16.ふかふかの夢を追いかけて
「ひ、姫様…?千坂様がお見えです。」
不貞寝を決めつけていた私に襖越しに遠慮がちな声がかかった。大広間から戻ってからどれくらい経ったのか、いつのまにか日が傾いている。
「…お通してください。」
「はい。」
「……葵様、失礼いたしまする。」
緊張した面持ちで入ってきた千坂さんは私の前に座ると姿勢を正して、深々と息を吐いた。その表情は緊張に満ちていた。
「どうされました?」
「葵様…先ほどの御実城様の件ですが…御実城様は葵様の御身を守るためにあの様な発言をなされたのです。」
「……。」
「織田信長殿は神仏を恐れぬ危険な男。葵様のその無垢な知恵と優しさは、あのような男の前に晒して良いものではない、とお考えになったのでしょう。……代わりに、葵様の行動範囲は、これまで通りこの春日山城と、麓の村までとするとこの千坂、御実城様より許可をいただいてまいりました。」
千坂さんが眉を下げた。そして、懐から和紙に包まれた、白い饅頭を取り出して私の前に置く。
「…これは…?」
饅頭から千坂さんに視線をあげれば、どこか照れ臭そうに千坂さんは頭をポリポリと掻いて笑った。
「少し小腹が空きましてな。柿崎殿より拝借してきました。柿崎殿はあんな鬼の様な風貌に似合わず甘味が好きなのです。…証拠隠滅にお付き合い頂ければと。」
あの、髭もじゃでいつも厳つい顔してる柿崎さんが…甘党?
「プッ!うふふっ…あははは!」
「クク、はははっ!」
思わず笑ってしまえば、千坂さんもつられた様に笑い出した。気がつけばさっきまでイライラしていた気分が消えていく。
きっと千坂さんは私の為にこんなことしてくれたんだろうな……。
千坂さんの気持ちが素直に嬉しい。その気持ちのまま、私は笑顔を見せた。
「…ありがとうございます。…私もちょうどお腹が空いた所です。一緒にいただきます。」
「えぇ、どうぞ召し上がってください。梅、茶を淹れてまいれ。」
千坂さんが襖越しに声をかければ、待ってましたと言わんばかりに、湯呑みを乗せたお盆を手に持った梅ちゃんが入ってきた。
「こちらにございます。熱いのでお気をつけください。」
「…ありがとう、梅ちゃん。」
「とんでもございません。」
お茶を飲みながら、甘いお饅頭を食べる。
少しずつ、頭も冷静になってきて、ほっと一息がつけた気がした。
まあ、謙信様が私のことを本気で心配してくれてるのは分かってるし。先日の川中島で誘拐された件もあるから……そりゃ警戒されるよね……。
謙信様としても、決して私を閉じ込めたいわけではないのだ。現に村への外出は許してくれたし、私の日常の農作業や自由な散策までは奪わなかった。
「葵様……此度の件、御実城様の慈愛ゆえにございます。どうぞお察しくだされ。」
と千坂さんが優しく微笑んでくれた。
「…はい。理解してます。」
素直にそう言った私の心はもうすっかり凪いでいた。
その日の夜。自室の寝所。
私は、行灯の薄暗い光の中で、寝床の上にゴロンと横になっていた。
「……うう……いたたた……。」
背中に走る、鈍い痛み。
私は思わず、藁の上で「うう〜ん」と悶絶した。越後に来てからというもの、私は現代日本の「ふかふかマットレス」や「羽毛布団」という文明の利器を完全に失っていた。昼の不貞寝が効いたのか、今日はいつもよりも寝ずらい。
戦国時代の寝具といえば、上等なものでも厚手の布の間に藁を詰めたものか、ござ、あるいは毛皮。越後を豊かにし、白米をお腹いっぱい食べるという第一の悲願は叶った。だが、背中が、背中が痛すぎる。
ゴツゴツとした藁の感触に寝返りを打つたびに「ミシミシ」と音が鳴り、背骨に当たる硬い結び目。今までは、日中に死ぬ程農作業をして、疲労感に任せ泥の様に眠っていたけど、今日は社畜時代、1日15時間労働をこなした後に飛び込んだ、あの愛用の低反発マットレスの記憶が脳裏を駆け巡る。
白米の夢は叶えた……。美味しいお酒も、椎茸の出汁も作った……。でも、もう限界だ。私の体は『ふかふかの布団』を求めているっ!
