20.月下の祝宴と、覇者の夢
岐阜城の夜は、松明の炎と絢爛たる宴の熱気に包まれていた。
大広間には最高級の酒と鮮魚、そして山海の珍味がずらりと並べられ、織田家の重臣たちが杯を交わしている。その中心に招かれた私は、信長さんの右隣という破格の席に座らされていた。
「ハハハ! さあ飲め、天女! 今宵は余の自慢の臣どもが集まっておる!」
信長様が豪快に杯を干す。その視線の先では、今夜の「裏のメインイベント」――信長様から直々に申し渡された【家臣団の相談(労務コンサル)】が始まろうとしていた。
まず最初に、恐る恐る私の前に膝を突いたのは、顔色を失った明智光秀さんだった。
「葵殿……。殿より『天女の教えを受けよ』と言われ、参上いたしました。……恥を忍んでお伺いいたします。」
光秀様は細い指で杯を握りしめ、消え入りそうな声で呟いた。
「信長様のお求めになる成果の速さと完璧さに、時に心が押し潰されそうになるのです……。周囲からは『冷徹な完璧主義者』と見られますが、本当は……夜も眠れず、胃が千切れる思いにございます……。」
うわぁ……!これは典型的な『真面目すぎる優秀な中間管理職』のメンタル崩壊寸前パターンだわ。
私は相手に見えないよう、打掛の懐から取り出したスマホで爆速フリックした。
シュシュッ! トントンッ!
タッピ―!ブラック企業の優秀な中間管理職のメンタルケアと対策を教えて。
『回答します。完璧主義な中間管理職は、責任感の強さから全てのタスクを一人で抱え込み、バーンアウト(燃え尽き症候群)に至る傾向があります。「有給休暇(休養)」の付与と、「完璧を求めすぎないマインドセット」の指導が有効です』
私はスマホを懐に収めると、光秀様の目を真っ直ぐに見つめた。
「あなた様は今、 完全に仕事の抱え込みすぎによる『燃え尽き症候群』の手前です。」
「燃え……? 」
光秀様が目を丸くする。
「光秀さんは真面目で優秀すぎるから、織田様の高い要求に満点で応えようとしてしまいます。しかし、人間なんですから10回に1回くらい息を抜かないと、心が壊れてしまいます。すべてを完ぺきにこなすよりも、「とりあえず終わらせておこう」と軽いお気持ちで考えてみてはどうでしょうか?」
「…軽い気持ち…ですか。」
私は光秀さんに頷いて笑ってみせる。
「はい。織田様にもご理解をいただいて、定期的にお仕事をお休みしてはいかがでしょう。」
「何?キンカンが仕事を休むだと?」
私の話を聞いていた信長さんが鋭い目つきでこち睨む。しかし、私はそれを正面から受け止めて胸を張った。
「…織田様。勝手なことを言って申し訳ございませんが、人間は常に全力で走り続けると、いつかつけれて足が止まり、走るの事が嫌になってしまいます。そうなってしまえば、織田様は優秀で信頼する部下を失うことになるやもしれません。…そうなる前に、息抜きをする時間を与えていただければと思うのです。」
「…うむ…。」
信長さんは考えるように顎に手をやって黙り込む。私はそれを見て再び光秀さんに視線を戻した。
「もし、お休みを頂けたら仕事の事は考えずに、何もせず好きなことをして過ごすのです。それができれば、休み明けは、仕事の効率が倍以上に跳ね上がりますよ。」
「ば、倍ですか…?」
「ええ。…もし、それでも辛くなったら、いつでも私に文をください。越後からいつでも光秀さんの愚痴を聞きます。」
「文を……葵殿が……? ワシの愚痴を……?」
光秀さんの目が見開き、途端に潤みだす。しかし、それをごまかすように光秀さんはグッと力を込めて顔を作った。
「ッ…誰にも言えぬこの胸の苦しみをご理解くださるとは……! 葵殿、貴方は真に慈悲深き天女様だ……心より感謝申し上げる。」
