14. 安土の覇者と、遥かなる龍の影
尾張・美濃を平定し、天下布武へと一歩を踏み出した織田信長の本拠地――岐阜城。
その奥深く、金箔の襖と絢爛豪華な調度品に囲まれた大広間に、重苦しくも鋭い緊張感が満ちていた。
上座にドッシリと腰掛けているのは、黒の南蛮羽織を羽織り、鋭い眼光を爛々と輝かせる男――織田弾正忠信長である。
「――ほう?」
信長は手にした茶碗をコトンと膝元に置くと、不敵な笑みを口元に浮かべた。
「越後の上杉は、余との軍事同盟を承諾すると申すか。……しかし、流石は生真面目な『軍神』だ。余に血判を押した誓状を差し出し、織田側からの人質を送れだと?」
信長の前に平伏しているのは、上杉家から密使として派遣された使者・山崎秀仙、そして長景連であった。
「ははっ。甲斐の武田晴信(信玄)が『西上作戦』を開始し、織田・徳川領へと牙をむき始めております。我が主・上杉謙信公は、『義を失い他領を侵す武田の背を叩き、信濃・三河の民を救うべく、織田家と濃越同盟を強固なものとしたい』と切望されておりまする。」
山崎秀仙が恭しく書状を差し出す。
信長はそれを受け取ると、目を通しながら豪快に笑い声を上げた。
「ハハハハハっ!あの毘沙門天の化身を自称する堅物と共同戦線を張るならば鬼に金棒よ!武田の老いぼれを挟み撃ちにするに、これ以上ない好機よ!良いぞ、この同盟、余は大歓迎で受けて立つ!」
秋。
こうして、織田信長が血判を押し、織田側のみが人質を差し出すという、上杉家にとって極めて有利な「濃越同盟」が正式に成立したのだった。
同盟締結の酒宴が催される中、信長はふと思い出したように、使者の長景連に向かって杯を傾けた。
「ときに長景連。……風の噂に聞いたぞ。ここ一、ニ年ほどで、越後の富が爆発的に増え、泥田が良田へと姿を変え、冬の最中でも京都の公家が垂涎する極上の酒や織物が生まれておると。……あの寒村の越後で、一体何が起きておるのだ?」
長景連は深々と頭を下げ、恭しい面持ちで口を開いた。
「……織田様、それは決して噂や誇張ではございませぬ。すべては……昨年、春日山城の毘沙門堂に降臨された『吉祥天女様』の御威光にございます。」
「天女……だと?」
信長の横に控えていた側近・羽柴秀吉が、ひょうきんな顔を一変させ、身を乗り出した。
「これ景連殿!神仏ならぬ天女とな!?上杉の殿様が毘沙門天にイカれておるのは有名だが、まさか家臣まで揃って天女などというおとぎ話を信じておるのか?」
「偽りではございませぬ、羽柴様!」
長景連は熱っぽく語り始めた。
「そのお方は『葵』様と名乗られ、水車を用いた自動精米のからくり、丸太を用いた椎茸の栽培術、川の治水工事、さらには泥田の水抜きによる乾田化の法など、この世の者とは思えぬ奇跡の知恵を次々と生み出しておられます。葵様が直接指導した田では、例年の収穫量が十俵だった所、一年で二百俵に収穫量をあげており、年々増加しておりす。先日の川中島の合戦におきましても、武田の猛攻を退け、我が軍を勝利へと導いた『勝利の女神』にございます!」
「なんと!?」
「二百俵だとッ!!?」
広間に集まっていた織田家の重臣たち――柴田勝家、丹羽長秀、そして同盟者として座していた徳川家康までもが、息を呑んで顔を見合わせた。
「ほぅ……。」
信長は顎を突き出し、目を細めた。
神仏をハナから信じず、理(合理性)と実利を何より重んじる信長である。
天女などという滑稽な幻影、余が信じるはずもなかろう。……だが、水車精米、乾田化、椎茸の栽培……。いずれも、農地と物流を劇的に変える『理に叶った知恵』ばかりではないか。
信長の鋭い脳裏に、火花のようなひらめきが走った。
「その『葵』とやら……何歳の女子だ?」
「おそましくも、二十歳そこそこの可憐な女子にございます。農民のような衣服を纏い、自ら泥に塗れて農民たちと笑い合う……実になじみやすいお方で。」
「……ますます面白きかな。」
信長はクックックと低く笑った。
「有能な異国の智恵者か、あるいは未来を見通す妖術師か。上杉謙信め、そのような至宝を『天女』などと奉って囲い込んでおるのか。……余に神仏の迷信は通じぬ。真にこの天下を富ませる知恵を持つ者ならば、この余が直々に検分してやらねばならんな。」
宴が果て、使者たちが退出した後の密室。
信長の前には、羽柴秀吉と明智光秀、徳川家康の二人が残されていた。
「……御館様。」
秀吉が揉み手をしながら、鋭い目つきで囁いた。
