵! ここにおったか!」
豪快な笑い声とともに現れたのは、漆黒の南蛮羽織を羽織った信長様だった。
「信長様?!」
「殿、お珍しい。何か良いことでもございましたか?」
濃姫様が微笑むと、信長様は満足そうに胸を張り、私と濃姫様の間にドカリと腰を下ろした。
「良いことだと? 素晴らしいことだ! 葵の案じた『楽市楽座の改修』と『物流印章』によって、今月の岐阜の税収はこれまでの倍以上に膨れ上がったぞ! 城下の商人どもも『岐阜は日本一栄えておる』と大喜びだ!」
信長様は自慢げに笑うと、鋭い瞳で私をじっと見つめた。
「葵。お主の知恵は、真にこの国を豊かにする。……余の天下布武の野望に、お主の知恵は絶対に必要なのだ。」
「信長様……私などの知恵がお役に立ったのなら、光栄です。」
私が丁寧にお辞儀をすると、信長様はふっと表情を柔らかくし、その大きな手で私の頭を優しく撫でた。
「……無理に笑うな。」
「え……?」
「お主は……城下で民や秀吉どもと話しておる時はあんなに良い笑顔を見せるのに、一人になるといつも北の空を見ておる。……余の側におりながら、心がここにないことくらい、余に分からぬとでも思ったか。」
信長様の手が、私の頬へと滑り落ちる。その温かな手つきには、覇者としての威厳と、一人の男性としての深く切ない情愛が混ざり合っていた。
「信長様……ごめんなさい……私……」
「謝るな。……つまらん奴だ、お主は。」
信長様はそう吐き捨てると、自嘲気味にフッと笑った。
「……あの堅物は一向宗の制圧に手間取り、未だ越中から動けぬ。お主が消えたことすら、知る由もないだろう。……だが、どれほど遠く離れようと、お主の心があやつから離れぬというのなら……余は、お主が自分から『岐阜におりたい』と言うまで、待つまでだ。」
「信長様……。」
信長様は立ち上がると、南蛮羽織を翻して楼閣の端へと歩み寄った。
「……葵。余の城におる間は、好きにせよ。お主の知恵で、この美濃と尾張を思い通りに塗り替えてみるがよい。」
背中でそう語る信長様の姿は、圧倒的な覇者でありながら、どこまでも優しく、そしてどこか孤独だった。
信長様、濃姫様、秀吉さん、柴田さん、丹羽さん……。みんな、本当に温かくて良い人たちばかり……。
岐阜城で過ごす、賑やかで温かな日々。
だが、その活気あふれる城下町の日常の裏側で――。
越中の泥と血に塗れた陣中にて、一向一揆の制圧に追われる謙信様が、わたしの「消失」という衝撃の事実を知る刻が、刻一刻と近づいていたのだった。




