第4章 王国
巨大な鉄扉が、
トシアキの背後で閉じた。
ガシャン。
低い音が、
コンクリートの廊下に響く。
女性受刑者施設。
トシアキは、
ゆっくり周囲を見渡した。
灰色の壁。
規則的に並ぶ扉。
職員。
遠くから、
こちらを見ている女性受刑者たち。
何人かは、
露骨に目を逸らした。
何人かは、
立ち止まったまま、
トシアキを見ている。
トシアキは。
その視線を受けながら。
口元を少し上げた。
――見てろよ。
頭に浮かぶのは、
ここにいる女たちではない。
あの日。
裁判所の傍聴席にいた人間。
声明を出した団体。
自分の申立てに、
「慎重な対応を求める」と言った連中。
――入ったぞ。
トシアキは心の中で言う。
――お前らが嫌がってた場所にな。
職員が言う。
「こちらです」
トシアキは歩き始める。
胸を張って。
まるで。
刑務所に移送された囚人ではなく。
戦争に勝った将軍のように。
---
最初の数日。
トシアキは、
驚くほど大人しかった。
指示に従う。
決められた時間に起きる。
決められた場所へ移動する。
職員に逆らわない。
他の受刑者にも。
必要以上には近づかない。
女性受刑者たちは。
警戒しながらも。
少しずつ。
「特に何も起きないのではないか」
と思い始める。
それを。
トシアキは感じ取っていた。
焦る必要はない。
ここに入っただけでも。
一つ勝った。
次は。
もっと大きく。
外まで届くように。
やればいい。
---
食堂。
昼食。
トシアキは、
トレイを持って歩く。
女性たちが集まっているテーブル。
空席が一つ。
トシアキは。
そこに座った。
会話が止まる。
「……」
誰も何も言わない。
トシアキが食べ始める。
しばらくして。
隣に座っていた女が、
わずかに椅子を遠ざける。
トシアキの目が動く。
「何だ」
女が止まる。
「……別に」
「今、離れただろ」
「狭かっただけ」
トシアキは。
じっと女を見る。
「俺が怖いのか?」
「そんなこと言ってない」
「じゃあ戻せよ」
「……」
「椅子」
女は。
少し迷ってから。
椅子を元の位置へ戻した。
トシアキは、
何も言わず。
また食事を始めた。
だが。
心の中では。
笑っていた。
――簡単じゃねえか。
---
数日後。
洗濯室。
順番を待つ女性たち。
トシアキが入ってくる。
一人の女が言う。
「今、私たちが使ってるから」
トシアキは止まる。
「だから?」
「順番」
「俺も使う」
「終わったらね」
トシアキは。
女の顔を見る。
「お前」
「何」
「俺に指図してる?」
「指図じゃなくて――」
トシアキは。
一歩近づいた。
身長。
肩幅。
腕。
距離が縮まるだけで。
女の表情が変わる。
トシアキは、
それを見逃さない。
「もう一回言えよ」
「……」
「順番が何だって?」
女が。
目を逸らした。
「……先に使えば」
トシアキは笑う。
「そうすりゃいいんだよ」
女性たちは。
誰も言い返さなかった。
その日から。
小さなことが増えていった。
席。
順番。
物。
場所。
トシアキが欲しがれば。
誰かが譲る。
最初は。
揉め事を避けたいだけだった。
だが。
トシアキには。
別のものに見えた。
服従。
---
運動時間。
一人の受刑者が。
トシアキに言った。
「ねえ」
「何だ」
「みんな迷惑してる」
トシアキが振り返る。
「何に?」
「あなたに」
周囲の空気が変わる。
女は続ける。
「怖がらせて、物取って」
「取ってねえよ」
「返せって言えないだけ」
「だったら言えばいいだろ」
「言ったら怒るじゃん」
トシアキの表情が変わる。
「怒る?」
「今だって」
「俺が?」
一歩。
近づく。
女が後ろへ下がる。
その動きを見て。
トシアキの目が細くなった。
代々木公園。
地面に座り込んだクイーン。
怯えた目。
ほんの一瞬。
その光景が浮かぶ。
だが。
トシアキは。
その記憶を押し潰した。
「ほら」
女を指差す。
「そういう顔だよ」