「あの越後からの報告、あまりに話が上手すぎます。……椎茸や水車はともかく、たった一人の女子が越後の一国の富を何倍にも膨らませたなど。もしや上杉が送り込んだ、我が織田家を揺さぶるための『恐ろしい騙し絵』ではございませぬか?」
「秀吉殿の言う通りやもしれません。」
明智光秀が同意する。徳川家康も、苦虫を潰したような顔で胃をさすりながら同意した。
「武田信玄が動いているこの土壇場で、上杉がそれほどの至宝を抱え込んでいるとなれば……我ら徳川も、いつ武田と上杉の板挟みになって潰されるか分かりませぬ。その『葵』なる女子……あまりに危険すぎます。」
秀吉と光秀、家康の間に漂う、強烈な【疑心暗鬼】。
そのうち、秀吉と家康と言う天才的な直感を持つ二人は、その「葵」という未知の存在が、自分たちの知る戦国の秩序を根本から叩き壊す危険性を、本能的に察知していたのだ。だが、信長はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「フン、相変わらず小賢しい奴らだ。間者だろうが毒婦だろうが構わぬ。使ってみて役に立てば召し抱え、邪魔になれば斬るまでのこと。」
信長は立ち上がり、黒の南蛮マントをバサリと翻した。
「サル。越後へ送る『同盟の祝の品』を用意せよ。京から取り寄せた豪華な屏風や、異国の南蛮マント、名刀を揃えよ。」
「ははっ!同盟の引き出物にございますね!」
「……それとな、キンカン。」
信長はニヤリと凶悪で魅力的な笑みを浮かべた。
「サノの用意する中に……最高級の絹で仕立てた『女性用の絢爛な南蛮ドレス』と『京都の宝飾品』、そして……余の直筆の手紙を添えておけ。宛名は『越後の天女・葵殿』だ。」
「なっ……!?あ、天女殿宛ての手紙でございますか!?」
光秀が目を丸くする。
「謙信め……己の『天女』に余から文が届いたと知れば、どれほど青筋を立てて怒り狂うか。見ものだな。」
信長は楽しそうに大笑いしたのだった。
一方その頃――越後・春日山城。
「……ハックションっ!!」
すっかり体調の戻った私は、作務衣の袖をまくりながら、豪快なくしゃみをかましていた。
「姫様、大丈夫ですか? またお風邪ですか?」
梅ちゃんが心配そうに白湯を出してくれる。
「ううん。大丈夫。」
ずびずびと鼻をすすりながら、私は自室でスマホを握りしめていた。画面には、頼れる相棒・タッピーのテキストが踊っている。私は謙信様と家臣達が「織田家との同盟」と話していたのが気になって調べていた。
ねえタッピー、上杉家と織田家の同盟ってどんなの?
『回答します。元亀3年(1572年)秋、上杉謙信と織田信長との間で「濃越同盟」が締結されます。これは武田信玄の西上作戦に対抗するための歴史的同盟です』
へぇ……!なるほど歴史通りなんだ!
でも、信長って本能寺の変って言うので光秀に殺されるよね。
画面をフリックしながら、私は画面に表示された検索結果を凝視した。
……タッピー。この同盟って、ずっと続くの?
『いいえ。数年後の天正4年(1576年)、信長の一向一揆弾圧や勢力拡大に伴い、宗教観の違いから謙信と信長は激しい対立に陥り、濃越同盟は破棄されます。その後、上杉と織田は手取川の戦いなどで全面対決へと突入します。』
……マジか……。
画面に映し出される『本能寺の変』『手取川の戦い』の文字。私はスマホを胸に抱きしめ、ギュッと目を瞑った。
信長さん……歴史の本で読んだ時は『怖い魔王』だと思ってたけど……。もし、この同盟がずっとうまくいって、織田家と上杉家がずっと仲良くできたら……?謙信様と信長さんが戦わなくて済むし……信長さんが本能寺で死ぬ未来だって、変えられるかもしれない?
やはり現代人の私は誰かが死んだり、戦で命がゴミのように消えていくのは、嫌だった。
よし……!タッピー、織田信長の性格と好み、それから織田家の主要メンツ(秀吉・家康・光秀)のデータを全部リストアップして。検索フル活用で、信長さんと仲良くなる作戦を立てるわよ!
『了解しました。検索および最新の歴史データベースより、織田信長攻略マニュアルを作成します』
「信長さんを絶対に死なせずに謙信様とも戦をさせないようにしないと。」
自分の未来に、魔王・信長からの『怪しいプレゼント』と『直筆の書状』が届くとは夢にも思わず、私はスマホの画面を爆速フリックしながら、意気揚々と決意を固めるのだった。