すかさず私はスマホを手に取ると画面を爆速フリックした。
ねえタッピー!戦国時代にふかふかの布団を作るにはどうすればいいの?綿はある?
画面に頼れる相棒・タッピーのテキストが素早く表示される。
『回答します。戦国時代(16世紀後半)の日本において、現在のような「木綿(綿花)」を用いた布団は極めて希少です。当時、綿花の栽培は三河国(現在の愛知県東部)や上方(関西)などで試行され始めたばかりであり、越後国での栽培・流通はほぼ皆無です』
三河……!?
スマホの画面を食い入るように見つめる。
『補足します。徳川家康が治める三河国は、質の良い木綿(三河綿)の産地として急速に発展しつつあります。綿花は寒冷地での栽培が難しく、温暖で水はけの良い三河の土地に適しています』
これだ!
私の頭の中で、カチリと巨大なピースが噛み合わさった。三河の綿花を手に入れれば、夢の「ふかふか綿布団」が作れ、さらに、綿花の種と栽培ノウハウを越後、あるいは三河との交易に持ち込めば、冬の極寒に凍える越後の民たちにも、温かい綿入れの服や布団を普及させることができるはず。
そして――何より。
徳川家康さんは、織田信長さんの同盟者だったはず。三河に行けば、家康さん経由で織田家とも安全に接触できるんじゃない?
私の頭の中にドンドンと段取りが組まれていく。
まずは家康さんに接触して三河の綿花を手に入れて、念願の「ふかふか布団」と温かい綿入れを作る。それから、信長さんと接触し、濃越同盟の維持と「本能寺の変」回避のための家臣のメンタルケアとお悩み解決をする!
謙信様は「尾張(信長さんのところ)へ行くのはダメ」と言っていたけど、三河に行くなとは言っていない。屁理屈かもしれないが、信長さんからのあの手紙には少しばかり腹が立っているのだ。私の知識ではなくタッピーの知識だが、価値を示せた言うなら、示してやろうじゃないの。
「謙信様……ごめんなさい。私、やっぱり…行きます。」
ふかふか布団への強烈な物欲と、平和への使命感に私の心がメラメラと野望の炎が燃え上がったのだった。
翌日。春日山城の城下にある、水車小屋の脇。
私は、作業用の作務衣のポケットからスマホを取り出してタッピーと戦略会議(密航計画)を開いていた。
ねえタッピー。謙信様に内緒で三河・尾張へ行くには、どうするのが一番安全?
『検索結果を表示します。現在、濃越同盟の締結に伴い、越後から尾張・三河へ向かう上杉家の公式使節団として山崎秀仙らが、近日中に春日山城を出発する予定です』
使節団の出発……!これに乗るしかない!
使節団の荷物(返礼品や物資を運ぶ大車輪の籠や馬車)にこっそり潜り込めば、関所も安全に通過できる。でも、黙って消えたら、また謙信様達に心配をかけてしまうだろう。なら、ちゃんと『理由』と『目的地』を書いた置き手紙を残しくのはどうだろう?「自分の意思で、綿花の種と平和のために三河と尾張に行ってきます。」って素直に書いておけば、無駄な混乱や心配をかけることはないはず。…まぁ、多少のリスクはありそうだけど…。それでも、綿花が手に入れば越後の冬が変わる。きっと、それなら許してくれるはず…!
私が水車小屋の陰で拳を握りしめたその時。
「……お嬢?」
「うぎゃあぁぁぁっ!?」
後ろから突然声をかけられ、私は跳び上がって叫んだ。振り返ると、そこには怪訝な顔をした荒川伴次郎くんと、涼やかな瞳で私を凝視している色部弥三郎くんが立っていた。
「ば、伴次郎くん!?弥三郎くん!?い、いつからそこに……!?」
「いや……今来たところだが。お嬢、さっきから一人で『三河、尾張』とか『密航』とか物騒な言葉を呟いてなかったか?それに…何も無いところで指動かして神器でも使ってたのか?また、何か始まるのか?」
伴次郎くんが首をかしげる。
「えぇ!?そんなこと言った?…神器なんて気のせいじゃない?」
汗を滝のように流しながら、超不自然な笑顔を浮かべる私。弥三郎くんは扇子でパチりと手を打つと、目を細めて私をじっと見つめた。
「……葵様。……何か、良からぬことを企んでおられませんか?」
「た、企むなんてそんな!私はただ、越後の皆様に温かいお布団を届けたいな〜って思ってるだけで……!」
「お布団……?三河の綿花のことですか?」
弥三郎くんが鋭い地頭を発揮する。
「なっ……なんで知ってるの!?」
「先ほど、城の商人たちが『三河で採れる綿という毛の生えた草は、誠に温かい寝具になるそうだ』と噂しておりましたので。葵様が食いつかれそうな話題だとは思っておりました。」
クッ!察しが良すぎるよ弥三郎くん!!