「……何?」
「勝手に怖がって」
さらに近づく。
「俺を悪者にする」
「やめて」
その言葉。
トシアキの眉が動く。
「何もしてねえだろ」
「近づかないで」
「ほらな」
トシアキは笑った。
「俺が何かしたか?」
女は。
答えない。
トシアキの手が。
女の肩を押す。
軽く。
だが。
女はよろめく。
周囲から声。
「やめなよ!」
トシアキが振り返る。
「何だ?」
二人。
三人。
女性受刑者が立っている。
「もういいでしょ」
「みんな嫌がってる」
トシアキは。
周囲を見た。
そして。
笑った。
「やっと来たか」
「何?」
「そうじゃなきゃ面白くねえ」
女性たちには。
意味が分からない。
トシアキは。
ゆっくり腕を広げた。
「いいぞ」
「……」
「もっと騒げよ」
「何言ってんの?」
「職員に言え」
笑う。
「外にも言え」
「……?」
トシアキは。
壁の向こうを見るような目をする。
「ここの中で何が起きてるか」
「全部」
「外に知らせろ」
---
その日。
職員による聞き取りが行われた。
複数の受刑者が、
同じことを話した。
威圧される。
順番を奪われる。
物を使わせろと言われる。
断ると距離を詰められる。
身体を押された。
トシアキも呼ばれる。
「複数の訴えがあります」
職員が言う。
トシアキは椅子に座っている。
「何の?」
「他の受刑者への威圧行為です」
「威圧?」
鼻で笑う。
「話しただけです」
「身体的接触もあったと聞いています」
「肩押しただけだ」
「なぜですか」
「邪魔だったから」
職員は記録する。
トシアキが。
そのペンを見る。
「それ」
「何ですか」
「全部記録に残るんだよな」
「当然です」
トシアキの口元が上がる。
「そうか」
職員が顔を上げる。
「何がおかしいんです?」
「別に」
トシアキは。
椅子にもたれた。
「ちゃんと残しといてくれ」
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それから。
状況は悪化した。
トシアキは。
わざと規則違反をするわけではない。
露骨に殴りかかることもしない。
だが。
ぎりぎりのところで。
相手を怖がらせる。
大声。
至近距離。
肩を掴む。
机を叩く。
物を奪う。
返せと言われれば。
返す。
そのたび。
「何か問題あるか?」
と笑う。
女性受刑者たちは。
次第に。
トシアキが近づくだけで。
その場を離れるようになった。
食堂。
廊下。
作業場。
一つずつ。
道が空く。
トシアキは。
それを見ながら。
満足していた。
――そうだ。
――もっとだ。
――誰も無視できなくなるまで。
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弁護士との面会。
弁護士は。
最初から厳しい顔をしていた。
「問題になっています」
トシアキは笑う。
「何が」
「施設内での行動です」
「もう外に出たのか?」
弁護士の表情が変わる。
その反応だけで。
トシアキには分かった。
「出たんだな」
「一部報道されています」
「ハハ」
「笑うところではありません」
「団体は?」
弁護士が黙る。
トシアキが身を乗り出す。
「何か言ったか?」
「……声明を出しています」
トシアキの顔が。
明るくなる。
「なんて?」
「他の受刑者の安全を確保するよう、施設側に求めています」
「それだけ?」
「暴力や威圧的行為が事実であれば、適切な対応を取るべきだと」
「他には?」
弁護士が。
嫌そうな顔をする。
「施設前で抗議活動も行われています」
その瞬間。
トシアキは。
声を上げて笑った。
「ハハハ!」
「トシアキさん」
「来た!」
「……」
「来たじゃねえか!」
拳を握る。
「わざわざ刑務所の前まで!」
「喜ぶ話ではありません」
「喜ぶだろ!」
「なぜです?」
トシアキは。
弁護士を見た。
心底、
不思議そうな顔をする。
「だって」
笑う。
