18.三河の奇跡と透明な印
岡崎城の別館――。
上杉家からの使者として手厚く迎えられた私は、さっそく三河の領内改革へと着手していた。
「徳川様。綿の種をいただく以上、私も全力で三河の土地を富ませ、兵糧の不足を補うための『新しい知識』をすべてお教えいたします!」
打ち掛けから着替えて、農民の様ないつもの作業衣に着替えた私に、徳川家康様をはじめ、側近の本多忠勝、榊原康政、本多正信といった三河のそうそうたる猛将・智臣たちが、驚いた様に立ち尽くしていた。
「そ、その…葵殿は高貴なお方ではないのですか?」
「左様、越後に食と冨をもたらし、あの武田信玄公も手を出した偉才。毘沙門天の遣わせた吉祥天女様よ。」
「榊原殿、ならば何故あの様なお姿で…?」
忠勝さんら3人がコソコソと囁き合うその後ろで徳川様が笑う。
「民草の為に自ら泥に塗れ、汗を流す。…それこそ、正に天女様よ。」
徳川様が言えば、3人は目を見合わせて納得した様に頷くのだった。
三河国は武士たちの気風が強く勇猛で知られるが、土地は貧しく、毎年のように兵糧のやりくりに頭を痛めている。徳川様もまた、戦の側なんとかしなければと日々、胃を痛ませて悩まれているというタッピーの情報を仕入れた私は気合を入れて、袖を巻くった。
「葵殿……本当に三河の貧しさを救う術があるのか? 三河の土は乾きにくく、水はけの悪さに農民たちが毎年泣かされておるのだ……。」
「お任せください。越後は三河よりもひどく泥田と言われておりましたが、治水と排水の技術で劇的に改善しております。そこで、三河の土壌に合わせた『暗渠排水』の技法と、新しい保存食の作り方をお教えします!」
言いながら、私は作務衣のポケットスマホを取り出した。周りからはスマホが見えない為、指先だけが宙に浮いているように見えているだろう。
「な、なんと?!」
「空に指を動かして、何か…紡いでいるのか?」
「いや、何かを持っている様に見える。もしや、天界人にしか見えない神術やも知れん!」
周囲のざわめきは慣れたもの。私は気にすることなく、スマホをタップする。
タッピー! 三河の風土にぴったりな農業技術と保存食データを頂戴!
『了解しました。ネット検索および農業データベースを照合中。三河平野の粘土質土壌に対応する暗渠排水の構造、およびジャガイモ(馬鈴薯)を用いた長期保存食「乾燥加工」の工程を表示します』
よし来た!
私は袖の陰で、スマホの画面を爆速フリックした。
シュシュッ!トントンッ!シュバババッ!
目にも留まらぬ速さで、何もない空間(スマホの画面)を親指で滑らせ、トントンと謎のタップを繰り返す私。
その動作を目にした瞬間――!
