17.三河の狸と天女の交渉
「ひぃぃぃぃぃっ……!?あ、葵様ぁぁぁぁぁっ!?」
尾張・三河へ向かう上杉家の公式使節団。その隊列の真ん中に位置する、物資満載の大きな荷車の中から突如として現れた私を見て、使節団の責任者・山崎秀仙さんは、喉が潰れるような悲悲鳴を上げてその場にひっくり返った。
越後国境を越え、信濃の関所を無事に通過した直後の街道沿い。
物陰で休憩を取ろうと荷車の荷縄を解いた山崎さんは、米俵の隙間から「ふぅ、ちょっと狭かった~。」と脱出してきた私と、バッチリ目が合ってしまったのだ。
「な、ななな……なぜ葵様がこのようなところにおられるのですかぁぁぁっ!?」
泡を吹いて倒れそうな山崎さんを、影からぬっと現れた荒川伴次郎くんと色部弥三郎くんが、申し訳なさそうな顔で支える。
「山崎殿……すまぬ。お嬢を止めきれず、俺たちも密航に同行した次第で……。」
「山崎殿、どうかお気持ちをお鎮めくだされ。……まあ、我が首も跳ね飛ぶことは確定しておりますが。」
「首が飛ぶどころの話ではありませんぞぉぉぉっ!!」
山崎さんは髪を振り乱し、涙と鼻水を流しながら地面に膝をついた。
「切腹だ……!わしは越後に戻った瞬間、御実城様に手打ちにされるか、切腹を言い渡されるに決まっておりまする!『天女様を無断で連れ出した』などと知れたら、我が一族郎党まで打ち首に……!あぁぁ、我が命運はここで尽きたぁぁぁっ!!」
「山崎さん!落ち着いてください!」
あまりの不憫さに、私は慌てて山崎さんの肩を揺すった。
「大丈夫ですよ。ちゃんと謙信様には置き手紙を残してきましたから!」
「手紙ぃぃぃ!?そのようなもので御実城様の修羅の如き怒りが収まるはずがありませぬぅぅぅっ! 今頃、春日山城は血の海にございますぞーっ!!」
不憫すぎる山崎さんの絶叫が、信濃の山々に虚しくこだましたのだった。
一方その頃――春日山城、上杉謙信の居室。
「……何?」
地底から響くような地鳴りのごとき声が、部屋の空気を極寒へと凍りつかせた。謙信の前には、血の気を失った千坂景親と直江景綱、そして青ざめた梅が、伏せったままガタガタと震えていた。
「葵が……消えた……?」
「ハ……ハハッ、御実城様……っ!」
千坂が死を覚悟した顔で、一枚の折りたたまれた和紙を捧げ持った。
「今朝方、梅が尋ねた所、葵様の自室にて……こちらの文が残されておりました。伴次郎、弥三郎、さらには軒猿の一部も姿を消しており……使節団の荷に紛れて、三河、尾張へ向かったものと思われるまする……!」
「……文をみせよ。」
謙信は冷徹な手つきで紙を開く。そこには、葵の決意が示されていた。
『謙信様へ。
この度、私、三河と尾張へ行ってまいります。その目的は二つあります。一つは、冬の越後を温かくするための「綿の種」を手に入れること。
もう一つは、徳川家康様や織田信長様と仲良くなって、上杉家とずっと平和な同盟を続けるための「お手伝い」をすることです。
戦も知らない私ですが、多くの民や農民が犠牲なり、人々が傷つく事はどうしても耐えららません。甘い考えだという事も承知していますが、私はその為に少しでも何かをしたいと考えてます。
わがままをお許しください。
馬廻衆の2人は私が強引に連れていきますので、どうか叱らないでください。
謙信様からの言いつけを破ってしまい、申し訳ありません。
すぐに帰りますので、どうか、それまでお元気でいてください。
……追伸:謙信様がいつも私を大切に思ってくださって、守っていただいている事、とても嬉しく思っています。そして、感謝しています。
葵より』
「「「「……っ!?」」」」
文を目で追う謙信の表情が、静かに変化した。
冷酷な「殺気」が消え、穏やかなものに変わっていく。
文の結びに込められた、葵の真っ直ぐな誠実さ。
