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真実の男は笑う  作者: 品川太朗


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第5章 弱者



独房。


朝。


目を開ける。


壁。


天井。


鉄扉。


昨日と同じ。


トシアキは、


ベッドの上で横になったまま、


天井を見ていた。


以前。


男性刑務所で孤立したとき。


この静けさが怖かった。


世界から切り離される。


誰にも見られない。


誰にも反応されない。


自分が、


消えていくような感覚。


だが。


今は違う。


トシアキは。


笑っていた。


――俺だけ。


他の受刑者から切り離された。


――俺だけ。


特別な扱い。


理由は。


暴力。


施設側は、


そう言っている。


だが。


トシアキの頭の中では。


もう。


別の物語が完成し始めていた。


「俺だけ」


小さく呟く。


「女として扱われない」


言ってみる。


悪くない。


もう一度。


「俺だけ排除されてる」


さらに。


「俺だけ」


少し考える。


そして。


笑った。


「差別されてる」


その言葉を口にした瞬間。


トシアキの中で。


何かが。


ぴたりとはまった。


---


数日後。


弁護士との面会。


弁護士は座るなり言った。


「今回の隔離について説明を受けました」


「へえ」


「作業場で他の受刑者を突き飛ばしたこと」


「……」


「それ以前から、複数の威圧行為について報告があること」


「だから?」


「施設側は、安全確保のための一時的措置だと説明しています」


トシアキは笑った。


「一時的?」


「現時点では」


「いつまで?」


「状況を見ながら判断するそうです」


トシアキは。


椅子にもたれた。


「じゃあ聞いてくれ」


「何をです?」


「俺が何で隔離されてるのか」


「今説明しました」


「違う」


弁護士の表情が曇る。


トシアキは。


ゆっくり言った。


「差別だ」


「……」


「俺は差別されてる」


弁護士は。


しばらく何も言わなかった。


「トシアキさん」


「何だよ」


「あなたは他の受刑者に暴力を振るっています」


「女同士の喧嘩なら?」


「そういう問題ではありません」


「俺だから隔離したんだろ」


「あなたの行動が理由です」


「証明できるのか?」


弁護士の眉がわずかに動く。


「何をです?」


「俺の性別と関係ないって」


「……」


「女性受刑者同士で揉め事が起きることはないのか?」


「あります」


「全員独房に入れるのか?」


「内容によります」


トシアキは笑う。


「ほら」


「ほら、ではありません」


「じゃあ説明しろよ」


身を乗り出す。


「俺だけ長く隔離される理由を」


「体格、暴力歴、現在のリスク――」


「体格?」


トシアキが即座に拾う。


「身体的特徴で判断するのか?」


弁護士が止まる。


トシアキの口元が上がる。


「危ねえな」


「言葉尻を取らないでください」


「取ってねえよ」


「施設には他の受刑者を守る義務があります」


「俺を守る義務は?」


沈黙。


「俺も」


トシアキは、


一言ずつ言う。


「この刑務所にいる」


「一人の女性受刑者なんだろ?」


弁護士は。


深く息を吐いた。


「あなたは今、自分の置かれている状況を正当化するために――」


「違うね」


トシアキが遮る。


「俺は」


少し笑う。


「自分の権利を主張してるだけだ」


その言葉を。


口にした自分自身が。


一番面白かった。


権利。


少数者。


不当な扱い。


差別。


かつて。


聞くたびに。


トシアキが嘲笑していた言葉。


今。


一つずつ。


自分の口から出ている。


しかも。


使える。


トシアキは思った。


――便利じゃねえか。


---


弁護士が帰ったあと。


独房。


トシアキは。


壁にもたれていた。


思い出す。


代々木公園。


クイーン。


倒れた身体。


怯えた顔。


あのとき。


トシアキは。


心の底から思った。


弱い。


醜い。


情けない。


そんなものを。


人前で晒すな。


男なら。


立て。


戦え。


そして今。


自分は。


言っている。


俺は弱い立場だ。


俺を守れ。


俺の権利を尊重しろ。


トシアキは。


思わず笑った。


「ハハ……」


矛盾?