「「「「っ……!?!?!?」」」」
本多忠勝や榊原康政ら三河の猛将たちが、弾かれたように身を乗り出し、息を飲んだ。
「な……なんだ、あの手つきは……!?」
「宙を……宙をすべらかな指先で叩き、何やら目に見えぬ刻印を打っておられる……!?」
本多忠勝がその巨体を震わせ、愛槍・蜻蛉切を握る手を汗ばませた。
「忠勝、見えるか!? 殿の指先から、かすかに蒼い光の粒子が立ち上っておるように見えぬか!?」
「見えまする康政殿!あれぞ……あれぞ越後で噂に聞きし、天の意思を聞く『神術』の印結びに相違ないっ!!」
うん。三河でも安定の反応だね。
猛将たちが勝手に私の指の動きを「古代の怪しい印結び」だと錯覚し、拝むように平伏し始めている。
あまりのピュアな驚愕ぶりに冷や汗が出そうになるが、私は平静を装って済ました顔で、振り返った。
「……ふぅ。天の知恵(ネット検索)を呼び降ろしました。徳川様様、まず一つ目ですが。」
私は用意させた木炭と和紙を手に取り、タッピーが表示した「暗渠排水」の断面図をサラサラと描き掲げた。
「三河の田畑には、土の中に『溝』を掘り、そこに竹や束ねた柴(木の枝)、小石を敷き詰めて土をかぶせる『暗渠排水』を導入してください。こうすることで、目に見えない地下に水抜き穴ができ、水はけの悪い粘土質の土でも、根腐れを起こさずに乾田化できます。」
「なにぃっ!?」
正信さんが図面を奪い取るように覗き込んだ。
「す、素晴らしい……!地上に溝を掘れば農作業の邪魔になるが、土の中に竹や小石の管を通せば、田畑を広く保ちつつ水だけを外へ吐き出せる。…なぜこのような簡便にして完璧な仕組みを思いつくのだ……!」
「これが……天女様の知恵……!」
徳川様も信じられないと言わんばかりに図面を見つめている。
「そして二つ目です。」
私は胸を張り、越後から忍ばせてきた「ある食材」を机の上にコトンと置いた。ゴツゴツとした、褐色の小さな芋――『ジャガイモ』である。
「葵殿、それは……南蛮から伝わったという『ジャガイモ』ではございませぬか?」
正信さんが首をかしげた。
「そうです。さすがは正信様。このジャガイモは寒さや痩せた土地にも強く、越後でも良く実り民に好まれています。三河の土地でもたくさん育ちますよ。ですが、そのままでは長期保存が効きません。そこで……これを『干しジャガイモ(乾燥加工品)』にしましょう。」
「干し……ジャガイモ……?」
私はタッピーの検索データをカンニングしながら、分かりやすく説明を続けた。
「ジャガイモを一度蒸してから皮をむき、厚めに切って天日干しでカラカラになるまで乾燥させるのです!水分を完全に抜けば、なんと数か月以上も腐らずに保存できます!食べるときはお湯や汁物に入れれば、もちもちとした食感に戻り、素晴らしい兵糧になります!」
「な、なんと……! 芋を干して保存食に塗るとは……!米のように軽い上に、腐らず、湯に入れればすぐに食せるとな!?」
本多忠勝がドスンと膝を叩いた。
「これがあれば、遠征の際にも重い米俵を何十個も運ぶ必要がなくなる!兵たちの胃袋を満たし、行軍の速さを倍増させることができるぞ……!」
「忠勝の申す通りだ……!」
家康様が震える手でジャガイモを握りしめた。
「三河の民は、毎年のように兵糧不足で干し草や葛の根をかじって耐えてきた……。だが、この『暗渠排水』で田を耕し、この『干しジャガイモ』を蓄えれば……もう民を飢えさせずに済むのだな……っ!?」
「はい。さらに、これから田んぼ作りなど稲作についても幾つか、お話しさせていただきます。『鳥と食べないほどまずい米』と呼ばれた越後米を、甘く美味しい輝く白米に。そして、米の収穫量も上げて見せましょう。」
私が拳をグッと握って見せれば、徳川様は目を大きく見開いた。
「なぜ…、何故そこまで我が三河のために…?」
その問いに私は手ものとスマホを握りしめた。