「効いてるってことだろ」
弁護士は。
しばらく黙っていた。
「あなたは」
ゆっくり言う。
「ここにいる受刑者を、何だと思っているんですか」
トシアキの笑いが止まる。
「何が」
「あなたが外の団体に何かを示したいとして」
弁護士は続ける。
「ここにいる人たちは、そのための道具ではありません」
トシアキは。
少し考えた。
そして。
あっさり答えた。
「分かってるよ」
「なら――」
「でも」
弁護士を遮る。
「必要なんだよ」
「何がです?」
「被害が」
弁護士の表情が固まる。
トシアキは。
淡々と続ける。
「何も起きなきゃ」
「外の連中は俺を無視する」
「でも」
笑う。
「ここで問題が起きれば」
「奴らは声明を出す」
「デモもする」
「俺のことを話さずにいられなくなる」
弁護士は。
低い声で言った。
「それ以上はやめてください」
トシアキが笑う。
「何で?」
「次は本当に重大な処分になります」
「へえ」
「隔離措置もあり得ます」
一瞬。
トシアキが黙る。
「隔離?」
「他の受刑者の安全を守るためです」
トシアキは。
少し考えた。
「……そう」
口元が上がる。
「そう来るのか」
「何です?」
「いや」
トシアキは。
楽しそうに笑った。
「それも面白いなと思って」
---
数日後。
ついに。
事件が起きた。
作業場。
トシアキが。
一人の女性受刑者から。
作業道具を取り上げた。
「返して」
「あとで」
「私が使ってた」
「だから?」
「返してよ」
女が手を伸ばす。
トシアキが。
その手首を掴む。
「痛い!」
周囲が振り返る。
「離して!」
トシアキは。
離さない。
「大声出すな」
「痛いって言ってるでしょ!」
女が。
トシアキの腕を振り払おうとする。
次の瞬間。
トシアキが強く突き放す。
女が床に倒れる。
静寂。
職員の声。
「離れて!」
複数の刑務官が走ってくる。
トシアキは。
抵抗しなかった。
ただ。
床に倒れた女を見る。
怯えている。
また。
あの顔。
クイーンと。
重なる。
しかし今度。
トシアキは。
怒らなかった。
笑った。
「……これでいい」
職員に腕を取られる。
「何がです?」
トシアキは。
誰に答えるでもなく言った。
「これなら」
笑う。
「外まで届く」
---
独房。
鉄の扉。
狭い空間。
トシアキが座っている。
扉の向こう。
職員。
「当面、他の受刑者から隔離します」
トシアキが顔を上げる。
「俺だけ?」
「あなたによる暴力行為が確認されています」
「だから?」
「他の受刑者の安全確保のためです」
トシアキは。
ゆっくり立ち上がる。
「面白えな」
「……」
「俺は女なんだろ」
職員は。
反応しない。
「女性として」
鉄扉へ近づく。
「ここに入れたんだろ?」
「処分理由は性別とは関係ありません」
その一言。
トシアキの目が。
光る。
「本当に?」
「暴力行為への対応です」
「へえ」
トシアキは。
笑った。
さっきまで。
狭い独房は。
敗北の象徴に見えていた。
だが。
今。
別の意味に見え始める。
自分だけ。
隔離。
自分だけ。
別扱い。
トシアキの頭の中で。
新しい理屈が。
形を作り始める。
「つまり」
鉄扉の向こうに向かって。
ゆっくり言う。
「俺だけ」
「みんなと同じ扱いをされないわけだ」
職員が答える。
「あなたの行動が理由です」
トシアキは。
笑みを深くする。
「そういうことにしたいんだな」
「トシアキさん」
「いいよ」
ベッドへ戻る。
腰を下ろす。
「分かった」
職員が立ち去る。
足音。
遠ざかる。
静寂。
トシアキは。
一人になる。
男性刑務所で。
同じように。
一人になったとき。
彼は。
心が折れかけた。
だが。
今は違う。
トシアキは。
独房の壁を見ながら。
笑っている。
「……そうか」
小さく。
呟く。
「次は」
顔を上げる。
「俺が弱者か」
最後のコマ。
独房の暗闇。
トシアキの口元だけが。
笑っている。