そんなことは。


どうでもよかった。


勝てるなら。


使えばいい。


「弱者ってのも」


壁を見ながら。


呟く。


「悪くねえな」


---


数日後。


弁護士が再び来た。


今日は。


何枚か資料を持っている。


トシアキはすぐに聞く。


「外は?」


「何がです」


「連中」


弁護士は。


答えたくなさそうにする。


「まだ施設前で抗議活動が行われています」


トシアキが笑う。


「まだいるのか」


「規模は日によって違います」


「何て言ってる?」


「他の女性受刑者の安全を守るように、と」


「俺を追い出せって?」


「そういう単純な声明ではありません」


「同じだろ」


「違います」


弁護士は資料を見る。


「あなたの権利を否定することなく、安全上必要な措置を取るべきだ、という内容です」


トシアキが。


一瞬。


黙る。


そして。


笑う。


「苦しいな」


「何がです?」


「言えないんだよ」


「何を」


「俺を女として扱うなって」


弁護士は黙る。


「本当は言いたいんだろ」


「それはあなたの想像です」


「でも言えない」


トシアキは。


机を指で叩く。


トン。


トン。


トン。


「自分たちの理念に引っかかるから」


「団体の考えを勝手に決めないでください」


「じゃあ」


トシアキは笑う。


「もっと困らせてやる」


「何をするつもりです」


「何もしねえよ」


その答えに。


弁護士が逆に警戒する。


トシアキは続けた。


「ここからは」


笑う。


「ちゃんとルールの中でやる」


---


トシアキは。


施設側に。


処遇についての再審査を求めた。


隔離理由の明示。


期間の確認。


処遇の定期的な見直し。


他の受刑者との扱いの違いについての説明。


さらに。


弁護士を通して。


第三者による処遇確認も求めた。


トシアキは。


書類を書く。


以前なら。


一行で済ませていた。


差別だ。


今は違う。


何度も。


書き直す。


感情的な言葉を削る。


「俺を狙っている」


消す。


「連中の圧力だ」


消す。


代わりに。


書く。


他の受刑者と異なる処遇が長期間継続する場合、その必要性について具体的な説明を求める。


トシアキは。


文章を見る。


「……ハ」


笑う。


「俺じゃねえみてえだ」


だが。


悪くない。


殴れば。


隔離される。


怒鳴れば。


危険人物として記録される。


なら。


別の武器を使えばいい。


書類。


規則。


申立て。


審査。


かつて。


敵の武器だと思っていたもの。


今では。


全部。


自分の手の中にある。


---


施設側との面談。


職員二人。


トシアキ。


机。


「あなたの隔離措置について説明します」


「どうぞ」


トシアキは。


驚くほど穏やかだった。


「現在の措置は、他の受刑者への危害リスクを理由とするものです」


「はい」


「性別認識を理由とする措置ではありません」


「はい」


職員が。


少し意外そうにする。


以前なら。


ここでトシアキは怒鳴っていた。


だが。


今日は違う。


「その上で」


トシアキは言う。


「質問があります」


「どうぞ」


「この措置には終了条件がありますか?」


職員が答える。


「安全性が確認された段階で――」


「具体的には?」


「行動状況などを総合的に――」


「誰が判断するんです?」


「処遇担当者と――」


「いつ見直されます?」


職員が止まる。


トシアキは。


静かに待つ。


「定期的に確認します」


「何日ごとです?」


「一概には――」


「じゃあ」


トシアキが笑う。


「期限はない?」


職員の表情が硬くなる。


トシアキは。


それ以上追い込まない。


「分かりました」


素直に引く。


その方が。


記録にはいい。


そう考えていた。


---


外。


刑務所正門前。


柵。


警察官。


報道陣。


抗議する人々。


プラカード。


受刑者の安全を守れ


暴力を放置するな


声が上がる。


だが。


トシアキは。


もちろん。


その光景を見ていない。


弁護士から聞くだけ。


だから。


彼の頭の中では。


実際よりも。


巨大になっていく。


何百人。


何千人。


自分の名前を叫ぶ群衆。


自分一人を恐れる団体。


自分のせいで。


社会が揺れている。


トシアキは。


独房で目を閉じる。


そして。


想像する。


――もっと騒げ。


――もっと俺の名前を言え。


――お前らが騒げば騒ぐほど。


――俺は大きくなる。


---


数週間後。


弁護士との面会。


トシアキが座る。


今日は。


弁護士の顔を見るだけで。


何かあったと分かった。


「何だ」


「処遇についての再検討結果が出ました」


トシアキの目が動く。


「それで?」


「隔離措置そのものが違法だとか、差別だったという判断ではありません」


トシアキの笑みが消える。


「……」


「あなたの暴力行為について、施設側の対応には合理的な理由がある」


トシアキが。


黙って聞く。


「ただし」


弁護士が続ける。


「隔離を漫然と継続するのではなく、定期的な個別評価を行うこと」


トシアキの眉が動く。


「段階的な処遇緩和が可能か検討すること」


「……」


「一定の条件下で、他の受刑者との共同生活への復帰を試行すること」


トシアキは。


動かない。


「つまり?」


「安全管理を続けながら」


