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23. 嵐を呼ぶ綿布と、覇者の残照

春日山城の朝は、澄み切った冷気とともに明ける。

越後に来て三度目の秋が過ぎ、初雪の気配が山肌を白く染め始める頃、城内はある「嬉しい悲鳴」に包まれていた。


「葵様! また京の都より、近衛前久様を通じた『綿布団』の追加注文が届きましたぞ! 今度は公家衆のみならず、門跡寺院や公方の側近たちからも『金に糸目はつけぬゆえ、早く送れ』と突っつかれております!」


千坂さんが、巻物の書状を両手に抱えて大慌てで部屋に飛び込んできた。


……いやぁ、前久さんの宣伝効果、想像以上すぎでしょ……。

私は打掛の懐からスマホを取り出し、胸の前で手慣れた手つきで画面をフリックしながら苦笑した。

ことの始まりは数か月前。越後に居座っていた元・関白の近衛前久さんが、京都へお戻りになる際、私が仕立てた三河綿の「特製綿布団(敷布団と掛け布団)」を「これは越後一番の宝だ」と絶賛して持ち帰ったことだった。

京の厳しい冬の底冷えに悩まされていた公家や貴族たちの間で、その布団は一瞬で噂となった。


『あの気難しい前久卿が絶賛した、越後の天女が作った極上の寝具』

『一度あの暖かさを知れば、古い藁床や固い畳には二度と戻れぬ』


結果、京の上流階級(セレブ層)の間で空前の「天女の布団」大ブームが巻き起こったのだ。


「千坂さん越後の仕立て職人さんたちだけでは、もう生産が追いつきませんよね?」

「左様にございます! 綿の原綿自体、三河から買い付けている分だけでは到底足りませぬ!」


ふむ……これ、現代で言うところのサプライチェーン(供給網)の限界ね。だったら、一人で抱え込まずに『あの人たち』を巻き込むしかないわね。

私は元社会人の知識を総動員して考える。そして思いついたのが、現代のビジネスモデル――生産、加工、流通の役割分担(アライアンス)である。


数日後。私の提案によって、急遽立ち上げられたのは「三河・尾張・越後」を結ぶ巨大な共同事業であった。

まず、原材料である綿花の増産と供給は、三河の徳川家康様に一任。三河の農地で綿を大規模に栽培してもらい、原綿の段階で買い付ける。これにより、戦続きで困窮していた三河の財政に莫大な「綿の売却益」が落ち、家康様からは『葵殿は真に三河の救世殿だ』と涙ながらの感謝状が届いた。

次に、縫製と品質管理は越後(上杉家)。越後で織る高級布を使用し、粗悪品が出回らないよう、葵が考案した「品質保証の印章(ブランディングタグ)」を捺印し、高級ブランドとしての価値を担保する。

そして最も重要な「京や全国への流通・物流網の整備」と「他国の悪徳商人による偽物(偽ブランド)の取り締まり」。これを買って出たのが――尾張・美濃を治める、あの織田信長様だった。


「ハハハ! 面白い! 天下を巡る商いの流転、この余が取り仕切ってやろう!」


信長様は岐阜城から即座に快諾の書状を送り、織田領内の関所を無税で通過させ、京への安全な流通ルートを完璧に保障してくれたのだった。


【三河の生産 × 越後の技術・ブランド × 尾張の物流・市場管理 × 朝廷(前久)のお墨付き】

史実の戦国時代でも類を見ない、完璧な東西経済同盟の完成であった。


「……見事な手腕だな、葵。」


執務室の文机で、書類に目を通していた謙信様が、静かに面を上げた。黒の法衣を纏った佇まいは相変わらず凛として美しく、神威に満ちている。


「いえ、謙信様。皆さんが協力してくださったおかげです。これで越後にも三河にも潤いが出ますし、なにより京の寒さに震える人たちが温かく過ごせますから。」

「ふ……お主はどこまでも『民』を一番に考えるのだな?」


謙信様は綺麗な双眸を緩めると、そっと茶碗を取り、私に温かいお茶を淹れてくれた。私の意図を深く理解し、静かに寄り添ってくれる。その深みのある誠実さに、私の胸はいつも温かくなるのだった。


――だが。

その経済同盟の成功と引き換えに、私の元へ一つの「特別な荷」が届けられた。発注元は、尾張・岐阜城。送り主は、織田弾正忠信長様。

運ばれてきた文箱の中には、南蛮貿易で手に入れたという、見たこともないほど美しく艶やかな、深紅の極上シルク(南蛮絹)が一反。

そして、その下には、信長様直筆の力強い筆跡で書かれた、一通の書状が添えられていた。


『葵へ。

其方の案じた綿の流転、実に見事なり。我が城下も潤い、京の公家どもが喜々として銭を差し出しておるわ。……よって、この南蛮の絹を贈る。其方自身の小袖にでも仕立てるがよい。』


