15.軍神の嫉妬と天女の怒り
冬を目前に控えたある日、春日山城の大広間は、かつてないほどの浮き足立った大騒ぎに包まれていた。
織田信長との軍事同盟――「濃越同盟」の締結を携えて帰国した使者・山崎秀仙と長景連が持ち帰った、織田家からの破格の祝の品々が広間いっぱいに並べられていたからだ。
「おお……!これは京で織られた見事な屏風!なんと絢爛豪華な……!」
「見ろ、異国の『南蛮マント』に、鍛え抜かれた名刀まであるぞ!」
直江景綱や柿崎景家ら重臣たちが、目の前に積まれたお宝の山に目を輝かせ、口々に歓声を上げている。これで武田信玄の「西上作戦」に対抗する完璧な挟撃体制が整ったのだ。同盟は大成功、上杉家の威光は天下に轟くはずであった。
――だが。
広間の上座に座る上杉謙信の顔には、一切の笑顔がなかった。それどころか、その周囲には触れれば斬られそうなほど冷ややかで重苦しい威圧感が渦巻いていた。
「もう一つ…箱がある様だな…?」
謙信の冷たい声に重臣たちの視線が、返礼の品々の中心に鎮座する、ひとつの高級な「紫の漆箱」へと注がれる。
「……長景連。」
謙信の低い声が広間に響いた。
「その箱は……何だ?」
長景連は冷や汗を拭いながら、おそるおそる答口を開いた。
「は…ははッ、御実城様。それは織田様より……『越後の吉祥天女・葵殿へ』と直々に託された特別なお品にございます……。」
「葵に……?」
「念の為、改めさせていただきまする。」
千坂景親が震える手で紫の漆箱の蓋を開けた。
中から現れたのは、京都の職人が手がけた眩いばかりの金の宝飾品と、息を呑むほど絢爛豪華に仕立てられた「南蛮風の鮮やかなドレス(着物)」……そして、最奥に置かれた一通の和紙であった。
そこには、豪快で不敵な筆跡で、こう記されていた。
『噂の天女・葵殿。其方の持つ知恵は、越後という寒村に置いておくにはあまりに惜しい。一度、余の元(岐阜)へ来い。その知恵の真価を見せてみよ』
「「「「……っ!!!???」」」」
大広間にいた全員の動きが、一瞬で凍りついた。
「お……織田様が……天女様に目をつけらた……!?」
千坂景親が自身の胃を押さえ、青ざめた顔で絶句する。
「な、なんという失礼な文だ!我が上杉の至宝である葵様を引き抜こうというのか!?」
柿崎が怒りで髭を逆立てるが、直江が必死にそれを制した。
「落ち着かれよ柿崎殿!相手は同盟を結んだばかりの織田信長公……!今下手に怒りを買えば、同盟が破綻いたしますぞ……!」
重臣たちが胃を痛めて大混乱に陥る中――。
謙信は、ただじっと、その紫の漆箱と信長の手紙を見つめていた。
……織田信長が……葵に……?
胸の奥で、どろりとした黒い塊が急速に膨れ上がっていく。
熱く、苦しく、胸が焼けるような嫌な感覚。
これまで「義」と「毘沙門天への信仰」だけで生きてきた謙信にとって、それは生まれて初めて体験する激しい嫉妬と独占欲であった。
なぜだ……。信長が葵の名を口にし、このような着物と文を贈ってきただけで……腹の底から、信長を八つ裂きにしてやりたいほどの激怒が湧き上がる……。これが……嫉妬、というものなのか……?