「三河の皆様からいただく綿花のおかげで、越後の人々も冬の寒さを凌げます。今は時代が時代です。戦も多く、いつ敵味方が変わってもおかしくない状況。…ですが、私はお互いの知恵と産物を交換し合って、みんなでお腹いっぱいで豊かになれたらいいなと思っています。」
ニッコリと微笑むと、三河の武将たち全員が、ハッとした様に表情を変えた。
「おおお……っ!皆で手を取り合い…共に豊かになることを目指すとは…!葵殿は正しく、天女様だ……。」
徳川様が腰を降り、私に頭を下げる。それに合わせる様にあの強面で知られる本多忠勝や榊原康政までが、片膝をついて私に頭を下げた。
「葵様こそ、天が我が徳川家に遣わしてくださった真の救世主にございます!」
「ちょっ、やめてくださいッ!頭をあげてください!」
忠勝さんが言えば、姿勢を戻した徳川様が穏やかに微笑んだ。
「この家康、生涯このご恩を忘れませぬ。此度は尾張と越後の同盟なれど、次はこの三河…徳川とも新たな同盟を結んでくだされ。」
「…徳川様!?」
「葵殿の施しに報いたいのです。謙信公には後日文を出しましょう。…これからも、よろしく頼みますぞ。」
「あ、ありがとうございます!謙信様もきっとお喜びになると思います。」
徳川様と笑い合う。
よくわからないが、徳川家との新しい同盟を結ぶことになった。しかし、決して悪い話では無いはずだ。
チラリと横で見守っていた使節団の山崎秀仙さんは「……あ、あれ?わし……切腹を免れたのか……?」と、呆然と開いた口が塞がらない様子だった。
荒川伴次郎くんと色部弥三郎くんも、誇らしげに胸を張っている。
「やっぱりお嬢は凄ぇや!宙に謎の印をむすんで、徳川の猛将たちを一人残らず平伏させちまったぞ!」
「ふっ……葵様のあのお手つき、まことに神秘的なまでの速さにございましたな……。」
だから、ただのフリック入力だってば。
心の中でツッコミつつも、三河の地に新しい技術と保存食のノウハウをしっかりと伝授できたことに、私は深い達成感を抱いていたのだった。
こうして三河での技術伝授と「綿の種」の獲得プロジェクトは大成功を収めた。
数日後、三河の農民たちが心を込めて集めてくれた大量の「綿花の種」と、最高級の「三河綿」が、使節団の荷車へと積み込まれた。
「葵殿……いや、葵様…。本当にありがとうございました!」
城門前で、徳川様が見送ってくれた。その手には、私が調合した生薬がしっかりと握られている。
「徳川様、どうぞご自愛ください。仕事は身体が資本ですから。」
「しほん?」
「あ、いえ、あーその、仕事の基礎になると言う意味です。」
「なるほど…葵様のお言葉、肝に銘じましょう。織田信長様へも、葵様の素晴らしさをあらかじめ書状にてお伝えしておきますゆえ。…道中、どうぞお気をつけください。」
えっ!?信長さんに私のことを手紙で伝えとくの?それって…ある意味ハードル上げてるんじゃ…?
冷や汗をかきながらも、私は笑顔で手を振った。
さあ――次はいよいよ、本丸中の本丸。
織田信長様が待つ、尾張・美濃(岐阜城)への道である。
「山崎さん!いよいよ信長さんとの対面ですね!」
「ハ……ハハ……もう何が起きても驚きませぬ。葵様についていきまする……。」
悟りを開いた山崎さんが、どこか吹っ切れた笑顔で馬を進める。伴次郎くんと弥三郎くんも、私を挟むように馬を寄せて警護を固めた。
「お嬢、織田信長ってのは相当なキレ者で、恐ろしい男だって聞くぜ。気を引き締めような。」
「伴次郎の言う通りです。ですが、葵様の礼節と優しさがあれば、いかなる英傑とて心を開かざるを得ないでしょう。」
「ハハ…それは、どうかな。…でも、信長さんともいい関係を築けて上杉家との同盟を絶対長続きできる様に…頑張るよ。」
私は作務衣のポケットの中からスマホを取り出した、
タッピー、次は『織田信長の攻略&本能寺回避・労務コンサル』よ。
『了解しました。織田信長の性格・嗜好・最新の経済政策に関するデータベース、および対信長用コミュニケーション戦略の準備が完了しています』
三河で念願の綿と予期せぬ同盟を手に入れた私は、意気揚々と、天下布武を掲げる覇者・織田信長の待つ岐阜城へと向かった。