そこまでは、いつもの破天荒な信長様らしい文面だった。しかし、書状の最後に、少しだけ滲んだ小さな文字で、こう記されていたのだ。


『……あの岐阜の夜、余の夢を直視し、臆さず言葉を返したお主の瞳が、今も瞼に焼きついて離れん。衝動的にお主を抱き寄せたあの時、余は初めて天を恨んだ。

……何故、お主が落ちたのが尾張ではなく、越後であったのか。

もし余の元に落ちておれば、余はお主を天下の傍らに置き、二人で誰も見たことのない新しき国を作ったものを。

……フン、戯言だ。忘れよ。

だが、もし越後の堅物が嫌になった時は、いつでも岐阜へ来い。余の城の門は、永遠にお主へ開かれておる。』


「――ッ!!?」


書状を読み終えた瞬間、私の指先がかすかに震えた。

脳裏に蘇るのは、岐阜城の楼閣でのあの夜のことだ。

天下布武という過酷な孤独を背負い、「魔王とならねばならん」と語った信長様。

私はタッピーの検索データではなく、一人の人間として、現代の平和な世界の尊さと、「一人で背負わないで」という想いを言葉にして伝えた。その瞬間、信長様は息を呑み、突如として私を力強く抱きしめたのだ。

すぐに身体を離し、何事もなかったかのように去っていったけれど――あの時に抱きしめられた胸の熱さと、どこか切ない呼吸の乱れを、私はずっと忘れられずにいた。


信長さん……。そんな風に思ってくれていたなんて……。

あの人はは私を「都合の良い天女」として欲しがっていたのではなかったんだ…。

現代でOLをしていた頃なら、こんな歴史上の大英雄からのこんな手紙もらったって夢物語だと笑い飛ばしていただろう。だが、この戦国時代で彼らの「生」と「熱」に触れてきた今の私には、その言葉の重みが痛いほど胸に刺さった。


「……葵。」


静かな声が、背後から響いた。

振り返ると、謙信様がいつの間にか私の後ろに立っていた。その涼やかな視線は、私が手にしていた信長様の書状と、深紅の南蛮絹に向けられている。


「謙信……様……!」


私はとっさに書状を隠そうとしたが、思いとどまった。この人に隠し事をするのは、この人が私に向けてくれる真っ直ぐな義と情愛に対する不誠実だと思ったからだ。


「……信長様から、書状とお召し物が届いたのです。……その、事業のお礼だと。」


謙信様は静かに書状へ目を落とすと、一切の動揺を見せず、ただ深々とした佇まいで私を見つめた。


「……織田弾正か。」


謙信様の声には、嫉妬や怒りといった感情は感じられなかった。あるのは、同じ時代を張る宿敵であり、天下を模索する男としての、静かな理解だった。


「……あの男もまた、お主の温かさに心を救われた一人なのだな。」

「え……?」

「岐阜での話、山崎たちより聞き及んでおる。お主は彼奴の前でも飾らず、己の言葉で平和を語ったと。……誇り高きあの男が、お主に心を寄せぬはずがなかろう。」


謙信様はそっと歩み寄ると、私の頬に温かな手を添えた。その手つきはどこまでも優しく、凛とした気品に満ちていた。謙信様から伝わる温もりが心地よくも緊張してしまう。


「信長殿の言う通り……お主が尾張に落ちていれば、あの男の運命も、この日の本の形も変わっていたやもしれぬ。……だが…。」


謙信様の透き通るような瞳が、私をまっすぐに見つめ返す。


「……お前が落ちたのは、この越後だ。巡り合い、その温もりで救ってくれたのは……私なのだ。」

「謙信様……。」

「私は妻を娶らず、生涯不犯の誓いを抱えて生きる身。……世俗の夫婦(めおと)のような形でお主を縛ることは出来ぬ。……だが、私の魂のすべては、葵と共にある。織田弾正がどれほど望もうとも……私はお前を渡さん。上杉の義と、この我が命にかけてな。」


静かな、けれどどんな激鉄よりも硬い、軍神の誓い。

普通の恋愛の様な甘い言葉などない。けれど、自らの生き様のすべてを賭けて私を護り、魂を繋いでくれるその情愛に、私の目からポロポロと涙が溢れ落ちた。


信長様の切なく激しい情熱も、高潔で深い誠実さも、どちらも嘘偽りのない本物なのだと。


「……はい。私は、越後にいます。謙信様と、この国のみんなの傍にいます。」


溢れる涙を謙信様の指が拭ってくれる。私はそのまま彼の温かい胸元に、静かに額を預けた。背中に回された腕がきつく閉まる。それは、謙信様の想いが表れている様で、胸が痛いほど高鳴った。


この人が好きだ。

たとえ、現代の恋人の様な関係ではなくても…。

この世界の夫婦の様な形では無くても…。

彼が私を必要としてくれるのなら…私は決して離れない。


尾張からの南蛮絹、三河からの綿、そして越後の技術が織りなす「綿布団」は、いまや戦国の世に確固たる平和の絆を紡ぎ出していた。

信長様の切ない未練を乗せた風を抱きしめながら、私は大切な軍神の手を握り締め、越後の温かな冬へと踏み出していくのだった。


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