自身の中に芽生えたドロドロとした醜い感情に、謙信は戸惑い、苦しんだ。だが同時に、武将としての猛烈な警戒感が脳裏を支配する。
信長は神仏を恐れぬ危険な男だ。あのような男の視界に……葵を近づけるようなことはできん。
謙信の瞳に、修羅のごとき暗い情念が宿ったのだった。
一方、その頃。
自室の居間で、私はスマホの画面を爆速フリックしながら、梅ちゃんの淹れたお茶を飲んでいた。頼れる相棒・タッピーの画面には、膨大な歴史データが表示されている。
『補足します。織田信長は合理主義者であり、新しい技術や経済政策(楽市楽座など)に深い関心を示します。また、部下のメンタルヘルスケアを怠ったことが、のちの「本能寺の変(明智光秀の謀反)」につながったという説が有力です』
なるほどね。信長さんって、ブラック企業のワンマン社長みたいな感じだったんだ。
信長と謙信様が濃越同盟の破棄をして、手取川の戦いにならばせっかくの平和が台無しになる。できれば信長さんが本能寺で死んじゃうのも絶対に阻止したいし、越後が無用な争いに巻き込まれるのも避けたい。できれば、誰一人傷ついて欲しくないが、ここは戦国時代。それは難しいだろう。それでも、顔を見て話した人達はせめて命を落とすことがない様にしたい。私に、そんな力はあるのかわからないけど。
そこへ――。
「姫様!大変にございます!!」
梅ちゃんが青ざめた顔で部屋に飛び込んできた。
「ど、どうしたの梅ちゃん!?」
「お城の大広間に……尾張の織田信長様から、葵様宛てに豪華な贈り物とお手紙が届いたようです!……御実城様が、恐ろしいお顔で葵様をお連れしろと……!」
「えっ!?信長さんから私に?」
どう言うこと?なんで、面識もない私に?…もしかして、信玄公と同じ様に私を越後から引き抜こうとしてる?
梅ちゃんに先導され、伴次郎くんと弥三郎くんを引き連れて大広間に足を踏み入れると、重苦しい沈黙が広場を支配していた。
「あ、あの……謙信様?…皆さん?」
私が顔を覗かせると、広間の真ん中に立つ千坂さんと直江さんが、焦った顔で飛んできた。
「お、おぉ葵様!お待ち申し上げておりました…………!」
直江さんが小声で冷や汗をかく。
「葵様、どうか慎重にお振る舞いを……。今の御実城様はお心が荒れておられます。」
千坂さんも扇子を握りしめて忠告してくる。
え?なんで?…今日は同盟が成功しておめでたい日じゃないの?
不思議に思いながら上座を見ると、そこには紫の漆箱を前にして、顔を伏せたまま微動だにしない謙信様がいた。
「あ、あの……謙信様…?葵、ただいま参りました。」
私は小袖の裾を整え、謙信様の前に座った。
私と謙信様の間には、信長さんから送られたと思われる、金細工やドレスが入った漆の箱が置かれている。
「来たか。…尾張の織田信長から葵への書状だ。」
低い声で私にて寧にたたまれた和紙を差し出した謙信様は、私と目を会わせてはくれなかった。そのことに少しだけ、気持ちがしぼむ。
「ありがとうございます。拝見します。」
手紙の内容を読んで私は愕然とした。タッピ―で調べた通り、織田信長は本当に変わり者らしい。しかもかなりの自分勝手だ。『その知恵の真価を見せてみよ』なんて…少し腹立つ。
手紙を読んでから黙ってしまった私をどう思ったのか謙信様が、ゆっくりと顔を上げた。その瞳は、深くて暗い、見たこともないほど切なく、荒んだ光を帯びていた。
「……葵。」
低い、かすれた声。
「……お前は、信長からの贈られた金細工や衣を…どう思う?」
「え?…あー、はい。素敵だとは思いますけど。金細工もドレスも日常では使わないですし…。どうせなら、小袖と鍬とか鎌がよかったですね。…最近、鍬が錆びてきたので。」
信長さんから送られたこれらは、私の事を考えて用意されたものではない。きっと、信長さんが適当に指示をして用意した物だろう。私が農耕をする人間だと知っていれば、もっと他に喜ぶものがあるとわかるはずだ。
「そうか、葵は、気に入らぬか。ならば、これらは私が処分しよう。」
先ほどより幾分明るくなった謙信様が漆箱を下げようとするのを慌てて止めた。
「お待ちください!確かに気に入りませんが、いただいたものを捨てるのは申し訳がありません。私の方で受け取ります。」
「…なに…?」
驚いたように固まった謙信様に、私は満面の笑みで自分の「織田家と上杉家の平和プロジェクト」を口にした。
「今回の同盟は、信玄公の動きを阻止するためだとはいえ、とても素晴らしいことだと思っています。織田家と上杉家が力を合わせれば、尾張と越後、それに属する国々で飢えや戦を無くせるかもしれないですし。」
「…そうだな。」
私の話を聞いた謙信様の顔に急に悲しさに染まった。口元は笑っているのに、目が、雰囲気が明らかに悲壮感に満ちている。
「…あの?…謙信様、大丈夫ですか?」
「…ああ、大事ない。」
いや、どう考えても大丈夫そうじゃないけど?