武士として恥ずかしいほどの器量の狭さを晒して、強引に城に閉じ込めた男に『嬉しい』『感謝している』と返してくれる。言葉にせずとも、自分の心と想いは葵に伝わっている。そう思えば、葵が旅に出たことへの不安は少しだけ減った気がした。
「誠…空の様に広く、海の様に深い、慈愛を持つ天女よ。」
ポツリと溢れた言葉と共に謙信に僅かな笑みが広がった。胸の奥から湧き上がるのは、「やはり目を離すとどこへ行くか分からぬ困った女人だ」という深い愛おしさと、苦笑であった。
「……御実城様……?いかがされましたか……?」
おそるおそる顔を上げた直江が、文を慈しむように凝視している謙信を見て、首をかしげた。謙信は静かに文を懐に収めると、キリッとした軍神の顔に戻った。
「……千坂、追っ手は出すな。」
「…出さなくて良いのですか?」
「うむ。無理に追えば、葵が逃げ惑って事故に遭うやも知れぬ。伴次郎と弥三郎、それに軒猿がついておるのだ。三河の徳川家康は義理堅い男。葵に害をなすことはあるまい。……使節団の無事の到着を待ち、家康に『葵を客人として手厚くもてなすように』と、至急の密書を送れ。」
「は、ははっ!!」
「…織田家には如何いたしますか?」
織田の名前に謙信の整った眉がぴくりと揺れる。
「何もするな。彼奴が先にこちらに仕掛けてきたのだ…。こちらとしても仕返しさせてもらうとしよう。」
謙信様はそっと懐の文を上から触り、寂しげながらも温かな笑みを浮かべた。
「……綿の種と、平和の約束、か。…どうか無事に…早く帰って参れ、葵。お主に会えるのを待っておるぞ。」
こうして、春日山城の龍の雷は、葵の誠実な決意によって見事に回避されたのだった。
数日後。岡崎城――徳川家康の本拠地。
「……はぁぁぁぁぁ……。」
居室で重々しい溜息を吐いていたのは、三河の主・徳川家康であった。
「御前、また胃でございますか?」
側近の本多正信が、苦笑いしながら白湯を差し出す。
「正信……胃が痛くてたまらんのだ。武田信玄が西上作戦を開始し、我が三河と遠江に今にも襲いかかってこようとしておる。織田の信長様からは『持ちこたえよ』と無茶な要求ばかり……。そこに持ってきて、上杉家から使節団が到着したという……。しかも、越後の吉祥天女と呼ばれる女人も同行しているとの事。手厚くもてなせなどと言う文も来たが…一体何の用だというのだ……?」
家康は重い足取りで、使節団との謁見の間へと向かった。
徳川家の兵士たちに案内された大広間。
両サイドには名だたる武将が、厳しい顔で並ぶ中、使節団の中音に正座した私は打ち掛けの裾をそっと整えて家康さんの到着を待っていた。
あの、江戸を開いた徳川家康に会う。
そう思えば、いくら歴史に疎い私でも、緊張と興奮が込み上げる。そして、待つ事数分。ついに、大広間に徳川家康が現れた。
家康さんの登場に合わせて三つ指をついて頭を下げる。着物が擦れる音が消えてしばらく「表をあげよ。」と静かに渋い声が響いた。言葉に従い、ゆっくりと顔を上げる。そこには少し垂れ目でゆったりとした恰幅の良い男性が座っていた。
「そなたが……越後を爆発的な富で満たし、信長様すら興味を示しておられる……あの『吉祥天女』殿か?」
家康さんの声に私はすっと背筋を伸ばし、丁寧にお辞儀をした。
「初めまして、徳川様。越後より参りました、葵と申します。天女などという大げさなものではございませんが、突然の訪問にも関わらず、こうしてお目通りの機会をいただきました事、心より御礼申し上げます。」
落ち着いた挨拶と、品のある仕草。歴史ドラマの真似をしただけだったが、何人かの息を飲む音が聞こえた。そのまま、挨拶を終えるた私はふっと表情を和らげ、用意してきた手提げの小箱をそっと差し出した。
「徳川様、本日はお近づきの印に、越後で採れた自慢の『干し椎茸』と越後米で作りました『清酒』をお持ちいたしました。出汁の味がとても深く、お体にも優しいものです。清酒は透き通った酒でございますが辛口で美味いと評判にございます。……それと、こちらを…。」