よし! 光秀さんとのつながりゲット。これで本能寺の変の兆候があったら文で察知できるはず。
「光秀殿の話は終わったのか?」
光秀さんを押しやるように、ひょうきんな笑みを浮かべつつも、瞳の奥に強い不安を隠した羽柴秀吉さんがやってきた。
「葵殿〜! ワシめにも天女様のありがた~いお言葉をくだされ! 信長様はワシを重用してくださいますが、農民出身のワシはいつ見限られるかと、夜も安心して眠れんのです……。」
私は再びスマホをサッと操作する。
タッピ―、自己評価が低い、仕事中毒者のモチベーション管理について教えて。
『回答します。たたき上げの功労者は「承認欲求」と「見捨てられ不安」が強いため、定期的な成果の肯定と、部下に権限を委譲する「デレゲーション」による負担軽減が有効です』
「秀吉さん!」私はニッコリと微笑んだ。
「信長様は、秀吉さんの『才能』と『行動力』を誰よりも評価してますよ! 見捨てるどころか、一番頼りにしてます。」
「ホ……ホントでございますか!?」
私の言葉に秀吉様の顔がパッと輝く。秀吉さんの事はよくわからないが、行動力と才能を褒められて嫌な社会人は経験上いなかったので、こういえばまず、間違いないだろう。
「はい! だから自分を追い詰めないで、頼れる部下にどんどん仕事を任せる『権限委譲』をしてみてはどうでしょうか。優秀な 秀吉さんの元に集まっている人材は、必ずや秀吉さんを助け力になってくれるはずです。部下を信頼し、仕事を任せることも、必要かと思います。もちろん、秀吉さんも光秀さん同様、何かありましたらいつでも私に文を書いて送ってくださいませ。」
「あ、葵殿ぉぉっ! ええ女や……! ワシ、惚れてしまいそうです!」
秀吉さんの言葉に、丹羽さんがやってきて秀吉さんを取り押さえた。
「お戯れが過ぎますぞ秀吉殿。葵殿は越後の天女。むやみやたらに触れれば、『龍の雷』が降り注ぎましょうぞ。」
「な、なに?おい、離せ!ワシはまだ、葵殿と話すことがあるのだ!」
「…葵殿お騒がせして申し訳ありませぬ。御前、失礼いたしまする。」
丹羽さんに引きずられて行く秀吉さんを見送って、用意されたお茶に手を付けた。
これで、少しは未来が変わるといいんだけど。
やがて宴もたけなわとなり、賑やかな大広間を脱出した私は、夜風を求めて岐阜城の静かな楼閣へと向かった。秋の澄んだ月光が、城下町を一望する欄干を照らしている。
そこに――一人、月を見上げて酒をあおる男がいた。
織田信長様だ。
「……葵か。」
背を向けたまま、信長様が低く呟く。
「秀吉と光秀の顔つきが変わっておったわ。……其方、妙な術を使うな。」
「術なんて使っておりません。ただ、皆さんの話を聞いて、少しお休みが必要ですよってお伝えしただけです。」
私は信長様の隣まで歩み寄り、共に月を見上げた。
昼間の破天荒で不敵な「魔王」の顔ではなく、今の信長様の横顔には、どこか遠くを見つめる静謐で孤独な影が差していた。
「……葵よ。」
信長様が酒杯を弄びながら、静かに口を開いた。
「其方には、この尾張や美濃……そして、この日の本がどう見える?」
「え……?」
「古くさい権威に縛られ、日々下らん意地で血を流し合い、民は貧しさに喘ぎ、ゴミのように命が消えていく。……余は、それが許せんのだ。」
信長様はギュッと杯を握りしめた。
「余は、この日の本から境界(関所)を無くしたい。誰もが自由に商いをし、生まれに関係なく能力のある者が報われ、腹いっぱい飯が食える……そんな国を作りたいのだ。そのために余は、古い理を破壊し、魔王とならねばならん。例え神仏を敵に回そうともな…。」