急に黙り込み、悲痛な面持ちで自分を見つめてくる謙信様に、私は首をかしげた。
謙信様はゆっくりと立ち上がると、私の手から信長の手紙を取り出し、ギュッと拳の中で握りつぶした。
「……葵。」
絞り出すような、切なく、重い声。
「……私は、お前をどこへも行かせぬ。」
「え……?」
「尾張へも、岐阜へも……信長の元へなど、絶対に遣わさん。我が天女は慈悲深く義に厚い…。しかし、私には葵が他の男の元に行くなど…許せんのだ。」
「け、謙信様?」
「…笑いたくば笑うがよい。武士とあろう者が、このような狭量な執着を捨て切れずにいる。己の器の小ささ、まことに浅ましく、面目次第もないが、お前の知恵も、笑顔も…誰にも……ましてや信長になど、絶対に渡さぬ……!」
謙信様の瞳から、一筋の切ない情熱が溢れ出していた。
えっ!?
私は口をぐうの音も出ないほど開けて固まった。
どう見たってこれは、謙信様の嫉妬だ…。突然の嫉妬に嬉しさもあるがそれよりも困惑が募る。私はただ上杉家と織田家の同盟を維持して、将来の戦と本能寺の変を防ぎたあと思っているだけなのだが、どうにも変な風に捉えてる様だ。
「謙信様、違います。私は信長さんのところに行きたいわけじゃなくて――」
「もう良い。」
謙信様は私の言葉を遮ると、静かに背を向けた。
「千坂、直江。……織田への返礼の使者には、返礼品のみを渡せ。……葵、織田へ文を書くこと、尾張に行く事は許さん。しばらくは、城の外へ出ることを禁ずる。」
「ええぇぇっ!?そ、そんな…!ちょっと、待ってください!」
「話は終わりだ。」
私の言葉を無視して、謙信様は広間を後にした。
残された家臣達や伴次郎くん達から哀れみの目が向けられる。残された私はなす術なく、小袖を握りしめまた。
「……なんなの?…流石に、理不尽すぎない……?」
謙信様の一方的な態度に沸々と怒りが湧き上がる。そんな私の怒りを感じたのか千坂さんや直江さんが、機嫌を取るように声をかけてくれる。
「葵様、どうか気を落としますな!謹慎と言っても一時的なもの。すぐに、自由になりましょうぞ。」
「左様。…そうだ!この機会に新しい事業など始めてはいかがか?」
しかし、私にはそれに応える余裕などなかった。
謙信様はこの城の、越後のお殿様で私はその庇護下にある。言われたことには従うけど…これはあまりにも一方的で理不尽すぎる。
「…私も下がります…。失礼します。」
怒りに任せたまま、冷たく吐き捨てる様に言って広間を早足で後にした。後ろから弥三郎くん達がついてくるのが分かるが、それすらイライラする。
「梅ちゃん、しばらく誰も通さないで。」
「ひ、姫様??」
「お嬢?」
「葵様?」
「二人も、入ってこないでね。」
離れの私室に到着した私は、3人に行って襖を閉めた。
「なんなの!?マジで!あり得ないんだけど!!」
口汚く叫びながら、ゴロンと畳に横になった。
それからしばらく、私の怒りは収まることがなかった。