私が椎茸と酒の隣に添えて差し出したのは、タッピーで検索した現代の漢方知識をもとに、越後で調合してきた『特製の生薬(現代風の胃薬)』だった。
「こちらは胃の痛みに効く生薬でございます。日々の重責で、お心とお体を痛められておられるのではとお見受けいたしました。どうぞお使いください。」
「……なんと、い……胃薬……!?」
家康さんは胃薬と私の顔を交互に見て驚いた様に瞼を開いた。タッピーの情報では日々、信長と信玄の板挟みになり、胃を痛め続けていた家康にとって、この極上の「干し椎茸」と「親身な胃薬」は、まさに砂漠で出会ったオアシスに見えるだろう。
家康さんの私は真摯な瞳で本題へと突入した。
「徳川様。本日はお願いがあって参りました。図々しい申出と承知でお願い申し上げます。三河で栽培されている『綿の種』を、私どもに分けていただけないでしょうか?」
「綿の種……?三河綿のことか?」
「はい。三河の綿は大変質が良く、素晴らしく温かいと伺っております。私のいる越後の冬はとても厳しく、民は毎夜寒さに凍えて眠っております。私は少しでもその環境を変えたいと思い、こうしてお願いに参った次第にございます。もし、この綿の種を分けていただければ、そのお返しとして、【三河の土地でも良く育つ、新しい農地の改良】と、【兵糧の長期保存術】をお伝えいたします。」
「な……なにぃぃぃっ!?」
家康とその家臣たち(本多忠勝や榊原康政ら)が、ガタッと立ち上がった。
これもタッピー情報だが三河は土地が貧しく、毎年のように兵糧不足に悩まされている。そこに、越後を富ませた「乾田化」や「兵糧保存術」がもたらされるとなれば、三河の国力は激変するはずだ。
「それだけではございません。」
私は真剣な目で家康を見つめた。
「徳川様。織田家との同盟や武田家への対応、大変なご苦労とお察しいたします。上杉家と織田家、そして徳川様が強固に結びつき、互いを支え合えば、いかなる強敵が現れようとも決して敗れることはございません。私どもは、共に平和な世を目指す良き協力者でありたいと思っております。」
家康さんが震える手で、扇子をギュッと握りしめた。
「なんと……そこまで三河のことを考えてくださるとはっ!…葵殿、貴女は真に……我が徳川家を救いに来てくださった『吉祥天女』ですな。」
家康さんが静かに微笑んだ。
「越後に綿花の種をお譲りしましょう。農民や貧しい民の為にと、遠い三河でおいで下された天女殿に我々も精一杯の心を返したい。」
家康さんの言葉に山崎さんが信じられないと言わんばかりに口をポカンと開けて凝視している。それを横目に、私は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、徳川様。徳川様からいただきましたご温情は、謙信様へもしっかりとお伝えいたします。今後とも上杉家と徳川家の繋がりは深く続いて行くことを願っております。」
私はほっと胸を撫で下ろし、心の中で『綿の種ゲット!これで『ふかふか布団』が作れる!』と小躍りした。横に控えていた山崎秀仙さんは、我に返った様にハッとして丁寧にお礼を言う私を見て「……あ、あれ?わし……手打ちにならずに済む……?」と、ポカンと口を開けていた。
伴次郎くんと弥三郎くんも、私の交渉に感服した様にニッコリと微笑んでくれた。
「やっぱりお嬢は凄ぇや!きちんとした身なりでビシッと決めたと思ったら、徳川の殿様を一瞬で味方にしちまったぞ!」
「ふっ……葵様のお人柄と礼節の前には、いかなる疑心暗鬼も無力にございますな。」
ふかふか布団への第一歩を見事に踏み出したが、
三河での私の交渉と「天女降臨」の報せは、すぐ隣の尾張・岐阜城にいる「あの男」の元へと、速報で届くことになるのだった――!