この二人に見つかったら、即座に謙信様に報告されて、三河行きどころか自室に監視がついちゃうかもしれない。
「あ、あのね二人とも!私、どうしても三河に行かなきゃいけないの!」
私は意を決して、二人の手を取った。
「三河に行けば、軽くて温かい『綿』の種が手に入るの!それを越後で栽培できれば、綿が取れて、冬の越後で寒さに震える子供たちや、お年寄りに温かい布団や服を作ってあげられるの。それに……織田家や徳川家と直接仲良くなれれば、謙信様が将来、無用な戦に巻き込まれずに済むかもしれないんだ。」
「お嬢……!」
伴次郎くんが胸を打たれたように目を丸くする。
「私、絶対に無事で帰ってくるから。謙信様にはちゃんと置き手紙を残すからさ、お願い、見逃して……ううん、手伝って!」
「手伝ってって……お嬢!御実城様に知られたら俺たちの首が飛ぶぞ!?」
伴次郎くんが悲鳴を上げる。だが、弥三郎くんは静かに目を閉じ、考え込んだ。
「……伴次郎。葵様のおっしゃることも一理ある。」
「はぁ!?弥三郎、お前正気か!?」
「葵様は、越後の民の寒さを凌ぐ術を……そして何より、御実城様が戦に巻き込まれぬ道を模索しておられるのだ。……それに…。」
弥三郎くんは目を開け、ふっと苦笑いを浮かべた。
「……お引き止めしたところで、葵様は隙を突いてたった一人で抜け出されるに決まっている。ならば……我らが影となり日となり、密かにお供するしかあるまい。」
「弥三郎くん……!!」
思わず、二人の手を持つ両手に力が入る。
「くっそ〜!分かったよ!俺も行く!お嬢を一人で他国に行かせるわけにはいかねえからな!」
伴次郎くんも覚悟を決めて、ガシガシと頭を掻いた。
「二人とも、ありがとう……。よし、そうと決まれば作戦開始よ!」
その夜。
春日山城の私室。
荷造りを終えた私は、机の上に丁寧に折りたたんだ一枚の和紙を置いた。そこには、謙信様へ向けた、私の直筆のメッセージが書かれていた。
『謙信様へ。
この度、私、三河と尾張へ行ってまいります。その目的は二つあります。一つは、冬の越後を温かくするための「綿の種」を手に入れること。
もう一つは、徳川家康様や織田信長様と仲良くなって、上杉家とずっと平和な同盟を続けるための「お手伝い」をすることです。
戦も知らない私ですが、多くの民や農民が犠牲なり、人々が傷つく事はどうしても耐えららません。甘い考えだという事も承知していますが、私はその為に少しでも何かをしたいと考えてます。
わがままをお許しください。
馬廻衆の2人と軒猿さんは私が強引に連れていきますので、どうか叱らないでください。
謙信様からの言いつけを破ってしまい、申し訳ありません。
すぐに帰りますので、どうか、それまでお元気でいてください。
……追伸:謙信様がいつも私を大切に思ってくださって、守っていただいている事、とても嬉しく思っています。そして、感謝しています。
葵より』
「よし、行こう!」
夜陰に紛れ、私は伴次郎くんと弥三郎くん、そして影からこっそりついてきてくれた軒猿さん(かなり引き留められたが強引に説得した)たちの手引きにより、使節団の荷物車へと忍び込んだ。
ガタゴトと音を立てて走り出す馬車の中。
越後の夜空を見上げながら、私はまだ見ぬ尾張・三河の地へと、期待と興奮に胸を膨らませて旅立ったのだった。
――そして、翌朝。
置き手紙を発見した春日山城本丸で、かつてないほどの【特大の龍の雷】が落ちることを、この時の私はまだ知る由もなかったのである。