その言葉には、静かに、しかし強く響いた。
これが…織田信長。
教科書に書かれた「冷酷な破壊者」の裏にあったのは、誰よりも強く平和と豊かな未来を熱望する、一人の男の凄絶な覚悟だった。私は胸がギュッと締め付けられるのを感じた。ここでの私は、信長さんへの答えに現代のAIに頼る気にはなれなかった。
歴史の知識でも、経済のテクニックでもない。現代日本で必死に生きてきた「私」自身の生の言葉で、この人に答えたいと思った。
「……織田様。」
私は信長さんの目を真っ直ぐに見つめて語りかけた。
「織田様の作ろうとしている未来……すごく素敵だと思います」
「……何?」
「私の生まれた世界には、少なくとも私の国では戦争もなくて、誰もがお腹いっぱい美味しい白米を食べられて、夜も安心して眠れる場所があるんです。織田様が目指しているのは、きっとそういう世界ですよね。ですから、織田様の目指す日の本が完成したら、それはとても素晴らしいことだと思います。尾張や美濃は商いも豊富で、民も幸せそうです。」
信長さんが、一瞬だけ目を見開いた。
「ですが、織田様。」
私は少しだけ微笑んで、言葉を続けた。
「壊すだけじゃ、誰もついていけなくなってしまします。一人で全部の重荷を背負って『魔王』になろうとしないでください。織田彷徨ってからの周りには、さっきの光秀さんや秀吉さん、徳川様……そして、越後の謙信様だっています。」
「謙信だと……? あの堅物が余の力になるとでも言うのか?」
信長さんが鼻で笑うがわあつぃは全力で頷いた。
「はい。 謙信様は『義』と『人の心』を何より大切にする人です。信長さんの『新しい仕組みを作る力』と、謙信様の『人を守る温かい心』が合わされば、戦なんてしなくても、絶対に誰もが幸せになれる国が作れると私は思います。だって、お二人が思うのはいつも『民』の事ですから。」
夜風が、二人の間を吹き抜けていく。
「壊すだけじゃなくて、大切なものをみんなで守りながら、新しいものを作っていく……それが、私の願う未来です。ですから、織田様、一人で焦って壊そうとしないで、ぜひ、あなた様の信頼するみな様と一緒に歩んでください。人間って結構60歳以上まで生きたりするものですよ。…時間はあります。」
信長さんは、しばらくの間、無言で私を見つめていた。
やがて――。
「……フフッ……」
信長様は肩を揺らし、フッと深く、やわらかな笑みを浮かべた。それは昼間の大爆笑でも、不敵な笑みでもない、どこか少年のように澄んだ、穏やかな笑顔だった。
「……お甘い天女様だ。……だが…。」
信長さんは月を見上げ、静かに杯を干し、グイッと私の腕を引いた。
「きゃぁっ!」
私はそのまま体制を崩して、信長さんの胸の中に倒れ込んだ。しっかりと、力強い腕が腰に回される。目の前まで迫った、謙信様のような美しさではなく力強い男の顔にドキンッと胸が跳ねた。
「…なぜ、そなたが落ちたのが謙信の元だったのか……___。」
「…お、織田様…?!」
「……フンッ…嫌いではないぞ、其方のその甘い夢は。」
信長さんはパット私を解放し背を向けると、黒のマントをバサリと翻して歩き出した。
「葵! 越後へ戻ったら謙信に伝えよ! 『余と真に腹を割って酒を飲みたいなら、いつでも岐阜へ来い』とな!」
「あ、は…はい……。!」
去っていく信長様の後ろ姿を呆然と見送りながら、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
届いた……のかな? 信長さんの心に、ちゃんと私の言葉が…。
こうして、わずかなほてりと温もりを残したまま岐阜城での運命の夜は更けていった。