弁護士は慎重に言う。


「段階的に一般区画へ戻す方向で検討されます」


沈黙。


トシアキが。


俯く。


「トシアキさん?」


肩が震える。


「違いますよ」


弁護士が先回りする。


「これはあなたの差別主張が全面的に認められたという意味では――」


「ハハ」


「……」


「ハハハ」


トシアキが顔を上げる。


「戻れるんだな」


「条件付きです」


「戻れる」


「リスク管理を前提に――」


「戻れるんだよな?」


弁護士が。


仕方なく答える。


「最終的には、そういう方向です」


トシアキは。


椅子にもたれた。


目を閉じる。


あの日。


施設前。


自分に抗議した人々。


直接見てはいない。


だが。


頭の中では。


全員。


今。


黙っている。


「……勝った」


弁護士が。


すぐに言う。


「だから違います」


トシアキは聞いていない。


「また」


笑う。


「俺の勝ちだ」


「安全措置そのものは維持されています」


「でも戻す」


「条件付きで」


「俺を隔離し続けられなかった」


「それは定期的な見直しが必要だからです」


「俺を」


一言ずつ。


噛みしめる。


「閉じ込め続けることが」


「できなかった」


弁護士は。


しばらく黙る。


そして。


疲れた声で言う。


「あなたは何でも勝ち負けにするんですね」


トシアキが。


弁護士を見る。


「当たり前だろ」


「……」


「向こうが始めたんだ」


「誰が?」


「あいつらだよ」


「いつです?」


トシアキが止まる。


弁護士は。


続けなかった。


その質問だけが。


面会室に残る。


いつ。


誰が。


この戦争を始めた?


トシアキは。


答えない。


代わりに。


笑った。


「そんなの」


小さく。


「どうでもいい」


---


数日後。


独房の扉が開く。


職員。


「本日から、段階的に共同区画へ戻します」


トシアキは。


立ち上がる。


「注意事項を説明します」


「はいはい」


「他の受刑者への接触について制限があります」


「分かった」


「威圧的行為が確認された場合は――」


「分かったって」


職員を見る。


「行こうぜ」


廊下へ出る。


久しぶり。


広い。


明るい。


遠くに。


女性受刑者たち。


一人が。


トシアキに気づく。


表情が変わる。


隣の女に。


何かを囁く。


二人とも。


その場を離れる。


トシアキは。


その後ろ姿を見る。


そして。


笑う。


――そうだ。


――それでいい。


自分が来れば。


人が退く。


自分が歩けば。


道が空く。


トシアキには。


それが。


恐怖ではなく。


服従に見える。


---


食堂。


トシアキが入る。


会話が。


少しずつ。


小さくなる。


一つのテーブル。


女性受刑者たちが。


トシアキを見る。


やがて。


一人が立つ。


もう一人。


さらに。


もう一人。


別のテーブルへ移る。


トシアキの前に。


席が空く。


以前なら。


追いかけていた。


「逃げるな」


「認めろ」


そう言っていた。


今日は。


何も言わない。


静かに。


空いた席へ座る。


トレイを置く。


周囲には。


誰もいない。


トシアキは。


その光景を見渡す。


一人。


中央に座る男。


周囲には。


誰もいない。


完全な孤立。


だが。


トシアキには。


王座に見えた。


「……やっと」


小さく呟く。


「分かったみたいだな」


遠くから。


誰かが。


こちらを見る。


すぐに。


目を逸らす。


トシアキが笑う。


「そうだよ」


声が少し大きくなる。


「それでいい」


誰も返事をしない。


それでも。


トシアキは。


満足そうに。


食事を始めた。


---


夜。


洗面台。


鏡。


女性用の囚服。


筋肉質な身体。


右頬には。


もうほとんど痕の消えた打撲。


トシアキは。


鏡の中の自分を見る。


「弱者か」


少し笑う。


「俺が」


その言葉を。


以前なら。


侮辱だと思った。


だが。


今は。


違う。


強者。


弱者。


男。


女。


被害者。


加害者。


トシアキにとって。


そんなものは。


もう。


自分を説明する言葉ではなかった。


勝つために。


その時々で。


手に取る札。


それだけだった。


鏡の中の自分に。


問いかける。


「で」


口元を上げる。


「次は何を使う?」


---


最後の場面。


刑務所の外。


夜。


正門前。


抗議活動のあと。


誰もいない歩道。


置き去りになった一枚のチラシが。


風に転がっている。


すべての受刑者に安全を。


風。


チラシが裏返る。


場面。


刑務所内部。


トシアキ。


一人きりのテーブル。


食堂の中央。


周囲の席は。


空いている。


トシアキが。


ゆっくり顔を上げる。


そして。


笑う。


――これで二勝目だ。


――お前らの理念で。


――お前らの言葉で。


――俺はまた。


――お前らに勝った。


最後のコマ。


誰もいない隣の椅子に。


片腕をかけるトシアキ。


王座に座るように。


その顔には。


満足げな笑み。


しかし。


その周囲だけが。


不自然なほど。


空白になっている。

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